新日本主義の認識
新日本文化会の林房雄氏へ
新日本文化の会に就いて、その会員である林房雄氏が本紙に意見を発表した。私は林氏と文学界同人の関係にあるので、氏個人の気持も知つてをり、それには同情し得るところもないではないが、氏の意見そのものは認識の問題であるから、氏の認識に対して私の考へを述べようと思ふ。
先づ私はこの会の成立の第一の出番点とされる日本文化の現状に関する認識に於て氏と見解を同じくしない。氏は現代日本が文化的には西洋の「植民地」であると云つて慨歎する。これは氏のみでなく、すべての日本主義者の常套語であるが、かかる悲憤慷慨が極めて危いのである。氏は固より今日の日本が世界の強国であるといふ事実を認めるであらうが、この事実はまさに日本が文化的にも植民地以上のものであるといふことを示してゐるのではないか。
例へば、日本は世界に誇り得る軍隊を持つてゐる。日本の軍隊の強さは単に日本精神のみに依るのでなく、日本が近代的な…西洋に始まりはしたが今では世界的な意味を有する…軍備を有するのに依るのである。日本の軍隊の強さはかくして日本の軍需工業、また一般産業、日本の軍需科学、また一般科学が決して植民地程度に留まることなく、世界の諸強国に伍し得る程度になつてゐることを示してゐるのである。
如何に大胆な日本主義者もこの近代的な軍備を廃して日本固有のものに改めようとはしないであらう。否、この国民主義時代において却つて軍需科学は益々必要とされ、その研究は愈々奨励されてゐるのである。軍需科学といふのは勿論西洋的な科学のことである。今日誰も、日本は軍需科学において西洋の植民地的状態にあると云つて慨歎することから、日本固有のものを求めねばならぬといふ結論を引き出しはしないであらう。然るに林氏の議論はこれに類するものではなからうか。
なぜならここに注意すべきことは、科学といふものが文化の中で孤立したものでなく、また孤立してゐては発達し得ないといふことである。科学における理論の方面が発達しないでその応用の方面だけが発達するといふことは不可能である。真に軍需科学の研究を奨励しようとする者は理論科学の研究をも奨励しなければならぬ。そして一般に科学の発達を期待する者は科学的精神の発達を図らねばならぬ。
然るに科学的精神の発達は孤立的に、単に自然科学の範囲内に於て企て得るものでなく、それには社会科学を始め人間文化のあらゆる領域に科学的精神の浸潤することが必要である。固より私は科学主義にも西欧主義にも賛成するのではない。私が反対するのは、今日の日本主義者が科学と他の文化とを抽象的に分離して、自然科学、特にその応用としての軍需科学の方面に於ては西洋的なものを大いに奨励しながら、他の文化領域に於ては「日本固有なもの」を強調するといふが如き、文化の有機的並びに綜合的関係を無視した議論である。もし理論の発達なしに応用のみが発達し、また全体の文化の連関から科学のみが孤立し得るとしたならば、人間の生活と文化とは破滅的な頽廃に陥らねばならぬであらう。
新日本文化の会の創立に対する林房雄氏の認識の第二の点は、知識階級と大衆との乖離に関してゐる。なるほど、知識階級と大衆とは今日の日本において密接に結び付いてゐるとは云へない。
その理由は、新日本主義者の意見に依れば、知識階級は西洋的であり、これに反し大衆は日本的であつて、それ故に両者は結び付かないといふのである。この論理はまことに簡単明瞭である。併しそれは果して正確であらうか。
先づ我が国の知識階級はその教養において西洋的である。彼等はすでに云つた如く「植民地」の程度以上に西洋化されてゐる。併しながら、それは単なる気紛れに依るのでなく、社会的必要に基くのである。もしそれが社会的必要に基くものとすれは、西洋化されてゐるのは、或ひは西洋化さるべき運命にあるのは、知識階級のみでなく、日本の大衆もさうでなけれはならぬ。実際、大衆も次第に西洋化されつつあるのであつて、大衆と知識階級との差はこの場合程度の差であつても方向の差ではない。そしてまた他の側から見れば、我が国の知識階級も未だ十分に西洋的なものを身につけてゐるとは云ひ難い。一つの民族が外国の文化を完全に消化するといふことは三十年や五十年の仕事でない。ましてその上に自国の独自性を発揮し得るに至るといふことは五十年や百年の仕事ではないのである。日本がどこまで行つても西洋文化の「植民地」に終らねばならないかどうかを判断するにしては、今日は甚だ時期尚早であると云はねばならぬ。
しかもその今日においても日本人は極めて日本的な仕方で西洋文化を取入れてゐるのである。一概に西洋文化と云つても、イギリス、フランス、ドイツでは、またアメリカでは、更にロシアでは、それぞれの特色がある。まして日本人がいくら西洋文化を学ぶにしても、そこにおのづから特色が現はれないといふことはあり得ず、日本の特色が現はれないのは却つてその西洋文化の理解が未だ浅いためであつて、理解が深くなれはなるほど特色も現はれて来るのである。
そして大衆と知識階級との距離に就いて云へば、少くとも文学とか哲学とかいふ種類の文化においては、知識人と大衆との結合がそんなに単純に可能であるかどうかがすでに問題である。この点に関しては現代はオプティミスティツクな意見が支配的である。かやうなオプティミズムは両者の関係が政治主義の見地から設定されてゐるのに基いてゐる。然るに少くとも従来の歴史においては、後の時代に至つて大衆的に受容されるやうになつた文学や哲学などがそれの初めて現はれた時代にあつては大衆から理解されることなく孤立してゐた例が決して稀でないのである。天才の孤独といふ問題は今は殆ど全く忘れられてゐるにしても、そんなに単純な問題ではないであらう。
ところで政治的見地に立つて考へる場合、今日、知識階級と大衆とが離れてゐるといふことは、新日本主義者の考へる如く、我が国の知識階級の担つてゐる文化そのものの性質にのみ依るのでなく、寧ろ主として両者の接近を妨害する政治的勢力の存在することに依るのである。この事実を見逃してはならぬ。もしかかる政治的勢力の除かれるならは、知識階級と大衆とが十分に接近し得るに至ることは想像するに難くはない。
新日本文化の会に就いての林房雄氏の認識の第三の点は、この会は研究団体であるよりも闘争団体でなければならぬといふ意見である。この意見は極めて率直である。蓋し今日の日本主義といふものは文化的意味のものでなく、却つて政治的意味を有するものである。新日本主義はかやうな政治的意味から離れて純粋に文化的意味のものであらうとする点において従来の日本主義から自己を区別するといふことも固より可能であらう。併しそれならは何も松本学氏を中心として集る理由はない筈である。長谷川如是閑氏は、林氏とは反対に、この会は研究団体でなけれはならぬといふ意見のやうであるが、かくの如きことはこの会としては考へられないことである。この会は会員に研究費を与へるわけではなからうし、また研究設備即ち例へば研究室、文庫等を有するわけでもなからう。真に科学的な立場に立つ日本文化研究所の必要は私も認めてゐる。併しこの会はそれであることが不可能ではないかと思ふ。
もしこの会が政治的活動をできるだけ避けようとすれば、それは前の文藝懇話会以上に不活溌なものとならざるを得ないであらう。なぜなら、この会の会員は殆ど全く偶然的に集められてをり、統一的な活動をするには適してゐないから。そしてそのことはまた、この会が林氏の欲する如く闘争団体であらうとしても無力に終らざるを得ないと考へさせる理由である。会員の集め方が偶然的であり、無方針であるといふことはこの会が最初から有する重大な弱点である。
林氏がこの会に対して闘争団体であることを求める意見の根柢には、政治と文化との結合に就いてのオプティミズムが横たはつてゐる。このオプティミズムも今日支配的なものである。そしてそれはまた政治主義の影響の下に立つものである。然るにかやうなオプティミズムそのものが実は問題なのである。政治家に影響を与へるといふことは林氏の如き文学者の希望する所であらう。そしてそれは理由のないことではない。併しながら文学者は文学者の立場においてこそ政治家に影響し得るのであつて、彼が政治家の立場に立たうとするとき彼はすでに政治家に名けてゐるのである。
萬葉集を讃美することは中学生にだつて出来る。彼等は今日そのやうな作文を如何に多く書かされてゐるであらう。新日本主義者のみが萬葉集の美しさを理解してゐるわけではない。現代日本の文化は日本主義者の考へるよりはもつともつと困難な問題に当面してゐるのであつて、西洋模倣か日本固有のものかといふやうな簡単な方式で現はし得るやうなものではないのである。私は日本の文化を、単に過去の日本の文化でなく、寧ろ将来の日本の文化を、愛するが故に、従つてまた憂ふるが故に、日本主義者の余りに単純な考へ方に同意し得ないのである。
もしここで私個人の希望を述べることが許されるならは、私は林房雄氏が新日本文化の会を離れて文学界に還り、文学界の謂はば伝統的精神たるヒューマニズムの追求と発揚とに専心してくれるやうに希望したい。そのことが政治的に云つても結局意義のあることになるのである。