満洲の印象


九月なかばの或る日、海拉爾から恰要への汽車の中の光景を私は忘れることができない。
我々の汽車には満洲里を経て来た多くの外因人が乗つてゐた○すべてで首七十人ばかりだとい
ふ0彼等はドイツを迫はれたユダヤ人で、たいてい家族連れであつた0芙誓あれば、小さな
子供を連れた若い夫婦もある0大きな与ングの中からパンを出して食つてゐる男があるかと思
ふと、魔法填に詰めた牛乳を幼鬼に飲ませてゐる女がある○彼等の或る一部は大連経由で上海へ
行くのであり、他の蒜は釜山経由で横濱に出て、それからアメリカへ渡らうとしてゐるのであ
る0
外では細い雨が降つてゐた0冷い車室の隅に坐つて、彼等の運命について思ひに沈んでゐた私
は、やがて、向側の席にゐた若い将校が話してゐるのを開いた。
 1やつらはかわいさうなものだな○何慧満洲で降りるのか知ら0かういふ連中を安住させて
やることが満洲の建圃精紳でないのだらうか。L
 恐らく彼は「民族協和」といふ言葉を思ひ出したのであらう0話し掛けられた他の若い婿校は
答へないで、ただ笑つてゐた。二人の青年士官から部隊長と呼ばれてゐた年輩の将校は、そのと
き、これらのユダヤ人が上海とかアメリカとかへ行くのであるといふことを話した○そしてそれ
から半時間も経つたであらうか、私はその部隊長が近くにゐたユダヤ人の一人の男の子と一人の
女の子とを側に寄せてドイツ語で−それはかなりたどたどしいものであつたが−話してゐる
のを見出した。子供たちは軍惜を被つたり軍刀を吊つたりして満足さうに卓室内を歩き廻つた0
汽車が恰爾賞に近づいたとき、部隊長は子供たちの写県を撮り、アドレスを尋ねて、出来たら迭
つて上げようと言つた。
 私の眼の底にはその前夜の光景が残つてゐた0満員の食堂車にはそれらのユダヤ人も多く混つ
てゐた。食事の時間が終つて、人々はコーヒーを飲んだりビールを飲んだりしてゐた0或る一組
の日本人は酒の頓を自分で持参して飲んでゐたが、そのうち酔が廻つてくると、近くに坐つてビ
ールを飲んでゐた中年のユダヤ人夫妻に向つて、コップに酒を注いで飲ませようとした○皆がは
しゃぎ始めた。妻君が先づ口を附けて、「うまい」といひながら飲んでしまつて、赤くなつた○
さあ、それからといふものは、日本の宴曾によくあるやうな雰囲気が食堂車を占領してしまつた0
満洲の印象
三七七

                    三七入
皆が無性にはしやいだ0人種間の隔壁は日本人には存在しなかつたのである。
日本人は元来あまり人種的偏見をもつてゐない0上海あたりの公園でイギリス人が「犬と嘉
人とは入るべからず」といふ制札を立てたといふ話はょく開かされるが、かやうなことは日本人
の場合には考へられないのである0海拉爾から新京へ蹄つてきた翌日、私は璧公園に入つてみ
た○それはちやうビ仲秋節の日であつたので、大勢の人が出て、墓の↓でも池の上でも柴しさ
うに遊んでゐた0日本人もをれは、満人もをり、朝鮮人もをる○その夙景は確かに私を感動させ
るものであつた○私は妄あの汽車の中のエミグラン£想ひ起すと共に、満洲囲の前途を慧
せずにはゐられなかつたのである。        、伽
 そこで私は公園の群衆を扁仔細に賢し始めた0なるほど、そこには日本人もをれば、満人
もをり、また朝鮮人もをる○けれども日本人と連れ立つてゐるのは日本人であり、満人と連れ立
つてゐるのは満人である0日本人と満人とが表になつて遊んでゐるといふのは見常らない。そ
してそこになほ深く考へねばならぬ問題があることに私は気附いたのである。
 満洲圃の役所に行くと、日系の官吏と満系の官吏とが一緒に仕事をしてゐる0これは民族協和
の思想から出たものであらう○しかし開くところに依ると、かやうに日系官吏と満系官吏とは公

      \
の場所では一緒に働いてゐるが、個人的に交際してゐるといふのは稀だとのことである。それで
は民族協和といふことも深く資質にまで喰ひ入らないのではないかと心配されるのである。
 そこに先づ考へられるのは言語上の障壁である。この障壁が除かれなければならない。ひとり
の族行者であつてさへ、満語 − それは賓は支那語、北京官話なのであるが1を知らなくても
満洲を族行することができると考へるのは、皮相な見解である。彼が自分で、眞に内部から、満
洲を調査し理解しょうと欲するや杏や、彼は満語の知識のないことを悔むであらう。賓際、通り
すがりの族においてさへ、満語が話せなくても現在あまり不自由を感じなくてすむのは、新京即
ち元の長春以南の満繊の経替地に過ぎない。日本語普及の鮎からいつても満繊には大きな功績が
あつた。
 満洲図の学校では日本語を「囲語」として教へてゐる。日本語を学ぶことを満人は必ずしも嫁
がつてゐないやうに見える。といふのは、彼等にとつて日本語の知識は経済的債値をもつてをり、
日本語ができれは官磨などにおいても容易に就職し得るからである。しかしかやうな経済的意義
を離れて、果して満人が日本語を眞に「囲語」と考へてゐるかどうかは、疑問であらう。元来、
囲語といふものは一つの民族と共に生長したものであり、近代における民族囲家の成立が国語の
浦洲の印象
三七九

                    三入○
成立であるとすれば、敷民族から成る複合民族圃家といはれる満洲囲において、日本語を署
稲する意味は、従来の慧の警は違ったものでなけれはならない0満洲における呈碧
しろ西洋中世のラテン語と同様に考へられるのが通常なのではなからうか0言ひ換へると、それ
は公用語として、また貰語として取扱はれるのが好い曇0日本語が公用語として使用され
ることは霊における是の政治↓の指導性に関係のあることである0そしてそれがまた署語
として使用されることは日本の文化↓の卓越性に関係することである0満人や支笑で日本語を
知ってゐるといふことが、彼等の間で眞の有雪であるといふことの教養となり得るやうに、日
本文化の眞債を高めてゆくことが我々の任務でなけれはならぬ。
しかしながら満人に日本語を寧はせることだけで足りると考へてはならない0我々日本人がま
た満語を習得することが必雫ある0外慧が↓手なのは亡囲の民のしるしであるなどといふ勝
手な議論で、その寧修を軽蔑する風があるのは遺憾である○満語を学ぶといふことは、日本人が
ほんとに政治↓及び文竺の指導性を槍つてゆく↓にも大切なことなのだ毒害、満洲において
も賓際に仕事をし壷を挙げてゐるのは満語ができる人々である0満語ができなけれは、民衆
の中へ入つ導ことができないし、民衆の中へ入つてゆくことができなけれは、地についた仕
h巨卜巨l
女流
事をすることはできない。日本人は外図譜も立派にできるといふことで、その文化的能力の優秀
卜性、その‥除裕のあるところを示さなけれはならないのである。
 牡丹江に行つたとき、満繊から満洲囲に入つてそこの省の要職にある人の話に、満洲における
日本人に最も必要なことは、満語を学ぶことと異民族に対する祀儀を知ることであるといふこと
であつた。これは甚だ適切な意見であると思ふ。世界中で最も祀儀正しい囲民であると自認して
ゐる日本人が満洲や支郷において祀儀がないといふことには驚くべきものがある。新京あたりで
も、満人の使ふ日本語が下卑てくるといふことが、一部で問題になつてゐたやうである。それと
いふのも、日本人が満人に封して下卑た言葉を使ふので、彼等は日本の紳士の使ふ言葉が下卑た
ものであらうとは思はず、その言葉を覚え込んで、日本人に向つて自分でも使ふやうになるから
である。異民族に封して我々が如何なる場合にも祀儀正しい言葉を用ゐるといふことは、東洋に
おける日本語の閑寂としても重要なことである。
 或る日、或る義昇降訓練所を観に行つて、そこに泊めて貰つた私は、翌朝、騨へ出るために訓
練析のトニフックに便乗した。このトニフックにはそこの青年が教人一緒に乗つてゐた。途中で満人
の、あの教頭の馬に曳かせた荷車に曾つた。彼が造を避けようとすると、馴れない馬はトニフッタ
満洲の印象
三入一

                    三入二
の曹に驚いて飛び↓つたので、満人は少しあはてたやうである0突然、私達の青年の一人が「馬
苧」と叫んだ0その撃に私は驚くと共に、暗い嵐持にならざるを得なかつた0私はその朝の訓
練所の霞を想ひ起した○悪のすがすがしい朝の儀式には荘厳なものがあつた0そこでは例に
よつ義勇陳の綱領が皆で朗諭されたが、その中にはもちろん1民族協和」といふ毒があつた。
たつた今、その嘉を高らかに唱へた青年の一人が、山を降りる途中、満人に向つて「琴」
と叫んだのである○与ツタに曾つて造を避けるのが何故に急であるのであらうか0その嘉
は恐らく理由があつて口にされたものではないであらう○その青年に慧があるとは思はれない。
日本人の眞偶には民族的賃はないにしても、異民族に封する祀儀を知らないために琴あ
巾hナト朝kいロチ[fエ〃仙L−彗J−、二引り..1
糾湖
生ずるのである○祀儀姦らないために異民族に封する日本人に威厳の足りないところがあるの
ではないかと思ふ0そこであのユミグランよ大勢乗つてゐた海拉爾から恰爾潰への汽車の食堂
の中の警をみると、日本人の人の好さは分るにしても、鎧儀のないために知らずに麓を失つ
ただ彼は異民族に射する穂儀を全く知らないのである。
i一一.ヤー
         血
てゐた鮎があつたのではないかと私は考へた。異民族に封する祀儀を知ることによつて威厳を保
つといふことは、満洲における日本人の理解しなければならぬことであると思ふ。
浦洲の印象
三入三

三八四