自由主義者の立場　　−　倉田氏の所論を読みて　―

　この頃わが国において注目すべきこととして自由主義の運動が指摘される。京大事件、ナチスの焚書に対する抗議、学藝自由同盟の創立、大学自由擁護聯盟の結成、等がその徴候的なものである。もつともそれにも拘らずまた特徴的なことは、そのやうな事件乃至運動に関係してゐる者も、多くは、あからさまに「自由主義」を唱へ、みづから「自由主義者」と名乗るのを好まないといふことであらう。このことは、わが国では従来自由主義といふものが十分に発達してをらず、自由主義の伝統が薄弱であるといふことにもよるであらう。然し一層注意すべきことは、今日一般的に「自由主義」と呼はれるものが、やや複雑な事実を一緒に包括し、多様なる意味を同時に含んでゐるといふことである。
　第一にまづ正統的の自由主義の継承者と見られるものがある。自由主義はもと近代資本主義社会の生長と共に現はれた思想であるが、それは種々の改訂を経て、現在では、社会民主主義となり、或は一時していはゆる社会ファシズムとなつた。一方が退却し、他方が自由主義の反対物となつたとき、なほ自由主義者として残つてゐるのは、いはば「心情からの」自由主義者である。彼等はもはや社会民主主義者ですらないかも知れない。彼等はただ純真なヒューマニストである。自由主義は彼等にとつては政治的プログラムであるよりも「生きた信仰」である。近代自由主義は、原則的には、あらゆる人間が自由であるべきことを述べた。彼等は抑圧された者の解放といふ一般的原則に、そのヒューマニスト的感情から固執する。
　倉田百三氏は本紙において「自由主義者に訴ふ」といふ一文を発表され、自由主義者がファッショと提携すべきことを勧説された。敢て倉田氏の勧説を待つまでもなく、多くの自由主義者は既に社会ファシストとなつてをり、社会民主主義者の社会ファシズムへの移行は顕著な事実でないか。今更めて勧告するの必要は毫も存しない。このときなほ自由主義者として残り得るのは、進歩的ヒューマニスト以外のものではなからう。
　かやうないはば心情からの自由主義者が今日の自由主義者の一部分をなしてゐるとすれば、より多く存するのは文化主義的自由主義者ともいふべきものである。これは特に日本におけるドイツ思想の従来の影響から見て軽視することができないやうに思ふ。もつともドイツではイギリス乃至フランスの如く自由主義は完全に発達しなかつた。「ドイツには嫌はれたそして罵られた色色な原理があるが、然し軽蔑に値するものはドイツの土地ではただ自由主義のみである。」とさヘシュペングラーは書いてゐる。
　けれども、例へばカントはなほ十分に自由主義的であつた。またドイツの浪漫主義はひとつの特色ある自由運動として起つたものである。此運動の影響のもとに自由主義文献のうちもつとも異彩あるもの、フンボルトの『国家の活動の諸限界』が作られた。そしてこの書を特徴付けてゐるのは教育とか文化とかに対する限りなく深い愛である。新カント主義も自由主義的であつた限り文化主義的であり、この派の哲学者は人間のうちに存する良心乃至規範意識を「文化意識」として説明した。カントに殆まる「自由の哲学」はヘーゲルに至つて事実上国家主義と結び付き、そして今日新ヘーゲル主義は、イタリアのヂェンティーレなどにおいて見られるやうに、ファシズムのイデオロギーとなつた。わが国の文化主義者のうちにもそのやうな者を生じたが、然しより純真な文化主義者はなほ自由主義者としてとどまつてゐる。文化の発達のためには人間がその力を自由に、かつ多様に発達させることが必要であると考へられるからである。
　日本における最近の自由主義の運動の特徴は、ひとつの文化運動であるといふことである。それは文化弾圧に対する抗議として現れた。然るに文化的にいつても、弾圧されてゐるのは、断じてファッショのイデオロギーではない。文化主義的自由主義者が、倉田氏の勧められる如く、ファッショと結びつくといふことは理由なきことでなけれはならぬ。由来、自由主義運動はつねに抗議運動であつたし、またつねにさうあるのほかない。これが人間歴史の現実なのである。
　ところで今日の自由主義者の中には、右に述べたほかに更に他の全く新しい種類があるのでありこのものこそ今日の自由主義を特徴付けるものであらう。


　　　　　　　　二

　右に述べた自由主義者は、心情からの自由主義者にせよ、文化主義的自由主義者にせよ、共になほ近代的原理の上に立つてゐる。その限り、彼等はブルジョワ的自由主義者と呼ばれることができる。例へば、彼等は「理性」の思想の上に立つてゐる。ヒューマニズムの原理は理性の思想であるが、彼等の立場は、「人道主義」としても、「人文主義」としても、ヒューマニズムである。然るに新しいタイブの自由主義は彼等も自由主義者と呼ばれるにしても、もはや其やうな意味では自由主義者ではなく、ヒューマニストでもない。これにも二つの種類が区別される。
　例へばロマン・ロランを或は最近転向を伝へられたアンドレ・ジードを、自由主義者といふが如き場合がそのひとつである。この種の新しいタイブの自由主義者も、或る意味ではもちろんヒューマニストに相違ない。然しながら彼等は理性主義的人道主義者ではない。彼等はあらゆる人間の本質としての理性に対する信頼を有しない。彼等には、従来の理想主義の思想が教へたやうに、理性が自由と創造との根源であるとは考へられない。この種の自由主義者は却て「新しい人間性」の探求者である。彼等の誠実な探求は幾度となく失敗したであらう。そして懐疑と不安とが彼等をとらへたにしても、彼等の探求はいよいよ激しくなるばかりである。彼等は遂にただ大衆のうちにおいて新しい健康な人間性を期待せざるを得なくなる。既にドストイエフスキーは、人間性のかかる熱烈な探求者として、民衆に対して極めて深い愛を抱いてゐた。もはや頽廃したブルジョワにおいてでなくただ新しく盛り上つて来る大衆を通じてのみ人間性の回復を信ぜざるを得なくされた者は、また「新しい社会」を熱心に待望せざるを得なくなるであらう。
　かやうな特殊な自由主義者、新しいヒューマニストのほかに、いはば平面を異にして他の一群がある。この人々は文化の従事者であるけれども、文化主義者ではない。然し彼等も何程か文化主義的であるのがつねである。この人々は一般的には文化に関する唯物史観的見方を認め、プロレタリア文化の優越を信じ、現在のブルジョワ文化において「文化の危機」を見る。彼等の考へ方が多くの程度においてマルクス主義的であるにしても、決定的なことは、彼等においてはかの政治の優位乃至政治主義は現実的において多かれ少なかれ緩和されてゐる。彼等は極端な政治主義が文化の発達のために有害ではないかを恐れる。少くとも彼等はみづから政治的実践に関与しない。彼等の直接の関心となつてゐるのは文化である。其限り彼等はなほ文化主義的自由主義者と或る共通のものをもつてゐる。
　これらの自由主義者が、その性格、その思想において、進歩的自由主義者として、ファッショと最初から反対の立場にあることはいふまでもない。然し、如何なる自由主義者が今日の情勢においてファッショ反対でないであらうか。

　　　　　　　　三

　自由主義者は、自由主義者として、少くとも批評の自由を要求する。倉田氏は、自由主義者がファッショを教へてやるやうにと勧められる。けれども教へるためには批評をせねばならぬ。然るにファッショに対する自由な批評は許されてゐないのである。例へば、軍部に対する、戦争に対する、満洲事変に関する、等々の忌悍なき批評は決して許されてゐない。しかもファッシズムのイデオロギーは容赦なく宣伝されてゐる。自由主義者はファッショに対する批評の自由を奪はれてゐるが、反対にマルクス主義者に対する批評の自由のために争ふことは少しも必要としない。マルクス主義に対する批評は却てつねに歓迎されてゐるのである。自由主義者は、彼が真の自由主義者である限り、今日もはやそれほど自由ではない。自由主義者が自由を奪はれてゐるという事実、しかもそれが特にファッショに対する関係においてであるといふことに、倉田氏は注意されねはならなかつたはずである。
　倉田氏自身書かれてゐる、「もとよりファッショには幾多の欠点があり、誤謬も犯し易い。しかしもともと彼等の社会的機能は誠と熱と行動とにあつて、知能にあるのではない。その欠陥は知識階級が是正し、指導すべきものである。また彼等の知的誤謬が強烈な苦行意志に伴はれる時には、文化と自由との逆転と破壊とを結果するおそれもある。」ところで、唯「誠と熱と行動」だけでは甚だ危険であることは、倉田氏も認められるところであつて、それが如何なる方向、如何なる指導に従つてはたらくかが何よりも問題である。
　然るに倉田氏によれば、ファッショの「社会的機能は知能にあるのではなく」従つてファッショには「幾多の欠陥があり、誤謬も犯し易い。」いま「その欠陥は知識階級が是正し、指導すべきものである」としても、ファッショの行動に対する批評の自由はそのもつとも肝要な点について許されてゐないといふことが明かな事実である以上、まことに是正のしようもなく、指導のしようもないではないか。かくて「彼等の知的誤謬が文化と自由との逆転と破壊とを結果する」といふことは、決して単なる「おそれ」にとどまつてゐないのである。
　例へば、京大事件を見よ。瀧川教授が何等マルクス主義者でなく、寧ろ単なる自由主義者に過ぎぬことは、「知能を社会的機能とする」ほとんど凡ての者が認めたはずである。この一事件を見ても、自由主義者にとつて文化的自由が奪はれつつあること、その危険の増大したことは明かであらう。自由主義者はこの点に関して今やマルクス主義者と同じ運命におかれようとしてゐる。このことが、その他の点では互に一致しない種々なる種類の自由主義者たちを結合せしめ、そして彼等を、特に文化的自由の問題に関して、マルクス主義者とも一致せしめた所以である。倉田氏が甚だ奇怪とされるやうに、自由主義者とマルクス主義者との接近があるとすれば、それを喚び起したのは、実貨はファッショそのものの仕業なのではなからうか。
　種々なる程度の差こそあれ、如何なる種類の自由主義者もつねに進歩的である。進歩的でなきが如き自由主義者は本質的に自由主義者ではない。従つて彼等はプロレタリア文化に対する現在あまりにも不当なる弾圧に対して賛成することができぬ。或る者は文化の多様性と豊富とを愛するために、或る者は相対立する文化の存在はそれの発達の動力であると考へるが故に、プロレタリア文化の尊重者であり、また他の者はプロレタリア文化において文化の唯一の可能なる更生乃至発展を信ずるが故にこの文化の味方である。けれども単にそれだけにとどまらない、今日の情勢は自由主義者をして自己自身の文化的自由をも防衛せねばならぬ必要を感ぜしめるに至つたのである。最近の自由主義の運動は、倉田氏の想像されるやうに、マルクス主義者が自由主義者にはたらきかけることによつて生じたものでなく、また自由主義者がマルクス主義者のカモフラージのために宿を貸すために起つたものでもない。却てファッショ的文化弾圧が自由主義者をば、文化的自由に関してたまたまマルクス主義者と同様の立場に追い込みつつあるのである。
　倉田氏は次の如くいはれてゐる。「かくして日本のファッショ的勢力が、知識階級全部を敵としなくてはならなくなるならば、彼等は流石に何事もなし得ないが、さうでなければ独断的武断的となるであらう。しかし何故に日本のファッショをかかる窮地に陥れなければならないのか。」と。そして倉田氏はその罪があたかも自由主義者の側にあるかの如く主張されるのである。決してさうではない。もしも自由主義者をマルクス主義者と同様の立場におくことがファッショにとつて窮地に陥れる所以であるとすれば、ファッショは今日みづから招いて窮地に陥りつつあるのである。