世界史の公道



 日本の行く道は何かと問はれるならは、簡単には、世界史の公道と答へるのほかないと思ふ。いつたい道といふものは、本来、公のものであつて、ただ日本だけに通用して他の国には全く通用しないやうなものは真の道と云ふことができぬ。もちろん、抽象的に一般的な道があるのでなく、日本は日本に特殊な道を歩まねばならぬであらう。かやうな特殊性は日本の歴史によつて規定されてゐる。しかし如何に特殊な道であるにしても、道といふ以上、公の性質をもつてゐなければならぬ、即ち特殊性は普遍性を含んでゐなければならぬ。言ひ換へると、日本の歴史は世界史を離れて存在するものでなく、日本の行く道は世界史の公道でなければならない。その道は世界史の動きのうちにおのづから具つてゐるべき筈である。
 いつかも一寸書いたことがあるが、平田篤胤は『古道大意』の中で、真の道といふものは事実の上に具つてあるものである、と述べてゐる。そして平田が云ふには、ところが世の学者などは、尽く教訓といふことを記した書物でなくては道は得られぬやうに思つてゐるのが多い、これは心得違ひも甚だしく、教訓といふものは事実よりも低いものである。なぜなら、事実があれば教訓は要らず、道の事実がない故に、教訓といふものが生ずる。『老子』の中にも、大道廃れて仁義ありと書いてゐるのである。かやうに平田が事資実か実事とかと云ふのは歴史のことである。平田が云ふには、孔子が教の書といふものを一部一冊も作らず、ただ『春秋』といふ史書だけを編んだといふことの深い理由も、深い意味もここに存するのである。孔子は、我を知る者は、それただ『春秋』か、とも、我を罪する者は、それただ『春秋』か、とも云つてゐる。かくの如く真の道といふものは教訓の書によつては分らず、事実の書によつてその真意を得ることができるのである。
 平田が云つたやうに、日本の行く道は歴史の事実の上に具つてゐる。しかしこの歴史は、平田が考へたやうに単に古い歴史をのみいふのでなく、特に現代の歴史をいふのでなければならぬ。道とは歩むものであり、それ故に我々は道を歴史の発展のうちに捉へることが必要であり、しかもこの歴史は平田が考へたやうに単に日本の歴史でなく、日本を含めての世界の歴史でなければならない。日本の行く道は世界史の公道として示さるべき筈である。然るに今日は如何に教訓が多いことであらう、政治も祭政一致として道徳化され、この祭政一致内閣は議員に教訓するために議会を解散した。選挙の結果、国民の総意は政府反対を明かにしたに拘らず、内閣は相変らず居坐りを続け、衆論必ずしも正しくないと云つて、今度は国民に懲罰を加へさうな有様である。彼等がただ教訓するのは、平田流に云へは、「革新」を称しても事実が存しないからではなからうか。彼等が教訓すればするだけ、我々は彼等に果してその実事があるかどうかを吟味しなけれはならぬ。事実が反対に動いてゐる場合、ひとは益々教訓する必要を感じるものである。自分の思想が歴史の現実から離れてをればをるほど、ひとはその思想を教訓に化するものである。
 今日は思想闘争の時代であると云はれる。そして確かに思想は重要である。殊に我が国のやうに政治にも文学にもこれまで思想が乏しかつた所では、思想といふものがもつと重んぜられ、人間の生活及び文化のあらゆる方面にもつと浸潤して来なけれはならない。しかし同時に今日ほど思想が宣伝的要素を多く含み、思想の陰に事実が蔽ひ隠されてゐることが多い時代も稀であるといふことに注意しなけれはならぬ。ドイツやイタリーでも、ソヴェートでも、宣伝が甚だ盛んであり、極めて巧妙になり、また宣伝の機関も社会の発達と共に著しく発達してゐるのである。それ故に我々はつねに思想の裏にある事実を注視し、事実が果して宣伝の通りであるかどうかを見究めることに心掛けることが必要である。思想は道徳化され教訓化されるのみでなく、宗教化されてさへゐるのである。今日の人は昔の人のやうに純真に宗教的でないが、その代りに思想が政治的熱情によつて宗教化され、新しい形式の類似宗教が生じてゐる。現在の思想闘争は昔の宗教戦争のやうなものとなる危険をもつてゐる。権威主義はおよそ科学的精神とは反対のものである。然るに今日では科学的精神を強調する人々の間にさへ意外にこの権威主義が瀰漫してゐるのでないかと思ふ。殊に我が国のやうに嘗て理論のための理論といふ思想が存せず、そのために理論の有する独自の意味が理解されず、あらゆる思想が実際的見地から見られることが普通であつた所では、その傾向が多い。科学の精神は事実の精神であり、特に今日においては、それは歴史の精神でなければならぬ。現代の社会的な不安と共に主観的な道徳的な懐疑は我が国においても人々の心に生じてゐるが、科学の精神のうちに含まれるやうな正しい懐疑は却つて甚だしく無くなつてゐはしないであらうか。宣伝でなく事実が問題であり、事実の上に道徳は具つてゐるのである。批判とは一定のドグマの上に立つて他のドグマを審判することではない。正しい懐疑を含まないやうな批判的精神は存しない。然るに思想の統制は批判的精神とは反対の権威主義を要求するのである。
 日本の行く道を世界史の歩みのうちに見るといふことは所謂国際主義と同じでない。国際主義は従来の自由主義を基礎としてをり、この自由主義においては個人が先のもので社会は後のものと考へられるやうに、先づ各々の国家を考へて然る後にそれらの関係乃至結合として世界を見てゆかうとする。そこでは個々の国家が先のもので世界は後のものである。従つてかやうな国際主義は勢力均衡の理論に尽きることになる。近頃日本においてももてはやされたハウス大佐などの所有国と無所有国の理論も結局その範囲を出ないものであると思ふ。これに反して世界史的観点といふものは、世界を先づ一全体と考へてその中において各国を考へるのであつて、各国の行く道は世界史の公道として決定されねばならない。例へば、日本の将来にとつて極めて重要な関係を有する日支問題の如きも、世界史的観点から見てゆかなければならない。各人が自分の使命を社会的に自覚することが必要であるやうに、各国民が自分の国の世界史的使命について自覚をもつことが大切である。日本の世界史的使命と云へば日本の特殊性を発揮することであり、それ故に日本主義もしくは新日本主義に立つて進むのが我々の世界史的使命を果す所以であると論ずる者があるかも知れないが、かくの如き考へ方は、個人が自分の特殊性に忠実であればそれで好いと考へる自由主義的な、従つて個人主義的な考へ方と一致するものである。かかる自由主義が今日問題となつてゐるのであるが、それを克服すると称するファッシズムの国民主義乃至全体主義は、世界的な観点に移して見ると、実は自由主義にほかならず、即ち自由主義を根柢とする資本主義の現段階としての帝国主義にほかならないといふことが明かになる。問題をつねに世界史的な見地において眺めることが必要である。
 道は歴史の事実の上に具つてゐる。然るに今日では道は事実の上に求められず、むしろ事実から抽象して、或ひは事実に反対して、単なる教訓として強要され、それと同時に歴史そのものの歪曲が行はれつつある。例へばナチス・ドイツにおいては、ギボンの『ローマ帝図衰亡史』の飜訳書が禁止されたと云はれ、またゲーテが対話においてスピノザやメンデルスゾーンその他のユダヤ人を称揚してゐるといふ理由で、その対話書の新版が禁止されるに至つたと伝へられてゐる。歴史の事実に対して眼を塞ぐといふほど危険なものはない。歴史はへーゲル的に云へば理性そのものなのである。
 「彼の生涯の歴史よりほかに何が人間を形成するのであるか。そしてそのやうに偉大な人間を形成するものは世界史よりほかの何物でもない」と、ランケは云つた。一生の歴史が我々の人間を形成してゆくのであり、生活経験ほど我々にとつて大きな教養はない。人間は歴史の中で歴史的に活動することによつて自分を形成してゆくのであるが、世界史ほど我々にとつて大きな教養はないのである。