理論と国策  ― 大学自治制度について ―


        一


 文部省が改革試案として提起した帝大総長官選に全国の帝大は一致して反対してゐるとのことである。尤も東大の長與総長談として新聞に発表されたものに依ると、従来慣行されてゐるいはゆる選挙は本来の意味における選挙でなく、大学がその総長を文部大臣に対して推薦もしくは推挙する形式に過ぎないとのことである。もし問題をこのやうに解釈することができるとすれば、文部省と大学との間に原則的な対立はなく、問題は単に技術的なものと考へることができるであらう。そしてそれが単に技術的な問題であるならは、両者の懇談によつて何等かの妥協点を見出すことも容易である。しかしながら果してそれが技術的な問題に過ぎないかどうかは疑問である。
 なぜなら問題は大学の自治に関してゐる。大学の自治は単に技術的な意味に止まることができぬ。それは原則的な問題である。大学の自治の原則が認められる限り、従来行はれてゐる総長選挙は十分な意味における選挙である筈であり、立候補があるかないかといふが如きことはこの選挙における技術的な問題に過ぎないであらう。官選論はこの大学の自治の原則に反対するものである。大学の自治は何故に要求されるのであらうか。この自治がないならは研究の自由がないと考へられるからである。官選論はこの研究の自由の思想に反対するものでなければならぬ。かやうにして大学がその自治の原則を固執する限り、大学と文部省との対立は単に技術的な問題に関はるのでなく、却つて思想的な対立である。これを単に技術的な問題として解決しようとすることは一時を糊塗するに過ぎず、本質的な問題は今後に残されて様々な紛争の種となるであらう。
 そして大学対文部省の問題をこのやうに見るならば、それは今日文化のあらゆる方面において論ぜられてゐる一つの原則的な、思想的な問題とつまり同じ性質のものであることが明かであらう。今日文化のあらゆる方面において国策に沿ふといふことが唱へられてゐる。その主張者たちに依ると、研究の自由とか学問の自由とかといふが如き物は存在しない。研究はすべて国策に沿はねばならず、すべての学問に対して国策の見地から厳重な統制が行はれねばならぬと考へられるのである。大学の内部にあつても、東大経済学部のいはゆる革新派はそのやうに大学における研究が国策に沿ふべきことを主張してきたのである。従つて我々に甚だ不可解に感ぜられることは、そのいはゆる革新派の教授たちが今度荒木文相の行はうとする大学総長官選に反対してゐるといふことである。もしその人々が自己の思想に対して良心的に忠実であるならば、今日当然、官選論支持の態度に出なければならぬものと思はれる。なぜならその人々は研究の自由の思想に反対してゐる筈であり、しかるにもし研究の自由が必要でないならば大学の自治も必要でない筈であるからである。いはゆる国策論者は研究の自由の思想の上に立つ従来の人文主義的大学を国策的大学に変へようとするものであると云ひ得るであらう。そこには大学の理念に関する見解の相違がある。
 実際、現在の大学の問題はその本質において大学の理念そのものの問題である。そしてこの問題はひとり日本における問題であるのではない。大学の改革についてもナチスはすでにこれを行つてをり、今や日本はその後を追はうとしてゐるやうに見える。この改革の理念はいはは国策的大学の理念であり、或ひはアドルフ・ラインの語を借れば政治的大学の理念である。ライン(『政治的大学の理念』一九三二年)に依ると、歴史の各々の時代にそれぞれ一定の大学のタイプが存在する。中世の大学は神学的大学であり、近世の大学は哲学的・人文主義的大学であつたのであるが、現代における大学の理念は政治的大学でなければならぬ。中世の大学にとつてその力の源泉は信仰であり、その学問は神の認識に仕ふべきものとして本質的に教会に関係付けられてゐた。近世の大学にとつてその力の源泉は理性であり、その学問は一切の学問の総体としての哲学の統一のもとに立ち、理想的な人顆の概念に関係付けられてゐた。しかるに今日要求される大学にあつてはその力の地盤は政治的形成意志あり、その学問は国家の現実性に、抽象的な国家概念でなくてドイツの権力に関係付けらるべきものである。そして中世における信仰の大学が異端と戦ひ、近世における文化の大学が野蛮もしくは無教養と戦つたのに対して、現代における権力の大学はニヒリズムと戦はねばならぬ、とラインは云つてゐる。人文主義的大学において主張された学問の自由は自由主義思想の産物として斥けられる。学問の自律といふことは「思惟の虚栄」に過ぎず、その結果は学問を統一と聯関のない無政府状態に陥らしめた。それは国民と大学とを完全に乖離させ、かくして大学は青年に対する指導性を失ふに至つたとラインは論じてゐ。尤も、今日のドイツにおいてもなほ、このやうなラインの政治的大学の説或ひはまたエルンスト・クリーク(『国民政治的教育』一九三二年)のいはゆる国民的大学の説に反対して、大学における教授の自由と自治とを擁護しようとする学者もある。即ちアルノルト・ケエトゲン(『ドイツ大学の権利』一九三三年)の如きは、大学は「国家の管轄権の外部にある一定の特殊な任務」を有する自治体であると論じてゐる。「国家と大学との間には大学自治体を市町村自治体から根本的に区別するところの特殊な距離が存在する」。そして彼は「教授の自由と自治とによつて代表される大学の権利はその根がドイツ民族の文化的存在の最も深い層に達してゐる」、と述べてゐる。


       二

 政治的大学の理念に見られるやうな大学と政治との関係は種々の方面から検討されねばならぬ多くの問題を含んでゐる。ここではそれを理論と国策といふ問題に限定して考へよう。蓋し大学は単に政策を研究する機関ではない。大学の主要な、また固有な任務はむしろ理論の必要にある。しかるに理論と政策との間には事柄そのものの本性に従つてつねに或る距離、或る対立が存してゐる。学者と政治家、理論家と実践家は人間の違つたタイプに属してゐる。かやうに理論と政策との間に本性上或る距離乃至対立が存するところから自然に、理論を仕事とする大学が時局に対して何か冷淡であるかの如き誤解が生じ得るといふことに先づ注意しなけれはならぬ。そこからまた、今のやうな時代に性急に国策を口にする者が理論を抛棄して大学を単なる政策研究機関の如きものに変へようとするやうな誤謬に陥るといふことも起り得るのである。しかし理論は大学の生命であり、理論を軽んずることは大学がその本質を失ふことでなければならぬ。この時代において理論の重要性の認識されることが肝要である。理論的研究を国策に関係のない迂遠なことであるかのやうに考へるのは間違つてゐる。
 それは自然科学の方面について見ても明かである。国策に沿ふといふことからただ応用科学のみが奨励されて理論科学が無視されるといふことは国家のために却つて不利なことになる。『科学』八月号の巻頭言の筆者は「純正科学尊重の気風を養へ」と題して次のやうに書いてゐる。「本邦程純正科学の重んぜられぬ国は尠い。或は寧ろ置き忘れられた装飾品の如き取扱ひをさへ受けてゐる。近年に於ける応用科学の進歩が相当世界の注目を惹きながらややともすれば単なる模倣なりとの譏を受けるのも純正応用面方面があまりに我不関焉的に互に隔離し過ぎて居る結果ではなからうか。例へば邦内八帝国大学に於て理学部を全く欠くもの一、設けられんとするもの一、近年漸く設けられたるもの二で、更に其内容を検討すれは、数、理、化、博物の各科を備へるものは四に過ぎない。更に今一度其実現を検討すれば、その講座数、教授数学生数及び経常費に於て到底文政方面及び応用科学方面の比でなく其貧弱なること各帝国大学に於て理学部は一つの従属的存在かの如き観を呈してゐる。これ恐らく明治初年文教制度の創造に当つた当局為政者が純理学に対する認識を欠いて其俑を作つたものが惰性として今日に残つてゐるものと思ふ。」この筆者の云つてゐるやうに、我が国の応用科学が西洋の模倣に止まるやうに見えるのは、純正科学の研究が軽視され、応用の基礎となる理論の方面に於て我が国独特の進歩を示すものが乏しいためである。そしてこの理論の軽視は明治以来の我が国の文政の欠陥であるとすれば、今日革新を唱へる者の先づ着目すべきは、この点でなければならぬ。理論の尊重は応用の発達のための基礎である。
 今日、我が国において不足してゐるのは、いはゆる政策ではない。例へば支那問題について如何に多くの政策論が横行してゐることであらう。それにも拘らずなほ政策の貧困が歎ぜられてゐるとすれば、その原因は理論の欠乏であり、科学的基礎に立つた政策がないからである。大陸政策といふ日本の国策から考へて必要なのは大陸に関する理論的研究であつて単なる政策論ではない。東洋に新しい秩序を建設しようといふ日本にはそれに相応する理論がなけれはならない。果して日本には欧米やソヴェートの支那研究よりも進歩した独自の理論があるであらうか。
 理論と政策との間には或る距離があると云つても、そのことは両者が無関係であることを意味しない。理論はつねに一定の仕方で政策乃至実践から規定されてゐる。理論にとつて問題は実践の中から与へられ、この問題の解決に努力することによつて理論は現実的になることができる。自然科学の場合においても理論の進歩が技術的実践的課題によつて促されたことの多いのは、歴史の示す通りである。それそれの歴史的瞬間に与へられた具体的な問題と格闘することによつて新しい理論も作られ、新しい真理も発見され得るのである。それ故に国策に沿ふといふことが日本の現実の課してゐる問題の解決に努力するといふ意味であるならは、理論はもちろんつねに国策に沿ふことが必要である。ここに謂ふ現実とは行動的現実であり、現実の認識は行動の立場に立たなければならぬ。
 この点から考へて現在の大学に非現実的なところがあることは争はれないやうに思はれる。大学の学問の非現実性はあのマルクス主義時代から絶えず云はれてきたことであるが、今日もなほ改革されてゐないやうに見える。
 その学問は日本の現実、日本の実践とあまりに疎離してゐはしないであらうか。研究の自由を主張する者が果して自由探究の激しい精神を有するか否か、疑問である。自由探究の精神とは無記のところ、行動的現実とは掛け離れたところを自由に浮遊する精神のことではない。現在の歴史的瞬間と苦闘するところに自由探究の精神は生きる。
 研究の自由といふ言葉は険しい現実からの逃避のために用ゐられてはならぬ。伝統的な方法と伝統的な概念とによる伝統的な問題の論究に止まり我々の社会の生きた問題に身をもつてぶつつかる勇気がないならは、研究の自由とはただ名のみである。日本の現実の問題の解決に徒事することが国策に沿ふ所以である限り、大学の学問も国策に沿はなければならぬ。そこから新しい理論、生きた理論は生れてくることができるのである。実践から実践の方向としての政策から全く無関係な学問の存在は一つの幻想に過ぎないであらう。
 しかしながら、この場合国策といふ言葉はその時々の政府の政策、或る特定の政治家の政策とは区別されねばならぬ。国策はその時々の政策を越えて持続するものであり、個々の政策が変つても国策は変らないといふことが可能である。国策とは国民の信念になつたものでなければならぬ。しかるにこの頃政府の政策がなんでも国策と呼ばれ、かやうにしてまや神聖化され、この政策を批評することは国策に反する態度であるかのやうに考へられる傾向があるのは遺憾である。個々の政策は国策を遂行するためのものであつて、これに対する批評は国策をよりよく遂行するために必要なことである。国策は個々の政策を越えて時代の動向を示すやうなものでなけれはならぬ。国策に沿ふことが時の権力者にただ追随することであるならば、それは理論的態度と一致し得ないであらう。


    三

 理論は国策に規定されねばならぬと云つても、そのことは理論と国策とが直接に一つであるといふことを意味しない。却つて理論は理論は一旦の立場を否定することによつて理論的になり得るのである。これによつて理論的研究は客観性に達することができる言論が時局に対して冷淡であるかのやうに考へられるのも、物を客観的に見るといふ理論の本質に関係してゐる。そしてこのやうに理論が実践乃至政策の立場を一旦否定するといふところに研究の自由といふものが認められる。従つて研究の自由は理論にとつて欠くことができぬ。研究の自由によつて理論と政策との統一が破られるのではない。理論と政策とは直接的統一でなくて弁証法的統一をなすのである。
 即ちそれは否定を通じての統一であるといふところに研究の自由が存してゐる。理論と政策とは弁証法的対立を通じて発展する。単に現実に追随するのでは現実を理論的に捉へることができず、現実を理論的に捉へるのでなければ現実に対する真の政策を立てることもできぬ。
 そこで研究の自由は先づただ任意の問題を研究して好いといふことであるのではない。理論は時代の実践によつて課せられてゐる問題を問題としなければならぬ。一見それと無関係であるかのやうな題目の研究も、結局それと関係するところにその研究の現実的意義がある。研究者は時局に対する活溌な関心を持たなければならぬ。しかし理論は実践乃至政策の立場を一旦否定することによつて客観的に、即ち理論的になり得るのであつて、そこに研究の自由がなければならぬ。この否定の関係、この自由は理論が真に実践と結び付くために必要とされてゐる。理論は客観的真理であることによつて真に政策に役立つことができる。研究の自由は国策の確立、発展、実現のために必要である。理論にとつて問題となる現実は必然的なものである。理論はこの必然性を回避してはならぬ。
 しかし理論は一旦実践に対して否定的な関係に立つことによつてこの必然的なものを可能的なものとして考察する。必然的なものについてその可能性を明かにするのが理論である。現実は理論を通じて初めて真に現実的になることができる。なぜなら現実性とは必然性と可能性との綜合であるからでかる。研究の自由といふのは必然的なものを可能的なものとして考察することにほかならない。
 研究の自由を認めるならば各人がめいめい勝手な議論をするだけであつて統一的な理論は得られないといふ考へは間違つてゐる。すべての理論的な研究は対象に忠実であるべきである限り、対象の有する客観性が理論を拘束する。研究の自由は対象の拘束性から脱することであるのでなく、却つてただ対象の拘束性にのみ従ふといふことである。理論はその客観的一般性によつて人と人とを結合することができる。理論のないところに国策の統一はなく、国民思想の統一も期し難いのである。固より如何なる理論的研究に主観的なものが混入することは免れ難いであらう。自由な研究によつて各人がそれぞれ別個の結論に注するといふことは可能である。それは各人がその個人的制限のために対象の一部分の真理しか捉へ得ないといふことによつても生ずるであらう。かやうにして研究の自由はその反面に研究の共同を伴はなければならぬ。大学の如き機関はこの研究の共同のために存在してゐる。多数の者が共同して研究に従事し、しかもこの共同の内部においては各人が自由に意見を戦はすことによつて、ここに弁証法的に綜合的に具体的な真理に達することができる。研究の自由は研究の共同を伴ふことによつてその意義を発揮することができる。
 しかるに今日我が国の大学において欠けてゐるのはこの研究の共同である。綜合大学と称しながらその綜合の実は十分に認められない。大学は研究共同体であるべきである筈なのに、派閥の存在、その間の醜争は絶えることがないと伝へられてゐる。研究の自由は単なる個人主義や自由主義であるのでなく、それは研究共同体の存在を予想すべきものである。かやうな共同体として大学の自治も認められることができる。今日大学の自治と称せられるものが如何なる法的根源を有するのか私は詳にしないが、大学の自治は大学の使命達成の上から見て形式的にはともかく実質的には必要であると思はれる。即ちそれは研究の自由が対象以外のものによつて拘束されず、研究の共同が学問以外の権力によつて乱されないために要求されるのであつて、そのことは客観的真理の認識に達するための前提である。国策にとつて真理が無用のものでない限り、研究の自由、研究の共同のための大学の自治は認められねばならぬ。これに如何なる法的形式を与へるかは技術的な問題である。
 しかしながら既に云つたやうに真の自由探究の精神は時代の生きた問題と血みどろに取組むところにある。ところが大学はむしろ従来多くの場合伝統主義的であつた。それは伝統的な技術によつて伝統的な問題を論明するに止まるのがつねであり、かくして従来の歴史は学問の革新が多くは大学以外から生じたことを示してゐる。
 研究の自由はアカデミズムに対する闘争として現はれたことが尠くない。現代においても大学はその学問及び組織のうちに革新を要する多くのものを有するに拘らず、自ら他に先んじて革新を行ふ勇気を欠いてゐるやうに見える。あらゆる方面において革新の迫つてゐる今日、大学における研究の自由の主張がアカデミズムに通有の伝統主義或ひは現状維持の傾向と矛盾してゐはしないかどうかが問題である。