閤!
文化勤章の授章肴決定
文化動章の授章者が決定、教表された。授筆者の一人々々については誰も異論のないところで
あらう。いづれも文化上における立渡な功労者である。問題は、それらの人々以外に、それらの
人々に匹敵する、或ひはそれらの人々以上に、通常な人がなかつたかといふことであり、しかも
そのことが問題になるのは、この決定から窺はれるところの政府の鐙衡の方針、更に文化政策そ
の旬のが問題になるといふことである。
例へば洋室の方面においては、和田英作氏の如き、今岡授章された岡田、藤島両氏に劣らず、
寧ろ以上に功績のある人であるが、選に漏れたのは遺憾である、と鏑木清方氏も云つてゐるハ四月
二†入日『讃青新開』レ。ところが巷間説をなす者あり、和田氏が選に入らなかつたのは、先般帝国
美術院の改組問題で文部省に封立したことがあるためであると云ふ。これは勿論一片の浮説に過
ぎないと思ふが、かりそめにもかかる噂が生じ得るやうな事情が存在するといふことは、専ら文
化的意味を有すべき勲章に関する場合、まことに遺憾なことと云はねばならぬ。
文化勲章の授章者決定
一三三
∃.頂
一三四
今岡の授章の特徴は、学士院と美術院との合員の中から選ばれ、純粋な民間の学者、思想家、
拳術家等が鉄衡に入つてゐないといふことである。ただ事田露伴氏は、学士院合員であつても、
杜禽には全く民間の寧老拳術蒙らしい印象を輿へてゐる人であり、今岡の鍵衡における傑作であ
ると云ひ得るであらう。もちろんすでに官吏として国家かち優遇されてゐる老或ひは学士院や美
術院の禽員としてすでに或る意味で表彰されてゐる者の中から授章者が選ばれるといふことが決
して悪いのではない。文化動章はそのやうなこととは別に濁自の意味を有するものであらう。し
かしそれが濁自の意味を有するものであればあるだけ、鐙衡にあたつては民間の文化人を考へに
入れることが特に大切なわけである。民間の革者、思想家、萎術家等を特に表彰するといふこと
が文化動牽制定の意義を大ならしめる所以である。
しかるに今岡の鍵衡においては、我が国の弊夙として屡々非難されてゐる官尊民卑の傾向が認
められる。文化上の功績の如きにおいてこそ官民の別は有しない筈である。進んで民間の人の中
から選ぶやうにせょといふことは、文化勲章が制定された時以来、新開や雑誌で多くの老が一致
して述ペた意見であつたが、かやうな意見が全然願みられなかつたといふことは、近年攻撃の対
象となつてゐる官僚濁善の夙を詮するに足るものである。
更に今岡の授章者決定について考へられることは、思想家的な人がその中に入つてゐないこと
である。思想家から選ぶといふことは色々困難もあることであるが、例へば三宅彗嶺氏の如き、
思想家としてまた新聞人として文化上における功績には顛著なものがあり、その人格も高く、授
賞されるに最も通常な人の一人である。かやうな人に先づ授けられてこそ、文化動章はその意義
を教挿し得るのである。
由来官僚といふものはただ尤もらしいことを尤もらしくやるに過ぎぬといふことが多い。無難
といふことが彼等のモットーであり、そしてそれは彼等の立身出世イデオロギーに関係してゐる。
今岡の文化勅華授章者の決定においてもこの傾向が著しい。しかしただ尤もらしいことを尤もら
しくやつてゐるのでは大衆の心を掴むことができぬ。大衆のサイコロジーが分らないといふのが
官僚の特色である。
個々の人間の誰に文化動草が授けられるかは大きな問題でない。二同三岡と授章が度重なるに
徒つて文化動章に対する杜曾の関心も薄らいでゆくであらう。重要な問題は、この勲章を通じて
現はれる政府の文化政策に関する意志であるが、それが今岡の授章においてあまり好ましくない
ものであることが明かになつた。いはゆる野に遺賢を求めるといふやうなことはなく、反官的な
文化勲章の授章者決定
一三五
一三六
人は排除される。文化勲章と文化統制とは決して無関係なものでないといふことが明瞭になつた
のである。