社会時評

     官尊民卑の風

 こんな話がある。或る日横光利一氏が友人に引廻されて夜おそく帰宅しようとして折柄の警戒に引掛り、警官に自分の名を告げても通して貰へない。そこで横光氏は咄嗟の間に思ひ付いて、自分は明治大学の教師だと申し立てたので、それで漸く事無きを得た。横光氏が「小説の神様」として一部青年文学者の渇仰の的であり、『紋章』の作者として文学懇話会賞を得た、等々の事実は読者諸君承知のことであらうが、同氏が明治大学文科で講義をしてゐるといふ事実は恐らくそれほど知られてをらず、また同氏の本質的な仕事にとつてあまり関係のないことでもある。しかし警察へ行けば、前の百の事実よりも後の一つの事実の方が物を言ふのである。日本の文化に実質的にどれほど貢献してゐるかといふことよりも位階動等の方が問題なのである。場合によつては私立大学教授といふことも役に立たない、それよりも官庁の一事務官ででもある方が有力なことが多いのである。
 或る文学者は私に右の話をして、官尊民卑の風を大いに慨嘆した。我が国に官尊民卑の風ありとは、ごの頃特によく聞くことである。「風俗時評」の岸田国士氏の如きも、現存制度の最も著しい弊害として、「官尊民卑の風と金力万能の思想」を指摘されてゐる。もちろん官尊民卑の風は何等今に始まることではない。しかしまたそれが近頃とりわけ目立つやうになつたといふことも事実である。我が国の政党政治が曲りなりにも発達してゐた間は、殊に経済界が欧州大戦の影響によつて好況であつた時分には、官尊民卑の弊害もあまり感ぜられず、むしろ次第に減じて行くやうに思はれた。我々が痛感したのはそれよりも金力万能の思想であつた。もちろん現在と雖も決して金力が万能であることを止めたのではない。しかし満洲事変を境として、政治における所謂新官僚の擡頭が見られ、これと竝んで官尊民卑の風が著しく表面に現はれて来たやうである。満洲事変後における変化の一つとして、官吏が威張るやうになつたといふことは、地方から出て来た者の誰もが話すことである。
 今日の非常時局に当り、政府は「官民一致」要望を度々声明した。しかるに一方官尊民卑がこのやうに目立つことになつては、如何にして官民一致が期待され得るであらうか。民意暢達は真の官民一致の根本条件であるが、かかる弊風の存在する限り民意暢達も到底求め難いのである。
 或ひは「挙国一致」と云ひ、或ひは「強力」と云つても、同様である。実はそのやうな「挙国一致」や「強力」が官尊民卑を意味し、その風を助長することになりはしないかと疑はれる。統制主義の政治は、既に余りに多いと云はれてゐる我が国の官吏を数的にも増加させるばかりでなく、その権力を拡大させる。その結果は、特に我が国の実状においては、以前から存在する官尊民卑の強化となつて来る危険がある。平生文相はその就任の際、「教学刷新」の方針について新聞記者団から質問を受け、我が国には官尊民卑の風ありとし、官学私学の差別撤廃のことを語られてゐる。もとより官尊民卑は学校の場合に限られてゐない、「庶政一新」を期する政府はあらゆる方面において、この弊風を一掃することに努むべきであらう。
 官尊民卑は一般的に云つて封建思想に属し、我が国に現在なほ多く存在する封建的残滓の一つである。そして最近の統制主義は一面かやうな封建的なものの強化となつて現はれる傾向をもつてゐる。昔は仕官といふことが唯一の立身出世と考へられた。かやうな思想は今日も特に地方農民の間には強く、彼等自身の生活の無力と官吏の権勢との比較において、役人は彼等の羨望の的となつてゐる。所謂「吏道振粛」も地方農民の役人に対する羨望を一層甚だしくするやうなものにならないことが肝要であらう。専門家の意見によると、我が国の農業は他の産業に此して政府の指導的役割に俟つことがとりわけ多く、自発的な発展能力に乏しい大多数の農民は政府の行政にたいてい無批判的に従ふといふ有様である。また我が国の農業と他の産業との間における発展の不均衡は益々加重されつつあり、且つ全国約六百万といふ多数の農家の組織力は未だ十分でないために、その利益代表施設代用機能は政府に俟たざるを得ない状態にあるとのことである。このやうに地方農村における官吏の活動が重大な役割を有するとすれば、彼等の行動もそれだけ慎重を要する筈だ。しかるに実際はその役割の重大であるだけ官公吏が民衆に対する指導者もしくは奉仕者の地位からその支配者の地位に乗り上る傾向も多分に存在するのである。平凡な、そして封建的教訓かも知れないが、爾の禄は民の働きに基づくといふことを想ひ起すことが大切である。
 封建思想に欠けてゐるのは人格観念である。自己の人格の尊厳の自覚、他人の人格尊重の意識の欠乏は、現在においても我が国の道徳の根本的な欠陥であつて、社会の諸弊害もこれに起因するものが少くない。例へば、自殺、心中、暗殺等、不自然な暴力的な死が非常に多いことは日本の社会の特徴的な現象と見られてゐるが、これなども一つには人格観念の欠乏もしくは未発達によると云ふことができる。西洋に不自然な死が比較的に少数である理由として屡々キリスト教の影響が挙げられる。しかるにキリスト教と仏数とを比較して、前者の著しい特色はその人格主義にある。しかもキリスト教の如きも、近代市民社会の発達と共にその人格主義の特色を濃厚にして来たといふことに注意しなければならぬ。即ちこの特色を発揮してゐるのは特にプロテスタントであり、宗教改革者ルターとカントの人格主義の倫理との関係はよく指摘される通りである。ところが我々が小学校以来数へられて来た倫理は儒教的要素を多く含んでゐるが、この儒教が封建的社会に相応するイデオロギーであることは今日支那においても進歩的学者によつて認められてゐる。そのイデオロギーのうちには仕官イデオロギーとも云ふべきものが含まれてゐる。また我々は子供の時分から自己の人格の尊厳については殆ど全く教育されてゐない。かやうにして日本の通俗倫理のうちには官尊民卑の風がおのづから存在するのである。人格観念の欠乏のために、一方官吏は民衆に対して威張るのでなければ、いかにも「恩恵的」といつた態度を取る。他方民衆は官吏に対して媚びるのでなければ、自ら卑下して官吏を敬遠し、或ひは官吏何者ぞと「町奴的」見栄を切る。いづれも官尊民卑の弊風の現はれである。この弊風は官吏の側にばかりでなく、民衆自身の側にもあるのであつて、多くの場合知らず識らずの間に現はれてゐることを思はねばならぬ。人格観念が発達してゐないために、我が国民は一個の個人としての完成が少く、独立独歩の気概に乏しく、何でも官に頼るといふ風が強い。それでまた官尊民卑の弊がおのづから生ずるのである。
 今頃人格観念を問題にすれば、時代遅れのこととして笑はれるかも知れない。しかし事実は反対であつて、我が国では諸方面において封建思想の批判清算がまだまだ大いに必要である。人格などと云へば単なる個人主義と考へられ、今は個人主義の弊害に対して全体主義が主張さるべき時であると云はれるが、その全体主義がむしろ封建思想の単なる復活乃至強化を意味することが多い。この頃注目されてゐる官尊民卑もその一つの場合である。人格の尊重といふ個人主義の本質的なものの価値は我が国においては社会常識として未だ十分に徹底して理解されてゐない。個人主義は利己主義と同じに見られて非難される。しかし「農民的利己主義」などとも云はれる如く封建思想のうちに却つて卑屈な利己主義が含まれてをり、農業的封建的イデオロギーとしての儒教的倫理のうちになかなか功利主義や利己主義が隠されてゐる。日本の伝統的な文学に社会性が欠けてゐるとは誰も云ふことである。さらばとてこの文学に個人意識が十分現はれてゐるわけではない。社会意識の欠けてゐた文学には個人意識も欠けてゐた。西洋の個人主義と称してこれを攻撃することは近来流行となつてゐるが、その西洋において我が国よりも遙かによく公衆道徳が発達してゐることは何人も認めざるを得ないことである。そして実にこの「公衆」といふものの未発達が、官尊民卑の弊風の原因となつてゐるのである。社会学者は近代におけるジャーナリズムの発達と公衆の発達との密接な関聯を説いてゐる。実際、官尊民卑の弊風の打破はジャーナリズムの健全な発達に俟つところが極めて多いと云はねばならぬ。しれるに現在の日本のジャーナリズムはどうであらうか。新聞の社会面を注意して読む者は如何に今日のジャーナリズムが他人の人格に対して無神経、無感覚であるかに驚かざるを得ないであらう。これはもとより単にジャーナリストの責任であるのでなく、根本においては人格観念の欠乏せる社会の現はれにほかならないけれども、社会の木鐸をもつて任ずる新聞の一層深く留意すべきことであらう。概して今日は明治時代におけるやうな気塊のあるジャーナリストが少くなつたやうに感ぜられないであらうか。
 人格の尊重は個性とか特性とかの尊重と関聯してゐる。個性もしくは特性を尊重する意識の欠乏は社会的には画一主義となつて現はれる。我が国でも自然主義文学の隆盛であつた頃には頻りに特性の尊重といふことが叫ばれ、ローカル・カラー〔地方色〕といふ言葉など甚だ愛用されたものである。この頃政府は東北地方の災害に関して行政上の画一主義の弊害を認め、東北庁の如き計画もあるらしい。自然主義文学で云はれたローカル・カラーの問題が行攻上でも漸く出て来たわけである。平生文相は既に記した如く我が国に官尊民卑の風ありとし、官学私学のことに言及されたが、実際この弊風を最もよく現はしてゐるのは今日の私立大学であらう。先年私立学校の大学昇格が殆ど一斉に行はれた時、多くの学校はその従来の特色を放棄して、文部省の画一的な規定に従ひ、また官立大学の教授を招聘移入した。文部省でもかやうなことを要求したらしい。官学の教授であることは私学へ入るためのパスポートの如き感があつた。私立大学当局自身にも官尊民卑の傾向があつて、自己の特色を発揮するために自校専任の教授の銓衡、待遇等に留意する代りに、何でも構はず官立大学の先生を喜んで迎へてゐるやうに見える。教師自身にも官尊民卑の風なしとしない。これは官立と私立とでは研究の設備、生活の安定はもとより、世間的地位…既に官尊民卑の風ある組合における地位…も相違するといふ理由によるばかりでない。自由といふ点でも、昔は私立大学が一層自由であつたに反して、今日では却つて官立大学に一層多くの自由があるといふ有様である。これは特別に注目を要することである。それだから最近屡々噂される文科系統の、言ひ換へれば「思想問題」に関係のある官立の諸学部の私学移譲といふことも、思想の自由の抑圧を意味する危険性が十分存在するのである。更に私立学校の学生自身にさへも官尊民卑の風が見られる。官立と私立とでは学生の質の差異もなくはないが、そのうへ私学の学生は自ら卑下して、そのために却つて学問上の努力が足りないといふところがある。覇気がないのは近頃の学生の表的傾向であると云はれてゐるが、それでも官学の学生には私学の学生よりも覇気のある者が比較的多いやうに思はれる。官尊民卑の弊風は何よりも青年によつて一掃して欲しいものである。
 学校はもちろん一つの例に過ぎない。官尊民卑は封建的な身分思想の残存物であり、日本の現状においてこの種の封建的なものと闘ふことは決して軽んずべきことではないのである。


     法科万能の弊

 官尊民卑の風も古いことであるが、法科万能の弊も久しいことである。そして両者は全然無関係なことでもないやうである。最近行政機構の改革が種々論議されてゐるに当り、既に永い間叫ばれ、そして今ではもはや自明のこととして取立てて問題にされてゐない法科万能の弊について新たに注意を喚超することは、必ずしも、否決して無意義なことではなからうと思ふ。それは一見まことに簡単な問題であるが、あらゆる行政機構の改革にとつて基礎的な意義を有するものであらう。
 我が国には法学生が非常に多い。この点で日本はイタリーと同じだと云はれ、法科亡国の論をなす者もあつたほどである。かやうに法学生が多いといふことは、官吏になることを唯一の立身出世と考へるところの、右に述べた封建的な仕官イデオロギ
が抜け切らないといふことにもよるであらう。もつと根本的な理由としては、明治以後日本資本主義社会の急激な発展において既に諸外国で行はれてゐる制度を急速に形式的に移入する必要があり、そのために法科出の人間が特に要求され、そこから法科万能といふことが生じて来たであらう。制度の移入と法科万能との間には関聯がある。尤も、今日の社会機構は甚だ複雑になり、従来の政党人のやうな頭では間に合はないやうな技術的要素が必要とされ、そのために法律乃至行政技術家として官吏の政治における役割が重要になつて来たことも事実である。新官僚の擡頭といふことも一面このことと関係があるやうに考へられる。しかしまた他方において今日は社会竝びに制度の根本的な改革が要求されてゐる時であり、それには単に法科的な頭では役に立たなくなつてゐることも多いのである。社会組織の複雑化によつて、殊にそれの徹底的な改変のために、法科以外の種々なる方面の専門家の協力が必要となつてゐる。我が国の代議士にも従来は弁護士が多過ぎると云はれた。最近議会制度の改革が問題になつて、職能代表制の採用が唱へられてゐることでもある。行政の方面においても若干これに類する改革が必要であらう。事実、近年では実際の必要に迫られて法科出以外に官庁で働く者も次第に増加してゐるやうであるけれども、制度上の法科万能が依然として存在するためにそれらの人々の不平不満も絶えないやうであり、彼等の智能を十分に活用させることも不可能にされてゐるやうである。
 政治機構の複雑化に伴つて法律乃至行政技術家としての官吏の機能が重要性を加へて来ることは既に述べた通りである。しかしながらそれと同時に注意すべきことは、技術家もしくは専門家の陥り易い一面性乃至偏狭性である。専門家はただ自己の専門の角度からのみ物を視ることになりがちである。法科出の者は単に法科的な角度からのみ物を観る。かくては社会竝びに制度の根本的な改革は期し難いであらう。そこに素人の意見といふものの重要な意義がある。素人は専門的知識に乏しいにしても、それだけまた物を大局から眺め、全体を直観的に捉へ、自己の良識に訴へて健全な判断を下し得るところがある。政党人が無力になつたのも、政治が技術化したことによるのではなく、却つて彼等があまりに職業的な政治家になつたことによると云ひ得る。専門家のデカダンスを救ふものは多くの場合において素人の良識である。法科万能の弊はその法科的な一面性或ひは偏狭性の弊である。そしてこれは現在の教育制度における重大な欠陥を示すものにほかならぬ。我が国の教育はあまりに形式的であつて、各分科間に融通がなく、法科の学生は殆ど全く法律のことだけを教へられるに過ぎない。この頃人格教育といふことが喧しく云はれ、官界でも人物とか人格上かいふものが大いに問題にされてゐる。吏道振粛もその辺にあるらしい。しかるに人格教育は所謂智育偏重を排して道徳教育を強化することにあるかの如く考へられてゐるのは間違つてゐる。人格教育の要点はむしろ専門的偏狭性を矯正し、普遍的教養に対して準備することに存する。それは智育を軽んずることでなく、智育を愈々重んじて普遍的に拡大することに有する。先達て文学者と官吏との関係が問題になり、外国の政治家には文学に理解のある者の多いことが羨望されてゐたが、これなども我が国における法科万能即ち法科的一面性に関聯したことであらう。
 法科万能に必然的に伴つてゐるのは官僚的形式主義である。法科的頭脳はとりわけ形式論理的な頭脳である。官吏が何かを改革するとなると、いつもただ形式を厳格にすることになりがちである。或ひはその形式主義に制限されて改革も実質的に行はれ得ない場合が多い。実質的な改革が容易に進行しないのも、法科万能によつて妨げられてゐることが少くない。また民衆の生活が官僚的形式主義に累せられてどれほど窮屈なものになつてゐるかを考へてみなければならぬ。官吏が威張ると感ぜられるのも、官吏の道徳的心情に関するよりもかやうな形式主義が民衆の心理に及ぼす結果であることが少くないであらう。一般に官尊民卑は法科万能といふことと密接な関係をもつてゐる。後の弊が除かれるならば、前の弊も除かれるであらう。
 長岡半太郎博士は『研究の自立』と題するまことに興味深い講演の中で云はれてゐる、「特に私の耳触りな言葉は先例といふ官僚的な言葉である。是も日本人の偏狭性から来たものだらうと思ふが、役人などはすぐに先例がないと言ふ。研究する者は学問の先例が悪いからそれを打破つて、新しいものを建てて行かうといふのである」(『改造』三月号)。長岡博士はそこで日本人の潔癖について述べられてゐるが、潔癖は形式主義と結び付く。博士はまた屡々「漢学癖」の弊害に言及されてゐるが、儒教的倫理に形式主義的なところがある。儒教は古くから日本の官僚イデオロギー、言ひ換へれば「吏道」の形成に大いに与つてゐる。広田内閣の掲げる吏道振粛がかくの如き封建的なものの復活乃至強化にならなければ幸である。
 嘗て或る人は日本の官僚を評してかう云つたことがある。我が国で官僚として立身出世するには、何はともあれ間違ひを起さないことが大切だ。九十九善い仕事をしたとしても、一つの間違ひをすれば、再び浮び上ることは非常に困難であつて、それよりも、危険の伴ふ仕事には積極的に手を出さず、むしろ消極的に一つも間違ひをしないやうに心掛けることが賢明だ。つまり百マイナス一よりも零を百加へた方が大きいといふのが官僚の数学である。官僚のイデオロギーは九十九よりも零が大きいといふ数学に支配されてゐる。おとなしく勤めてをりさへすれば、年功によつて自然に地位も上つて行き、やがて恩給を貰ふこともできる。なまじ積極的に仕事をしない方がよいのである。立身出世第一主義の弊風の範を垂れてゐるのは官吏であると云ふのは、言ひ過ぎであらうか。栄達の道は仕事よりも所謂遊泳である。仕事によつて自由に競争する余地は少く、立身出世はむしろ派閥、親分子分の関係等、封建的なものによつて規定されてゐるのである。
 今日の少壮官吏はもとより以前とは同じでないであらう。しかし積年の弊風は容易に抜き難い。なぜなら、それは個々の人間の心の持ち方から来たことでなく、却つて根本的には制度の罪であるのだから。例へば、最近二・二六事件の直後、この事件に刺戟されて、某省の少壮官吏の間に、これまでのやうに遊泳術としてゴルフ、碁、釣などに凝ることをやめて、官界の革新に努力せねばならぬといふ意見が捲き起つてゐると新聞に報道された。それは実に結構なことであるが、この報道は反面から考へれば、たまたま、この瞬間に至るまで旧弊の依然として存在してゐたことを語るのである。青年官吏よ、何処へ行くか。これは…………の問題と共に我々の重大な関心でなければならぬ。