社会時評


     家出と家族制度

 春は家出の季節である。警視庁防犯課で昨年の家出人を調査した統計にょると、三月はじめ頃から家出人は男女とも俄に増加してゐる。「春は馬車に乗つて」と云ふよりも、「春は家出と共に」とでも云ひたいところである。即ち昨年三月の家出人は二千三百六名を数へ、五月には最高潮に達してその届出教は二千六百四十六名、その内諾は男千七百九十一名、女八百五十五名となつてゐる。昨一ケ年の総計は二万四千百五十九名に上り、男一万五千三百七十三名、女八千七百八十六名である。そのうち当局が発見、救助した数は一万二千八百四十七名で、届出数の丁度約半分といふことになる。原因別に見ると、家庭不和が千百八十三名(男五百八十一名、女六百二十二名)、厭世が六百四十七名(男五百二十六名、女百二十一名)、不良が八百七十六名(男七百六十四名、女百十二名)、都会憧憬が千百五十八名(男九百十五名、女二百四十三名)、雇主の叱責または虐待によるものが四百七十九名(男三百六十二名、女百十七名)、「他の業務を求めて」といふものが三千四十八名(男二千四百十五名、女六百三十三名)等々であつて、その他業務を嫌つたり、俳優志願のもの、生活難、恋愛、瞼の父母を慕つて、拐帯、誘拐なぞ、平均五六百名に上つてゐる(読売新聞本年二月十三日附夕刊による)。
 これらの数字を見詰めてゐると、現代の世相について、実に色々なことが頭に浮んでくる。数字はしばしは文字よりも雄弁である。そこに分類された種々の原因を更に概括してみると、先づ第一に目に付くのは生活難の問題である。これは単に餓死線上にある「生活難」のみでなく、右のうち最大の数字を示す「他の業務を求めて」といふことも、恐らく大部分は現在の職業によつては生活が困難なところから来てゐるであらう。このやうな生活難の深刻さを更に詳しく考へるとき、第二に気付くことは、何よりも農村の甚しい窮乏、そしてそれに関聯する農村と都市の問題である。他の職業を求めて家出する者は特に農村に多い。農村の窮乏はその人口を農村に留めておくことができない。その産業は彼等を農村に留めておくためにはあまりに不足してゐる。家出の原因として挙げられる「都会憧憬」といふことにしても、単に漠然とした都会憧憬でなく、農村における生活の貧困に刺戟されてゐるものが多いであらう。現に、今度の選挙において粛正運動のために全国を馳せめぐつた諸女史が、その際農村について得た感想の交換談話会においても、「漠然と都会に憧れることは乙女心の是非もないとして、近頃ではひところのやうな軽はずみな離村現象はあ去り見られなくなつたやうである」と云はれてゐる(東京朝日新聞二月二十八日)我が国資本主義の発達において、農村と都会との文化の懸隔はあまりに甚しい。多少とも文化的な生活を求める者が都会に憧れるのは当然である。農民の都会憧憬を、固陋な人々は、贅沢や物質文明に対する軽薄な憧れとして非難する。しかしながら所謂都会憧憬の根柢には、都市と農村との生活のあまりに甚しい懸隔、農村居住者の文化的憧憬が存在し、そしてかかる文化的憧憬は、我が国民性の最も誇りとしてもよい進歩的気質を現はしてゐるのである。右の談話会においても諸女史は述べてゐる、「高い文化に憧れる熱意は非常に強いのであるが、さてそれならはどうした手段と方法でそれに近づいて行つていいのか、その道しるべが判らなくて困つてゐるのである。だから地方へ行くとまづ、どんな本を読めば良いかと、具体的な質問を浴せられることが頻々である」。ケーベル先生の感想録の中に、日本の学生−そのうちには現在の多くの大学教授たちがゐたであらう−は、どんな本を読めばいいのかと、本の名を実によく尋ねる、と書いてある。丁度その頃の青年学生がヨーロッパの文化に対してもつてゐたやうな憧憬を、この頃の田舎の娘さん達は都合の近代的な文化に対してもつてゐるのである。我々はそれを決して単に軽佻浮薄なこととして非難すべきでなく、寧ろそこに日本国民性の進歩的な、向上的な方面を見て喜ぶべきである。それだから「実質的な文化指導者がもつと地方農村に浸潤するやうにならなければいけない」。このことも確かに必要である。けれどもその前提として先づ地方農村の経済的生活が文化的生活を許すまでに向上することが根本的に変求されてゐる。
 ところで、都会を憧れて家出する者の重要な心理の一つは、都合の「自由」に対する憧憬であらう。「林間に自由あり」といふのは昔のロマンチシズムであつて、今は自由は都会にある。農村の生活はなほ多くの封建的な束縛をもつてゐる。若い人々はかやうな封建的な束縛から脱して生活の自由を求める。良家の令嬢が女給生活を慕つて家出したものが意外に多数であることに係官も驚いてゐると右の新聞記事にも出てゐるが、かくの如きことも所謂良家には封建的な遺風が比較的に多く残存するのに基くであらう。封建的要素のうち最も張力なのは家族制度である。そこで家出の原因について特に注意すべき第三のものは、現代社会と家族制度との矛盾のうちに見出される。最初に挙げた統計においても、家庭不和による家出は注目すべき数を示してゐるが、恐らくその大部分は直接間接に家族制度の問題に関係してゐるであらう。その他恋愛を原因とする家出の如きも、家族制度と直接間接に関係してゐる。親子の間の思想の衝突なども、家族制度を支持する親の封建的イデオロギーとそれから解放されようとする子供との衝突であることが多い。実に家族制度の問題は今日の日本の社会において最も重要な問題の一つである。
 近来国粋主義乃至復古主義の擡頭に従つて、家族制度は我が国の淳風美俗として単純に弁護され讃美される傾向が著しい。例へば、そのやうな家族制度の擁護者西晋一郎博士によると、「日本人は親子を通じ夫婦の情に及ぶ、西洋では夫婦の情を通じて親子に及ぶ」(講演筆記『我が国の教育』昭和十年出版)。そこに一方は家族主義、他方は個人主義といふ相違がある。そしてそれは博士に従ふと、民族の性情の相違によるのである。しかしながら、それは決して単に民族の性情といふやうな心理的問題に帰着するのではない。それは、博士も云つてをられるやうに、「資生産業」の相違に原因する。「今家について考へますと、牧畜を生業とする者と、稲作を生業とする者とは、生活の固定の程度が違ふのです。後には固定はしますけれども、もともと牧畜は草の多い所へ草の多い所へと、次から次へ移り変る性質のものです。それで先祖以来の家に住んで居るものではない。然し水田農業の如きは、ずつとそこに永く居れば居る程都合がよいのです。……家の生活が比較的よく変つて一つ家に居らないと、家は夫婦本位になる。ずつと永く住つて居れば、祖先以来そこに居るといふ風になつてくる。すると水田農業であると夫婦本位にならず、父子、祖孫と、親から子、子から孫へと続いて同じ所に居り、祖先以来ずつと続くのが家の大事になつて家を歴史に縛る。水草を迫つて生活する者は前にも述べた通りに祖先以来の家がない。男女が家を為せば、出来た子供はまた別に男女相寄つて一つの家から分れて別に家を作るわけです。故に一方は父子、祖先の風俗が家の基になり、一方は夫婦本位になる。」もしかくの如く生活条件、博士の所謂資生産業が家族制度を決定するとすれば、今日我が国の社会においても家族制度は崩壊すべき、少くとも根本的に改変さるべき運命にあるのではなからうか。我が国の農業にも資本主義的要素が著しく侵入してゐる。また農家はその凡ての子弟を農業に従事せしめることが不可能な状態にある。大河内正敏博士その他有力な多くの筆者は、農村の疲弊の救済は農村の工場化に俟つのほかないと唱へてゐる。さうすれば、家族主義は元のまま維持されることができるであらうか。あらゆる国粋主義者と同じく西博士には歴史的発展的な見方が欠けてゐる。
 もちろん、家族制度は日本のみの国粋であるのではない。優れた歴史家桑原蔵博士はその著
 『支那の孝道』(昭和十年刊行)の中で、「孝道は支那の国本で、又その国枠である」と書いてを
られるが、孝道は云ふまでもなく家族制度における基本道徳である。「支那では上古から家族制
度が発達して居る。杏嘉に限らず、古代に於ては何れの囲でも、家族制度が行はれたもので、
今日個人主義の盛に行はれる西洋諸国でも、その古代に沸ると、家族制度が柏嘗準逢して、杜曾
の軍位は賓に家族であつた(メーン『古代法』参照)0但西洋諸囲では、種々の事情によつて、
家族制度が崩壊され行く間に、狩り支那−支那を中心とする霊諸圃をも含めて−では、古
代の億に、若くは古代と大差なき状態に、家族制度を最近まで維持し得たのである」と、桑原博
士は述ペられてゐる○私は更に博士によつて引用されてゐるチエルサンの言葉を、ここに繰返し
引用しておかう0この人はフランスの領事で同時に支郡学者として知られ、約五十年前に、『首
孝囲説』の中から二十五人の孝子の事蹟を諾出してヨーロッパに紹介したが、その序論に、支那
の孝造について次のやうに記してゐると云ふ01証人でも支那の歴史を通覧する時は、先づ第一
にこの尤大なる帝国が、他の如何なる民族の助力をも受けすに、全く濁力で到達し得た高き文化
の程度に驚歎するのである○然しそれらにも増して更に驚くべきことは、この文化が同左状態
の俵で極めて古代にまで濁って居つて、この異常なる団民の過去の裡に、原始時代の痕跡を見出
すことが困難であるといふ事資である0何れの民族でも、藤生し、成長し、両して滅亡する。と
ころが支却のみは、殆ビ紀封的に不動であつて、宛も璧叩を無税するが如き観がある。然らは支
那は、どこからかかる生活力を持ち来りつつあるか。そはこの尤大なる人間の集囲を運樽さす所
有機関の唯一の枢軸となるべき一の原理から生じて来る。即ち革初の立法者達が、この帝圃の存
在及び杜合の幸頑の頼りとなるペき最も筆固なる基礎として制定し公布した孝造といふ教義から
生じて来るL。チユルサンの云ふやうに支那の文化が全く濁力でその高さに達し得たか杏かは問
題であらう。また孝造が確かに支那の杜曾の基本的な原理であるとしても、彼の見方には若干の
斯倒がある。即ち孝道のために支那の敢曾が最近に至るまで殆ピ大なる攣化を見なかつたのでは
なく、寧ろ逆にこの敢曾が数千年に亙つて殆ビ根本的な攣化をしなかつたためにその家族制度も
孝道も維持されて束たのである。
 しかしながら、このやうに全く永い間根本的に奨化しなかつたといふことを極めて著しい特色
とする支郷の杜含も、最近には大きな攣化の過程に入つてゐる。「今日支郡においては多くの革
命が進行しっつあるといふことは眞であるが、また唯一つの革命が預期されるといふことも眞で
ある。それは即ち停統的支那の現代的世界への帽應であるLと、一英人は云つた。辛亥革命ハ明
治四十四年)以後の支那は明かにこのやうな順應への焦躁を反映してゐる。侍統的習慣に拘束さ
れない新家庭生活に封する要求が現はれ、挿入解放の風潮が起り、台東の家族制度に反封し、こ

の家族制度を擁護する儒教に向つて攻撃が加へられた○かくして或る支却の学者は、「孝を中心
として建てられた家族制度は専制主義の道具として利用されたものに過ぎないから、今後の民主
の批曾生活には無用のものである」と云ひ、また他の支郷の撃者は次のやうに論じた。「家族とい
ふ閲慣は三には血統上の結合であるが、また一つには経済↓の結合である。我が中国の家族制
度は主として農業経済組織に基いて構成されたものである0家族制度の父権中や王義が横大され
て君主専制制度となり、孔子教の倫理は全く父樺中↓主義から案出されたものである。孔子教の
倫理は、治める名に絶封の権力を輿へ、治められる者に服従の片務的迫徳を強ひるもので、それ
が永らく行はれて来たのは農業経済組織が攣らずに保存されたたぬである。然るに西洋の工業経
済に伴ふ動的文明が東方に波及して来たために、孔子教倫理は根本において動揺を生じたト(岩
波講座『東洋思潮』松井等氏1支那現代思潮↓昭和九年刊参照)0なほ附け加へておくならは、
最近支那においても、反動家たちによつて孔子教復興運動が行はれてゐる。
 語ほやや岐路に入つたが、もちろん家族制度が道徳1において種々の芙鮎を有することは我々
も否定しない0経済的に見ても、それは現在我が国において失業問題を或る程度緩和させてゐる
であらう0失業者はその家族乃至親戚の手に抱かれる0しかしまた他面において、そのやうな失
業者のために一家仝餞が同時に貧困化して行くといふ傾向が我が国において見出されるであらう0
失業といふ統合問題は家族問題として一時緩和されるが、それだけ再び融合問題として激化され
る傾向がある。例へは、一家の生活の頼りとするために、その子弟を無理して高等の学校へ入れ
た農村の小地主階級は、今日の杜禽状態において所期の結果が得られない場合、寧ろ反封にその
子弟が卒業後就職することができない場合、一家の没落を速めることになる。漱石はその小説
『道草』ハ大正四年)の中で、一人の多少成功した人間が親類縁者にタカられる有様を克明に描
いてゐる。
 今日の日本において農村救済が最も緊要な問題であることには誰も異論がない。然るにもしこ
の農村救済が何等かの仕方で農村の工業化を必要とするとすれば、家族制度はピうなるであらう
か。資本主義は家族制度の破壌看である。家族制度擁護者は今日我が国の農村の救済が如何なる
方途によつて可能であるかを考へてみるべきである。家族制度は畢なる道徳論によつては維持さ
れることができぬ。その制度のうちに存する美しいものは、現在の資本主義の根本的修正によつ
て保存され得るのであつて、イデオロギーの上だけで封建的なものを説くことによつては、その
英知の保存も不可能である。「歴史の教展の線に治うて」資本主義が徹底的に匡正される場合初

めて、家族制度はもはや1家族制度」として存頼しないにしても、そのうちに含まれる美しいも
のが一票い立場において保存されることも可能になる0その時初めて新しい倫理が確立されるP
従来の封建的倫理の崩壊は、今日あのやうに多数に上る家出の重雪原因である。家出の現象は
特に家族問患に関して我々に新しい倫理の探究を課してゐる。
     東大集中の傾向
去る二月二言をもつて締切られた全国各雲、各官立諸大挙入寧志願者は九千四宝十四名
であつて、定員は五千八雲十名(共に東北帝大を除く)であり、絶つて三千六雪‡四名とい
ふ多数は1浪人」の警目を見ることになるわけである0しかもこのうち、東大集中の傾向は盆
憲化する妄で、定員二千二宇九名に封して四千七天名の志雪があり、即ち過半数の若
人が春に背いてこの1警門」から閉め出されるのである表校本年卒業生と所謂浪人とはその
教殆ピ同じであるといふ試験地獄の有様だが、特に甚しいのは、東大法学部では定員六宝十名
に封して志彗千七票十九名、這千写九名、同毒部應用化寧科に至つては、定員二十入
名に射し芸頗者はその四笠の宇六名に達してゐる(東京朝日新開二月二十八日)。これは
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毎年繰返されてゐるすさまじい現象であるが、ピうして文部省や大学官局において速かに封策を
講じないのか、我々には不思議でならない。そこには重大な教育上の問題と杜禽上の問題とが含
まれてゐる。
 東大集中の原因には種々のものがあるであらう。先づ純粋に教育的問題として考へられるのは、
東大は設備が比較的に完全で、内容ハ教授及び講義〕も比較的に優良であるといふ理由であるが、
これは各科において柏注があるであらうし、また現在の畢生がこの鮎にどれほビ関心をもつてゐ
るか、疑問である。そしてこの鮎は文部省や大挙富局の反省によつて比較的容易に改善され得る
ことである。学生にとつて一層大きな関心は、今日の日本では凡ての文化が殆ど東京に集中され
てをり、文化生活の豊富さにおいて他の都市は東京とは全く比較にならぬといふことである0こ
れは畢に享禁的方面においてのみでなく、勉挙の方面においても云ひ得ることである。畢生は畢
に学校でのみ学ぶものでなく、また祀禽から挙ぶものであり、そして東京の如きは都市そのもの
が大挙である。他の都市では、大挙を一歩外に出れは、知的文化的生活が殆ビないに反して、東
京では、この都市そのものが畢生にとつて知的文化的雰囲気を形成してゐる。
 もし大挙(ユニバーシティ)がその元の語義に従つて普遍的な文化的教養を意味するならは、

現在の日本において大挙の意味を有し得るのは、殆ピ東京のみであると云つてもよいはどである。
畢生の東大集中には十分の理由がある。
我が国における中央集梯主義或は中央尊重主義の弊害は行政上においても種々論ぜられてゐる
が、学生の東大集中の傾向もその弊害を文化的批曾的方面において現はしたものにほかならない。
我が圃の地方には殆ピ文化都市といふものが存在しない0悪と地方の都市とでは、精神的文化
に関してその懸隔があまりに甚しい…れは政府においても地方の都雷慣においても深妄へ
てみなければならぬ問題である0地方色として吹警あるものと云へば、封建的な文化の遣物で
あつて、到底今日の青年畢生の嗜慾に訴へ得るものでないD地方に文化がないといふことは、我
が国の文化の内容を畢妄らしめ、貧弱ならしめてゐる0文化を多様ならしめ、整損ならしめる
ためには、地方の文化がそれぞれに敏速しなけれぼならぬ0これは嬰に大挙のみに関係した問題
でなく、一圃の文化政策上の閏超であるD東大集中の傾向は、現在は認められてゐない樽寧の自
由を認めることによつても緩和されるであらうが、しかし今日のやうに地方の大挙都市−それ
はドイツなピでいふ1大挙都市」の概念に殆ビはまらないものであつて、畢に大挙が存在すると
いふのみで、それぞれ特色ある文化的雰囲気を有する文化都市であるのではない1の知的文化
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的状態が低いものであるならは、その後和される稚度も恐らく僅かで、またその意義も少いであ
らう。東大集中の傾向はその他の粘でも祀曾的反省を要する閏超であつて、それは卒業後の就職
の便宜から云つても、東大を出ることと東京にゐることとが有利であり、多少の「浪人生括」も
我慢してよいことになつてゐるのである。
 しかし撃業の途中にある者が「浪人Lをするといふことが、教育上からも経済上からも、種々
有音不利盆であることは云ふまでもない。文部省では就学年限短縮の問題について既に久しく攻
究してゐるやうであるが、浪人生活の必然性が多数の学生にとつて存在する限り、せつかくの年
限短縮も何の役にも立たないことになるであらう。浪人学生には兵役関係の都合で私立大学に、
それも大抵は一也学期側、籍を置〈者がある。もとより通撃聴講するわけでなく、また私立大寧の
方でもただ彼等の納める入学金や授業料を臨時(或は漁定?)収入として徳としてゐるものもあ
るといふ有様である。現在高等学校は純然たる大学務備門となつてをり、その卒業生が全部官立
の大挙に入地学することが不可能な状態であるとすれは、その封策の一つとして、現在の私立大出撃
を凡て官督にするか、寧ろ反封に現在の官立大挙を、少くとも文科系統に関する限り、凡て民営
にするといふことも考へられるであらう。そのことは現在の私立大地学にとつて絶封に必要な設備

及び内容の改善の好機合となるであらう0事賢、私立大撃と云つても、今日では以前の慶應、早
相田なピのやうに明瞭な特色を具へたものは少く、また自己の特色を飽くまで瀞挿しょうとする
抱角を持ち、その努力をしてゐるものも稀で、寧ろ官立大挙の教授の出稼ぎ場となり、殊に帝大
に停年制が行はれるやうになつてからは、停年教授の1姥檜山」とさへなりつつある。浪人学生
をなくする一方策としても、私立大撃を改善して品位を高め、その卒業生の杜禽的債値を帝大と
同様にすることが必要であらう二般に、入彗蒜者が或る析に甚しく片寄るといふことは、各
大学がそれぞれ自己の特徴を番挿することに熱心に努力せず、また敢禽が人間の個性を十分に尊
重することを知らない結果である○日本には1学閥」はあるが「学派」がないと云はれる。この
やうなことは凡て我が囲の教育を支配している劃]主義の結果である。そして現在の試験制度は
このやうな劃一主義を助長してゐるP数百界も所謂更始一新を甚だ必要とするのである(なはこ
の間逝について讃老は岩波『教育』二月硫掲載の関口泰氏の論文「入学試験と学校制度トを見ら
れよ)。