改組の効果


 帝国美術院の改組を繞つて描かれる波紋は次第に拡大してゆく。それがどのやうに落着するにしても、所期の目的を達することは覚束ないのではないかと思ふ。といふのは、この改組自体が根本的に新しい原理に立つたものでなく、依然として展覧会本位に考へられてゐるやうに思はれるからである。
 これまで帝国美術院は展覧会を開くだけの能しかなく、徒つて世間ではただ「帝展」といふ名で通つてゐた有様であつた。このやうに展覧会本位であるといふことが、いろいろな弊害の生じてきた最も大きな原因であつた。その会員はいづれも多数の門下生を擁して、帝展といふ組織を利用して勢力を張つてゐた。そこに多くの情弊が生じてゐたのであつて、文部省がその打開に乗り出したものとすれば、理由のあることである。ところがその後の紛擾を見れば、今度の改革もやはり展覧会本位といふことを離れてゐないことを示してゐる。しかるに帝国美術院の改革は実はこの展覧会本位といふことの打破でなければならなかつた筈である。
 すべての組織は、いつたん出来上ると、独立の生命を具へたものとなり、それ自身の運命を有するものとなる。しかもその運命はその組織が生存してゐる社会的環境との関係において決定されることが多いといふことに注意しなければならぬ。その運命が社会的環境に依存してゐる場合、どれほどそれ自体の組織を改良しても到底再び栄えることができないことは、例へば或る事業会社にどれほど政府が保護を与へても更生発展しないといふことによつて屡々実証されてゐる。そのやうな場合にはその組織の局部的な改良をやめて新しい組織を新しい原理の上に立つて作ることが却つて成功の近道である。
 帝展が行詰つてゐたのは単に内部的原因からのみでなく、また社会的項墳との関係においてであつた。そしてそのやうに社会的環境との関係において行詰つてゐたのは単に帝展のみでなく、どの展覧会中心の美術団体にもそれと同じやうな行詰りが感ぜられてゐた。そのことが、今度文部省が在野有力展覧会の代表者たちを引抜いてくることに成功した大きな原因であると見ることができる。帝展のみでなく、あらゆる美術団体が、早晩そのやうな行詰りを打開する必要があつた。
 文部省の投じた一石によつて美術界に分解作用が行はれて、今後どのやうに発展してゆくかが興味のある問題である。それによつて美術界に新しい機運が生ずるならば、文部省の意図したと云はれる美術統制とは反対の意味において今度の改組には大きな効果があることになるのである。

(六月四日)