日本文化と外国文化  10.8 セルバン

 日本精神乃至日本主義の強調につれて外国文化もしくは外来思想の排撃が行はれてゐる。日本人が日本人としての自覚をもち、日本的なものについて反省するといふことは、固より大切なことであり、我々もそのこと自体に対しては何等反対すべき理由をもたない。しかし日本的なものが何であるかを論ずるためには文化哲学的基礎、特に方法論が必要である。これらのものを欠くとき、現に多くの日本主義者たちにおいて見られるやうに、偏狭な、独断的な排外主義に陥ることになるであらう。文化哲学及びそれを根柢とした方法論の確立は、我々にとつて現実的な問題となつてゐる。
 日本的なものが何であるかを知るには、我々は日本の過去の文化の歴史を研究し、その中から学ばなければならぬ。日本は極めて古くから支那文化と交渉をもち、また印度思想の影響を受け、儒教や仏教の輸入によつて日本文化は発達した。徒つて日本的なものが何であるかを知らうと思へば、日本におけるそれらのものの発達を通じてそのうちに日本的なものを探らなけれはならぬ。日本仏数は印度仏教とも支那仏数とも異る特色をもつてゐる。そこに日本的なものが認められる。仏数を外来思想として除いて日本文化を考へることができないのは勿論、またそれを除いて日本的なものを規定しようとしても一面的になることを免れないであらう。さうだとすれば、日本における西洋思想と雖も単なる外来思想と云ふことができぬ。明治以後の日本文化は西洋文化を除いては考へられない。もしそのうちに日本的なものが認められないとしても、それは一方では西洋思想が移植後なは日が浅く、伝統が新しいといふことによるのであり、他方では西洋思想の一特質とされる科学性は普遍性を特色とするといふことによるのである。しかしこのやうな普遍性にしても、殊に数学や自然科学以外の哲学、文化科学などにおいては、どこまでも相対的であつて、ドイツはドイツの、フランスはフランスの特色をもつてゐる。西洋思想と云つても唯一色のものであるのではない。西洋文化の重要な源泉であつたギリシア文化の如きも、フランスとドイツとではそれぞれ違つた形で継承されてゐる。日本に移植された西洋文化も既に日本的性格を得てをり、今後益々さうなるに相違ない。儒教や仏数が日本において単なる支那思想でも単なる印度思想でもなくなつたやうに、西洋思想も日本においてもはや単なる西洋思想でなくなりつつあるのであり、今後更にさうなるであらう。日本的なものが何であるかを知るためには、日本仏教史や日本儒教史を度外現することができぬやうに、やがて日本における西洋思想発達史を局外におくことが不可能である。
 かくの如き方法論を無視するならば、日本精神の問題について、嘗ての廃仏棄釈論などに見られる如く、神儒仏の間に闘争が行はれることになるであらう。今日既に我々は、日本主義者において一致してゐるのはただ外国思想〔西洋思想〕の排斥といふことだけであつて、日本精神そのものについては、神道家は神道家で、儒家は儒家で、仏教家は仏教家で、それぞれ自分の立場に引寄せて日本精神を論じてゐるのを見るのである。これがもつと激しくなれば、統制の対象は皮肉にも、西洋思想であるよりも日本精神であるといふことにならねばならぬであらう。日本主義者がそのやうに無統制になる危険は、神道や仏教、儒教ですらもが、単に思想乃至理論でなく、宗教的信仰的のものであるといふことによつて甚だ多いのである。その場合これを統一し得る思想は存在してゐるであらうか。日本精神といふものは過去に限られたものでなく、将来に向つて発展して行くものであり、これをその発展の方向に於て把握し、形成することが肝要である。統一的な包括的な日本的思想はその方向に求められねばならぬ。そしてそれは西洋思想を排斥することによつては決して得られないのである。且つ真に将来を捉へ得る者のみがまた真に過去を捉へ得る者である。
 凡て生命的なものは環境においてあり、環境によつて限定されると共にみづからも環境を限定する。一国の文化もまたそのやうなものである。なるほど儒教や仏教は東洋思想であつて、西洋思想ではない。しかし過去において儒教や仏教が輸入されたのは当時の日本の環境の然らしめるところであり、今日ではこの環境が世界的となり、欧米にまで及んでゐるのである。そこに環境の拡大がある。外国文化との接触交渉が一国の文化の生長発達にとつて欠くべからざるものであり、それが存しない場合にはその国の文化も涸渇し枯死するに至ることは、東西の歴史によつて証明されてゐる。また外国崇拝を現代の日本人のみの特徴と考へることも間違つてゐる。嘗て仏教渡来以後において宗教、藝術、学問、政治等、あらゆる方面に外国崇拝の現象が見られた。そのために徳川時代の国学着たちは仏教を排斥したのであるが、しかし仏教の地盤におけるさまざまの優れた文化的産物はそのやうな外国崇拝によつて可能にされたのである。儒教の場合においても同様である。支那を崇拝した儒学者は悪しき学者でなく、寧ろその反対であつた。かくの如き外国崇拝が由来日本人の特徴であるとしても、それが西洋において必ずしも存しなかつたわけではない。却つて中華などと云つて威張つてゐた支那は世界の文化の大勢に遅れたのではないか。
 外国文化の輸入は単に外国崇拝といふが如きことから説明され得るものではない。もつと現実的な、もつと実際的な必要から行はれるのである。今日の日本の経済的機構は大なる程度において西洋化し、それに伴つて我々の生活はあらゆる方面において西洋化してゐる。子は親よりも、孫は子よりもその衣食、趣味嗜好において西洋化しつつあるといふのが日本の実状である。現実の生活が西洋化すれば、それに応じて思想も西洋化するといふのは必然でなければならぬ。現代の日本の社会は、産業から軍事に至るまで、西洋で生れて日本へ移植された科学のカに依頼してゐる。西洋の文藝や思想は排斥されてゐるが、西洋的自然科学は種々の必要から奨励されてゐるのである。西洋文化のなかから主として所謂物質文明の基礎と内容とをなす自然科学の方面をのみ輸入することに努めてその他の精神的文化の方面の移植において自分が遅れながら、西洋文化は凡て物質文明に過ぎないかの如く非難するのは、西洋文化輸入における自分自身の物質的態度を嘲笑してゐるに等しい。そればかりでなく、日本の社会の現実的要求にもとづいて西洋的自然科学を移入し発達させることが必要であるとすれば、そのやうな科学と結び付いた哲学、従つて西洋的思想がこの国においても盛んになるといふことは当然である。各々の文化は孤立したものでなく、科学と哲学及び文藝等とは相互に密接な関聯を形作り、かやうにしてのみ発達することができる。西洋的な科学が必要とされる社会においては、おのづから西洋的な哲学や文藝などが要求されるのである。科学は思想に影響する。それのみでなく、科学そのものの根柢には一定の哲学がある。従つて科学を普及させることはおのづと、そのやうな科学の根柢をなしてゐる哲学的思想を普及させることになり、またそのやうな哲学的思想を普及させるのでなければ科学そのものも発達し得ない。それだから一方では西洋的科学の普及発達を必要とし且つ奨励しながら、他方では西洋思想の普及発達を抑圧する場合には、日本の文化は全体として有機的な聯関と統一とを失ひ、不健全なものとなるであらう。かかる状態においては科学そのものの十分な普及発達も期することができぬ。ともかく日本の現実の社会の西洋化は動かし難い事実であり、そのために文化の方面においても西洋的なものに対する要求を抑止することは不可能である。かくして日本主義者たちと雖も、今日実際に見られるやうに、何等かの西洋思想に自分の主張の根拠を求め、その日本主義と何等かの西洋思想とを関係付けようとしてゐる。さうしないならば、今日の日本人、殊に青年たちの嗜好に投じ、関心を喚び起し、信用を得ることが困難な事情にあるのみでなく、自分自身ですらも満足を感じ、確信を持つことができないやうに見える。西洋的なものの普及は現代の日本に於いて既にその程度にまで到達してゐる。
 このやうな状態の中からやがて日本的なものが生れて来るであらう。しかしこの日本的なものは決して西洋的なものを排除したものでなく、却つて西洋的なものを包んだもの、西洋的なものを通じてもしくは西洋的なもののうちに生れるものである。ちやうど日本儒教や日本仏教のうちに日本的なものが生れたのと同様である。しかも西洋哲学と云はれるものは宗教や信仰でなく理論であり科学であることを根本的志向としてゐる故に、もし今後、いな現在、神儒仏の如く宗教的信仰的な仕方で対立してゐるものを統一する思想が要求されるとすれば、西洋哲学的方法によつて神儒仏の根本思想を研究するといふことが方法論的にも適切なことであらう。将来の日本思想を建設しようと欲する者は、西洋思想から逆転し逆向することなく、寧ろ西洋思想を突き抜けて進むことが近道ですらあるであらう。
 何故に儒教や仏数の場合には外国思想の模倣とは考へられず、ただ西洋思想の場合にのみかくの如き非難が起り得るかといふ理由として、私は既に二つのものを、即ち第一には日本における西洋思想の伝統がなほ浅いといふこと、第二には西洋思想の一特質として科学的普遍性があるといふことを述べておいた。もちろん日本思想乃至東洋思想には普遍性がないと云ふのでは決してない。西洋的科学の意味における普遍性を有しないとしても、それは他の哲学的意味における普遍性を具へてゐる。もし何等の普遍性をも有しないものであるならば、支那思想や印度思想が日本に移植され、この土地で同化されるといふこともなかつたであらう。凡て偉大な思想には人類的なところ世界的なところがある。それだから我々が東洋思想を深く研究することは人類文化に対する我々の義務であると云つてよい。この点において日本人がただ西洋のもののみを知つて東洋文化の宝庫に対して無知であるとすれば、甚だ遺憾なことである。ところで右に述べた第二の点について云へば、西洋思想が日本において明瞭な日本的性格を得るまでに至つてゐないといふことは、単に年月が短いといふばかりでなく、更にこの短い年月の間において、特に最近においては日本の社会の変化動揺が激しく、日本的性格を固定させるに不利な状況にあつたといふことが指摘されねばならぬ。文化が一定の性格を固定させるためには、社会の安定が必要である。しかしそれにも拘らず、日本における西洋文化もつねに何等かの日本的性格を具へてゐる。西洋文化のうち如何なるものが日本人に特に歓迎され、よく理解されるかといふことがすでに日本的に規定されてゐるであらう。いな、単純な翻訳の場合においてすら、翻訳は解釈であるといふ意味において、また全く文脈の異る言葉に移されるといふことにおいて、すでに日本化が行はれてゐるのである。日本的なものが何であるかを知るために、我々はつねに必ずしも過去の文化に溯ることを要しない。日本的なものは到る処に見出され得るのであり、そして現代における日本的なものを認識することが特に将来のために必要である。日本的なものの研究においてつねに将来の文化の問題が忘れられがちであるのは、最も警戒すべきことである。
 西洋文化と云つても決して一様のものでない。そしてまた実際において、今日の西洋思想排撃にあつても西洋思想の全部が排撃されてゐるわけでなく、或る特定の傾向のものが排撃されてゐるのである。思想問題の背後にある政治的問題を見失はないことが最も大切である。