評論家協会について
その仕事とその時局性
評論家協会(仮称)は去る二日に最初の発起人会をもつたばかりである。十二日にもう一度発起人が集まつて、会員のこと、創立大会のことなど、相談する筈になつてゐる。だからこの会についていま述べることは単に私一個の意見に過ぎぬ。
評論家並びに評論に関係のある人々の倶楽部のやうなものの必要はずつと以前から感ぜられてゐた。それは親睦機関としても職業団体としても必要ある。尤もすでに文芸家協会があつて、評論家の或る者もその会員になつてゐるが、それは主として文藝に関係のある人々であり、政治、経済、外交等の方面の評論家は殆ど除外されてゐる。だから文藝家協会とは別個に評論家の団体があつても好いわけで、これにはもちろん現に文藝家協会に所属してゐる評論家にも参加して貰ふべきである。評論家協会が成立した場合、文藝家協会その他の姉妹団体と連絡をとつて活動しなければならぬことも多いと思ふ。
評論家協会は、評論といふものの性質上、文藝家協会とはおのづから違つた性質をもつであらう。文藝家協会は現在主として職業団体であるが、評論家協会も同様に職業団体として著作権擁護その他必要な活動をしなけれはならないけれども、それに止まらない性質がおのづから現はれてくるであらう。
評論家は時事的問題について意見を述べる。その場合いろいろ情報をもつてゐることが必要であり、特に今日の場合においては政府、官僚、軍部などの意見を理解してゐることが必要である。だからこの協会にとつては官僚や軍部や財界など諸方面の人々と評論家との接触をはかることが一つの仕事であらう。その機会に先方の意見を聴くと共に評論家側の輿論ともいふべきものを伝へるやうにすれば、双方に有益であらう。これまででも個人的には両者の接触がなかつたわけではないが、それがもつと一般的に行はれることが現在大切ではないかと思ふ。
そこにおのづから評論家協会の時局性が生じてくる。協会は時局に協力することになる。それはもとより単なる追随であるべきでなく、独自の立場における批評や指導を通じての協力でなければならぬ。筆をもつてはできなくてもロをもつて当局に意見が伝へられるといふ場合があらう。
もちろん協会はその会員のめいめいの意見を束縛すべきでなく、むしろ大いに尊重しなければならぬ。協会は種々の思想的立場の人をできるだけ広く集めるのが好いと思ふ。しかし互によく話し合つてみればそこにおのづから共通の意見が出てくるものであり、かやうにしていはば種々の意見の最大公約数ともいふべきものを協会の意志として必要があれば発表するやうなことも不可能でなく、またそれに基いて国民啓蒙の運動を行ふといふこともこの時局においては考へられ得るであらう。
時局の解決にインテリゲンチャの協力が必要なことは屡々いはれてきた。しかるに協力するためにはインテリゲンチャの組織がなけれはならぬ。殊に日本のインテリゲンチャが支那のインテリデンチャに呼び掛け、協同して新文化の創造に努力することが要求されてをり、それには評論家協会の如き組織の存在が必要である。この方面の活動において新友社の仕事なども評論家協会の活動のうちに包含せられ得るものではないかと思ふ。