知識人の位置の変化について



 このごろ知識人の位置の変化が言はれてゐる。その著しい現象を一二あげると、例へば、先づ学徒の出陣がある。出陣する学徒自身、知識人に属すると見られるのでなく、これに関係して、学校の教師職員等の位置にも変化が生ずるであらう。次にまた例へば出版界における企業整備がある。その実現に伴つて、編輯者等の側にはもちろん、著作家の側にも変化が現はれるであらう。
 言ふまでもなく、かやうな変化は、今にはかに始まつた種類のものではなく、既に進行しつつあつたものの延長もしくは拡大に外ならない。ただその速度がはやくなつたといふことはあるであらう。
 しかし、すべては以前から予見することができた筈のものである。それを意外に思ふやうでは、知識人ではなかつたのだとも言はれるであらう。
 知識人のかやうな位置の変化は、なんら特殊的なものではない。自分がこれまで従つてきた職業を離れて新たな仕事に就くといふことは、国民生活のあらゆる方面において見られることである。時局の要請は知識人に対して例外を設けないであらう。そしてまた如何なる知識人もこの時局において例外であることを求むべきではない。却つて必要なことは、このさい知識人が国民の一人になり切るといふことである。
 ふだんなら数十年を要したであらう変化を、戦事は極めて短い間にし遂げる。私は、例へば、嘗てしばしは文壇解消論の唱へられたことを想起するのである。文藝が国民的なものになるために、いはゆる文壇は解消しなけれはならぬと言はれた。
 そしてこれは、単に文壇についてのみでなく、いはゆる論壇、いはゆる学界、その他についても、考へることができたであらう。新しい国民的な文化が作られるためには、知識人の旧い枠の毀れることが必要であつた。しかるに今や、文壇は否応なしに解消しつつあり、学校とか学界とかも根柢から変貌しつつある。
 いはゆる知的な職業が狭められ、知識人の地位に変化が生じたといふことは、知識人が従来の特殊意識を棄てて国民の一人として自覚することを要求するものである。
 これまで知識人は自分を特等席にゐるものの如く考へる風があつたと言はれる。かやうな一種の特権意識は、従来の歴史的諸事情において知識階級が社会的に占めてきた位置に基いて生じたものである。知識人はいはば列外の人として国民から遊離してゐた。今日その位置の変化はかやうな特殊意識を清算させねばならぬのである。
 戦争は仮借なく現実を露呈することによつて先入見や偏見を破壊することになる。知識人は列内の人となり、国民の一人として自覚し、国民の中に入つてゆかねばならぬ。そこにその地位の変化の大きな意義がある。この場合、いはゆる文化主義の偏見が除かれねはならぬことは言ふまでもないであらう。
 もちろん、知識人としての自覚を失ふといふことではない。しかし国民としての自覚がより先なるものである。我々は、学者であり、藝術家であり、評論家である前に、国民である。知識人の地位の変化はこの国民としての自覚を促すものでなけれはならぬ。かやうにして与へられた仕事をもつて国民の中に入り一人の国民となり切るところから、新レい型の知識人が作られ、そしてやがて新しい文化が生れてくるであらう。
 多くの犠牲を覚悟しなければならぬ知識人の地位の変化に対して、知識人として持つことができる大きな希望は、そこにあるのである。