時局と学生
何だか落附かなくて勉強が手に着かないといふ、…これが恐らく多くの学生の侮りのない気持であらうと思ふ。そしてそれは尤もな気持である。
かやうな気持でゐるよりも、どちらかに何とか決めて貰ひたい、速く決つてしまつた方がどれだけ楽か知れない、と考へる者も多からうと思ふ。しかしここまで来ると、すでにそのうちに危険が含まれてゐる。不安は人間を焦躁せしめ、そして焦躁は人間を衝動的ならしめる。そのとき人間は如何なる非合理的なものにも容易に身を委せ得るのである。かくて嘗て多くの独裁者は人民を先づ不安と恐怖とに陥れることによつて彼等を自己の意のままに動かさうとしたのである。
不安は人間を衝動的ならしめるといふ心理学的命題は、今日、知識人をもつて任ずる学生諸君が深く理解しておかねはならぬことである。この命題が妥当する現在こそ、諸君は愈々諸君の知性を研ぎ澄ますことが必要になつてゐるのである。不安は知的探究の拍車とならねばならず、その場合において意味をもつてゐる。
時局のことなど気にしないで学業に専心することが大切だと教へる者があるかも知れない。この言葉は恐らく諸君にとつて慰めとはなり得ないであらう。それは戦場とは関係のない老人の言葉だ。諸君はもちろん決して研究を抛棄すべきでない。現に戦乱の巷に踏み留まつて研究を継続しつつある上海自然科学研究所の新城博士等の活動に我々は感激を感じる。銃を執る日が来るまで我々は研究を止めてはならない。我々は不安のために衝動的になることなく、我々の精神の平静を愈々確保して我々の研究を進めなけれはならない。すべての知識人が確保されたその精神によつて結び付くことがこの際最も肝要である。戦争は文化にとつて決して好都合なものではない。しかし文化の荒廃の中において最後まで防ぎ続けられる一粒の純なる種子からいつかは大きな幹を生じ、花を開くこととなるのであつて、各人がこの一粒の種子となる覚悟が必要であらう。
しかし時局に対して眼を蔽ふことは不可能である。今度といふ今度は、もはや誰一人も逃れ難く歴史の車輪の動きの中に引き入れられぎるを得ない状態に立ち到つてゐる。あらゆる気休めは自己欺瞞である。しかしその運動の中に入ることによつて唯衝動的に動くことは最も警戒すべきことである。事態が近けれは近いほど我々はそれを冷静に認識することに努力しなけれはならぬ。
通信機関は極度に発達した。しかるにまさにその今日においてほど事実が知り難くなつてゐることもないのである。我々はこの事を先づつねに心に入れておかねばならぬ。現象に追随してゆく実証論が今日ほど危険になつてゐることも稀である。今日の実証は明日の実証によつて破られるであらう。このとき我々の頼り得るものは理論である。理論の力に対する信頼が今も変らず知識人の誇りでなけれはならぬ。
戦争は政治の延長であり、政治の一つの形式である。このことは戦争の長引くにつれて、或ひは戦争が一旦終結した後において益々明瞭になるであらう。個々の戦闘に心を奪はれて全体の戦争のことを忘れることは固より、戦争といふ特別の現象にのみ注意して政治の全体の動向を見逃すやうなことがあつてはならない。今日の政治は戦争に従属しなければならないと我々の政治家は云ふ。しかし事実はまさに逆であつて戦争は政治に従属してゐるのである。従つて我々は何よりも現代の政治について正しい認識を獲得しなければならず、それによつてこそ戦争の意味も把握し得るのである。諸君の先づ身に着けねはならぬ武器は知性である。それが武器としては小さいものであるにしても、諸君の有する最小のものを抛棄しないことが大切である。