事実の確認
最近東京では煙草飢饉で、私ども喫煙者には苦労の種となつてゐる。その原因について、責任の地位にある某官吏は、或る新聞記者の間に答へて「かやうに東京で煙草の品不足を来たしたのは靖国神社大祭で地方から参拝のため上京した者が多かつたためだ、新合祀者の遺族だけでも三万人からあるのだから」と言つてゐる。
夕刊でこの記事を読んだとき、私は笑ふべきか怒るべきかを知らなかつたのである。煙草の払底は東京だけに限らないやうだ。現に私はこの頃暫らく鎌倉にゐたのだが、あそこでも煙草を手に入れるのに難儀した。東京での品不足の原因が靖国神社大祭のための上京者にあるといふのもをかしな話である。戦死者の遺族は皆愛煙家なのであらうか。遺族といへは、喫煙の風習のない婦人や子供が先づ我々の眼に浮かぶのである。
某官吏の右の談話は恐らく洒落のつもりであらう。困難な状況にあつて洒落をいつて済ませるといふのは、これまで余りにも尊重されてゐる腹芸といふものの一つであらう。だが腹芸では事実を処理することはできないのである。
この時局に煙草などについて不平をいへる義理でないことは我々も承知してゐる。ただ我々の希望するところは、事実を事実として認め、腹芸などはよして、ありのままの事実を正直に知らせて貰ふことである。品不足は煙草にのみ限られてゐない。食糧だけはどんな場合にも大丈夫だといはれてゐたのに、今ではその食糧も問題になつてきたのである。それは腹芸で片附くことであらうか。
事実を事実として認めるのでなけれは、ほんとの対策は立たない。責任者に先づ必要なのは事実の確認である。そして国民に対しても先づ事実を確認させることが真に国策に協力させる所以である。腹芸でやつてゆかうといふのは、国民の協力など必要でないと考へることにほかならぬ。