時局と大学

 学制改革は我が国において既に多年の懸案である。それは早晩実施されるであらうし、また実現されねばならぬであらう、政府の企図しつつあるこの学制改革の中に大学が含まれてゐることは勿論である。かやうな制度改革の問題を別にしても、近時文化統制或ひは思想統制は次第に強化されつつあり、この統制から大学もまた決して除外されてゐないのである。学制改革は現内閣においても重要政策の一つとして掲げられてをり、それは支那事変の勃発の為、未だ具体的に着手されてゐないにしても、思想統制の方は時局の魔力によつて益々強化の一路を辿つてゐる。
 かやうな事情のもとに大学はみづから自己の意志を決定することを要求されてゐる。大学は自己の運命を断じて外部の力に委ぬべきでなく、却つてこれに対して自己の存在を強く主張しなけれはならない。その意味において東京帝国大学が他に先んじて大学制度審査委員会の設置を企て、その準備委員会が活動を開始したといふことは、まことに多とすべきである。
 制度の問題はもとより単にそれだけのことであり得ない。大学の制度の改革は必ず大挙の本質もしくは精神の問題に触れて来る。例へば現在進みつつある思想統制が更に一段と強化されるやうな場合、それは当然大学の制度の改変を必要とするに至るであらう。大学における制度の問題とその精神の問題とは相関連してゐる。重要なのはむしろ後者であると云はねはならぬであらう。なぜなら大学の制度の改革の問題は、特に今日にあつては、外部から思想統制の圧力の次第に加はつて来る情勢のもとにおいて、大学が自己の本質もしくは使命を妨げられることなく実現し得る為に、如何にその制度を整ふべきかといふことでなけれはならぬ故である。
 大学の使命は、田中耕太郎教授もいはれてゐる如く、真理の探求にある。そこに大学の存在の意義は存するのであつて自己の本質を否定し去るべきでない限り、大学はこの使命を忠実に遂行しなければならない。大学の目的を単に技術的訓練に局限しようといふが如きは大学の特珠性を抹殺するものである。大学論の根本に関して議論の分れるところは主として大学と国家との関係についての問題であるが、真理の探求といふ使命は国家の目的と何等矛盾するものでない。なぜなら真理の探求は国家の発展にとつてつねに必要であり、また有益あるからである。科学的探求は時として政府の希望するやうな結果に達しないことがあるかも知れない。その場合には、その結果が真に客観的である限り、時の政府の希望するところが主観的なものであることを示すわけであるから、政府は却つてかやうな客観的真理に従つて自己の主観的意図を反省し、是正すべきであつて、かくしてこそ国家の正しい、善い発展は期し得られるのである。真理が不要に帰するといふことはあり得ない。
 大学の使命が真理の探求にあるとすれは、大学はこの使命の遂行に欠くべからざる条件を確保しなけれはならない。かやうな条件といふのは研究の自由である。国家も、真理の探求が国家の発展にとつて必要であり、また有益である以上、大学に対して研究の自由を認めなければならぬ筈である。
 今日の非常時局において真理の探求が不要になつたのでも無意味になつたのでもない。否、むしろ一時の興奮に駆られ易い今日の如き情勢においてこそ、冷静な科学的探求が国家の正しい、善い発展の為に愈々強く要求されてゐるのである。大学は自己の使命に忠実である為に、不当な思想統制を排して研究の自由を確保することが大切である。研究の自由は単に個々の教授や学生の為に要求されるのではなく、大学といふ一つの団体、一つの社会の為にその使命に鑑みて、要求されるのである。
 帝国大学の教授は、田中教授も云はれる如く、他の一般の官吏とはその性質と任務とを異にするとすれば、大学自身が官僚化すべきでないことは勿論である。しかるに時世の波に押されて近来大学自身が官僚化してゆくといふやうなことがないであらうか。大学制度の改革はどこまでも大学の本質の自覚の上に立つて行はるべきであつて、それが逆に、現在大学の陥り易い傾向であるところの大学の官僚化を却つて助長するやうな結果にならないやうに特に注意しなければならぬ。時局は大学の使命の益々重きことを感ぜしめる。東京帝国大学における大学制度審査委員会が自己の見識の高さを示すことがこの際期待されるのである。