文化の本質と統制


    ― 統制か自由か ― 

 


 文化の本質は自由であると云つても、単なる肆意を意味するのでないことは勿論である。極めて肆意的であるやうに見える藝術的活動のうちにも法則が含まれてをり、藝術家はこの法則に従はねばならぬであらう。しかしこのやうな法則は人間が人間自身に与へる法則であつて、外的強制によつてでなく自律的にそれに従ふのである。この自律性が自由である。自律性は内的統制と見ることもできるのであつて、その意味においては、論理の法則を無視して全く非合理的な議論をしてゐるこの頃の統制主義者の多くは却つて何等統制主義者でないと云ふこともできるであらう。自律性はもとより自尊性と矛盾するものでなく、自発的といふことがなけれは自律的といふことも考へられない。
 かやうに文化が自由の産物であるといふことは、歴史的に見ても、文化の発達と個人意識の発達とが関聯してゐるといふことによつて示されてゐる。個人意識が集団意識のうちに埋没し、吸収されてしまつてゐる限り、知的な合理的な文化は生じ得ないのであつて、個人意識が集団意識に対して独立になり、従つて批判的になる場合に文化は生れてくる。個人の独立性を全く認めず、批判的精神をすべて抑圧しようとするのは原始的なトーテミズムの社会に還らうとするやうなものであつて、文化の否定でなけれはならぬ。
 しかし文化が自由な批判的な精神から生れるといふことと、一旦生れた文化が統制的な性質を有するといふこととは区別さるべきことである。文化は人間の自由に作るものであるが、かやうにして作られた文化は人間に対して、それを作つた人間自身に対しても、統制的に働き掛けてくる。そのことは個人の作る文化が単に個人的なものでなくて個人を越えた意味を有することを示すものであり、個人を越えた意味を有するのでなけれはそれは文化と云ふこともできない。かやうなものとして文化は社会的意味を含むと云ふことができる。個人の作る文化が社会的意味を有するといふことは個人が本来社会曾的なものであることを現はしてゐる。しかしこれらの事情から逆に考へて、個人が文化を作るにあたり自己の自由を放棄して社会的に与へられた文化の統制に従つてゆけばよいかと云ふと、さうではない。社会とか時世とかに追随してゐては真の文化は作られないのであつて、文化は自由に作つてゆくものでなけれはならぬ。文化を作る立場と作られた文化の立場との間に矛盾があるところに、文化の根本問題がある。
 作られた文化が作る人間に対して統制的に働くといふことは、文化が伝統になるといふことである。伝統はつねに統制的な意味をもつてをり、統制主義者は伝統主義者である。これに反して作る立場は自由な批判的な立場である。もちろん作る者も伝統を無視することができず、伝統から学びまた伝統によつて自分を訓練してゆくことはどこまでも必要であるが、しかし彼は伝統そのものに封しても自由な批判的な関係に立つのである。統制主義者が伝統の重要性を説くことは間違つてゐるのでなく、伝統に対する自由な批判的な関係を認めないところに危険があるのである。作られた文化の立場をそのまま文化を作る立場に強制することに先づ第一に矛盾があるのである。
 伝統が伝統として妥当し、統制的に働くといふのはそれが神話化される故である。すべての伝統は多かれ少かれ神話の性質を持つてゐる。しかし作られた文化が伝統として何等か神話的に作用するといふことと、文化を作る者が神話を作らうとするといふこととは区別されねばならぬ。文化を作らうとする者はどこまでも神話に対立するものとして文化を作つてゆかねはならぬ。歴史において与へられた伝統がすべて何等か神話として作用するといふ理由からまさに、彼は伝統に対して自由に批判を行ひ、その合理的核心を求めなければならないのである。かやうなことは彼の作つた文化がやがて一つの伝統として神話的に働くかも知れないといふこととは無関係に必要なことである。
 しかるに統制主義者は伝統主義者であり、彼等が自分を創造的であると考へるにしても、彼等の創造するのは神話に過ぎない。ヒトラーは種族を文化創造者、文化維持者及び文化破壊者の三つの範疇に分つた。そのうち文化創造的であるのは唯アーリア種族のみであり、ドイツ人はアーリア種族の最も優秀な代表者であると考へられる。この種族的歴史観はローゼンベルクの「二十世紀の神話」として創造されたのである。しかしかやうな神話は、実は、何等文化的な創造物でなく、人間のうちに残存する原始的な、本能的な感情に訴へるに過ぎぬものである。
 種族的神話に基いて、一九三三年以来ドイツにおいては文化のあらゆる方面に亙り恐るべきユダヤ人排斥が行はれた。この年の五月に反ナチス的な書物が焚かれたのを初め、百八十に及ぶ新聞の発行が禁止され、「単一輿論」の達成が強行された。最近には藝術批評の禁止に関する布令が出た。このやうな文化の統制を通じて如何に事実そのものの歪曲が行はれてゐるかは、ナチス音楽の理論家ヨアヒム・モーゼルの音楽史教科書の中ではメンデルスゾーン、マーラー、シェーンベルク等のユダヤ系音楽家の名が全く抹殺されてゐるといふ一例によつても知られるであらう。事実に代つて神話が支配し始めたのである。
 「二千五百年来極めて少数の例外を除いて始どすべての革命が挫折したのは、その指導者が、革命の本質的なものは権力の掌握ではなくて人間の教育に存するといふことを悟らなかつたからである」とヒトラーが云つた通り、ナチスは文化の統制に非常な重要性を認めてゐる。革命の本質はもとより権力の掌握にあるのではない、それは大衆の解放にあるのであるから。しかしまた革命の本質は文化の統制にあるのではない、それは先づ大衆の生活の向上にあるのである。しかるに文化を統制して単一輿論を作らうとすることは、大衆の不満を隠蔽しようとすることではなからうか。
 文化の統制によつて果して「ドイツ国民の内面的優秀性を発揮する」やうな文化は作られたか。藝術批評を禁止して批評家が「藝術審判者から藝術奉仕者に」なることを要求するのは、実は、真に藝術への奉仕を要求することでなく、却つて独裁政治への奉仕を要求することではないか。「ドイツ物理学」「ドイツ教学」等の神話を作り、アインシュタインの相対性理論を排撃した彼等は、これに代り得るやうな卓越せる理論を作り出したか。遺憾ながら我々非アーリア人は今日のドイツ文化の寂莫を感ぜざるを得ない。
 文化の統制は文化そのものの立場に立つといふよりも、政治の立場に立つものである。ラインハルトやワルターが排斥されたとき、フルトヴェングラーは宣伝相ゲッベルスに公開状を寄せて、「藝術においては優劣の差が強調さるべきでそれ以外の、特に人種的差別は取上げらるべきでない。然るに現在度々その逆の態度が為政者によつて取られ、ために藝術の質の低下を招きつつある。これは一国の文化にとつて死活の問題である」と主張した。これに対しゲッベルスは云つた、「政治も一つの藝術である。恐らく最高にして最も綜合的な藝術である。現代ドイツの政治を形成する我々は大衆といふ素材を国民にまで作り上げる藝術家である。そのために障害となる非国民的要素を排除することによつて我々は初めて純粋な国民といふ藝術品を作り上げることができるのである」。
 政治を一種の藝術と見ることは間違つてゐないにしても、それは多くの限定を経た後に初めて云はれ得ることである。政治を藝術と見ることは大衆の生活を空想化し、彼等の現実的利害を無視することであり得る。また大衆から国民を作り上げるといふことは、大衆の自然的な要求を認めることなく、大衆を少数者の階級の利益に奉仕するものに作り代へるといふ響をもつてゐる。それはともかく、政治と藝術との同一視は、藝術の独立を否定して完全に政治に従属させることを意味し得るのであり、極端な統制主義が欲するのはまさにこのことである。統制主義は政治主義である。かやうな政治主義は文化の発達に障害となり得るものである。文化の優劣はその政治的価値には関はらない規準をもつてゐる。
 ナチスのクーデターによるアカデミーの改組の際、ナチスから自己の精神を体現せる詩人として讃美されてゐるゲオルゲはヒトラーの親書による懇請にも拘らず、アカデミー院長就任を拒絶し、「私は独り行く」と宣言した。我々はそこにヒューマニスチックなものを感ぜざるを得ない。古来すぐれた藝術家や思想家には「独り行つた」者が決して稀でないのである。
 作られた文化はもとより社会においてつねに何等かの政治的意味をもつてゐる。しかしそのことから逆に考へて、文化を作る場合に政治的効果を第一に狙はねばならぬといふことは生じて来ないのである。文化の統制は、ファッショ的な国においてのみでなくソヴェートにおいても行はれてゐる。二つの場合は決して同じに論じられないものがある。ソヴェートでは大衆から国民を作り出さうとはしてゐない。藝術においても大衆の創作、大衆の批評に重要な価値が置かれ、奨励されてゐる。ところでロシヤ文学に通じた外村史郎氏によると、「一般的に云つてソヴェート文学はこの一二年甚だ不振である」とのことである。批評文学のみでなく、詩、小説、戯曲などの方面も不振である。その原因を外村氏は、ソヴェート文学がいま世代の交替期にあるためであるといふことに求めてゐる。もしさうだとすれば、そのことは外村氏の解釈とは別に、文化の統制下に教育されてきた人間の文化創造の能力を考へる一つの材料とならないであらうか。統制的教育によつては文化の興隆は期待され得ないやうに見える。我々は必ずしも文化至上主義を主張するものでないが、ソヴェート文化にしても、その政治的必要から余儀なくされた統制が次第に緩和されて自由が与へられるのでなければ、真に開華し得ないやうに感じられるのである。