教師の小吏根性



 小学校の生徒に対して国防献金を行はせたとき、板ノ間稼ぎをする子供が出た。また彼等に対して物資節約を奨励したとき、墓所の鉄柵を盗む者が出た。これは東京で生じた事件であるが、すべての教育家の反省しなけれはならぬ問題を含んでゐる。
 子供に愛国心を起させ、貯蓄心を養はせることは、もちろん大切である。しかしその精神を取らないで形式に堕する場合、弊害は大きい。しかもこの弊害はこの頃特に教師の小吏根性に基くことが尠くないやうに思はれる。自分の利益のために上長の意を迎へて外に見える成績だけを善くしようといふのは小吏根性であるが、そのやうな小吏根性が官界ばかりでなく教育界にも充満してゐるやうに思はれるのである。
 親からあり余る小遣を貰つて浪費してゐる子供に対して献金や貯蓄を強制的に行はせることには意味がある。けれども、そのやうな余裕のないのみか日常の生活にさへ事欠く貧しい家庭の児童に対して同じやうな義務を説くことは幼い者の心を種々に傷つけることになるのである。現に東京市を初め全国において今も多数の欠食児童が存在してゐる。まづ彼等のことを心配するのが、国民精神総動員の一つとして保健の重要性が力説されてゐる場合、先決問題ではないか。
 官僚独善の弊害はすでに久しく叫ばれてゐるが、かやうな弊害の存在するのも、一面から見れは、国民がその存在を許すほど不見識であるためである。とりわけ教育界における小吏根性の官僚独善を助長してゐることが多い。およそ社会の諸現象は孤立したものでなく、一方に或る事実が存在すれは他方に必ずそれに相応ずる事実の存在するものである。すべての者が大国民にふさはしく見識のある人間となることが今日大陸に飛躍しようといふ日本にとつて要求されてゐる場合、国民教育に最も深い関係を有する教師の間において、国民精神総動員の運動以来、小吏根性が特に著しく目立つやうになつてゐはしないであらうか。    

 (六月十二日 年不詳)