学術の協同と綜合



 日本の歴史は大きな飛躍をしてゐる。わが学術思想界にも同じく飛躍がなければならぬ。これはもちろん、徒らに大言壮語したり或ひは只他に号令したりすることで出来るものではなく、各人が絶えず自省して研究に精進することによつてのみ可能である。
 先づ必要なのは協同である。官私、派閥、専門、その他種々の人間的感情にもとづく対立や反感を一掃して、真の協同が行はれねばならぬ。すべての智能を国家的見地から最も能率的に働かせる工夫が大切である。遊休設備があつてはならぬやうに、遊休人間といふものがあつてはならない。
 要求されるのは研究において実践的であるといふことである。即ち我々は日本の現実が直面してゐる問題の解決に真剣に努力しなければならぬ。これはもちろん単にいはゆる実際的な問題にのみ没頭することではない。大東亜戦争の目的が新秩序の建設にある以上、そこに当然新しい理論がなければならないのであつて、純粋に理論的な問題の研究も重要である。ただその理論は現実から游離することなく、現実の中から形成されてこなければならぬ。従つてまた実証的研究家と理論家との間にもつと密接な連繋がなければならないと思ふ。
 研究の協同と関聯して大切なのは学術思想における新しい綜合である。これまで例えば日本の研究、支那の研究、欧米の研究等の間に協同が欠けてゐて、その諸成果を大きく綜合して新しいものを作るといふ努力が足りなかつた。今日必要なのはただ東亜の研究のみで欧米の研究の如きは無用だと考へる者があるとすれば、間違つてゐる。新しい日本的な綜合こそ要求されてゐるのであつて、我々の建設すべき新秩序が世界史的意義を有するとはその意味である。戦争のために諸外国から切り離されてゐるといふことは、わが学術思想界にとつて独自のものを作る好機会であるともいへるが、同時に独善に陥らないやうに戒心しなけれはならない。

             (一九四二年一月四日)