文化の力

 高度国防国家の理念は、あらゆるものが国防力の意義を有することを意味するものであらう。一見国防と無関係であるかの如きものもなほ国防的意義を有するといふことが、この理念の示すところである。そしてこれはまた近代戦が総力戦であるといはれる理由でもある。
 種々の文化のうち科学の如きは国防との関係が明瞭である。近代戦は科学戦として特徴付けられてゐる。高度国防国家の立場から科学の振興が緊要であることはいふまでもない。しかるに文学の如きは従来国防と没交渉のやうに見られてきたのであるが、それが実は国防力としての意義を有すると考へるのが高度国防国家の思想である。
 今日の文化政策の立場が国防力としての文化に存するのは当然である。ところで国防力としての文化を考へる場合、注意すべきことは、例えば「国防文学」と名付けられる種類のもののみが国防的意義を有するのではないといふことである。むしろ国防と無関係であるかのやうに見える種類の文学もなほ国防力として重要であるのを理解することが、高度国防国家の理念において要求せられるのである。
 文学は精神の糧である。それは人間の心に慰めや、潤ひや、落着きを与へる。このやうな精神の糧は戦時の国民生活においても必要であり、それによつて国民は物質的生活における欠乏に堪へることができ、心のゆとりをもつて非常時に処してゆくことができる。国民の持久力を養ふ上において文学は特に重要な力である。
 我が国の現状を顧みて科学書の普及が大切であることは論ずるまでもなく明かである。ところで殆どすべての人は文学書から読書に入るであらう。先づ文学書によつて読書することを覚え、それから他の種類の書物を読むやうになるのが一般である。もし文学書が少くなると人々は容易に読書の習慣を得ることなく、従つてせつかく科学書を普及しようとしてもその目的を達することが困難であらう。この点から考へても、不要不急であるかめやうに見える文学書の出版の決してさうでないことが理解されるであらう。すべて文化上においては余りに功利的に考へることは却つて功利性を失ふことになるのである。
 最近の出版において純文学の書物がいささか継子扱ひされる傾向のある場合、文化の力がどこにあるかについて一層深い考察が必要である。


 (一九四一年十月二日)