日本人の複雑性
先日或る雑誌の座談会に出たら、日本人の複雑さといふことについて話が出た。その時は立ち入つて検討されないでしまつたが、これは日本の現在を考へる上に重要な関係がある事柄ではないかと思ふ。
たとへば、日本人は熱し易く冷め易い国民であるといはれる。確かにさういはれてよいところがあるのである。けれども他方事変後既に四年以上を経て来た今日を考へると、日本人にもなかなか持久力があると感ぜざるを得ない。今後についても、私は日本人の持久力は安心できると思つてゐる。しかし必ずしも国民に、政治に対する信頼が十分にあるわけではないであらう。むしろ国民の多数は絶えず一層強い政治力を求めてきたし、現に求めてゐる。それでゐて、国民はいつもおとなしく政府についていつてゐるのである。その心理といふものは複雑で、決して一本調子ではない。
日本人の複雑さを考へる場合、私は徳川三百年がこのやうな日本的性格を作るにあづかるところが大きいやうに思ふ。近年、日本的性格を論じるのに古代に溯つて考へることが普通になつてゐるが、理想を求めるにはもちろんさうでなければならないけれども、今日の現実の日本人の性格においては徳川時代からの伝統によるものが多いのである。日本人の複雑さといふものも徳川時代に作られて、それがいはゆる日本資本主義の後進性と関聯して、新しい要素を加へながら今日まで継がれてゐるのである。
複雑であるといふことは、それだけ適応性が大きいことである。どのやうな境遇におかれても、それに適応して生きてゆくといふには、単純でなく複雑でなけれはならない。複雑であるといふことは、それだけ心が練れてゐることでもある。日本人が現実的であるといふことも、それに関係があるであらう。そこから持久力も生じるのであるが、しかし他方、その複雑さは消極性と停滞性をともなひ易い。その適応の仕方は単に消極的ではないにしても
― 単に消極的であるなら複雑とはいはれない ― 積極性の重要な要素である集中性、感激性を失ひがちである。今日の日本の前進のためには、そのやうな消極性と停滞性を、特にそれが封建的性質を帯びてゐる場合、克服してゆくことが必要である。
日本の政治の難しさも、かやうに複雑な国民心理の上に政治が行はれねばならぬところにある。しかし他方、現在日本人の複雑さといふものは政治の影響によることも多いのであつて、複雑さを超えて国民を一層積極的行動的にするやうな感激のある政治、明瞭な一貫した方針のある政治が要求されるのである。
(昭和十六年八月二十日)