生活正義の実現



 今月の興亜奉公日に大政翼賛会では「生活正義」といふ題目を掲げてその実現を期した。生活正義といふのは耳新しい言葉で、語呂も悪いが、意味するものは去る七月新発足の興亜奉公日に取り上げられた集団化、協同化による生活新設計の内容であるとすれは、その実現は当然すべての国民の努力すべきことである。
 翼賛会で生活正義に関する事柄として挙げてゐるものをみると、明朗な商業道徳の樹立、買溜め、売惜しみ、闇取引等の排撃、生活費の切詰めと最低予算の確立、共同貯蓄の強化、社交様式の規準化、夏季における交通緩和への協力などで、いづれも結構であるが、いささか機械的な羅列で、問題の取り上げ方がやや表面的であるやうに思はれる。具体的であるのはよいことであるが、もつと根本の考へ方を示すことも大切であらう。さうでないと、生活正義といふものも形式的な、末梢的なものになる惧れがある。
 昔から正義は特に社会的な徳と考へられてきた。すなはち正義は個人が自分自身において自分だけで実現し得るものでなく、すべての人が社会的に社会において実現すべき徳である。簡単にいふと、正義は社会的諸関係そのもののうちにある。戦時食糧の均衡、物資分配の公平、取引の公正等、人間生活の社会的諸関係のうちに正義が考へられる。ヒットラーの「戦争で一人の成金のできることも許されない」といふ言葉は正義感の現れである。ある者は倹約してゐるのに、他の者は贅沢してゐるといふが如きことは正義に反する。
 かやうにして生活正義といふものは、近衛公が第一次の組閣の際に宣言した「社会正義」を基礎にして考へられることであつて、社会正義を離れては生活正義も考へられない。生活正義といふ耳新しい言葉のために根本の社会正義の問題を忘れてばならぬ。他に向つて犠牲を要求する者が自分では犠牲を回避するやうなことがあつては正義に反するわけで、何事も率先して実行することが正義の要求である。正義は単に個人的にでなく社会的全体的に実現される徳であるから、生活正義にとつて根本的に重要なことは国民生活の協同化である。
 生活正義といふ場合、日常生活のことが考へられてゐるやうであるが、われわれの極めて日常的な生活も元来社会的なものである。それは経済的政治的諸関係によつて規定されてゐる。従つて生活正義が実現されるためには、経済や政治に於る正義が実現されなければならない。昔から正義は特に社会的な徳と考へられたところから、正義は国家の力によつて実現されるものと考へられて来た。つまり強力な政治が必変なわけであつて、これに国民が協力することによつて生活正義といふものも真に実現されるに至るのである。

            (八月六日)