文化上の国土計画
最近私ども東京に住んでゐる者でも新刊書が手に入らなくて因ることがあるのであるが地方の人には特にその歎きが甚だしいやうである。これは一方読書熱が旺盛になつてきたのにも拘らず、用紙統制で本の発行部数が制限されてゐることに基くのであるが、それにしてもその配給が中央と地方とで余りに不均衡であるのは宜しくないことである。殊に地方文化の発達がやかましくいはれてゐる折柄、地方への書物の出廻りが全く悪いといふのは見逃せない問題である。新設された配給会社などで地方の読書状況を調査して計画的な配給を行ふことが要望される次第である。
地方における図書の不足につけても文化上の国土計画の必要が感じられる。国土計画は今日国防の見地からも一般に重要な問題になつてゐる。その際さしあたり考へられることは、従来あまりに一ケ所に集中してゐる産業の如きを分散させるといふことである。これは万一空襲を受けるやうなことがあつた場合、被害を少くするために必要である。しかるにこのやうな分散は文化上の国土計画においてまた大切なことである。
例えば図書について見ても、日本の出版業は殆ど全く東京に集中してゐる。そのために現在のやうに日本の品不足の傾向が出てくると、地方の人には愈々行きわたらないといふことが生ずるのである。これがもし例えばドイツにおいてのやうに、ベルリンにも、ライプチッヒにも、ミュンヘンにも、ケルンにもといふ風に、各地方に立派な出版書肆があるならは、地方の居住者の読書慾の如きも一層よく満足させられ得るはずである。
もちろん出版書肆の分散の如きはそれだけとして考へられ得ることでなく、そのためには地方の大学を盛んにするとか、現在あまりに東京に集中してゐる高等教育機関を地方に分散させることが必要であらう。そしてそのやうに分散することによつて大学の如きもそれぞれの特色を発揮して発達し得ることになるのである。分散の必要はあらゆる文化について認められることである。
ここにも「新しい中世」といふやうなものが考へられるであらう。近代の中央集権主義に対して、中世では各藩の如きがそれぞれ中心になつて独自の教育なり文化なりが発達してゐた。もちろん今日文化の分散といつても決して封建的な閉鎖性や分権主義の復活であつてはならない。地方に分散する一方、近代的な開放性や中央集権主義をどこまでも活かした全く新しい形を創造するといふことがあらゆる国土計画における根本理念でなければならぬ。
(一九四一年八月二日)
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