時間の新体制
節約は今日の国民の最も大きな道徳である。従来節約と考へられたのは主として金銭の節約であつた。物資の節約といふことはあまり考へられず、考へられたにしても、金銭の節約といふ見地からであつた。物資の節約のそれ自身として重要であることが一般に理解されるやうになつたのは最近のことである。そして金銭の節約も逆に物資の節約といふ見地から考へられるやうになつた。それと同時に、節約が単に個人のためのものでなく、それがまた国家のためであるといふことが強調されるやうになつたのである。
然るに金銭の節約や、物資の節約と共に、今日特に力説されねばならぬのは時間の節約である。従来しはしば日本人は時間の観念に乏しいと言はれて来た。今日では幾分改善されたにしても、まだまだ時間の節約は充分に行はれてゐるとは言ひ難い。「時は金なり」といふが、金銭の節約といふことも、時間の節約の見地から考へられねばならない。金銭の浪費は、物資の濫費になるのみでなく、時間の空費になるのである。
時間の空費はそれだけ我々の生産性の減少を結果するのであつて、生産力の拡充が何よりも重要である今日、特に深く考へねばならぬことである。また時間は一般に我々の生活を量る最も基本的な尺度であつて、時間を尊重することは生活において秩序を尊重することである。生活の無秩序は極めてしばしは時間の観念の欠乏から生じてゐる。生活の新体制は、先づ時間の尊重からといはねばならぬであらう。
時間の尊重といふ点で今日考ふべき現実の問題は、わが国家には会といふものが余りに多いことである。筆者の如きでさへ、案内される会にすべて出席するとしたら、殆ど連日そのために時間をつぶさねばならぬことになり、時には、二つ三つと会の重なる日もある。殊に新体制がいはれるやうになつてから、会が多くなつた。しかもその会に出てみると、集まるのはいつも同じやうな顔触れで、いつも同じやうなことを話してゐるに過ぎぬことが多い。かやうなことは各方面において普通のことではないかと思ふ。とりわけ官僚の関係する方面ではそれが甚だしいのではないか。調査会とか委員会とかいふものが多く、そのために却つて非能率的になり、責任の所在も不明になつて、効果も挙がらないといふことは、従来もよく言はれたことであるが、一向改まつてゐないのではないかと思ふ。会が多いのは時間の空費である。官界新体制として最も要望されてゐる事務の簡素化といふことも時間節約の観念の徹底によつて達せられる。自分の時間を大切にすると共に、他人の時間を尊重することが肝要である。
(七月六日)