四箇年の経験

 

 支那事変もやがて四周年になる。その間に我々は実に多くのことを経験してきた。過去の如何なる時代においても、同じ期間にこれほど多くのことを経験したことはないであらう。
 四箇年の経験といふものは無視し得ない重みをもつてゐる。そこに現在の政治のむつかしさもある。例へば政府で何か言ふ、或は何かをする、すると国民はすぐにこの四箇年の経験に基いてこれを判断し、これを評価するやうになつてゐる。それだから政府としても、このやうに経験を積んできた国民が納得し得るやうなこと、過去の経験から考へて合理的なことをやつてゆかねばならなくなつてゐるのである。
 感情的な興奮は永続するものではない。新しいことも慣れるに従つて刺戟がなくなる。さうして誰もが反省的になる。これは善いことであるが同時に危険なことでもある。いろいろなことを経験して反省的になつた者は、どのやうなことにも興味がもてなくなり熱中することができなくなる惧れがある。さういふことにならないやうに深く警戒することが肝要である。
 そこで大切なことはこの四箇年の経験を積極的に活かすといふことである。経験の重みに圧倒されてしまふと消極的になる。経験に圧倒されないためには、思想とか理論とかいふものを持たねばならぬ。もとより単なる理想論、抽象論が役に立たないことは、これまた四箇年の経験によつて教へられたことであらう。この経験に基いて、経験の中から思想なり理論なりを引き出してくるといふことが大切である。経験を活かすものはそのやうな理論乃至思想であつて、これを基礎にして積極的な活動が可能になる。政府においても過去の経験を十分に検討して、明確で具体的な事変処理の方針を明かにしなければならぬ。
 この四箇年の間に我々は、国内的にも、国際的にもいろいろな変化を経験して来た。しかしそれは単に複雑怪奇などといふべきものでなく、そこにやはり一貫して必然的なものが認められると思ふ。

 経験を活かせ! これが支那事変四周年を迎へるに当つて言ひたいことである。


        (一九四一年六月二十六日)