思想と制度


                                      
 人間の身に染み込んだ思想はなかなか除き難いものである。それは自分自身には思想として自覚されないやうな思想であるからだ。それは個人に属するといふよりも身分とか職業とか、すべて制度と一つになつた思想であるからである。
 この議会でまた取り上げられた官僚独善といふことのうちにも、かやうに官僚の身に染み込んだ思想がある。それは先般平沼首相の吏道刷新に関する訓示の中にさへ認められ得るものである。即ち官吏は「国民の模範」であるといふ思想の如きがそれである。
 国民の模範であるもの、国民の模範となるべきものは、何も官吏に限らないであらう。国民にとつて模範であるものは到るところ国民の間に、国民の各層、あらゆる職業の人の間にある。我々は、理髪屋のうちにも、洗濯屋のうちにも、我々の模範とすべき人物を見出し得る。そしてまた国民の誰もが国民の模範となるやう努力しなければならないのである。
 それだのに、官吏だけが「国民の模範」であり得るかのやうにいふのは、官尊民卑の封建的思想を残存せしめてゐるものといはねばならぬ。かやうなことでは「総親和」は完全であり得ないであらう。吏道の刷新は、官吏は国民の模範であるといふやうな意識からでなく、もつとヒューマンな、人道的な気持から出立するのでなければ不可能である。
 人間の身に染み込んだ思想、自分自身には思想として自覚されないやうな思想を除くには、ただ頭を変へようとするだけでは駄目で、制度から変へてゆくことが必要である。制度そのものが一つの思想であり、思想の現はれである。吏道の刷新は訓示だけでは出来ないので、官吏制度の改革に依らねばならぬ。
 そして問題は官吏にのみ関しない。国民精神総動員といつても、何か精神を注入しようとするだけでは無力であつて、社会の諸制度の改革、国民の再編制を俟つて初めて効果的に行はれ得るものである。


(三月十三日)