人的資材活用
戦時体制下において我が国の経済は金の経済に対して物の経済が重要性を増してきた。しかるに物資が重要な問題になつてくると、科学や技術の意義が更めて認識されねばならなくなり、ここに科学者とか技術家とかの人的資材の問題が生じてくる。
この時局において人的資材が重要であるのは、もとより科学者や技術家の場合に限られないであらう。政治、経済、文化のあらゆる方面において人的資材の必要が感ぜられてゐるのである。或る者は我が国には人的資材が欠乏してゐるかのやうに云ふ。けれども我々はさうは信じない。我が国に欠けてゐるのは人的資材そのものではなく、却つて人的資材の活用の法である。今日果して物的資材の活用に熱心であるほど人的資材の活用に対して熱意が示されてゐるであらうか。
人的資材の活用にとつて妨害となつてゐるものに文官任用令がある。文官任用令の改正は人的資材の活用のために要求されてゐる。しかし人的資材の活用は単にそのやうな制度上の問題であるのみでなく、政治家や官吏のモラルの問題でもある。
ただ型にはまつた人間を求めるのでは人的資材は活用されないであらう。非常時は型破りの人間を必要とする。型破りの人間が必要とされるからこそ非常時なのである。ただ無難な人間を求めるのでは人的資材は活用されないであらう。非凡な人間は無難な人間でないといふのが寧ろ普通である。
由来潔癖は日本人の特性であるといはれてゐるが、その潔癖が政治的に現はれる場合特に偏狭になり易い。過去の過失を洗ひ立てたり、既に転向した者を「擬装転向」ではないかと疑つたりしてゐては、人的資材を無駄にしてしまふはかりである。今日大切なのは、種々の人間を包容して、それぞれの道において活用する雅量である。
人的資材として最も重要であるのは云ふまでもなく国民大衆である。国民大衆の力を活用するには国民大衆を信頼しなければならないのであつて、国民の力を必要としながら国民の力の盛り上つてくるのをひそかに恐れるといふやうな心理があつてはならない。
(一九三九年一月十二日)