最近の知識階級論
最近またインテリゲンチャ論が擡頭する傾向がある。それがどのやうな動機から、どのやうな機会において現はれたにせよ、それが現はれたことには意味があり、この際我々はそれから効果を収めることに努力する必要がある。
誰もが記憶するやうに、インテリゲンチャの問題については二三年前にも頻りに論ぜられたことがある。しかるにその場合と今の場合との間には、日支事変の勃発といふ大事件が挟まれてゐるやうに、問題の提出された様子が異つてゐる。前の場合には、問題はインテリゲンチャ自身の立場から提出されたのに反して、今度の場合には主として国策的立場から提出されてゐるやうに思はれる。事変の発展と共に或る者は沈黙を余儀なくされ、また或る者はみづから沈黙を守り、全体としてインテリゲンチャの間には外部から見るとき何か薄気味の悪い沈黙が深く漂つてゐる。これに対し二三の者は国策的立場からインテリゲンチャを叱咤せねはならぬといふ不安乃至野心を抱き始めたのである。
勿論、国策的立場がインテリゲンチャの立場でないといふのではない。インテリゲンチャにしても、勿論戦地におもむき、ガソリン節約を求められれば自動車にはなるべく乗らないやうにするであらう。しかし国策的立場は国民全体のものであつて、特にインテリゲンチャに固有のものではない。インテリゲンチャに固有のものは思想の立場であり、思想と政策とは同じでなく、思想は国策に沿ふとしても、これを包んでこれを超え、国策を批判的に指導し得るやうなものでなけれはならぬ。現実に対する批判を含まないやうな思想はない。今日のインテリゲンチャ論の混乱は、国策的立場とインテリゲンチャ固有の立場とを意識的に混同させようとし、或ひは無意識的に混同してゐるところにある。問題をまづ正しい立場に戻して出発することが必要である。
インテリゲンチャが変つたかどうかといふことが論ぜられてゐる。しかし何をもつてインテリゲンチャが変る変らないの規準とするのであらうか。彼等が変るためには彼等を熱情的に捉へるやうな思想が現はれねはならない。今日最も多く物を言つてゐる者がインテリゲンチャを確実に掴んでゐると見ることは遺憾ながらできない。思想に掴まれることなしに変るやうなインテリゲンチャは真のインテリゲンチャとは云ひ得ないであらう。
政治的立場といつても日本の政治の非インテリ性はすでに久しい。これまでインテリゲンチャが政治に興味がもてなかつたのはそのためである。この頃喧しくいはれてゐる政治の革新といふことは、まづ政治が正しい意味におけるインテリ性を、言ひ換へると、知性的な、思想的な性質をもつことであると云つても好いほどである。インテリゲンチャと大衆とを抽象的に対立させて区別することは一部の論者の常用手段であるが、これはインテリゲンチャを叱咤するために大衆の知的水準を余りに低く見るといふ錯覚に陥れるものと云はねばならぬ。
以前インテリゲンチャについて論ぜられた場合、同時に問題になつたのはヒューマニズムである。しかるに最近のインテリゲンチャ論においてはヒューマニズムの問題が殆ど全く無視されようとしてをり、或ひは進んでヒューマニズムの否定が前面に現はれようとしてゐる。これは極めて重大な問題である。私の見るところによれば、インテリゲンチャの問題はヒューマニズムの問題に対して積極的な解決を与へることなしには到底前進することができぬ。
ヒューマニズムに反対する者はそれは個人主義、自由主義、合理主義等々であると云つて反対するのがつねである。しかしかやうな非難には一つの混同が含まれてゐる。それはヒューマニズムと啓蒙(アウフクレールング)思想との歴史的連関の無視から生じた混同である。ルネサンスのヒューマニズムは啓蒙思想のうちに「近代思想」として完成されたことは事実であるが、第二のヒューマニズムといはれる十八世紀末のドイツにおけるヒューマニズムはすでにこの啓蒙思想に対する反対者として現はれたのであつた。
啓蒙思想は一方ルネサンスのヒューマニズムを完成すると共に、他方これを抽象化した。例へばヒューマニズムは個性を尊重し、強大なる人間を求めはしたが、必ずしも「個人主義」ではなかつた。むしろルネサンスの時代は各々の民族が自己の自覚に達した時代である。またヒューマニズムは知性を尊重しはしたが、単なる「合理主義」ではなかつた。知性と感覚乃至感情とを抽象的に対立させ、或ひは科学と技術とを抽象的に分離したのは啓蒙思想である。
現代のヒューマニズムといひ得るものは近代思想としての啓蒙哲学における個人主義、自由主義、合理主義等々の抽象性を克服すると共に、あの第二のヒューマニズムのうちに含まれる反動性を克服することによつて、新たに成立すべき思想のことでなければならぬ。
人間の作つたものが人間を抑圧するに至るといふことは歴史の根本法則である。従つて社会の転換期にはつねに人間の再生を求める思想が現はれて来る。ルネサンスのヒューマニズムは封建的なものからの人間の、また民族の解放の要求であつた。現代社会の転形期においても同じやうにヒューマニズムが現はれるのは当然である。
ヒューマニズムはその当初一定のイデオロギーとしてでなく、むしろ感情や意欲として現はれる。ルネサンスにおけるイタリーのヒューマニズムの場合、またドイツのヒューマニズムに先駆したシュトゥルム・ウント・ドゥラングの運動がさうであつた。現在ヒューマニズムが限定された思想として存しないからといつて、ヒューマニズムを無視することはできない。今日我々にとつての問題はむしろヒューマニズムの問題を東洋の立場において日本民族の世界史的使命と結び付けて根本的に新たに解決することであると云へるであらう。
ヒューマニズムは単なる平和主義ではない。ヒューマニズムはヒューマニタリアニズムと区別されねばならぬ。しかし戦争そのものがヒューマニスチックな目的を含むことをヒューマニズムは要求するであらう。
日支事変は東洋平和への道であると云はれてゐる。それは東洋文化のルネサンスであるとも云はれてゐる。これら及びこれらに類する言葉はヒューマニズムを離れて理解し得るであらうか。むしろこの事変をヒューマニズムに向つて把握することが我々を勇気づけるのではないかと思ふ。
第一のヒューマニズムは十四世紀から十六世紀における特にイタリー的な現象であった。第二のヒューマニズムは十八世紀末における特にドイツ的な現象である。日本の世界史的使命といふものが考へられるならは、第三のヒューマニズムを東洋において開花させることであると考へるのは一つの夢想に過ぎないであらうか。萬葉の精神とギリシア精神との類似について語るが如きことに何かの意味があるとするならは、それはかやうな夢想のうちにおいて意味があるのではなからうか。
インテリゲンチャよ、大いに変れ、といふのが最近のインテリゲンチャ論である。変ることは必要であるはかりでなく、自然である。しかし変ることは内面的な発展を意味するのでなければならぬ。いはゆる転向者を見ても、その転向の内面的必然性が理解され得る場合我々は彼を信用することができ、さうでない場合には信用することができない。一人の人間が書いてゐるものの全体を転向の前後に亙つて通読すれば、そのことが分る筈である。
インテリゲンチャを変らせようと思へば、彼等を内面的に発展させなければならない。今度の事変が決して偶然的に突発したものでないやうに、インテリゲンチャも偶然に突発的に変りはしないであらう。
大衆と知識階級とを抽象的に対立させることは、一方大衆の知的水準を低く評価し過ぎるといふ間違ひを犯すと共に、他方知識階級からその知性を奪ひ去らうといふ間違ひを犯すことである。知識階級の指導的意義を信ずる者は、知識階級を知性的に内面的に発展させることを考へなければならない筈である。
従来インテリゲンチャのやつて来たことがすべて間違ひであつたかのやうに云ふのも一面的な議論であり、かやうに考へる者は自己を否定する者であり、すべてのインテリゲンチャを否定しようとする者である。むしろ反対に、これまでインテリゲンチャのやつて来たことに意義を認め、この意義を新たに展開するといふことがインテリゲンチャを積極的にさせる方法である。実際、インテリゲンチャが過去にやつて来たことは無意味であったのではない。ただ、如何にその意味を認めつつ新たに前進するかの道を思想的に確立することが問題である。