知識階級と政治


 一般に我が国において最も欠けてゐるのは政治的教養であると云ひ得るであらう。知識人にしても、政治的教養もしくは政治的知性においては、何等知識人らしくない者が尠くない。かやうな事実の原因が我が国においては自由主義が十分に発達するに至らなかつた、従つてまた政治教育の伝統が乏しいことに存するのは云ふまでもないであらう。この頃官僚政治に対して政治の民主性とか政治の大衆性とかいふことが云はれてゐるが、それは固より民衆或ひは大衆が政治的に啓蒙されることによつて実現され得るものである。政治と云へば、治める側の者にのみ関係のあることであつて、治められる側の者には関係のないことであるといつた考へ方が今なほ我々のうちに知らず識らず働いてゐる。かやうな考へ方を覆すことが政治的教養の第一歩である。
 ところで近来、官僚政治とか政治の官僚化とかといふことが頻りに問題になつてゐるが、現存の官僚の大多数は果して政治的教養を有すると云ひ得るであらうか。官僚養成の機関となつてゐる帝国大学においても、政治教育は決して十分であるとは云ひ得ない。試みに東京帝国大学法学部に就いて見るに、現在その学生の大部分を占める法律学科には、必修課目としてのみでなく選択課目としても、政治関係のものは全く見当らない。法学部のうち、法律学科の学生は政治学科の学生よりも数が多いのみでなく、その質においても前者は概して後者よりも優秀であると云はれてゐる。そこでこれらの学生が官吏となるために通過せねはならぬ高等文官試験に就いて、その行政科の試験課目を見るに、必修には政治関係のものは全くなく、ただ選択のうちに、政治学、政治史、財政学、社会政策といつたものが国文及び漢文、論理学、心理学、倫理学、その他の多くのものと並んで見出されるのみである。すでに法律学科に政治関係の課目がなく、更に高文の行政科の試験の必修課目にも政治関係のものが存しないのであるから、政治を全く学んでゐない行政官が出来るわけであり、また実際においてそのやうな行政官は政治学科出身のそれよりも遥かに数が多いのである。行政官は技術家であつて法律技術に堪能であれは足りるといふ説には固より理由があるのであつて、私はその説に敢へて反対しようとは思はない。併しながら、もし大学が単なる就職機関でなく、教養機関でもあるとしたならは、高等文官試験のことは別問題として、せめて将来行政官となるべき者に対しては政治教育を施す必要があるであらう。社会的に政治的教養の伝統が十分に存在するのならともかく、我が国においての如くかかる伝統が欠けてゐる場合には、特にその必要があるのである。国民の政治教育とか公民教育とかがいつも喧しく云はれてゐるが、かやうなことを云ふ者自身に政治教育が不足してゐるのでは困る。もとより官吏は技術家であつて好いわけである。けれども実際問題として、行政官が政治と全く無関係な技術家に留まることはできない。司法官のファッショ化さへが問題になる世の中である、今日、政党は官吏の政治化を攻撃してゐるけれども、政党が勢力をもつてゐた時代には自分でも官吏を政党化したのである。かやうなことの是非は間はず、官吏と政治とは無関係であり得ないといふことが事実である以上、官吏にとつても政治に関する基礎的な教育が必要であるわけである。彼等が政治的教養を欠いてゐるといふことは、彼等が却つて他から政治的に悪用され易いことともなり、彼等が限度を超えて政治的になる場合、甚だ好ましくない結果を生ずることともなるであらう。
 私はいま官吏とか、官僚政治とか、或ひはまた法科の教育とかに就いて考へようといふのではない。学生の政治的関心の後退に関連して、近頃の学生には「高文学生」といふものが殖えたとのことであるので、試みにその高文学生と政治との関係を最も形式的な点において考へ、そこから一般に知識階級と政治の問題に就いて考へてみたいと思つたのである。即ち既に述べた如く、いはゆる高文学生は現実の政治に対して無関心であり得るのみでなく、学問的にも乃至教養的にも政治とは無関心で済ませることができ、それで立派に、彼等の欲する通り優秀な成績をもつて卒業もでき、高文試験をパスすることもできる。もちろん政治的関心の後退がいはゆる高文学生を作り出したのであるが、法科の学生にしてなほ政治に対する理論的関心をも持たないで通すことができるのである。今日の政治的時代において彼等のために附け加へられた教養は日本文化講義である。すでにそこから考へられ得るやうに、一般的に云つて、かくの如く政治教育の伝統の存しないといふことが知識階級の政治に対する関心の容易に失はれ得る一つの大きな原因であることを見逃せないであらう。外国におけるやうな政治研究所もなく、専門学校にも政治講座はない。政治教育の伝統が存しないといふ点から見て、すでに知識階級と政治との間には距離が存在し易いのである。


       二

 尤も一概に知識階級の政治的関心が後退したと云ふことはできない。単なる関心として見れば、特に二・二六事件以後においてインテリゲンチャの政治的関心は、一般大衆の場合と同様に、寧ろ高まつてゐると見て好いであらう。従つて政治的関心の後退に就いて語られる場合、その言葉のうちには一層本質的な意味を含めて語られてゐるのでなけれはならぬ。即ち一方では個々人のうちに働いてゐる政治的関心が社会的に行動となつて現はれ、社会的に組織されて働くといふことが要求されてゐる、実際かくして初めて個々人の政治的関心は「政治的」意味を有することができる。そして他方ではまた政治的関心が単なる関心に留まることなく、その関心から発して政治現象が学問的に研究され、理論的に追求されることが要求されてゐる。政治的関心はその本性上原始的、衝動的になり易いものである。それを「知性的」ならしめることがインテリゲンチャにふさはしい政治的関心である。ところで今日、知識階級の間において政治的関心が後退するに至つた理由として、種々の理由が挙げられてゐる。
 先づ知識階級の社会的政治的地位に就いての考へ方が変つて来たといふのである。昔の学生ならは、将来は大臣になるとか政党の総裁になるとかいつたやうな夢をもち、政治は彼等の最も大きな関心であつた。大正の始め頃までは、擬国会を催したり、雄弁術の稽古をしたりすることが高等学校や中学においてさへ流行した。然るに今日の学生には最早やそのやうな夢が許されてゐない。あの新人会の盛んであつた時代、更にマルクス主義が華かであつた時代においても、インテリゲンチャは政治運動の「指導者」たるの意識に溢れ、彼等のうちには活溌な政治的関心が存した。然るにやがてプロレタリア運動の内部においても知識階級の政治的意義が低く評価されるやうになり、その指導者的地位が問題にされるやうになつたが、その後の客観的な政治情勢の変化は益々知識階級の政治的意義と指導者的地位とを失はしめた。かくしてインテリゲンチャの政治的無力の自覚と彼等が政治において何等特権的或ひは特殊的地位を約束されてゐないといふ希望の喪失とは、彼等の政治的関心の後退の理由であると云はれるのである。
 知識階級の社会的地位、政治における指導性の問題は、ここで論ずるにはあまりに大きな問題である。併しながら、もしインテリゲンチャに特権的地位が認められないといふことが理論的にも実際的にも明らかであるとしたならば、彼等は大衆と同じに生活し、大衆と共に考へねばならぬ筈である。然るに事実は、インテリゲンチャのうちになほ残つてゐる特権階級意識が彼等の政治的関心の障礙となつてゐるのではなからうか。固より彼等はインテリゲンチャとして特殊性をもつてゐるい複等はその教養によつて一般人とは異つてゐる。彼等は大衆の中にあつてその教養において生活しなければならぬ。然るに教養のうち最も大衆的な教養とは政治的教養である。教養階級にとつて謂はは最も常識的であるべき教養は政治的教養でなければならぬ。政治的教養があらゆる教養の基礎となることによつて教養は大衆性を得るのである。大衆の原始的な政治的関心を知性的にするといふこと、或ひは大衆の知性的な政治的関心を喚び起すといふことは、インテリゲンチャに課せられてゐる政治的行動である。彼等はいはゆる「指導者」でなくても「啓蒙家」であることができる。しかも啓蒙はつねに指導的意味を含んでゐるのである。 然るに今日インテリゲンチャの間で問題になつてゐる「教養」といふものは、実は政治的に無関心になつたインテリゲンチャが大衆とは絶縁して単に自分自身の問題に還つて来たことを意味してゐる。社会的にも政治的にも特権階級でないことを自覚したインテリゲンチャが大衆的になることなく、なほ自己の特殊性に固執しようとする場合、教養が特別に問題になる。教養は特殊的にインテリゲンチャ的な問題である。教養はこの場合啓蒙とは関はりのないものである。従つて教養において問題にされるのは政治的教養でない。教養は却つて文化的なものとして政治的なものに対してゐる。我々は固より決して教養を軽蔑するものではない。教養の必要はどれほど説かれてもなほ足りないほどである。しかし我々は今日の歴史的状況において教養が特別に問題にされる現実的意義に就いて考へることを忘れてはならない。それは政治的意義の後退したインテリゲンチャが大衆から離れて自己の特殊性に縋らうとする現実回避の態度に陥るべきものを含んでゐる。
 ところでもし知識階級が政治上において特種的地位を占める見込がなくなつたといふやうな理由から彼等の政治的関心が後退したとするならば、それは政治といふものを依然として治める者の側にのみ関係のあることのやうに考へることである。政治的教養は治める者、導く者にとつてのみ必要なものであつて、治められる者、導かれる者には没交渉であるといつた考へ方がそこになほ知らず識らず働いてゐる。そしてそのことと関係して、我が国のインテリゲンチャの間にはなほ、政治とは大臣になつたり、革命を起したりするやうな何か異常なことのやうに考へる風が残つてゐる。今日の情勢において政治運動は困難にされてゐる、このとき政治に関心することは極めて危険なことであり、努めて回避せねばならぬことと考へられる。インテリゲンチャが最も多く参加したあのプロレタリア運動に対する打ち続く弾圧は、政治と云へば直ぐに何か怖いもの、危いものと考へる習慣をいつの間にか作つてしまつた。併しながら政治とは決して何等異常なこと特別なことであるのではない。政治とは寧ろ最も日常的なものである。我々が政治的教養を最も常識的な教養と見るのもそのためである。人間は社会的動物であると云はれてゐるが、それはもと人間は政治的動物であるといふ意味である。人間はその本質的規定において政治的動物であり、彼等の日常生活がすべて政治的意味をもつてゐる。彼等は積極的に政治的であるのでなければ、消極的に政治を回避しなけれはならぬといふ意味において政治的である。政治を回避することによつて我々は非政治的になり得るものでなく、政治を回避することがすでに一つの政治的意味をもつてゐる。かやうにして人間の生活は根本的に政治的であるとすれば、我々にとつて最も基礎的な教養は政治的教養でなけれはならぬ。政治は道楽であるとか趣味であるとかと考へる時代は最早や去つたのである。我々にとつて必要なことは謂はば政治を日常化することである。政治を日常化することによつて日常性は単なる日常性でなくなり、真の歴史性にまで高められるのである。固より政治は単に日常的なものに留まらず、却つてまた非日常的なもの、異常なもの、革命的なものである。併しながら従来政治はあまりに浪漫的に考へられ過ぎた難があり、そしてその反動として今日インテリゲンチャの間に政治に対する不当な恐怖が生じてゐるとすれば、政治の日常性もしくは日常的なものの政治性を強調して考へることが必要である。インテリゲンチヤに対して今日要求されるものは何よりも政治的良識である。良識とは正しいものと間違つたものとを正確に判別する能力である。彼等の教養もかかる良識に達しなけれはならず、またかかる良識を基礎としない教養は寧ろ有害であらう。


        三

 我が国の知識人は屡々云ふ、我々は政治に興味を持たうとしても今日の政治には到底興味を持つことができない、と。もちろん政治は単なる興味の問題でない。しかし我が国の政治が知識階級の関心を喚び起すに足るやうな性質のものでないといふことも確かである。そこには知性がなく、思想がなく、更に公共性がない。その結果、丁度文学その他の方面において見られるのと同様の現象さへもが生じてゐはしないであらうか。即ち現在、文学的教養をもつた者は自国の現代小説などはあまり顧みないで外国文学の作品を好んで読んでゐるやうに、政治的教養をもつたインテリゲンチャは日本の政治よりも却つて外国の政治に対して遙かに多く興味を感じてゐるといふやうなことがなからうか。自国の政治に対しては政治的教養の少ない者が寧ろ原始的な非知性的な、興奮を起してゐるに過ぎないといふやうなことがあれはしないであらうか。もしかくの如きことが事実あるとすれは、悲しむべきことでなければならぬ。日本の政治に知性がなく、思想がなく、更に公共性がないとすれは、それは我が国の政治に知識階級のカが十分に参加してゐないといふことの一つの現はれでもある。
 実際、すでに謂はば伝統的に我が国においては知識階級と政治とは幸福な結合をなしてゐない。そのことは先づこの国における政治学の貧困となつて示されてゐる。政治学はここでは主として政治制度学を出でなかつたやうである。明治大正を通じて殆ど唯一の政治学者であると称せられる小野塚博士の政治学は英米流のいはゆるガヴァーメントの学、政治制度学であり、京都帝大の政治学講座の担任者であつた佐藤丑次郎氏のそれも同様である。それ以外の政治学者としては吉野博士は政治史の専門であつたが、美濃部、上杉、佐々木等の諸博士はいつれも憲法、国法学の専門家であるといふことが注意されて好いであらう。言ひ換へれば、政治学は我が国においては思想の学としての伝統を持つてゐない。
 それでは哲学の方面においては如何であらうか。西洋の哲学者は古来多く政治哲学に就いて書いてをり、プラトンやへ−ゲルなどの哲学は政治哲学において頂点に達したと見られることができる。然るに明治以後における日本の哲学者にして政治哲学に深い関心を示した者は殆どないといふ有様である。寧ろ政治を口にすることは何か卑しいこと、軽薄なことのやうに考へられるのが普通であつた。哲学は諸科学の基礎を謂はば下から掘る認識論であらうとしたけれども、諸科学に対して謂はば上から冠する王者の学としての政治哲学であらうとしたことはなかつた。併しながら日本においても昔の思想家は決してさうではなかつた。彼等が祖述し発展させた漢学はその根本的性格において政治哲学であり、彼等自身もつねに政治哲学的意図を抱いてゐたのである。日本の古いジェネレーションの教養は主として漢学であつたが、この漢学的教養は同時に政治的教養であつたといふことを考へねばならぬ。現在の政治家においてもなほ漢学が彼等の政治的教養の源泉となつてゐる場合が尠くない。即ち法律技術や政治制度に関しては新しい学術を学んでゐるにしても、政治思想的教養に至つては昔ながらの漢学の治国平天下式イデオロギーしか持つてゐない者がなかなか多いといふのがなほ今日の状態であると見られ得るであらう。しかもそのことが現在の日本の政治にとつて好い結果を齎してゐるとのみ云ひ得ないことは明かである。今日若いジェネレーションは漢学的教養を身に附けてをらず、そしてそれは当然であるとしても、然らばそれに代つて如何なる政治的教養が彼等の身に附いてゐるであらうか。漢学的教養が最早や日本において普遍的な教養でなくなつた場合、この国のインテリゲンチャに最も欠けてゐるのは実に政治的教養である。然るに現在、政治的関心の後退は彼等の政治的教養を益々貧困ならしめつつあるのである。
 今日の知識階級の政治的関心の後退は、「政治的」といふ語が「社会的」といふ語によつて置き換へられるやうになつた時から始つたと云ふことができるであらう。例へば、政治的関心と云ふ代りに社会的関心と云はれ、文学の政治性と云ふ代りに文学の社会性と云はれるやうになつた。いつたい「社会」といふ言葉はもと、西洋思想の歴史において、それが謂はば合言葉として現はれた時には、それ自身ひとつの政治的意味を有したのである。あのルネサンスの時代においては「自然」といふ言葉でさへも一つの政治的意味を有したやうに、社会といふ言葉も十九世紀においては政治的意味を有した。それはいはゆる第三階級の政治的イデオロギーを現はすものであつた。「社会学」といふ言葉も、コントの時代においては当時の政治的関心と結び附いてゐた。然るにその社会学も現在では次第に形式的なものとなつてしまつたが、丁度そのやうに政治的が社会的と言ひ換へられたことは政治的関心が形式的なものとなつたこと、それが後退したことを示してゐる。そこで例へば文学の方面において、文学の政治性と云ふ代りに文学の社会性と云はれるやうになつたことは、あのプロレタリア文学時代に文学があまりに政治的に行き過ぎたのに対する平衡運動の意味を有するといつた意見も出て来るわけである。もとより平衡運動の理論は歴史理論として種々批判さるべきものを含んでゐる。ともかくその時からインテリゲンチャの政治的関心は追々後退してゆき、社会的といふことは次第に政治的批判的意味を失ひ、単に「風俗的」といふやうな意味にまでなつて来た。我々は政治の日常性といふことを重んぜねはならぬといふ立場において、文学が風俗的であることを決して単純に却けるものではないが、風俗を見る眼のうちにも政治的良識が働かなければならないと考へる。然るにインテリゲンチャの政治的関心はその後更に後退して今日においては「社会的」といふ関心の段階から、社会とは離れたインテリゲンチャ固有の関心としての教養の段階にまで退却するに至つたのである。
 我々は固より、政治的関心の昂揚の必要を説くことによつて直ちに、インテリゲンチャのいはゆる政治的実践を勧めようとするものでない。しかし実践的でないやうな政治的関心は存しないとすれば、我々は政治的実践を日常性において行動することに就いて一層深く考ふべきであらう。そのことが日常性に歴史的意味を賦与する所以である。現在の客観的な政治情勢は如何なるインテリゲンチャにしても政治に対して全く無関心であることを許さない。彼等の間においても原始的な、衝動的な意味における政治的関心が増大してゐることは確かである。しかしかやうな関心は真の関心とは云へない。問題は、政治教育の伝統に乏しいこの国において、政治的教養を身に附けてゐない彼等の政治的関心が衝動的なものに留まることなく、知性化されるといふこと、政治的良識となるといふことである。衝動的な政治的関心は容易に政治に対する不当な恐怖に変ずるであらう。