最近哲学界の分野


      一

 最近の哲学界に於て著しい現象はロマンチシズムの復興であらう。ロマンチシズムの最も偉大なる哲学者はへ−ゲルであつた。種々なる程度に於ける、種々なる形態に於けるへ−ゲル主義は、今やひとつの流行を作つてゐるやうに見える。従来主として新カント派の傾向に属してゐた人々でさへもが、或は徐々に、或は急速に、ロマンチシズムと結び、またはへ−ゲルに媚を呈するに到つた。我々はこのことをカッシラーの『象徴的形式の哲学』に於て見ることが出来る。グローナーの如きも『精神の自己実現』といふへ−ゲル風な名をもつた書物を出した。
 この頃ディルタイの哲学が勢力を得て来たのも同じ傾向に属してゐる。彼の思想は多分にロマンチシズムの要素を含んでゐる。尤もディルタイは彼の一生を通じてロマンチシズムの克服のために苦闘を続けたのであつて、そしてそこに彼の哲学に於ける最も勝れたもの、最も貴きものがあると、私は信ずる。然し人々は彼の思想のこの方面に一般に多くの注意を払ふことなく、却つてそれをロマンチシズムの方向に再構成しようとしてゐるやうに見える。いはゆる「精神科学としての文学科学」を主張するところの、ディルタイの流れを汲む文学史家たちは、今日ドイツのひとつの流行を作つてゐるが、彼等もまた著しくロマンチシズムの臭を帯びてゐや。チザルツなどを代表者とする文学史のこの方法は、わが日本に於ても、殊にドイツ文科の人々の間に名声を獲得し、追従者を見出してゐるやうである。また嘗て人格主義の哲学者であつた阿部次郎氏の如きが、最近ディルタイと友達になられるにあたつても、氏は彼をロマンチシズムの方向に完成することに努力してゐるらしく、これら我々の間に於けるディルタイ崇拝もドイツ本国に於ける一般的傾向に相応するのである。即ちそこにはロマンチシズムの復興がある。


      二

 ドイツに於けるロマンチシズムの復興は世界大戦の結果に関係してゐるであらう。戦争の直前ドイツの資本主義は目覚しい発展を遂げた。インテリゲンチャはそこに輝しい希望をもち、従つて彼等は実践的な気持になることが出来た。然し彼等の見出す希望も、彼等の懐く実践的な気持も、資本主義社会に於ては抽象的であるのほかない。この状態に応じて彼等の間には抽象的な然し実践的な思想を含む新カント主義が歓迎された。戦争に於けるドイツの敗北、その結果としての償金、失業、その他の現象は、インテリゲンチャから希望を取去り、実成的な気持を奪ひ去つた。人々は静かなる、宇宙的なる観照と観想を求めるやうになつた。かくて哲学の領域に於ては新カント派が衰へて、観想的な世界観を含む現象学が勢ひを得たのである。
 フッサールを代表者とする現象学はその本来の精神に於てカトリック的である。このカトリック的な学問は今もなほ思想界の重要な傾向のひとつを形作つてゐる。フッサールの現象学も、新カント派の哲学と同じく、最初ロマンチシズムに対する反抗から出発した。この反抗は思想的には、哲学に於ける科学性の尊重として、そしてこのものの抽象的な現はれとしての「科学主義」的傾向として、表現を見出した。科学主義は哲学を認識論、このひとつの特殊な分科の領域に閉ぢ込めようとする傾きをもつてゐる。現象学はフッサールの方向に於ては内容的な世界観にまで発展することが出来ず、むしろそれを怖れ嫌つてゐる。然るに戦後のインテリゲンチャは世界観を求める。ここに現象学の内部に於ける転向が必然的に要求されるのである。


        三

 この転向のひとつの例はマックス・シェーラーである。彼は最近のドイツ哲学界のひとつの兆徴を現はした人物であつた。オイケンの弟子として出番したシェーラーは、その後フッサールの影響のもとに立つに到つた。しかし彼は世界観的な哲学の構成にまで大胆に突き進んでゆき、その思想のうちに現象学の根抵をなすカトリック的な見方を鮮かに表現した。彼の哲学が次第に包括的になつてゆくに従ひ、晩年に及んで、彼はカトリック主義を打ち破つて、一部分プラグマチズムとプラグマチズム的に解釈されたマルクス主義とをその思想のうちに取り入れたのである。かくてなほ動揺のうちにあつたシェーラーは落付くべきところに落付かずしてこの世を去らねばならなかつた。
 フッサールの現象学からの転向の他のひとつの著しい例はハイデッガーである。彼もまた最近の哲学のひとつの兆徴であるであらう。リッカートの弟子であつた彼は、フッサールの影響を受け、更にディルタイに刺戟されて生の現象学を打ち建てようとする。ところで彼の最も重要な意義はロマンチシズムとの訣別にある。その精神に於て彼の哲学は、なほロマンチストであつたディルタイ的であるよりもむしろロマンチシズムを克服しようとしたデイルタイ、殊にまたロマンチシズムを克服するために悪戦した悲劇的なるニイチェやキュルケゴールの系統に属してゐる。然るにその昔ニイチェ及びキェルケゴールに就て大きな書物を出されたわが和辻哲郎氏の如きは、最近盛にハイデッガーを使用しつつ、しかも彼の思想をロマンチシズムの意味に絶えず転化してゐられる。日本の思想家たちはどこまでロマンチストであり、またあり得るのであらうか。


      四

 ドイツの哲学界の諸傾向を識別する最も一般的な標準はそれらのロマンチシズムに対する関係である。前世紀の中葉以後一斉に行はれ始めたロマンチシズムに対する攻撃はその殆ど凡てが、或は中途にして挫折し、或は速に却つて敵に身を売るにまで到つた。今やロマンチシズムは再び勢力を盛り返さうとさへしてゐるやうに見える。然しこのことは絶対に不可能である。資本主義社会の内部に於ける矛盾が今日の如く顕はになつて来たときこのことは絶対に不可能である。ロマンチシズムは現在では白日の如く明かなる事実を見ようとは欲しないところの、却つて現実を逃避しようとするところの、プチブルジョアの自慰に過ぎない。我々の知る限り、この傾向に属する思想は、みづからもはや何等創造的なものをもつことなく、昔の夢物語の色ざめた再版であるに過ぎない。
 近年の日本の哲学界は殆ど全くドイツの影響のもとに立つて来た。わが国に於ける特殊性は、本店では絶えずロマンチシズムに対する克服の努力がなされたに拘らず、この支店ではむしろこの努力を認めずして却つてそれをつねにロマンチシズムと和解させようとしたところにある。日本の文科の人達はおしなべてロマンチストである。そして彼等のこの傾向はセンチメンタリズムと結び付いてゐるのがつねである。この国ではひとは好んで新カント主義を、否、時としては現象学をさへ、ロマンチシズムと結合させようと骨折つた。この結合の傾向は、多くのエビゴーネンに於ていつでも見られるところの折衷主義的、混合主義的性質の表現ででもあつたのである。
 招来の哲学の進歩は、私の見るところでは、如何にロマンチシズムが克服されるかといふことにかかつてゐることが多大である。このことは特に、ロマンチックな、あまりにロマンチックな日本の哲学にとつては重大であらう。然るに我々は現在この克服を成就したひとつの哲学を知つてゐる。マルクス主義の哲学がそれである。哲学上はフォイエルバッハのへーゲル批判から出発し、この批判をつきつめたマルクス主義は、ロマンチシズムの克服であると同時に、かかる克服を企てたところの新カント派その他のものと異つて、それはドイツの古典哲学、殊にへ−ゲルの哲学から弁証法を遺産として受け継いだといふ特殊性をもつてゐる。
 かくて私はロマンチシズムに対する関係といふことからだけでも、哲学に興味を有する人々が一層多くマルキシズムの研究に向ふことを望まずにはゐられないのである。