二十世紀の思想


 歴史の時間は暦の時間と必ずしも一致しない。廿世紀は一九〇〇年をもつて始まつたのではない。廿世紀とはあの世界大戦によつて劃せられる新しい時代である。このことは今日次第に理解されて来たし、今後恐らく次第に実証されてゆくであらう。
 廿世紀の思想とは従つて世界大戦後に現はれた思想のことである。その中には勿論、それ以前に生れて、この時代に至つて勢力を得るやうになつたもの、この時代に至つて新たに発見され或ひは新たに解釈されて影響するやうになつたものもある。しかしかやうな思想の廿世紀的な性質と意義とは世界大戦後の社会との関聯において理解されるのである。
 世界大戦は人々が当初考へてゐたのとは全く異る結果を示すに至つた。「戦争のゲニウス」は人間の想像を超えてゐたのであり、それ故にこそゲニアル(天才的)であつたのである。そのことは、例へばマックス・シェーラーの戦争中の諸論文『戦争のゲニウス』(一九一五年刊)と戦後の講演『融合の時代における人間』(一九二七年)とを比較すれば、明瞭に認められるであらう。前者において全くドイツ的観点に縛られてゐたこの哲学者は、後者においては世界的或ひは人類的観点に立つて論じてゐる。彼に依れば、来たるべき時代(ウェルトアルター)は融合(アウスグライヒ)の時代である。「融合そのものは、世界大戦においてその最初の現実的な総体的体験をもつた人類―蓋しここに初めていはゆる人類の一つの共通な歴史が始まるのである―の逃れ難い運命である」。融合に至るのは何であるか。先づ人種の間の融合である。白色人種と有色人種との間の融合は必然的に来るであらう。融合に達するのはまた西欧的精神と東洋的精神とである。更に階級と国民との間に、或ひはまた資本主義的経済秩序と社会主義的経済秩序との間に融合が生ずるであらう。そしてかやうな融合は政治に依るのみでなく、一層根本的には人間観の変革、これに相応する形而上学の成立に俟たねばならぬとシェーラーは考へた。融合は、彼に従へば、我々が「選択」せねばならぬ物に属するのでなく、却つて我々の歴史の「逃れ難い運命」である。我々の注意を要するのは寧ろ「融合の時代は人類にとつて最も危険な、死と涙とに最も酔つた時代である」といふことである。自然竝びに歴史において爆発とか破局とかと呼ばれる凡ての過程は、精神と意志とによつて思慮深く指導されてゐない若しくは指導することのできない融合の過程にほかならない。
 世界大戦後に来たる時代を融合の時代と見るに至つたシェーラーの頭の中には、私の想像をまじへることが許されるならば、多分あの古代末期・中世初期の世界史的時代が聯想されてゐたであらう。その時代もまた当時における西洋と東洋との融合の時代であつた。しかもこの融合はその時代の普遍的なペシミズムのうちにおいて行はれたのである。彼の自白に反するにも拘らず、私はシェーラーの右の歴史哲学的思想のかげに同様のペシミズムを感ぜざるを得ない。ただこのペシミズムから彼を支へてゐたのは、彼のカソリシズムであつた。「人類の一つの共通な歴史」即ち世界史の理念は廿世紀においても、あの古代末期・中世初期においてのやうに、普遍的なペシミズムを通じてのほか達せられず、実現されないので、あらうか。ともかくペシミズムが世界大戦後のヨーロッパにおいて普遍的な現象となつたことは周知の通りである。しかし、嘗てはキリスト教が当時の普遍的なペシミズムの雰囲気の中から世界を統一する思想となつたやうに、廿世紀において何等か斯くの如き宗教を期待し得るであらうか。
 世界大戦の重要な締結の一つは、いはゆるヨーロッパ主義の没落であつた。ヨーロッパの歴史が世界の歴史そのものであるといふ、久しい間自明のこととなつてゐた考へ方がヨーロッパ人自身によつて批判的に反省されるやうになつたのである。右のシェーラーの歴史哲学もその現はれの一つである。しかるに注意すべきことには、ヨーロッパ主義の批判は同時に世界史の統一的な理念の抛棄となつた。そしてそれは既に存在する歴史主義、即ち一切の歴史的なものの相対的であることを説く歴史的相対主義(例へばディルタイ)の普及によつて助長せられた。シュペングラーのあのセンセーショナルな書物『西洋の没落』(第一巻一九一八年、第二巻一九二二年)はかやうな傾向の表現である。世界史の統一的な理念は失はれ、世界の各地帯において、それぞれ異る風土、民族性等によつて制約されたそれぞれ異る形態の文化が発生し、生長し、開花し、凋落してゆくと考へられた。フローペニウスからシュプランガーに至るまで、種々なる姿における文化形態学も、本質的にはこの種の相対主義思想に属してゐる。ヨーロッパ的世界以外にその形態と精神とを全く異にする文化の存在するのを知ることから生じた歴史的相対主義の危険は次第に顕著になりつつあつた。その死後に出版されたイギリスでの講演『歴史主義とその克服』(一九二四年刊)においてトレルチはかやうな歴史主義との対質を企てたが、その観点はいはゆる「キリスト教の絶対性」に局限されてゐた。
 かくして近代的原理としての自由主義の行詰りが感ぜられるに従つて、世界の統一的な原理が失はれたのみでなく、その探求さへもが抛棄される危険に脅かされたのである。世界大戦後の流行になつたあらゆる種類の非合理主義の思想は人類に共通な理性に対する信仰を失はせることによつてこの傾向を内面から拡大した。ウィルソン流の国際主義の理念は程なくその非現実性を証せねばならなかつた。世界史の新しい理念を提げて現はれたやうに見えたコンミュニズムは、ドイツにおけるその失敗を重大な転機として、その対立物たるファッシズムの世界的な強化となり、かくて廿世紀の思想は現在、分裂、対立、闘争の中におかれてゐる。自由主義に対立する独裁主義乃至統制主義においてファッシズムとコンミュニズムとが対立してゐる。世界大戦を経験した人類にとつて「選択」の問題でなくて「逃れ難い運命」であるとシェーラーが預言した融合とは全く逆に、世界は未曾有の思想的対立の中に投げ込まれるに至つたのである。廿世紀を積極的に統一する思想は何処にあるのであり、如何にして生れるのであらうか。第二次世界戦争はもはや避け難く、その帰結として想像される遙かに普遍化したペシミズムを通じてのほか人類歴史の統一的な理念の再建は不可能であるのであらうか。
 如何なる過程をとつて現はれるにしても、真に廿世紀的の名に値する思想は世界史的な理念をもつて現はれなければならない。そしてこの問題はヨーロッパの歴史を世界史そのものと見るヨーロッパ主義の没落によつて規定されてゐる。しかしそれは、或る人々タの単純に考へるやうに、ヨーロッパ主義に代つて機械的に、自働的に東洋主義が位置を占めるといふが如きことではない。何等か東洋思想といはれるものが廿世紀の思想となり得るとすれば、それはヨーロッパ主義の没落と同時に失はれようとした世界史 ― ヨーロッパをも含めての世界の歴史 ― の統一的な理念をみづから提げて現はれるのでなければならぬ。風土、民族性等の相違に従つて世界の各地帯にはそれぞれ独自な文化が存在すると見る世界大戦後のヨーロッパにおいて流行となつた文化形態学的思想は、我々東洋人にとつては自己の文化の特殊性を主張する根拠に利用してヨーロッパ主義に対抗するに役立ち得るにしても、今日、アカデミックな日本主義者たちによつて如何に屡々それがかやうな目的に利用されてゐるかを見よ ― 、それ自身としては本質的に一個の相対主義に過ぎない。なぜなら風土や民族性の相違に基く特殊性や独自性はいづれの国の文化にも認められ得るのであつて、そのうち特に一国の文化が絶対的価値を有するといふことは風土や民族性を基礎としては考へ得るものでないからである。問題は却つて世界史の統一的な理念の獲得にある。
 この問題はまた単なる民族主義によつては解決されないであらう。あのルネサンスは中世的意味における世界主義に対して民族国家の勃興した時代であるが、その場合それらの国家は単なる民族主義に立つてゐたのでなくこれを超えて自由主義乃至民主主義といふ新しい世界的原理に立つてゐたのである。現在、抽象的な国際主義に対して民族主義が主張されるのは当然であるにしても、もしそれが外国へは「輸出されない」と称するファッシズムの如きものに止まるならば、新しい時代の世界史的原理とはなり得ないであらう。民族の原理とする思想が矛盾なく世界に適用されて新しい世界秩序を形成する原理となり得る場合初めて、それは世界史的な思想となり得るのである。廿世紀の思想がヨーロッパ主義の批判から出立しなければならぬことは明かであるにしても、問題はまた単に東西思想の融合といふが如きことに尽きるのではない。かやうな謂はば空間的な問題のほかに時間的な問題がある。即ちそこには世界史の現在の段階を現はしてゐるところの資本主義の諸矛盾を如何に解決するかといふ重要な問題があり、この問題の解決を含むことなしには如何なる思想も廿世紀的な意義を有し得ないであらう。
 今日、種々の思想が、とりわけコンミュニズムとファッシズムとが対立してゐる。廿世紀の新しい思想は、歴史の弁証法に従つて、この対立の統一或ひは綜合として現はれるであらうか。かやうな弁証法が考へられる場合、その綜合のうちにおいては自由主義の諸要素が却つて新しい把握のもとに活かされるといふことがないであらうか。しかしこの綜合に至る現実の歴史の過程は如何なるものであるかが問題である。綜合は如何なる過程を経て達せられるにしても、現代の支配的な傾向に属する政治主義に対して、歴史における文化の力が認められて逆に政治に影響を与へるまでに至るのでなければ、それは達せられないやうに思はれる。一方には政治への懐疑乃至絶望が濃厚に存在するにも拘らず、政治主義が依然として強力であるといふのが現状である。嘗て中世における宗教の支配を動揺させたのがルネサン・スのヒューマニズムであつたとすれば、今日の政治主義の強権に変化を与へようとするのが今日のヒューマニズムであらう。しかし文化が政治を変化するまでに弾力であり得るためには固より現在の文化そのものに変化がなければならない。いづれにしても新しいヒューマニズムの上に立つた世界の内面的な変革に対する信念が再生しなければならないのではなからうか。
 廿世紀の思想は極めて綜合的であることを要求されてゐるやうに見える。この綜合の過程には多くの紆余曲折があるにしても、達せられた原理は恐らく天才的な単純さを有するものであらう。綜合から出てくるものが何か複雑なものであるかのやうに考へるのは現代の一つの思想的病弊である。