現代文明を評し、当来の新文明を卜す
一
十九世紀の後半から現代へかけて世界を風靡した物質文明は、人類が
嘗て罹つたことのあるいろ/\の病気の中でも、一番大きな、そして危
険なものであつた。
日本が西洋文明を採り入れ始めた明治の初年から三四十年の間といふ
ものは、彼方(あちら)でも此文明が旺盛を極めた時期で、それを我国民は何のこ
とはなしに、その儘無差別に模倣し吸収して、政治に、法制に、思想に、
藝術に、唯だ剽竊を之れ事とする有様であつた。わが国民の頭脳には、
最近の物質文明が西洋文明の総てで而かもその文明は唯一最高の文明で
あるかの如く映じた。凡そ今日の如き急転直下の世の中に於て四十年は
決して短かい歳月ではない。あらゆる物は加速度を以て変化しつゝある。
時には数年、数ケ月の日子が百年の旧慣を打破するに余りあることさへ
ある。で、梶Xとして明治の幕が閉ぢて大正の時代に入るまでに、この
日本のあらゆる文物制度は模倣の物質文明を以て滲透し尽されたかの如
き観がある。今日の我国の情態は皮相な楽観者の思惟する如く『若き日
本』にあらずして、自堕落に早老した『世紀末』の国家である。民族の
頽廃が慢性的徴候を帯び出して、それが自棄と驕慢の相に変らうとして
ゐるのは、宛うど廿年前の仏蘭西を想はしめる。今日マツクス・ノルダ
ウをして日本の地を踏ましめば、彼はこの極東国に於て彼の学説を証拠
立てる好個の実例を発見するに相違ない。
しかし斯様な状態が永く続きうるものであらうか。一文明が爛熟して
その弊害に耐えられなくなる時に、更に新しい文明が起るべき筈である。
順当な生命の進化に於ては、爛熟はやがて更新の前兆でなければならな
い。昔から生存力(バイタリチー)の旺盛な国家が、頽廃のどん底から新意志を創造して、
一夜に生れ変つた例は尠なくない。これが革命の奇蹟である。現下の社
会が何となく物々しい動揺の兆候を示し、所謂『大正維新』を仰望する
声の諸方から聞えるやうになつたのは、かやうな点から見て先づ祝着の
至りである。それは疲弊と倦怠との空気に耐え兼ねてゐる現代国民の切
迫した要求である、生れかゝつてゐる新しい民族意志の無意識的努力で
ある。
果して然らば将に来るべき新の新機運はどういふ性質のもので、また
如何なる道を採るであらうか。之に対し我等はいかなる覚悟を必要とす
るか。是等の研究はその当然の前提として、先づ現代文明の批判から始
まらなければならない。
二
向(さき)にも述べた如く、現代の物質文明は、ひとり我国ばかりでなく、欧
洲の一角から起つて世界の隅々まで浸潤し蓋した一大時代傾向である。
日本はたゞ之を後入的に模倣し、そしてその為めに征服されたに過ぎな
い。されば世界共通の斯の文明を批評することは、即ち現代日本を批評
することである。
所謂物質文明の起源は、十九世紀の歌洲に於ける自然科挙の勃興に馨
してゐる。〓昌にしていへば、自然科挙が主として物質即ち富の上に窟
した花々しい勝利が急に人心を眩惑せしめた結果は、並に、極度に精神
を疎んじ物質を偏愛する一種の攣態文明を構成したのである。なぜ欒態
文明といふかといふに、精神の頚達と伴はない不尋常な物質の繁粂は、
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