序
我が邦古来特に大帝の称呼を用ゐたる例なしと雖も、その実あつて、
而も盛徳と大業とを兼ね備へらるるを、試に列聖の中に求め来らば蓋し
我が
明治天皇を推して、その最第一となさざるべからず。統御の御治世に於
て、御鴻徳、御稜威の致す所、曠代の隆運に駕し、一躍我が邦をして国
際の大局に参進せしめ、遂に世界列強の一たるに至らしめられしが為、
始めて世界史家の例に倣ひ、特に 天皇を大帝と称し奉るべしといふに
はあらず。寧ろ宇内に歴史あり記録あつて以来、盛徳と大業との両者を
兼備へられたる帝王の、他にその類あるを見得ざること、猶万世一系の
皇統連綿として、宝祚の隆天壌と与に窮り無き、我が邦國體の核心に於
て、宇内古今にその比なきがごときを以てなり。
歴史記録は、大業を叙するを、その本位となすを例とするも盛徳に於
ては、特に之を主とする所あらず。是宇内に比類なき両者兼備の
明治天皇の徳暉を拝するに於て、殊に、遺憾に勝へざる所なり。然らば
則ち 天皇の御盛徳をたとひその一斑なりとも、記して之を現代に明
らかならしめ、更に之を後代に光あらしむるは、豈、現代重要鉅大の業
にあらずや。
今月刊「キング」を以て名を知らるゝ雑誌社、近時文運隆昌の恵沢に
浴するの皇恩殊に深きものあるに感激し、篤志を以て新に計画を立て、
久しく 天皇の朝に奉仕したる側近侍臣の、日常御盛徳に関して謹話せ
られし所を蒐集し、稿成つて簽に題するに「明治大帝」の称呼を以てし、
進んで此の重要鉅大の業に当る。洵に美挙といふべし。
夙に御盛徳を景仰し奉るの全国民、由つて以て神龍の片鱗を雲霓明滅
の間に拝瞻することを得ば、我が 大帝の大帝たる所以のもの、幸にし
て愈鮮愈明なることを得、その国民風化に裨益する所、必ずや著大なる
ものあらむ。書成つて序言を徴せらる。乃ち素懐の一端を陳ね、以て清
嘱に応ずと云爾。
昭和二年七月
文部大臣法学博士 水野錬太郎 拝識