御心深く籠らせ給ふ書を繙きて
二位局 柳 原 愛 子
神在すが如し
聖上が、敬神・崇祖の御心の御厚かつたといふことは、何れのお方も申されたやうで御座い
ますが、元始祭・新嘗祭・神武天皇祭など、賢所の御祭は、必ず御躬ら御拝が御座いました。
然るに、いろ/\の御都合上、已むを得ず、御代拝を侍従長・掌典長、或は其の他の方に仰
付けられました場合にも、必ず玉体を御清めの後、白の御召と緋の御袴に御召替の上、御座所
におはして、端然と御座あそばれ、御自身、御拝になる時と、同じ御心持におはしますや
うに拝されました。孔子は「神を祭ること神在すが如くす」と言うはれましたが、畏れながら
聖上の大御心と付節を合すやうに存ぜられまして、誠に尊い極みで御座います。
御代拝の方が、無事、おつとめが終られて、
『只今、滞りなく御拝を済ましました』
と復命されますと、そこで初めてお洋服にお着換へ遊ばされるのでありました。この御事を
以てしても、聖上が神に対される敬虔の御心のほどが、いかに徹底的なものであるかを窺ひ
奉ることが出来ると存じます。
なほ 聖上は、毎朝、牛乳を召上るのを常とされましたが、前に申しました賢所へ御躬ら御
拝の時は勿論、御代拝仰付けられた場合にも、決してそれを御口に遊ばされませんでした。
別段、なぜといふやうなことは御仰せになりませんでしたが、いつも御拝の朝に限り、御口
にせられません大御心を推し量り奉りまして、かくまで神に対して御慎みあるかと、一同勿
体なく存じたことで御座います。
幼学綱要
明治十四年六月の頃、先に侍講元田永孚様に御命じになつた「幼学綱要」が出来上りました
時には、非常なご満足で、側近のものへは申すまでもなく、宮内官や、華族女学校へも御下賜
になりました。
そして其の当時は、毎晩、御膳がおすみになりますと、(若き女官達に対し)いとも御懇な
御講義を賜はり、人の道を諄々と御教へ下さいました。
一体「幼学綱要」と申しますのは、御古い方は御存じと思ひますが、明治十二年の夏頃、元
田侍講様を親しく御召しの上、
『教学の要は本末を明かにするにあり。本末明かなれば民の志定まる。民の志定まつて
天下安し。之を為すには幼学より先なるはなし。汝、文学の臣と、宜しく一書を編み、以て
幼学に便すべし』
との御言葉を賜はり、国民教育、殊に幼き者の教育が大切との大御心から出来た御本で御座
います。 それからの聖旨のほどは「幼学綱要」の序文に元田様が委しく書いて居られます。
崩御の後、大御心の深く籠らせ給ふこの御本を拝見します毎に、あの明治初年の諸政維新、
万機御多端、とても左様な方面に御心を注がせ給ふ御余裕とてもあらせられぬやうに拝察され
まする折柄、我々国民のために、教育の大切なることを、かく迄も思召したまはつたかと、今
更ながら有難涙にむせぶので御座います。