〔附〕 ジュネーヴに赴くに際して

 私は松岡でございます。私は今回図らずも近くジュネーヴで開会されまする
国際聯盟会議の帝国代表者を仰付けられまして、近日我が祖国を去つてジュネ
ーヴに赴く筈でございます。就きましては此の機会に一言御挨拶を兼ねて、私
の所感の一端を述べたいと存じます。暫くの間御静聴を煩します。
 前弁士も亦其の他の方々も申されましたやうに、今回のジュネーヴに於ける
聯盟会議は、我が国に取って非常に重大なる外交戦であるといふことは、是は
申すまでもない事でございます。私如き者が帝国代表をお引受するといふこと
は、甚だ自己の力を図(はか)らない者であつて、私はお引受することを非常に躊躇し
たのであります。迂余曲折を経、又諸種の事情に顧み已むを得ないといふこと
になりまして、自ら甚だ微力であり、力の不足であるとを深く感じては居り
ますけれども、遂に僭越ながらお受けをしたのでございます。
 唯微力であり、力の不足を感じつゝも、事情已むを得ずとしてお引受するに
至りましたことにつきまして、茲に聊か安心し得る所の事情が二つあるのであ
ります。
 一つは御承知のやうに、満洲国といふものは疾(と)に生れて居るのでありまし
て、之に対し我が政府は国民の総意に立脚致しまして、この程承認を断行され
たことでございます。でありますからして、私と致しましては最早聯盟会議に
於きましても、歩む道は一筋しかないのであります。若し二筋も三筋も歩く道
がある。其間を選択しなければならぬといふことでございますならば、私は到
底第一線に立つて、其間に処して闘ふだけの自分に力がない。それでこの任は
お断りするより外仕方がないと思ふに至つたかも知れませぬが、モウ私共の歩
く道は一筋しかない。是が非でも一筋しかない。のみならず此道は前に進むよ
り外仕方がない。後に戻ることは出来ない。そこで極端に言へば、実は無手(むて)で、
何もしなくても言はなくても宜(よ)い訳で、私は唯だ前方に歩いて行きさへすれば
宜いのであります。
 モウ一つは、我が朝野を挙げて此の満蒙問題だけは真に挙国一致である。我
が全国民を挙げて挙国一致である。此の力が私の背後にあると云ふ事でありま
す。私自身は如何に力が不足して居りましても、仮に臆病でありましても、
我が大和民族が一人残らず一致して居つて、厭やでも応でも私を前の方に押し
て呉れると、斯う私は信じて居るのであります。そこで、私自らは力足らず
と思ひましても、苟(いやしく)も私が日本臣民であります以上、これはお断りする訳に
行かぬ。斯様に考へて、私は遂に決心をして今回の任をお受けするに至つた訳
であります。
 今や我が国は開国以来茲に七十余年、其間に、世界の驚異となつた程に、偉い
発展を致したのでありますが、併し其の間に又内治外交に亙(わた)りまして幾多の積
弊を見るに至つた。吾々は今や国民として非常な自省を行ひ、さうして此の七
十年来の積弊を一掃致しまして、茲に新生面を打開せざるを得ないのである。
然らずんば、我が国家の前途は誠に憂慮に堪へないものがある。進むか、退く
か真に非常重大な局面に吾々は直面して居る。殊に外交につきましては七十年
来の吾々の外交を清算すべく迫られて居る。清算と申しますと何か大変な事で
も起るか、大変な戦ひでもするのか、といふ風に響くかも知れませぬが、必ず
しもさうではない。或は起るかも知れませぬ。或は何も起らずに極く平凡に幕
を下ろすかも知れませぬが、兎も角七十余年来の我が国の外交を清算するので
あるといふことは問題ない。此の心掛けを以て、我が国民は来るべき聯盟会議
に臨まなければならないと信ずる。此の聯盟会議に於ける出家事、それ自体よ
りも寧ろ此の聯盟会議で七十余年来の我が外交を清算し幕を下ろして、それか
ら、新たに吾々は世界に向つて足を踏み出すのであるといふ意味に於て、実に
重大なる意義を持つものであると私は考へるのであります。
 此点に就きましてモウ一言附加へますならば、これは単(ひと)り外交問題だけでは
ない。内政に於きましても、即ち国内事情に於きましても、吾々は我が国の発展
に資すべく随分長所を外国から輸入致しましたけれども、併しそれと同時に又
輸入すべからざるものをも輸入し、さうして日本人の本然といふものを余程抂
げて居るのであります。之を私共は真直(まつす)ぐにし、さうして赤裸々である所の日
本人の姿を世界に見せなければならないのである。私は昨秋の満州事変又之に
関聯しまして今日まで執り来つた日本の行働は、一つの見方をすれば、是は我
が国民が日本精神を回復しょうとして居る所の悩みであり努力であると、斯様
に観て居るのであります。
 そこで、お前は聯盟に行つて何をするのかといふお訊があるかも知れませぬ
が、私は今回ジュネーヴに参りまして、固より満蒙問題を取扱ふのではありま
すけれども、私の心持と致しましては満蒙問題の如きは唯だ偶々キツカケにな
つて居るだけの事である。機縁であるに過ぎないのであつて、実はこのキツカ
ケ、この機縁によつて、日本及日本人の正体といふものを、包み隠すことなく
赤裸々に欧米人に見せる。又理解せしめると云ふことが主題であると思ふ。而
して此事に吾々が成功し得るや否やといふことは、世界人類史の上に将来偉大
なる影響を惹起するものであらうと、斯様に私は考へて居るのであります。私
から見ますれば、最早争ふべき何物も、実は満蒙問題については無いと思ふ。
随て私としましては、何等の抗争気分を以て今回の聯盟会議に臨む考はな
い。又諸君日本国民も左様な事を私にお求めになるのではないと私は解釈して
居るのであります。満蒙問題といふものは、既に満洲国が出来て、そして日本
が之を承認した。これで終りである。争ふべき何物も残つては居らぬ。それな
らば何をしに行くのか、差当つて調査団の報告書が一番の問題でありますが、
卑近に之を言へば、昨年の秋以来、我が国民の執り来つた所の処置及び態度は
正当である。吾々には斯く々々信じ且つ考へて、斯かる処置なり態度を執ら来
つて居るのであるといふ事を、懇切丁寧に分らぬ人に説明をしてやる。斯うい
ふことである。
 偖(さ)て、斯様に考へて見ますといふと、一帯説明しなければならぬやうな、根
本に何処に喰違ひがあるのであるかといふお訊が出て来るかも知れませぬが、
私も之を考へて見た。所が、単に奇体なことに、問題は極めて簡単である。そ
れは聯盟も世界の平和を目的として居るのである、聯盟で日本の態度について
兎や角議論するのは、決して日本をやつゝけたいと云ふので議論するのではな
い。真に世界の平和を顧念して居るのである。アメリカも、時に聊か気に食は
ぬやうな事をしたり言うたりしますけれども ― 私は他人の肚をさう探らぬで
もないと思ふ ― アメリカも亦世界の平和を顧念して居るものであると私は信
じて居る。而して、我が国民は如何(どう)でありますか、世界の平和を顧念することに
於て何人、何国人にも一歩も譲らない。斯くの如く考へて参りますと、実は争
ふべき何物もないではないか、大目的に於て一致して居るのであります。
 それなら、何処に喰違ひがあるのであるかと申しますと、出家るだけ之を要
約して申しますれば、斯ういふ点にあると私は観察するのであります。昨年の
秋あの満州事変が突発した。是は固より起るべくして起つたのである。而して
吾々は正当と信じ又最善と信する方法を以て之に処したのである。爾来今日ま
で、吾々がやつて居るやうな遣方(やりかた)及び現に吾々の歩んで居る所の道を歩むこと
が、軈(やが)て我が帝国の存立を全うする所以であるのみならず、実に明治以来我が
国の国是である東亜全局保持の政策を確立する所以である。此の東亜 ― 主と
して支那でありますが、あの通りの戦慄すべき非常な混乱状態に対して、是が
軈て東亜の天地に平和を回復し且つ確保する唯一の方法である。而して是が世
界の平和に貢献する所以であると斯様に吾々は信じて居るのであります。
 所が、支那がさうでないと云つて争ふなら、是は已むを得ませぬけれども
 ― 兎も角欧米の或る人達は、彼等の見解に依れば日本が昨秋以来執りつゝあ
る所の方法及び歩みつゝある所の道、それこそ更に東亜の混乱をモウ一層激し
くする所以であつて、延いては或は世界大戦争をも捲起さざれば止まないので
はあるまいか、斯ういふのである。この点に就ての見解が斯様に違つて居ても
要するにどちらも世界の平和を顧念して居るのであります。唯だ其の行き方に
ついて、それは善いと云ひそれは悪いと云ふ喰違ひがあるだけである。是は少
し悟つて見ますれば、人間の間で、斯の如く意見が違つた時に、どちらが善い
か悪いかを私は人間が裁断するといふことは、それは僭越な事であると思ふ。
そんな呑気な事を言つて居つては、国内で刑法に依つて罪人を取締る事が出来
ぬぢやないかと言ふ方があるかも知れませぬが、さういふ問題は別として、若(も)
し吾々が本当に徹底して考へますれば、斯の如く大きな国民的の動向、行き方
の善い悪いについて意見の相違があるに当つては、是は神様に御判断を願ふよ
り外ないでありませう。さうするとお前はそんな事を言ふなら、巫女でも雇つ
て来て、神様の御意志、御判断をどうであるかを伺はふと言ふのかとお訊ねに
なるかも知れませぬが、私は生憎左様な巫女は持つて居らぬ。けれども世界万
人に、間違がないハッキリした神様のお声を聴かす方法があるのである。是は
神代の代からある。それは何であるか、それは「時」である、「時」を暫く藉(か)し
て世界の人が観て居れば、若し我が日本国民の今信じて居る所が、それが妄信
であり妄断でありまして、誤つて居るのであるならば「時」が経つに従つて吾々
は其の誤つた事の結果を必ず刈入れなければならぬ。殊に吾々東洋人は因果律
を信じて居るものでありますが、因があれば果がある。此の鉄則だけは天地間(てんちかん)
に何者の力も之を抂げることは出来ない。而して吾々がやつて居る事、信じて
居る事が正しいならば、「時」が経つに従つて、其正しい所以がハッキリとして
来るのである。是が即ち神様の御心であります。これ以外には神様の御判断を
吾々が明白に知る途は一寸(ちょっと)ない。で畢竟するに、今言つた点だけが唯だ喰違つ
て居るのである以上は、この、「時」に由つて、天の裁断を仰ぐと云ふ考えを世界
の人も持つべきであると私は斯様に信じて居るのであります。
 吾々日本人は一人残らずこの行き方でなければいかぬのだ。この行き方でな
かつたならば、あべこべに極東が更に動乱に陥つて、それこそ遂に世界の大動
乱を捲き起すに相違ないと、斯様に信じて居る。そして之を防がんが為に最善
の努力をして居るのである。さうすると欧米の方には、それはあべこべだと言
ふ人がある。私はさういふ人に訊ねたい。それは吾々日本人は欧米人の如く何
千哩(マイル)向ふで机の上で議論をして居るのではない。一つには自己の存立を全うせ
んが為に、又一つには東亜全局保持の大国是を貫かんが為に、吾々は真に命を
投出して死活の問題として真剣に闘つて居るのである。而して過去に於ける七
十年間の日本の外交史は ― 吾々も人間であるから時に間違をすることはあり
ませうが、大体に於て ― 世界に誇り得る所の立派な記録である。吾々九千万
の同胞が皆気が狂つて居るといふ話ならば別であるが、さうでないといふのな
らば、斯の如く真剣に ― 吾々は片手間に議論して居るのではない ― 真剣に
闘つて居るのであるが、真剣に死活の問題として闘つて居る者の意見と、遠く
で片手間に唯議論してゐる者の意見との間に相違が生じた場合、其の孰れを採
るべきであるか、是は常識で判断が出来ます。
 終りに臨みまして、私は我が国民に対して、私のジュネーヴに赴きますにつ
いての心掛の一端だけを述べて置きたいと思ひます。それは吾々は何の隠すベ
きこともない。又今言つたやうに私は神様に訴へるより外、その孰れが正しき
かの判断を決める途はないと信じて居る者であります。人に対しては詭弁を弄
し、うまい事を言つて胡麻化す途はあるかも知れませぬが、神の前に、お互が出
ました時には赤裸々である。神様に嘘をついて見たところでそれは始まらない。
西郷南洲の訓戒に「人を相手とせず天を相手とせよ」とある。又彼のクロムク
ェルは「吾れたゞ神を怖る」と言つて居るが、此の神様の前に怖れ戦(をのゝ)くといふ
敬虔の念を持ち、深く自ら反省を持しまして、さうして苟も誤つてゐないと
いふ信念が茲(こゝ)にあるならば ― 私はこの信念だけは持つて居る。是は我が国民
挙げて持つて居ると信じて居りますが ― 神様の前に省みて、自分が正しいと
いふ信念を持つて、此の信念に立脚する ― と言ふよりも、この信念から湧き
出て来る所の力、この力を以て勇往すれば敵はない。世界に向つて純乎たる至
誠と牢固たる決心を以て、神様の御前に自ら正しとするこの信念の上に立つて
我が立場、東亜の形勢を充分に説いて倦(う)まない。解るまで説くといふ考で居
るのであります。
 最後に私は繰り返して申し上げ度(た)いのは、我が九千万同胞の真に挙国一致の
力ある後授を求め且つ冀(こいねが)ふ者であります。洵(まこと)に簡略でございますが、
之を以て私のジュネーヴに赴くに際しての御挨拶と致します。