沈黙を破りて

   沈黙と静思の半歳

 命を奉じて遠くジュネーヴの国際聯盟総会に使し、祖国日本に帰つて既に半
歳以上を過した。帰朝当時 ― 明けて本年五月一日 ― JOAKのマイクを通
じて、「全国民諸君に告ぐる」の放送したのみで、私は故郷三田尻に引き籠つ
てしまつたのである。そこでは本を読んだり、考へに耽つたりして、時には好
きな沖釣りにも出かけ、全く世間と交渉を断つた生活を、つい先頃まで続けて
ゐた。
 その過ぐる約半歳、いろ/\の方面から私に対して、「世界は如何に動きつゝ
あるか」、「列強は国際聯盟を通じて如何に日本を見たか」、「聯盟脱退後の日本
は如何に処すべきか」等々々、それ等に就て意見を述べよといふ要求の声が、
絶えすつぶてのやうに投げかけられた。それを一々お断りすることだけでも、
可なりの仕事であつた。
 沈黙、それは私にとつては忍苦の勤行である。信ずることを、感じたことを
端的に且つ率直に披瀝せずには居られないのが、私の性格の一面である。それ
にも拘らず、私は一言隻句も語らず、敢て黙してゐたのである。これは私にと
つては誠に耐へ難い苦業であつた。
 今日の日本は、建国以来未曾有の難局に直面してゐる。昨今、国を挙げて憂
ふるところはそれである。かゝる時に、真に国を憂ふるものは軽々に言動すべ
きではない。熟慮して、而して断言するこそ、精念して、而して実行するこそ
国民として真に国を憂ふるものの態度であると信ずる。
 しかるに、半歳の沈黙のうちに、世界の時局は益々その変調を拡大して来
た。世界各国を通じて不安動揺を深刻化しつゝあるのみで、それがいつ安定す
るとも遽かに見透しは付き難い。
 アメリカの経済的現状には、安定の端緒すらも見えて来ない。イギリスの経
済ブロックへの焦燥は、既に日本に向つて益々先鋭化されて来た。突如として
発したドイツの国際聯盟、軍縮会議からの疾風迅雷的な脱退は、中央欧羅巴
の政界の動向をして、殆んど予測をも許さぬものがある。支那の現状、これ亦
混乱と不安定の外何物もない。而して、この際、この時、わが日本の現状や果
して如何。
 かくの如く、国の内外を顧望(こばう)すれば、そこには私として、いつまでも沈黙と静
思を続けることを許さぬ急迫がある。又みづから胸中に燃えて抑へ難き、一片
耿々(かう/\)の熱情がある。私は竟に黙せんと欲して、黙し切ぬものがあるのである。


   嘘は言はぬ


 顧みて思ふに、明けて昨年秋深き頃ジュネーヴに赴くに際しても、私は国民
大衆諸君に訴へた。 ― 嘘は言はぬ。嘘つきにはならぬと。これだけは松岡は
決心して往くんぢや。と斯く自ら深く覚悟し、国民諸君にも斯く約束したので
ある。微力ながら、私はその事だけはやり通してきたつもりでゐる。たとへ小
事と雖も、私は嘘言だけはつかぬ。知らずして嘘つくことは、あるかも知れぬ
が、意識的に決して嘘は申さぬつもりである。
 今日、「日本はどうすればよいか」、「日本はどうせねばならぬか」と、国難の
渦に捲きこまれた日本の今後を思ひ、それについて国民大衆諸君と共に、大いに
覚悟すべき点を語り合ふにも、私は今述べた如く、嘘や一時の昂奮から来る感
情論を口にしたくないのである。それがためには、世界変局の実情を、あるが
儘に語り、併せて日本国民がいかにこの時局に対すべきかに就て、私自身の所
信を申し述べて、国民大衆諸君の参考に供したいのである。


    日本人の顔


 祖国に帰つて、約半歳以上になるが、その間、最も鋭く私の胸を衝くものは
わが国民が「不景気だ、不景気だ」と、口癖のやうに不景気を口にすることで
ある。それが大正年間の好景気の絶頂期に比して、今日の日本が不景気だとい
ふのならば、国民が愚痴をこぼすのだと思つて、別に問題にはせぬ。けれども
真に現状日本の経済界が不景気だ、といふのならば、それは大間違であると、
私は申さねばならぬと思ふ。
 今度、欧米を観て帰つて、世界列強といふべき大国中で、もつとも楽にその
日その日を生活してゐるのは、何といつても日本であると痛感する。この日本
の現状を不景気だ不景気だといふと、それは罰があたる。
 読者諸君が欧米を観察すれば、誰でも異口同音に、「これは意外だ」と驚きの
声を揚げるであらうことは、今日の欧米各国が、きはめて上流階級とか富豪階
級を除く外は、一般的に見て美味(おいし)からうが、不味(まづ)からうが、八分目以上に腹を
満たしてゐるものは先づ無いといふことである。然るに日本では、たとへ山の
中で、芋の尻ツ尾(しッぽ)を噛るにしても、大体は腹一パイ食つて居られるのである。
勿論欠食児童もあるし、三度三度の食事が十分にとれぬ人々もゐないとは言は
ぬが、それは非常に不幸な境遇の人であつて、全体的に見て、まづ日本人は、
大不景気の欧米諸国民よりも、衣食住は悲惨でないと言はねばならぬ。
 今度帰つて見て、私の第一に眼につくのは、国民の顔色が生き/\としてゐ
ることである。幾度か外国に使(つかひ)して、いくたびか祖国に帰つた経験のある私と
しては、今度ほど日本人の顔色が生気溌剌たることに気づいたことはない。今
までは、欧米から帰つて日本人を見ると、顔の色は青黒いし、歩き方から態度
まで何となく意気が揚らない。我が同胞ながら一体に貧弱だといふ感を起さな
いでは居られなかつたものだが、今度はまるで違ふ。鼻たれ小僧まで生き/\
としてゐる。すべてが溌剌たるものだ。実は私は自身の目を疑つた。そこでそ
の後続々と欧米から帰朝した日本人に出会ふごとに、「日本人をどう思ふ?」と
問ふて見る。すると誰もが言下に「元気がいゝ、生気溌剌としてゐる」と言ふ
のである。これは、西洋の不景気の深刻さと、日本の不景気とは、程度が違ふ
結果に外ならない。

 

    青年の力



 今日の日本は、政治・経済、教育、産業、各方面に於て、あまりに老人が多
過ぎる。すでに人生の大部分を卒つた年齢の人々が、依然として指導的立場を
占めてゐる。これは喜ぶべき現象ではない。勿論、老人を一概に排斥するので
はない。老人の尊い体験と智慧は、社会生活の上になくてはならぬもので、大
いに尊敬すべきではあるが、国家非常時局の今日、いくら体験と智慧があつて
も、老年頽齢では、激しい時代の力は鋭くひゞかぬ。国家艱難の時、新日本を
背負つて立つものは、何といつても青年でなければならぬ。相談役には老人も
いゝ、智慧も体験も拝借したい。併し青年が指導的地位に立たなければならぬ
と思ふ。
 幕末期から明治維新へかけての回天の大事業は、青年奮起の力だつた。私の
郷里は防長二州の毛利藩であつたが、久坂玄瑞は十五歳で萩の藩黌明倫館の師
範格をしてゐた。十五歳で藩黌の師範格、なんと愉快ぢやないか。この十五歳
きかん気の久坂玄瑞は、十七歳の山県狂介 ― 後の山県元帥 ― を教へるの
に頗る厳格で、断じて用捨はしなかつた。と、後年山県老元帥が親しく私に語
られた。
 ついで、「一藩の青年が鋭い気魄をもつて時勢をつくり、数藩の青年が団結一
致して国家改造へと志し、こゝに維新回天の大事業となつた」といはれた。
まさに、青年にして天下に志を立て、天下に奉公せんと欲すればこそ、国家
の興隆が見られるのである。

 

    若き国イタリヤ


 今度、親しくファッシズムのイタリヤで、ムッソリーニ氏と会見した。ムッ
ソリーニ氏は毅然として宛もイタリヤに君臨するが如く、権勢を擅にしてゐ
るが、爾来十年の間にこの半島国は全く改造され、面目を一新するに至つて、
いかにも青春に富む国らしく見えたのには、実は私も驚いたのである。世界大
戦前までのイタリヤは「乞食の国」と言はれ、その首都ローマは「不潔な首府」
として軽蔑されてゐた。ところが今度往つて見ると、ローマは勿論、ヴェニス、
フロレンス、ぜノア、ミラノ、トリノと、往くところ、訪ねるところ、すべて
が新鮮にして清潔なる立派な都市と一変してゐた。都市と都市をつなぐ農村も
坦々たる大道を拓いて、「道はローマに通ず」の昔の言葉通りに整理されて、都
市と農村の生活気風は、整調と発達の消長となり了つてゐた。とにかく昔の
ローマではない。乞食とか不潔のイタリヤではなかつた。
 イタリヤの様子は、すべて新聞雑誌を通じて大凡(おほよそ)知つてはゐたが、百聞一見
に如かずと痛感する程に、躍々たる新鮮さと、青年国家としての輝いた未来を
見せてゐる。
 私は昨年正月、訪伊の旅に上り、一月三日ムッソリーニ首相と約一時間会
談するの機会を得た。別れに際して首相はわざ/\次室まで見送られ、最後ま
で語りつゞけた。
 ムッソリーニ首相は、時に四十九歳であつたが、歳に比して余程元気で、そ
の談話の全面に「青年首相」の風貌が漲つてゐた。
 彼はまさに青年である。彼の改造したイタリヤは青年イタリヤである。私は
率直にムッソリーニ首相に、
 「貴下は祖国イタリヤのために、貴下の力の限りを尽して活動せられてゐる
が、人間の力には個人として限がある。もし貴下に万一の事があつたら、イタ
リヤはどうなるでせうか」
と突きこんで尋ねた。
 すると彼は一応沈思の上で ―
 「私は青年を信じてゐる。私の事業は青年が継いでくれる。私は全力を挙げて
イタリヤの青年を育てあげてゐるから、決して心配はない」と。辞気軒昂、確
信に満ちて断言した。
 読者諸君、青年の風貌をもつムッソリーニ首相、当年正に五十歳、しかも、
この傑物は祖国イタリヤの青年を信頼し、青年に後をたのみ得るのである。青
年国イタリヤ亦幸ひなりといはざるを得ない。



    無我の人ムッソリーニ

 私はムッソリーニ氏と会見中、この人は仏者の謂はゆる我れ無き人。即ち無
我の人である。我無し、故に天地皆無し、換言すれば「天地皆我なり」ともい
へるほどの人だと直観した。私の五十余年の生涯中、日本の政治家で、こんな
大きい風格を感じさせた人は一人もない。「至誠奉公の人」、これは日本の政治
家・軍人その他の先輩中にも可なりに、ぶッつかつたが、真に「我れ無し」と
いふほどの印象を得たのは、ムッソリーニが始めてゞある。「我れ無し」のム
ッソリーニが政治をするイタリヤは、どこに行つてもムッソリーニの匂ひがす
る。ムッソリーニの色彩があらはれてゐる。我を自分に局限してゐないから、
国中にムッソリーニの精神と気魄が拡充されてゐて、僅々十年の短日月にあれ
だけの大事業を遂行し得た理由が感得される。
 無我の境地にあつて、天地万物悉く我なりといふ仏者にひとしき渾然たる
ムッソリーニは、「名分は独裁政治家として、絶大の権勢をもつてゐる」などゝ
自覚してゐないらしい。まだ昔ながらの田舎の「喧嘩鍛冶屋」の倅だと思つて
ゐるらしい。彼は、奥さんや(槽糠の妻で、文字も読めない人であるが)子供
達と別居してゐる。こゝは一つ世の御婦人達にも大いに味はつて戴きたいと思
ふが、ムッソリーニ夫人は、
 「私は何も亭主が偉くなつたからといつて、ローマに亭主と一所にゐる必要は
ない。私には子供を立派に育てあげる義務がある」
 といつて、子供達をつれて、生れ故郷に近い県庁所在地で、子供の教育に専
念してゐる。とかく婦人には附き物の虚栄だとか、出世を誇る気持など微塵も
ないところに、ムッソリーニ夫人の偉大さを知つてほしい。そこヘムッソリー
ニ首相は時折帰つて来る。この人は自動車が好きで、しかも自動車に乗つて全
速力を出させるのが性癖だ。
 千金の子は堂に垂(ほとり)せずといふが、苟もイタリヤの運命が、自己の双肩にかゝ
つてゐると自覚したら、そんな乱暴なことは出来ぬ筈だのに、やはり「鍛冶屋
の倅」といふ、昔ながらのムッソリーニであるから、快く全速力を出して駛(はし)
る。その為に警官に咎められて、罰金をとられたことさへあるといふ。自動車
の故障の時などは、手軽に上衣をぬいで、車に潜り込んで修繕する。郷里の村
民と膝つき合はして快談もする。「英雄人を欺く」ものだと評する人もあるか
も知れぬが、私は彼こそ無我の三昧境に終始してゐる傑物であり、溌剌たる青
年政治家であるとの強い印象を得たのである。
 ムッソリーニ首相と会見が済んで、次室へと送り出される時に、首相は、
 「真の革新は精神的でなければ断じて行へるものではない。物質的には決して
やり切れることではない」と強調した。
 さうして更に、
 「俺は精神的にやるのみだ」
 と反覆した。この熱烈な青年首相の指導によつて、今やイタリヤの国を挙げ
て、国家に対して義務あること、他人に対して義務あることを知つて、権利の
主張をしない、「犠牲と奉公」のファッシスト青年が勇躍してゐるのである。


   風雲を捲き起すもの


 世界の青年国は、イタリヤについでヒトラーのドイツである。これ亦大いに
国家の運命をドイツ青年に期待しつゝ更生ドイツヘと急いでゐる。ナチスの一
党がヒトラー中心の国民的青年運動といつてよいか、青年年的国民運動といつて
よいか、いづれにしても大戦惨敗後の衰亡の祖国を復興せしむべく、目覚まし
い運動を起してゐる。過大な賠償義務のために気息奄々たるドイツ国民、手も
足ももぎとられて国防らしい軍備すら許されてゐないドイツ国民、それから又
四分五裂、頭だけ残されて胸も腹も取られてしまつたオーストリヤ、これらは
何といつてい今日の状態では永遠の独立は難しい。ハンガリーの農耕原料、ボ
へミヤ工業地帯を連結して、やがては独墺合併へと急ぐのであらう。これに対
してフランスはどうするか。イタリヤはどう出るか。チェッコ・スロバキアの
態度は如何。中欧は欧大陸の癌となつて、バルカン半島にまた危機を孕むとい
ふことになる。その結果フランスは、再び世界大戦前と同じやうに、四周の安
定を望み得ないといふことになるであらう。
 かうした中欧の舞台で、ドイツのヒトラーは今千両役者が役割をつとめてゐ
るのだ。「ドイツ人のドイツをつくれ」といふ、彼れの愛国的精神が、ドイツ青
年のドイツ魂と結びついてゐる。ヒトラーも漸く四十五歳の働き盛りだ。彼
れの真の智嚢であり、股肱であるジョーセフ・ゲペルスは、今ナチスの独逸で
「啓蒙宣伝大臣」として活躍してゐるが、その燃ゆるが如き熱弁は、どえらく
強い鼻張りと相俟つて、ドイツの民衆を引きずりつゝある。このゲペルスは年
少僅かに三十四五歳だ。
 アメリカ非常時局を背負ふルーズベルト大統領にも、私は旧知の一人として
親しく白堊舘に訪ねて面談したが、痼疾に悩む彼とは思へぬ程に元気に満ちて
ゐる。大統領が若いといふ事は、アメリカそれ自体に未来を持せると感じた。
 世界は、かくの如く血気盛んな青年によつて、風雲が捲き起されてゐるので
ある。吾等は日本に放ても、青年の奮起に期待せざるを得ない。


   所謂五箇年計画

 新しい国家組織、人類の新しい試みとしてのソヴェート・ロシアは、正に世
界の謎である。
 私はジュネーブへの途上、モスコーに立ち寄つて、「革命第五周年記念日」に
遭遇したが、そこで感じたことは、最近のソヴェートが重工業にどえらい力を
注いでゐることである。五箇年計画は成功してゐないといふ人も随分あるが、
その全部は信じられぬと同時に、又五箇年計画は、偉大なる成功を収めつゝあ
るといふ説も許すことは出来ない。先づこの二つの説を折半した辺りが事実で
はあるまいか。
 五箇年計画なるものが、果してあの筋書通りに行ひ得るものか、恐らくソヴ
ェートの人達と雖も、最初からさう思つてはゐなかつたであらう。物事は計画
を立てゝ実際に踏み出してゆくと、その時々に、そのをり/\に、事実に照し、
実際に触れて修正をしてゆくことが、真実の筋道である。ソヴェートの五箇年
計画も、踏み出しては見たが、ロシア人が技術的に欠陥があることに気付き、
アメリカ人やドイツ人を雇つて来て、大工場を建設した。けれども大工場の経
営、大機械の運転は、一朝一夕に熟達し得るものではない。大工場を造つて見
たが、ロシア人には、まだそれを自分のものにしてゆく力量が欠けてゐる。
 今度アメリカで、自動車王へンリー・フォード氏と会見した時に、接待に出
た氏の長男が、「つい先頃まで、私はロシアに居りまして、最近帰国したばかり
です」
 といはれたので、私は、
 「何をしに行つて居られたか」
 と、尋ねると、自動車大工場の設計監督に出かけ、すつかり完成さしたとの
事であつたから、
 「また、そのうちにロシアから再び迎へに来ないとも限りませんね」
 といつたのである。五箇年計画で、大工場を完成しても、果して能く活用し
得るかを疑ふ人もあるが、モスコー郊外アモといふ所の大工場を視察すると
アメリカ製の最新式の機械を据ゑつけて、二万二千人からの労働者が働いてゐ
る。これを一瞥して、直観人したことは、一概に今日のロシア人が、最新式の
大工場経営を満足になし得ないと断言することは出来ない。何とか工夫考案し
てゆくであらうと思はれるのである。


    ニチェブォ(仕方がない)

 私は帝政時代のロシアに外交官として駐在してゐたが、その頃はロシアの
工場の技師とか、監督とかいふものは、殆んどドイツ人であつた。それを今日
ではロシア人自ら動かしてゆくと決心してかゝり、しばらくは不自由であり、
勝手がわからぬとしても、いつかはあの大工業組織を名実共にロシア人自身の
ものとしてしまふことを考へねばならぬ。その時ソヴェート・ロシアは、無論
昔日のロシアでもなく、又今日のロシアでもない。世界に対しての大脅威とな
つてくることを忘れてはならぬ。
 今日のロシアの悩みは、重工業組織に余りに精力を注ぎ過ぎた結果、いはゆ
る軽工業組織が閑却されてゐることである。軽工業が発達してゐないことは、
ロシア人の日常生活に必要な物質が、手薄だといふ事になる。ソヴェートの
独裁政治家スターリンも、去年頃からそろ/\ロシア国民の生活必需品の生産
を豊富にする為に、いはゆる軽工業に力を入れだして来たと伝へられてゐる。
物凄い程の忍耐力を有するスラブ民族でも、今日のやうに日常生活の必需品
が不足勝ちでは、いつまでも忍従し得ないであらうから、軽工業にもう少し力
を注ぎ、その日常生活をよりよくしてやる事は、為政者の大なる責任である。
 スラブ民族は、民族としでも怖るべき力をもつてゐる。困憊に耐へ、欠乏に
忍び、自然の暴威に屈せずして黙々として進む。気の早い日本人だつたら、今
日のロシアの如き情勢の下では、恐らく半年と辛抱し切れないと思ふ。それを
彼等は黙々として荊棘を切り拓いてゆくのである。ロシア語に、「ニチェブォ」
(仕方がない)といふ言葉がある。スラブ民族は、自然の暴威にも「ニチェブ
ォ」である。政治圧迫にも「ニチェブォ」である。「まあ、仕方がない」、「仕方
がない」といひつつ忍従の日を送つてゆく、この民族性のもつ潜勢力は、実に
恐るべきものがある。しかし、いくらニチェブォ主義のロシア人でも、事実の
前に争ふことは出来ない。もう十五年も経てば、結局は頭を下げて、われ/\
に似寄つたやうな生活形式を取るのであらうと予想することができる。そして
再び強大なるロシアが、否むしろ帝政時代よらも、更に偉大なるロシアが現は
れて来るのではないかといふことも考へられる。


    人間の機械化


 一体ソヴェートとは何ぞやといへば、私は率直に「人間の機械化なり」と答
へたい。ソヴェートは個人の自由を絶対に認めない。之を認めてはソヴェート
は成立たぬのである。人間を同じレベルに出来るだけ引下げて、平ペつたくし
ようといふのがソヴェートだ。
 一例を挙げると、工場は原則として国家が持つてゐるが、その労働者の一人
が、貴様は怠け野郎だとか、何とか言はれて、労働者の身分証を取上げられ、
工場を追ひ出されてしまふと、この労働者は、もうあの広いロシアの何処へ往
つても雇つて貰へない。生活が出来ぬから国外に逃げ出すより外ないのだが、
そんな人間に限つて、又一切国外に出さぬ。「それでは餓死するではないか」
と問ふと、「餓死しません」と答へる。「なせか」「その前に大概銃殺されるか
ら、餓死するチャンスがありません」といふのである。
 そこで一言しておきたい事がある。日本人は日本人としての特殊な民族性
を持つてゐる。即ち日本人は飽くまで直観的に行動することを本性とする。
 この直観的傾向は、「人間の機械化」とは絶対に融合し得ないものである。規
則づくめに万人一律に「右向け右」で右を向くことを、日本人は嫌ふ。言ひ換
へれば個性の発揮を極端に好愛するものである。自己の実行力と創造力とを発
揮して、溌剌として動くのが、日本民族の生命であり、元気である。これがど
うして「人間の機械化」を基礎とするソヴェートになり得るか。私は断じて左
様のことはあり得ないと信ずる。時に、思想の動揺する年少時代に、日本人の
本質を忘却して、ソヴェートに心酔するものも現はれるのであらうが、日本民
族の全体としては、本質的に之を拒否するものであることを私は断言する。否
いかに「ニチェブォ」主義のロシア人と雖も、あの物凄い「人間の機械化」に
は、もう十五六年も経つたら、いよ/\耐へられなくなるだらうと私は予見す
るものである。


    国際聯盟の正体


 以上、欧州大陸の各国を見来つて、最後に国際聯盟について一言する。聯盟
加入国五十余箇国、その中で極めて僅少の国々を除く外は、極東に何の利害を
持つてゐない。随つて満洲問題に関するあの始末は、机上の理論と、実際とが
一致しないことを示した適例に過ぎないのである。元来聯盟そのものが、半ば
理想的なものであり、更に欧州大戦の結果をつけた媾和会議―即ち国際聯盟
を産み出した媾和会議からしてが、余程空想と空論とに悩まされたものであつ
た。かの「民族自決権」の如きは、その一例である。
 斯くの如く、その出発に於て既に理想と空理とが織(おり)こまれ、しかも最近では
イギリスとフランスとが、世界平和主義で、自国本位の現状維持を、国際聯盟の
支持によつて拡大強化せんとあせつてゐた。特にイギリスは、何とかして機
会あらばアメリカを聯盟に引張ら込んでゆかうとした。聯盟の事務総長ドラモ
ンド卿が、その職を辞するに当つて、恐らく非常に残念であつたらうと想像さ
れることは、遂にアメリカを聯盟に引き入れることに成功し得なかつたことの
一事であらう。その上に日本が脱退、更にドイツが脱退、大英帝国の外交は少
くとも国際聯盟を中心にして、何等かの変化を齎されねばならぬのである。イギ
リスはアメリカと如何にして結んでゆくか、結局、米と欧との関係は、どこに落
ちつくであらうか。戦債問題の如き、その風向きを示す一例として注視に値す
る。世界のどこの国を見ても、また国際聯盟を見ても、そこに国家主義の奔流
がもの凄く駛つてゐることを見逃すことは出来ない。欧羅巴大陸で、昨今の流
行的風潮として、英雄伝や偉人物語が盛んに読まれてゐることは、その端的な
表はれである。言ひかへれば国家主義(ナショナリズム)の空気が、英雄大待望
の雰囲気を漲らすやうになつたのである。世界平和主義(インターナショナリズム)
に代る国家主義(ナショナリズム)が生んだ副産物である。


    支那は何度へ徒く

 私は、隣国支那を一瞥せずには居られない。
 支那の現状は一言にして尽きる。それは混乱時代だ、といふことである。支
那の混乱は恐らくこゝ五年や十年乃至十五年では消滅すまい。かく言はねばな
らぬことは、隣邦の日本人としては甚だ遺憾なことであるが、事実は正に混乱
である。我々は、その混乱が一日も速く鎮静せんことを熱望すること久しきも
のである。混乱鎮静のために支那が真に日本人の助力を欲するならば、我々は
いつでも悦んで之を助力することを辞さない。けれども日本は今、支那から誤
解されてゐる。支那が全幅的によくないとは言はぬ。日本が誤解される原因も
ある。だが、何と言つても、日支は今お互ひに協力し難い現状に甘んずるより
外に途は与へられてゐない。
 併し、国際聯盟のライヒマン君などが、憲兵制度によつて聯盟管理のもとに
支那を安定させようなどと主張してゐるが、夢を見て居るやうなことだ。そん
なことが事実として可能なりや否や。苟も支那の歴史と実状とを知るものは
一笑に附するであらう。それで支那の安定が求められるならば、日本は苦労し
ないのである。
 実は、最近イギリスあたりも対支那策の根基がぐらついてゐた。いろ/\と
工夫考案の結果が、支那の国際管理説である。満洲に憲兵制度を布いて国際管
理の下に置かうといふのも、支那全土に対する愚案の片鱗に過ぎぬ。国際管理
など、満洲国に対しては断じて許さぬが、支那本土ならば姑くやらして見るも
よいかも知れぬ。事実やつてみて、始めて手を焼き、日本の主張の正しいこと
に世界が気付くことであらう。甚だ気の養だが、その最後の時に、日本が救ひ
の手を伸べればよいのだ。
 支那にしても、何とかして聯盟を利用し、欧米の同情援助を以つて自国を整
理し、安定させ、而して日本を牽制するの策に出て来ようと焦つてゐる。かや
うな事が、今日成功するものでないことを断言しておきたい。
 宋子文君が焦慮した棉麦借款は、新聞紙上、かなりにセンセイションを起
したが、私自身の借款の経験から割り出して見て、今度の棉麦借款も、そ
の対支条件や、仕組が、いかなるものか位は想像ができる。アメリカは麦と棉
花とを支那に売つて儲けたい。支那から金を取らうといふのであるが、支那に
二億弗といふ大金が、果して易々として出せるだらうか。結局は、米支の二国
間に不快な悶着を持ち上げるに終るのではあるまいか。借款して品物だけは
受取つたが代金は不払、それは支那人としては常套手段である。たゞ、かゝる
借款が支那の動乱に油を注ぐことになりはすまいかと思ふ。かく観察してく
ると、宋子文君の棉麦借款は、支那のためにも、東亜全局のためにも悲しむ
べき事だと謂はねばならない。


    若し日本が無かつたら


 現今の支那の青年が、異口同音に叫び立てるやうに、日本をやつつける画策
が成功したとしたら、一体どうなるか?
 支那が日本をやつつける? ― まづ成功しないと断言しておく。欧米諸国と
雖も、さう簡単に一本調子で動くものではない。複雑な事情が潜んでゐる。そ
こへ日本は昨今非常時局に直面して、非常なる決意の下に動いてゐる。世界三
大国の一国としての日本が、腹帯を締めてかゝつてゐるのだ。小手先きの外交
や借款などで欧米を操つて、やれ満洲国の独立を取消せとか、何とか言つた
つて出来ることではないのである。
 しかし、仮りに日本を寄つてたかつて殴つて弱くしたとする。それが支那の
国民にとつて真の成功であらうか。真の幸福であらうか。今日まで支那が曲り
なりにも保全されてゐるのは、誰のお蔭であるか。若し今日の日本が無かつた
ならば、支那はどうなつてゐたかを考へるがよい。恐らく疾(とっ)くの昔に分割され
てしまつてゐたであらう。米国国務長官ジョン・ヘイが、支那領土保全の宣言を
したから、今日の支那の領土保全が維持されたといふものがあるが、いくらジ
ョン・ヘイが偉らくとも、一片の外交文書で支那の領土保全が出来たなどと思
ふなら、それはたゞ痴人の夢でしかない。ジョン・ヘイの外交文書が背後に、
日本の国力が儼然として控へてゐたことを忘却してはならぬ。背後の日本の国
力、それこそ、支那が辛うじて今日を保持し得た真の力である。それは否定す
ることを許されない大事実である。それを認め得ないで、排日だ、抗日だと騒
ぐ。浅慮と言はうか、なさけないと言はうか。支那の青年もこの点はもつとも
つと慎重に自省することが緊要である。日本が弱小国となる時、それが支那自
体の段落だと自覚することが、支那のためであり、東亜全体のためである。


    太平洋の彼岸

 隣国支那についての瞥見を語つた私は、ともすれば暗雲の影さゝんとする太
平洋の彼岸アメリカについて一言せねばならぬ。
 アメリカは現今その深刻な不景気に苦悩し切つてゐる。無尽蔵の天然資源を
もち、世界の金の半分を保有し、天下第一の富国と言はれるアメリカが、極端
に萎靡して、正に極度の神経衰弱症を呈してゐるのである。その病源は、資
本主義の弊害の積り積つたものである。ルーズベルト大統領が果して能く治療
し得るかどうか、与は全く未知数に属する。
 それはそれとして、今日の日米両国間の外交関係について、卒直に私の考
へを述べて見たい。アメリカの外交政策は大体に平和方針で進んで来てゐる。
 何度の国とも、敢て戦争をやらうといふのではない。これは断言することがで
きる。従つて私も親米主義で行きたいといふことを、平素から主張してゐるの
である。けれども、たゞこゝに我々日本民族が、はつきわしておかねばならぬこ
とは、平和を欲してゐることそれ自体と、平和が事実維持されるといふことゝ
は、自ら別個の問題だといふことである。幾ら希望があつたところで、四囲の
環境や、また自国の動き方、相手の動き方が、喰ひ違つた方向に進むといふ
ことは、歴史上屡々あることである。
 こゝに憂ふべきことは、今やアメリカと我が国とは、海軍の兵力量の問題
に就て相当齟齬がある。これはどうしても何とか結末を着けなければならぬ。
就ては我々は此際、卒直にアメリカにものを言つて、向ふに篤と熟考してもら
ひたいと思ふ。それは日本国民といふものは、例へば兵力量で押へ付けて、
手足を縛つて、手も足も出ないといふ状況に陥れれば、それでペシャンコに
なつて、もう何とも為し得ない国民だなどと思つたら、それこそ大変な錯覚で
あり、誤認である。その点は白人や支那人は違ふ。相手が強くて、俺は敵はぬ
と思ふと大概やめてしまふ。算盤玉を弾いて駄目なことはやらないのである。
 ところが日本人になると、そこが甚だ面倒な国民性をもつてゐる。十が十まで
敵はぬと思つてゐても、時によつては敢然として戦ふのである。但し我々は不
正の為めには動かない。自ら正しいと信じた場合には、千万人と雖も吾れ往か
ん、決して怯まない。本当に国を賭して戦ふのである。日本民族はさういふも
のだといふことを、アメリカ国民は徹底的に了解せねばならぬ。然るにアメリ
カ自身は、この点に対して反対の方向に進んではゐないか。寧ろ日本人を怒ら
せて、一か八かやれといふ方向に走りつゝありはしないか。アメリカが真に太
平洋上に平和を欲するならば、此点をよく/\考へてもらひたいのである。
 日米国交の根本をなす点に齟齬が出来てゐるとすれば、その点を明かにする
ことが、将来、両国国交の要諦ではないか。アメリカは動もすれば、一方フィ
リッピンを捨てゝ東洋から退く傾向があるかと思ふと、他方に於て、たとへ政
府が直接関係しなくとも、支那に航空路を開くとか、無線電信の連絡を取る
とか、どうも日本人から疑惑の目で見られ、日本人を刺激するやう、怒らすや
うにと、近年益々動いてゐるが、これは洵に遺憾なこととである。
 若しアメリカが、日本人を押へれば平和が維持されるなどと考へてゐるなら
ば、それは日米両国をして、非常に悲惨な結果に陥れるに過ぎないであらう。
これに対して、日米両国が誤解のないやうに、積極的に計(はから)ふべきである。それ
に時機―如ち好チャンスを掴むことが肝要だ。いつがその時機か―それ
だ。両国民の感情の動き、民論の流れ、それを凝視せずには、好(よ)きチャンスは
つかみ得ない。


   先づ我れ自らを知れ

 私は思ふ。わが国民はこゝ一両年中に国内のいろ/\の難しい問題を一挙
に解決して、迫り来る非常時局の最高潮への緊急用意をせねぼならぬ。
 それには全国民が総動員して、外交に、国防に、経済に、帝国の地位を微動
だにせしめぬための用意が必要である。このことなくして、近づきつゝある国
際難局を力強く処理することは出来ない。朝野を挙げて、政府も国民も、そこ
に全力を注がねばならぬ。この事は、国際聯盟脱退と同時に、日本が思ひ切つ
て是非なさねばならぬこだと、私の脳裡に深く刻みつけられたのである。
 といふのは、いまの世界、各国がみんな自分の国本位で、自国民の利害関
係によつて動いてゐる。現在ほど自国本位の意識の強い時代はあるまい。その
理由は、世界が烈しい不安の渦巻きに捲きこまれてゐるからでもある。東洋で

も激しい時流が流れてゐる。日本と支那とでさへも仲よし(丶丶)になつてゐない。か
ういふ現状に於て、日本民族はどうせねばならぬかと、日本人自身が日本の行
くべき途をはつきりと知つてゐるかどうか。
 或る意味で、日本人は、自分自身がどんな国民であるか。どんな国民性をも
つてゐるか。それすら自覚してゐないと言へるのではなからうか。かの共産思
想にかぶれるものの出るなどは、日本人自身が、まだ日本人の本質を知つて居な
い一つの証拠である。またイタリヤやドイツのやうなファッシズムの思想にか
ぶれて、非常時には独裁政治がよいといふものもゐるやうだが、イタリヤの今
日の絶対独裁政治の如きは、我が国では二千六百年来、未だ曾つて行はれたこ
とはない。畏くも一天萬乗の大君と雖も行はせられたことはないのである。臣
下に於ては、豊臣秀吉が、最も傑出した最も強い力をもつた政治家であつたと
思ふが、その秀吉すらも、イタリヤのムッソリーニや、ソヴェート・ロシアの
スターリンのやつてゐるやうな、絶対独裁政治をやつたことはないのである。
 白色人種の独裁政治は、われら日本人の謂ふ所の「横暴」や「専横」どころ
の話ではない。ムッソリーニの独裁政治は、実に思ひ切つた徹底的な政治であ
る。これは強者が弱者を克服する政治で、東洋人種では漢民族が之と共通性を
もつてゐる。強いものが弱い者を克服し、屈伏させてしまふのが、西洋のファ
ッショである。
 ところが、日本人の短所でもあるが、長所でもあると思はれることは、強い者
に向つては却つて強く、弱いものには案外に強くないといふことである。江戸
時代の侠客を見ても分るやうに、圧力や権力の前にはびくともしないが、義理
や人情にかゝるところりと参つてしまふ。西洋人が、理窟と打算とに駛るとき
に、日本人は、多く人情と義理に傾き、徳望に動くのである。この日本人の心
持と、西洋でいふところの絶対的独裁政治とは、どうしても両立しない。我が
二千六百年の歴史は、いかに日本の政治が行詰つても、西洋流のファッショな
ぞで、国を建て直すことは出来ないことを物語つてゐる.日本には日本人とし
て行くべき道があるのである。それは何か。


    散るもめでたし山桜

 日本人として日本精神が如何なるものか、それを知得すれば、そこに思想的
進路についても、政治的動向についても根本の大策があらはれて来る筈だ。よ
く後藤新平伯が私に言はれた。
「…どうも、日本人はハンケチしか持ち合せない。だから少し大計画や、遠
くを見通した企画を建てると、我輩のことを後藤め大風呂敷などと貶すが、貶
す国民がハンケチしか持合はせてゐないのだから困る。後藤を貶すより国民一
般が、もつと大風呂敷を持つて貰ひたい」と。
 今日の日本は、世界三大国の一国だ。今すこし眼界をひろげて、気魄を大に
して、ハンケチでなく、もつと/\、大きな風呂敷を持ち合はさねばならぬ。
 即ち積極的な日本人意識を持つべきである。日本人自身が日本人を知らぬ。こ
れほど悲しむべきことはない。
 日本人は争つて見て、明らかに負る場合でも、不正には断じて屈しないので
ある。弱きを扶けて強きを挫く。これが日本人の魂である。算盤で弾けぬ戦
ひを平気でやつてのける。これは白人や支那人には求めても求められない。彼
等は到底利害を離れて戦争なぞはしない。ところが、日本人は慾も得も捨る。
損得を超越して自己を守る。自分の名誉と自尊心を傷けたくない。これが自己
の正しさを知つて自己を強くするのである。これこそ大和魂であり、日本精神
である。それはこの日本人意識から発流するのである。「折にあへば散るもめで
たし山桜」これが私の愛誦する句であるが、語、簡にして、実によく日本人意
識を道破してゐると思ふ。
 ジュネーヴで聴き伝へた話だが、国際聯盟日支事変調査委員長のリットン卿
が、過般ヨーロッパに帰つて、或る席上で新聞記者に言ふには、
「吾々白色人も日本人も等しく名誉は尊重する。しかしそれは吾々の生命の保
存と並行して、名誉を保存すると同時に、生命も亦保存しようといふ心理が働
く。然るに日本人は、名誉といふ問題になつたら、最初から生命を投げ出して
かゝる。だから日本人といふものは、断じて脅迫によつて屈服させることの出
来ない国民である」と。これはリットン卿としては、珍らしく知己の言葉とし
て受取り得る。正に自尊心を守るに生命をかける。これこそ「折にあへば散も
めでたし山桜」の精神である。日本人は今この国家難局が直面して、日本人自
らの精神を掴んで、日本精神に更生しなければならぬのである。今日ほど日本
が世界に広く交渉を持つたことはない。今まで百練の鉄と凝つたものが、今こ
そ萬朶の桜となつて発(ひら)くべき好機である。これからが日本人として全人類に貢
献しなければならぬ時である。この大使命を果すため、まづ小なる試練とし
て、この難しい時局を乗り切らねばならぬ。大使命遂行の以前に於て、先づ小な
る試練で以て自潰自滅してしまふやうでは、どこに日本人の面目があらうか。
 今日の西洋文明はもう行詰つた。その破滅の深淵から救ふのが、わが大和民
族に課せられた天の使命である。この使命を果すものは、一に日本精神の更生
であると、私は常に信じ、常に主張してゐるものである。

  未曾有の大試練に処して

 くりかへして申すが、日本人といふ民族は実に不思議な民族である。多くの
場合に於て直観で行動する。今後も日本人のすることは多く直観であらう
と思はれる、その直観は、私が惟神(これしん)の道、即ち日本精神であると信じてゐる。
人類を機械の奴隷化した西洋の物質文明が行詰つた今日に、われ/\日本人
は、この唯心的なる日本精神で以て、西洋文明を救ふのだと、大きい気構へを
もちたい。欧米の物質文明は、余りに都市偏重となつて、「土の文明」から遠ざ
かつてゐる。然るに現代の日本人は、この土の恩恵を忘れて、物質の力にのみ
追ひすがる欧米主義にかぶれて、これに阿諛する傾向がある。この日本人の西
洋かぶれを打破して、日本には日本独特の家族精神があるから、それを土と自
然に親しむ農村生活に強化拡充して、農村文化を樹立することを怠つてはな
らぬ。私は欧米の行詰つた社会生活を見てきて、特にこの感を強うする。日
本人が日本人に立ちかへる。これが民族的の大使命への第一歩である。
 観じ来れば、世界は今すべての方面に於て、行き詰つてゐる。物質界にも資
本主義の行詰りの歴然たるものがある。思想界でも個人主義が行詰つた。一体
これをどうすればよいのか。そこに欧米の深い悩みがある。では、東洋はと見
れば、そこにも非常時局は展開されて、欧米と同じに苦難の路に喘いでゐる。
 この実情が直面して、吾等は如何に覚悟すべきか。
 私は、昭和八年九月十八日満洲事変記念日の講演で、ラヂオを通じて全国民
諸君に、「向ふ五箇年」と言つた。これは私自らの直観である。この五箇年
の日本が立ち直つて、獅子奮迅の勢で国難打開に邁進せねば、それは日本そ
れ自身の危機であり、存亡であるのである。この五箇年に於て、吾等は須らく
世界の形勢を知つて、日本国民自らの何者たるかを認識して、眼前の小利害に
囚はれることなく、日本国民の大願を遂行するために、一切を超越して、国家
への犠牲と、奉仕とを念願とすべきである。
 今年の新春を迎ふるに際して、私は遠くジュネーブのレーマン湖畔から、は
るかに日本国民に、昨年十二月八日の朝の私の心境を物語つたところの
「聖天子東方に在はす。われ今暁東天を拝す」といふ気持のメッセージを寄せ
た。この私の心境、それは再び重ねて昭和九年の新春劈頭にも、国民諸君全体
に向つて絶叫したいのである。
 日本人は日本人であるべきだ。本来の日本人たる真の姿に立ちかへつて、国
民全体が「向ふ五箇年」は磔刑も甘んじて受けよう。それが国家への犠牲と、
奉公なれば、伊勢大廟の神鏡にかけて、自己の姿を見直すといふ信念のもとに、
日本国民未曾有の大試練に直面したい。曠古の大試練!それにはまづ「年若
きもの一斉に立て」と叫びたいのである。

「キング」 昭和九年新年号