青年と語る

 

  私は聯盟のいきさつなどは最早今日となつて話したくない。又左様な必要もあるまい。しかし、満洲問題を中心として、日本と聯盟との過去二ケ年間に於けるたち廻はりから何を学ぶべきか。これはお話してみて御参考になるだらうと思ふ。
 次に、世界の変局とは何か。その変局に処して我が帝国はどうすべきかといふ事に就いて、その輪郭だけでもお話しいてみたい。
 先づ、聯盟と日本の過去二ケ年間の関係に就いて如何なる事を感じたか、日本国民としてこの経緯からして何を学ぶべきか、全部話せば半日もかゝるであらうが、その中で最も重要と思はれる点だけ話さう。
 第一に感じた事は、一体、日本人、といふよりは、日本の国を背負つてゐる責任ある政治家は、国際関係に於て、何はさておいても、日本国家の重大利害に関して、先づシッカリと考慮しなければならぬと云ふ事である。然るにともすると之を怠るのはどうしたわけか、といふとそんな事はない筈だと諸君は云ふかも知れないが、過去の歴史を見ればわかる。過去の歴史に徴してさうでないとは言へまい。
 日本人は、当然第一義的に考へて見なければならぬ自身の国の利害関係を、ともすれば棚に上げる傾向がある。満洲事変があれ程やかましくなつた一つの理由は此処に存する。かやうな傾向を助長させて来た。一つの根性は、属国根性である。而して多くこの根性は無意識的に持つてるのであつて、それは無埋はない事である。日本は八十年前世界と交通を始めた。そして外国の進歩に驚いてやみくもその模倣に浮き身をやつした。教育迄模倣した。そして唯欧米を偉い/\と思ひ込んで、終にそれが潜在意識となつたのである。殊に国際関係に於ては、欧米でやることには、「長いものには巻かれろ」「御多分に洩れまい」(など)といふ考へ方で、おつき合ひをするのである。満洲問題の如き一面から見ると、この心理作用の産物である。
 今より十五年前に、パリーで欧洲大戦の終局を告げる為の媾和会議が開かれ、十四年前に欧洲の平和は形の上に一応は恢復された。
 欧米各国は、それ/"\自国の利益本位で方針を樹て、兎も角大戦後に処すべく一生懸命に努力して来た。然るに日本はどうしてゐたか。
 一九二二年、ワシントン会議に於て日英同盟は破棄された。日本丸と云ふ船にとつて日英同盟は国際の海を乗り切る舵であつた。その舵がなくなつた。そして舵の無い船が波のまに/\フラ/\して漂つてゐた。世界五大国の一つとなり、海軍に関する限り三大国の一つとなつた日本が、舵をなくして唯風のまに/\フラ/\してゐたといふ事は驚くべき事である。もしかやうな暢気な国が欧洲にあつたとしたら、とつくの昔に行方不明になつてたらう。幸に極東のはてに国があるので、まあ今日迄行方不明にもならずに済んだのであらう。かう言ふと、諸君はそん事はないといふかも知れないが、それは欧洲の事情を知らぬからである。この十数年間、太平な顔をしてゐられたのは主として地理的関係の御蔭である。一体、巴里媾和会議後、十四年間何をしてゐたか。「長いものには巻かれろ」「御多分に洩れまい」といふ属国根性以外に、我が国に如何なる方針なり識見があつたか。
 九ケ国條約に就て述ぶれば、日英同盟を破棄されてびつくりした。とつくに破棄される運命のものであつたといふ事さへ予知又は予想し得なかつたのだ。私は現に媾和会議から帰つて、遠からず日英同盟は破棄されると云つたが、当時殆んど信ずる者が無かつた。言はゞ英帝国の瓦解を防ぐに相当大きな役割りを務めた計(ばか)りの日本を、英が捨てるなど云ふことは到底日本人の頭に浮びもしないことである。然し国交の実際を見ると、日本人から之を観れば意外な事が屡々平気で行はれるのである。心中を致しかねぬ日本人には、欧洲戦争がやつと終はつた計りに、自分を救つてくれた同盟国日本を見捨てると云ふ気持は到底了解できぬのである。尤も西洋人には心中といふ事は解らぬ、日本人にしか分らぬ。この心理がよく究められぬ以上、大和民族なるものはよくわからない。
 処が吾々にも亦西洋人の考へ方、動き方がよくわからぬ。日英同盟が破棄されて驚いた。この面喰つた心理状態で以て、日本の利害を慎重に考へないで、御多聞に洩れないと云ふ心理作用が主となつて、九国條約に印判をおしたのである。
 又国際聯盟もアメリカのウヰルソン大統領が提唱したのだ。それにも拘はらずそのアメリカは終に加入しないと云ひ出した。こゝに非常な差が起つて来たのである。然るに日本はお構ひ無しである。パリで国際聯盟に這入るといふたのだから仕方がないとでも考へたか、兎も角、アメリカもロシアも這入らない国際聯盟に這入つた。元来ロシアもアメリカも這入らない国際聯盟は已に世界的ではなく、主として欧洲の聯盟となつたのであつて、東洋の日本には余り深い関係は無いのである。そんな国際聯盟などに日本は最初から這入るべき筋合ではなかつた。最初から此の足の踏み出しが間違つた為に十三年後に満洲問題に関聯して崇つたのだ。最初から聯盟に這入りさへしなかろたら、この二年来あんなにこづかれはしなかつたらう。これは一例であるが、何事によらず、足を踏み出す前に自己本位によく考へて見るがよい。熟考を欠いたのである。
 満洲問題が我が国の死活問題である事は今更論ずるまでもない。満蒙は日本の生命線だと誰しもが言つてゐながら従来国民の多くが甚だ朦朧としてゐたのである。日清・日露の乾坤一擲の戦をした事も忘れ勝で、此の満蒙に関し明確な留保もせずに不戦条約に調印した。誠に思はざるも甚だしい事である。国際條約といふものは余程明確な條文であつてすら、時に甚だしい解釈の差異を来す事がある。我が国の生命線たる満蒙問題に関して唯漠然たる自衛権といふ如き留保なぞで安心するといふ事は一体国際常識上あり得べき事ではない。外国から言はすと満蒙に関してもマンマと我が国の手足を鉄の鎖でくゝつたのである。我が手足を縛した者が悪いのか、縛させた我が国の為政者が愚なのか。
 処が、実際にはこれくらゐでは大和民族の発展は妨げる事が出来ない。稲は芽を出し、茎を延べ、穂を咲して実のる。それを (とゞ)めることは出来ない。自然の発達だ。凡そ一民族が発展の気運にあるとき、何ものゝ力も之を阻止することは出来ない。考へて御覧なさい。貴方方の生れてこの歳になる迄の発展を防げなかつたではないか。種々の條約を以て縛しても、結局大和民族の発展を止むることは不可能だ。即ち一昨年の九月十八日事変を楔機として、日本人は (つひ)に端的に自己の生存権を主張した。自衛本能に目覚めて来た。一時荊棘に蔽はれてその発展、自然の発達を止められたかの如く見えた大和民族が、終にその本然の活力を揮ひ出した。さうすると、聯盟では日本が聯盟規約又は条約を破つたと叫び、日本は破りはせぬと頑張つた。
 かゝる見解の相違が何故起つたか。日本は日本で、自己の見解を正しいとしてゐるが、聯盟は聯盟で又その主張なり見解なりを正しいと信じてゐる。私をして忌憚なく言はすれば、こんな破目に陥つた原因は、日本人の属国根性に存するのである。独立独行の精神を以て先づ自国の重大利害に就てよく考へ、物事を明確にしてから、国際條約に同意するなり、国際聯盟に這入るなりする丈の用意があつたなら、恐らくこんな相容れない様な行違ひは起らなかつたであらうと思ふ。
 将来我が国民は大いに考へなければならぬ。いふ迄もなく日本国及び日本国民の生存問題に対して、考へてくれるものは大和民族以外に無いのだ。そして自己を守るものは自己の力だ。身を殺して仁を為すなど云ふ事は、国際関係に於てはまだ近い将来に之を見る事は出来ない。
 ジュネーヴを引揚げまして、フランス、ドイツ、ベルギー等を経てイギリスへ行きましたが、ロンドンでセシル卿を訪ねた。同卿は一昨年以来、猛烈に日本攻撃をした。世界的名声を持つて居り、人格者でもあり、又理想家でもある。セシル卿を其の家に訪ねて意見を交換した。そして結局私は卿に告げた「国際聯盟を通じて世界の平和を造り出し得れば結構である。しかし日本人は世界の現状に眼を閉ぢる訳にはゆかぬ。少くとも現在の人類発達の段階に於ては、日本人は自己の安全問題に関しては、自国以外の如何なる国にも機関若くは団体にも御頼みすることは出来ぬ。これは自ら当らねばならぬと決心してゐる。」と、これは結局私の、否我が国民の現に信じてゐる所であり、決心してゐる所である。遺憾乍ら條約や国際聯盟に我が国の安全問題を全部委ねる迄に日本人は暢気であり得ない。否何処の国人でも、今日の世界に左様な心掛けを持つ事は事実出来ないのである。
 第二に満洲国は我が国にとつて生命線であり、非常に重大な交渉を持つて居るのであるが、国際関係に於て更に重大なものは帝国の信義といふ事である。日本が如何に強くとも、一度世界に信義を失したならば大変である。然るに満洲問題に関する過去二ケ年の外交に於て、日本は嘘つきだと欧米では相場がきまつて来たやうである。かゝる言語同断な認定に対して我が国は何等罪はないか、此の点に就て吾々は一考する必要がありはせぬか。第一国際聯盟に加入したとき、「如何なる事があつても兵力は使はぬ」と言つてはゐないか。満洲事変では「自衛上やむを得ぬ」と弁護してゐる。これは詭弁ではないが、併し兎も角兵力を使つてゐることは事実だ。又何度、我が兵を出来る丈早く鉄道附属地に引つ込めると言ふたか。又「チチハルへは行かぬ」と言つてゐて―少くともさう思はしめてゐて―チチハルへ行つた。「錦州へは行きませぬ」と言つて間もなく錦州へ行つた。欧米で我が国を嘘つきだといふ人がありとするも、それは全然謂れのないことゝ一概に言ひ得るであらうか。
 私のジュネーヴ着は昨年の十一月だつたが、新聞でもお読みになつたらうが昨年の夏頃迄に聯盟は幾回決議をしたか。これ等の決議は厳として今日もなほ存してゐる。これ等の決議には日本の代表者も同意してゐる。しかも我が国は之を遵守したか、少くとも議論の余地はあらう。少くとも我が国の信義は大いに問はれた形となつた。これは如何にしても残念な心外な事である。
 小村侯は「日本の外交には掛値が無い」といふ世界的記録を確立した人だ。世に所謂二十一ヶ條要求迄は日本外交には掛値が無いと云ふことに相場が定まつてた。即ち日本の国際的信義は厳として確立されてゐたのである。然し二十一ケ條要求で之が打壊された。其の後余程回復されつゝあつた信用が、再び一昨年以来地に堕ち古疵の記憶までが呼び起されたと云ふ始末である。世界をしてこの日本は嘘つきだといふ考を改めさせるには、少くとも五年若くは十年はかゝるだらう。兎も角、国際的に信義を失つてはならぬ。殊に大和民族の生命は信義である。国際信義は何よりも重大である。
 第三に強く感ずる事は自らを正すといふ事である。私は去九月十八日満洲事変二周年日の講演に於て、伊勢の大廟の神鏡に向つて自らの姿を見直し、之を正すべきであると云ふ意味の事を申しましたが、自ら省みて正しいと信ずる事は堂々とやる。自ら反みて縮(なお)くんば千万人と雖も吾れ往かん。何処の国が何といはうとも躊躇すべきではない。
 どうも日本人は欧米人の顔色をよく見る。東京で外交問題を論じてゐる雑誌の九十パーセント迄欧米の顔色を見てゐる。情無いことだ。要するに自ら省みて正しいか正しくないかをよく判断するがよい。正しいと思ふことはやり、正しくないと思ふ事はやらぬがよい。正しい以上は欧米を挙げて反対しても断断乎としてやるがよろしい。その代り欧米が皆隻手を挙げてやれと云ふても、正しくないと思へば断じてやらぬ。我が国はかうありたい。欧米の顔色を見るのは無意識的に属国根性を抱き、潜在意識的に彼等をエライと思ふからである。
 私から云ふと、欧米人に認識が不足してるとか、してないとかと、さう気にせぬでもよいではないかと云ひたくなる。たとへば、諸君はチャコ問題とは何であるか御存知ですか。これに答へる知識を持つてゐる人は幾人あるか。豆腐の名か何かだと思ふ人もあるだらう。これは南米に起つた事件である。日本に重大なる関係のあるパナマ問題さへ正確に知つてゐる人が我が国民中に幾人あるか。甚しいのになるとパナマは何処に在るかさへ知らぬ。それはまだしも、満蒙問題さへ二年前迄は、日本人の中にも余り多く知らぬ者が沢山あつた。それを欧米人が認識を欠いてゐたからと云つて不思議はあるまい。否欧米人の認識不足は寧ろ当然ではあるまいか。しかもその所謂認識不足(日本人が考へてゐる程ではないが)の責任の大部は誰にあるか。
 第一当時の日本の内閣の内部にさへ満洲事変に就ては分れてゐた。そしてそれを新聞記者がこくめいに報告してくれた。それが又外国に映じた。実は我が国の代表者即ち我が国の行動を外国に対して代表し又は擁護すべき外交官の間にすら、我が国軍の満蒙に於ける行動をよく理解してゐなかつた者がある。日本人の側が当時かゝる始末であつたので、それが何時とはなしに欧米人に反映して来たといふ事は、又誠に已むを得ない事ではあるまいか。かく観じ来れば、やはり何と云つても自ら省みて正しいか、正しくないか先づ以てよく考へて判断し、正しければ進み、正しくなければ退き且つ止めるがよい。自らを正しくする事が先決問題である。欧米人の顔色を見る必要はない。自らが正しいなら、勇往邁進すべきである。
 第四に感じた事は、相手がどうしてある行動に出るのであるか、その主なる理由、又は動機を先づよく攻究しなければならないのであるが、動もすると日本人にはこの点に就て考へて見ない欠陥がある。満洲問題に対してもそれが重大なる欠陥であつた。聯盟が何故日本にあれ程喰つて掛つたか。この点に就て第一に攻究せねばならなかつたのだ。
 遺憾乍ら自白すると、私がジュネーヴへ行くまでに、この点に就ていくら考へて見ても、よくは合点が行かない。しかも私を啓発して呉れる人も資料もなかつた。あれ程聯盟が日本に喰つてかゝるには、何か其処に具体的な利害関係が無い訳がない。唯漫然平和を攪乱したとか、聯盟規約を蹂躙したとか云ふ丈で、あんなに猛烈に喰つてかゝる筈はいと私は考へた。由来日本人はお人好しであつて、どうも相手の言ふ事を丸呑みにする傾があるが、欧米人や支那人と云ふ者は実利的であつて、実益のない事はやらぬ傾がある。白人の中でも宗教家や何かで平和を説く者はあるが、苟も国家の重責に任ずる程の政治家に、唯平和とか国際主義とかといふ理想丈で、気狂ひのやうになつて動く者はない。又何故アメリカのスチムソンが、あんな行動に出るるのであるか、これも判然としなかつた。がこれ丈は東京出発前になる程と合点が行つた。しかし聯盟の行動の背後に何があるのか、少くとも私をして首肯せしむるに足る程のものを掴み得ずして、私は、ジュネーヴに行つた。ジュネーヴで色々研究して見た結果、漸く判然した。少くとも私はなる程とうなづく事が出来た。甚だ遅かつた。誠に申訳の無い話である。あれ丈の大きな戦に臨んで、敵の猛襲する主なる動機なり理由が分らずに、否之を解らうともせずに闘つて居たのが我が日本であります。聯盟内には支那に憲兵制度を布いて、支那を国際管理の下に置かうといふ案があつたのである。この案は一九二四年頃から頭を擡げて来たらしいが、最近数年間に余程具体化されて来たのである。そこで、かゝる案の進められてる事を知つてか知らぬか、兎も角日本は之に対して一向無関心であつた。実に不思議な事があればあるものである。一体欧洲よりも大きな支那に憲兵制度を布いて、之を聯盟又は国際の管理に置かうなどいふ案は如何にも振つてゐる。かゝる案を考へ出した動機は固より支那を動乱から救ひ出さうと云ふ慈悲心からであらうが、併し如何にも空想的である、こんな案で若し支那を安定さすことが出来るなら、日本は何もこんなに苦労はしない。欧州全体よりも広大な領土に、四億五千万の人口が居り、二百万の兵隊が戦争ゴツコをして居る。赤の政府も軍もある。非常な混乱だ。寄合世帯の国際聯盟で以て憲兵制度で治めて行かうなどゝは、余りにも実際から離れた夢だ。 満洲事変なるものは此の夢に向つて偶々一大鉄槌を下したのである。日本の方ではそんな事だとは少しも知らなかつたのである。がこれは大変だと聯盟は周章狼狽した。聯盟の方では折角の支那救済の妙案が、日本の行動の結果つぶれる事になると云ふので、驚き且真剣に戦ひ出した。彼から云へばこの虎の子の案の擁護の為の一大奮闘であつたのであります。日本は実にそんな事とは気が付かなかつたらしい。
 リットン卿が委員長となつて聯盟の調査団なるものが極東に来た。あれは最初から一種の芝居であつて、其の行動が筋書が欧洲を出発する前からチヤンと書きおろされてたのである。それを知らなかつたものは恐らく日本の外交官丈だらうと或る欧洲の新聞記者が言つてゐた。リットン報告書に載せたる勧告的結論即ち後に十九人委員会の報告中の勘合となつたものは最初からリットン卿等が東洋に持つて来た結論なのである。即ちこの結論に都合のよい材料を蒐集するのが、実はリットン調査団の任務であつたのであるとしか思へぬ廉が多分にある。満洲に憲兵制度を布いて、一種の国際管理の下に置かうといふのが、結局リットン報告の満洲国に関する結論である。之と支那全土を国際管理下に置かうといふ事とは根本に於て同じ思想であり考案である、否前者は後者から出て来たのであります。満蒙が偶々支那の領土の一部であつたものだから、この支那に憲兵制度を布き之を国際管理下に置かうといふ聯盟内の秘蔵の妙案に、日本の満蒙に於ける行動が触れる事になつたのである。若し満洲事変が支那の領土で無い処で起つたのなら、あんな大問題にならずに済んだのではあるまいかと想はれる。斯う問題が明かになつて来ると、実は馬鹿々々しくなつた。此の程再び例のライヒマン君が支那に技術的援助を与ふる聯盟の事業の為、と称して支那に来たが、一体ライヒマン君は先年支那と聯盟との聯絡委員として支那に来てゐたのである。もと/\之が可笑しな話であつたのであります。元来支那と国際聯盟とを聯絡するものは支那の聯盟に於ける代表者でなければならぬ。その以外に支那と聯盟との中間に聯絡委員がいらう道理がない。聯盟と自国とはどこの国も代表者があつて聯絡してゐる。若し代表者以外に聯絡員が要るものならば日本との間にもなくてはならぬ払。英国との間にもなくてはならぬ。それを不思議とも思はなかつた人は余程御目出度い。ライヒマン君は技術援助に就て聯絡するのであると云つてゐたが、事実は同氏は宋子文の秘書官同様に働いてゐた。満洲事変が起るや或日の如きは宋子文と共に無線電信局に泊り込んで、支那政府の費用で盛に日本攻撃の電信を打つたと伝へられた。その後に至つても国際聯盟事務局員であるところのライヒマンやアース君等が、ジュネーヴで支那の為に終始活躍を続けた事は衆知の事実である。
 諸君、考へて御覧なさい。聯盟は中立的性質のものである。日本もその聯盟の一国である。その聯盟国共同事務所であるところの聯盟事務所の中で、堂々と斯ういふ事が行はれてゐたといふ事は、実に奇々怪々の事と言はねばなりませぬ。ジュネーヴと云ふ所は実に不思議な所である。聯盟と云ふものは誠に奇態な寄合世帯ではある。こゝに参集してる各国代表者と、聯盟事務所に庸はれてゐる各国人の心理と云ふものが第一不可思議である。 ライヒマン君が再び支那に来た。ライヒマン君も聯盟もまだ支那を国際管理の下に置き、憲兵制度を布かうと云ふ案を捨てぬものと見ゆる。
 私は日本の外交が今後尚相当長年月の間、極東問題に集中さるべきであると信ずる。欧米問題等に参加するのは早い。極東問題とは主として支那問題である。支那で極東全局に重大な影響を起すやうな事を欧米が考へたり行つたりして、日本が黙つてゐなければならぬのならば、日本に外交は要らぬ。
 ジュネーヴに於ける私共の方針、否我が政府の方針は、我が国の主張を通し而して聯盟に残れるものならば、残らうといふ事であつた。私個人の意見がどうあらうとも之れは別として、日本政府の意見は斯様であつて私共全権等は最善の努力をして之が貫徹を期したが、併し終に脱退以外に無いと観念した。私をして脱退を観念させた少くとも一大原因は、前掲の聯盟内の対支企図である。 満洲国に憲兵制度を布き之を一種の国際管理下に置かうといふ案は、前陳の如く支那全土に対する根本案の片鱗たるに過ぎずして、独り満洲国の問題だけではない。実は支那全土否或意味に於て極東全局の問題に就て、最初から国際聯盟と日本とは絶対に相容れない立場に置かれてゐるのであつた。然るにかゝる根本の問題には何等思ひを致さずに、唯その場、その折の言はゞその日暮しの処理に汲々として来たのが日本の外交であつた。かく最初から根本に於て相容れない事が明らかであつたなら、何も私がジュネーヴに出掛けて行く必要は無かつたのである。満洲に憲兵制度を布き、之を国際管理の下に置くなんと言ふ事は、日清、日露の両役にあれ程の大犠牲を払ひ、そして東亜全局の保持を任としてゐる我が国に取つては、初めからてんで問題にも何にもならぬ事である。さやうな事は頭から、聯盟は固より、他の列強とでも一切話をする余地はないのである。かやうに考へて見ると、満洲問題に関する聯盟と日本との二年間の抗争は何の為めであつたか分らない。丸で狐にでもつまゝれたやうな気持がする。凡そ国際的抗争の起つたときには、先づ以て相手の行動の真意、その根本の動機なり原因なりをよく究明し、そしてそれに対する対策を構じなければならぬ。動もすると日本人にはこの点に於て誠に遺憾を感ずる傾きがあります。後来はどうぞ、我が国民、殊に外交の衝に当つて居る人達に於て深く戒むべきであると思ふ。 第五に世界中和は如何にして確立すべきかといふ事である。それは既に私の書いたもの、又は五月一日の放送で御承知の事と存じますが、それは決して難しい事ではないと思ふ。
 パリ媾和会議の際、私と非常に親密になつたヂロン博士―この人はもう亡くなつた―が病気の為めスペインのバルセロナで静養されてゐた頃、その静養地から数回も書を寄せられたが、「君は久し振りに欧洲に来たのであるが、君の任務は容易でない。君の主張には聯盟員等は中々耳を傾けないだらう。がしかし、断じて一歩も退くな。真に世界平和を確立し得る能力を持つて居るものは独り日本人のみである。」といふ意味の事を言つてよこされた。翁は已に頽齢であつて、世界的名声ある著述家であり、世界的老新聞記者である。若い時からロシア初め各国のあらゆる政治外交の裏面をくゞつて、甘いも酸いも嘗めて来た人であるが、この人が斯る予言を敢へてして居るのだ。私にお世辞を述べる必要も義務もない人であるが、亡くなる前にこんな事を言つてよこされた。私もこの意見には同感であるが、併し日本が世界平和の確立するのは明日や明後日ではない。前途遼遠であつて幾多の大困難が横はつて居る。非常な決心と努力とを以て長いく途を歩かねばならぬ。日本が究極に於て、さやうな天の使命を果すまでどうして世界の平和をへの字なりにでもつないで行くか。常識的に之を考へて、それは地方々々で平和を維持するがよろしいと思ふ。地理的関係に於て附近の者同志が平和を維持して行くがよろしい。ヨーロッパはヨーロッパ、それも大き過ぎるなら二分か三分して各自に、亦アメリカ大陸はアメリカ大陸で、又極東は極東でやればよろしい。これが兎も角差し当り世界平和をつなぐ実質的の行き方であると信ずる。そこで、聯盟に左様ならを言ふとき、私は帝国政府の訓令の下に、極東の平和維持は日本がこれに任ずるから、御安心なさい。といふ意味の事を申し述べました。日本内地の事でも同じである。各県又は各地方々々で、それぞれ秩序の維持に任ずるの外ないのである。外交は常識で手品ではない。私は聯盟に使して今回いよ/\もつてこの考を強うした。世界平和を継ぎ止めるには常識で考へるより外は無い。日本は兎も角東亜全局の安定に向つて一路邁進するが宜しい。かやうに考ふるとき、私は若い時から信じてゐるのであるが、満蒙は極東平和の鍵である。吾々はあくまで満蒙の開発に専念努力し満洲に立派な国を造り出さねばならぬ。向ふ十年吾々は満蒙だけで沢山だ。全部の支那問題は今の我が国力には過ぎる。日本人といふ国民は動もすると、力を散漫に用ゆる。兎角気が散つて困る。支那本土の事は気の毒であるが、暫く放つて置くの外ない。万已むを得ない限り手を出さぬが宜しい。日本の力はそれほどはない。東奔西走して、唯奔命に渡かれることは御免蒙りたい。先づ以て満蒙を安定させねばならぬ。満蒙こそ極東安定の礎石であり、鍵である。私は昔からさう主張してるのであるが、此の頃同感の人も出来た。が、各国民はまだ/\此の点に就き判然しない。此の事は全国民を挙げてよく徹底しなければいかぬ。過去の散漫な外交に再び帰つてはならない。 以上で、過去二ケ年国際聯盟と我が国のいきさつから何を学ぶべきか、又私は何を特に感じたかを、ザットお話した積りであります。
 次いで、時間も余りありませぬから、世界の現状を、極く概念的に御話致します。
 今や世界を挙げて非常変局に直面してゐる。此の変局が如何にして来たか、何処から来たか、細かく這入れば依つて来る原因も色々ありませうが、つまり、現代の欧米文明は行詰つて来たといふ事である。私の世界といふのは概念的の世界といふ意味ではない。従つてアフリカ内部迄を入れていふのではない。欧米若くは現代文明の一定水準以上に達してゐる国だけをさしたのだ。これ等の国が彼方でも此方でも行詰り、御先真暗で、何とかして光明を見出したいと、もがいてゐるのが即ち現代の世界である。
 日本は非常時だといふと、何処が非常時かといふ人もあるが、それは恐らく日本の現状と欧米諸国の現状とを比較して、そんなイリュージョンに陥られるのであらう。日本は経済的に之を見て、欧米諸国よりも非常にいゝのである。しかし、非常時でないとは言へない。吾々も現代文明、殊に物質文明を採り入れた程度に於て悩んでゐるのである。この意味に於て日本の非常時なるもの事実は世界の非常時、世界の変局の一部なのであります。若し、日本西洋文明を輸入してゐなかつたならば、世界の大変局に会ふても、これ程は苦まなかつたであらう。即ち吾々は西洋文明を真似して来た程度に於て悩みを同じうしてゐるのである。
 今日ロシアのソヴェーチズムの如き、現代文明がどうやらかうやら破壊されずに行くとしたら、恐らく五十年又は百年後人類はロシア人に対して感謝しなければなるまい。それは何故であるか。日本の青年の中には、ロシアを祖国と思はれる者もあるやうでありますが、さういふ方はロシアに行かれた方が宜しい。若し私の自由になるものなら、私はかゝる青年を刑務所に繋ぐかはりに官費でロシア視察に赴かしめたい。さうすれば、赤い青年達もロシアの惨状を見て忽ち青くなつて帰つて来るだらうと思はれる。が併し兎も角見やうによつては人類の為めにどえらい実験をしてくれるのである。
 私はジュネーヴに赴く途中ロシアを見たのであるが、まことに悲惨なる状態である。こゝに私の意見を挿入するが、一体ソヴェーチズムでは、個人々々の自由意志は認めない。青年達は多く奔放、放埒と言ひたい位自由を求めてゐる。そして我が祖国ソヴェート・ロシアなどと之にあこがれる。然るに、その所謂「我が祖国」は個人の自由意志を絶対に制圧してゐる。人間を機械化せんとしてゐるのだ。人間を悉く同じレベルに平ペつたくしようとしてゐる。奔放的である位に自由を熱望してゐる青年が、この自由を認めない制度に憧れるといふのは正しく自家撞着であり、矛盾である。私には是等青年の気持が解らぬ。軈てロシアが今の大規模のえらい実験を終り、到底前陳の如き事の行へないことをハッキリ立証することになつたら、それ丈でも人類は御礼をロシアに言はねばならぬだらう。
 日本人の偉いところは、個人的創造力が内に働いて、一刻も進んでやまぬといふとこにある。畢竟古代神道が日本人の根本思想の源泉である。仏教や耶蘇教でいふ救ひも詮ずるところ進化であり、進歩である。人間個々の内に働いて止まない力の進み歩むことが救ひである。即ち「ムス」が日本の祖先から伝統として譲り受けた観念である。斯ういふ大和民族が人間を機械化しようとするソヴェーチズムに降参する虞は毛頭ありませぬ。私はこの点に就て、聊かの懸念も持つてない。一時気のふれる人は何処の国にもあります。
 兎に角、現代文明は自殺に向つて突進してゐる。人間が生物である以上、本能的に助かりたいと思ひ且もがくのである。その大きな悩みの一つの現はれがソヴェーチズムである。光明と生命とを求めんとする一つの試験としては、後日人類は顧みてロシア人に感謝しなければなるまいと思ふ。しかも一億六千万人の損失勘定に於てやつてくれるのだ。この大実験の結果が全部悪いとも行くまい。或はあの悩みの中から、人類に役立つよい何ものかゞ又産れてこない限りでもあるまい。 ムッソリーニズムも亦同じ世界変局の悩みから生れたものである。ムッソリーニ氏が起たねばイタリヤは大変な混沌に陥つてゐたらう。が起つた時已に非常な混乱だつた。ファッショもソヴェーチズムと同じく又生命と光明を欲求する悩みであり努力であり試験である。ソヴェーチズムとムッソリーニズムとは、その根本の社会的、政治的哲理に於て相容れないに拘らず、その実行する所は或る点迄似てゐるが、特に違つた点はムッソリーニ氏は常識の人であるといふことである。といふのは氏は人間の慾望イニシヱチーヴを傷つけず、出来るだけ之を伸ばし、唯その弊を矯める為めに国家至上主義の旆を掲げてゐる。個人の特性、欲望、創造力を枉げまいとする所にロシアと異つ所がある。イタリヤは驚くべき変化をしてゐる事は事実である。今日のイタリヤ国民は、十数年前のイタリヤ国民ではない。殊に今日の伊国青年は、ローマ帝国の偉大な昔を夢みつゝ国家至上主義をかざして祖国愛に燃えてゐる。国に対して義務あるを知つて、権利を言はない。「天下は一人を以て興り一人を以て廃す」といふ実例を目の当り見たいなら、イタリーに往つて見るがよい。だがまだ速断してはいけない。これから結局如何なるか見ものであらう。まだ試験は完結されてはゐないのである。
 ドイツにヒットラーが現れて来た。ナチスの試験はこれからである。これも亦現代文明共通の悩みを持つて居るのであるが、それに加へて尚戦敗国としての悩みをも持つて居るのである。 英国に就て云ふと、先生お先真暗で、どうしてよいか迷つて悩んでゐる。ところが英人と云ふものは大やうに出来てゝ、行詰つても一寸行き詰つたやうな顔をしない。英国にて顕著なる事は、政党政治の本家本元でありながら已に厳格なる意味に放ての政党政治はなくなつたといふ一事であります。マクドナルド氏は、疾くの昔に自分の政党を離れてゐるに拘らず、尚内閣を組織して居ると云ふ不思議な現象を呈してゐる。実際政治の運用を見ても、実は経済委員会が主となつて働いてて議会は聊か骨扱きの観である。見様によつては、イギリスの国情と特殊な国民性の下に、可能なる一種のファッショを行つてるのであるとも見られぬことはない。英国人はゆとりのある国民であつて、矛盾だらけでゐながら、それを殆んど気付かぬ風であつて、お先真暗であつても比較的暢気な顔をして、うねりくねりと其の日暮らしをしてゐる。自治領は益々独立性を強調し、本国のアイルランドさへ殆んど独立国同様になつてるのでゐるが、どうやらかうやら是等を操つて行くのである。然し何と云つても分解の傾向を顕はしてることは争へぬ。又内国多働者の横暴と国民の堕気には弱つて居る。之を要するに欧洲全体に就いて云へば、欧洲大戦がなかつたならば、とつくに大戦争が起つてゐたであらう。然るにたつたこないだ、あれだけの戦争の惨害を嘗めた計りなので戦争の事を想つても慄へ上る。其の為め辛うじて戦禍の爆発を避けてるのである。今や社会的に、政治的に、思想的に、経済的に之を見ると、欧洲は欧州大戦直前の何倍かの混乱と不安とをもつてゐる。これは畢竟私がさつき云つた様な現代文明の行詰りである。
 私は、米国通過中ある処で、冗談半分に新聞記者に「これだけの領土、無尽蔵の富、一億二千万の人口、世界三割何分の金、それでもつて、日本よりもつと不況に陥つてゐるなんて君達は恥しく思はぬか」といふと、「何と云はれてもその通りで仕方がない」と笑ひながら答へた。
 日本は或る程度迄は世界不況の影響も受け、又日本特有の原因からして不景気になつたのであるが、しかし、日本に帰つてアメリカの経済状態に之を比べて見ると、日本が不景気などと云ふことは罰があたるやうに思へる。
 私がアメリカを経て横浜に帰りついて、日本人の顔を見ると皆生き/\してゐる。以前は外国から帰朝して横浜につくと、日本人が青い顔をしてヒョロヒョロしてゐるやうに見えたものだ。今度はあべこべだ。私の眠がどうかしてゐるのではないかと思つて、この頃洋行して来た人に問ふと矢張り私と同じ事をいふのであります。地方の農村に往つて、農夫の妻君や鼻つたれ小僧に逢つて見ても、皆生々してる。不思議なやうな気がするのである。
 欧米では現在極めて少数の外、腹一杯食事をしてゐるものはないと言つてよからう。然るに、日本では、飢ゑてる者もないではない、欠食児童もあるが、九千万の大多数は芋のはしつぽにしたところが、兎も角大体腹一杯食つてゐる。国土は日本と比較にならぬ程大きく、金は有りあまる程持つて、天然資源は無尽蔵で、それで不景気のどん底に喘ぎつゝあるとは、私共の学生時代に教へられた経済論や金融論では説明がつかぬ。一例を言へば、現に此の間日本でも敢行して見たが、自分の国のお金を外国との為替関係に於て釣り上げれば、分限者になれるかのやう思つてそれを試みると云ふ事は従来の常習であつた。然るに今はそれと反対に出てる。この間の経済会議が言はゞ物分れとなつた一大原因は、アメリカが自分の国の弗相場を国際為替でいくらでも引下げ得る権利を完全に保留したいと主張した事に在る。従来の考へ方とあべこべである。今起りつゝある経済その他の諸現象は、吾々の若い時にならつた学問では説明出来ぬことが中々多い。この事は現に世界を挙げて如何に底深い変局に臨んでゐるかといふことを吾々に告ぐるものではあるまいか。
 アメリカは近代資本主義に一番徹底して来た。それだけに又一番病毒を多く受けつゝあるのであります。近代文明とは何ぞや、曰く科学化、機械化である。物質化である。つまりそれで行詰りを生じつゝあるのだ。
 もう少し説明する。機械化、科学化によつて、前に千人の労力を要した事を百人、更にそれを五人でやるといふ事にした。こないだ迄はその進歩を人類は誇つてゐたのであるが、いつの間にやらこの機械化、科学化からして人間が余るとたうとう人間が悩み出した。或る意味に於て人間がその自ら発明した機械や科学的手段に駆逐され又は圧せらるゝやうになつた。失業といふ一大問題を起し、不要なるオーヴァー、プロダクションと云ふ不始末まで演ずるに至つた。このまゝの機械化、科学化突進では、所詮失業問題など解決出来るものでないと思ふ。段々この問題は深刻化するまでの事ではあるまいか。失業した人間は何とかして食はせさへすれば、それで問題解決と思つたら、さうは行かぬと云ふ事に気がついた。小人閑居すれば不善を為す、この人間の性質は孔子様の時代と今と少しも変りはない。これをどうするか。結局吾々は人間といふものを対象に考へねばならぬ。そして人間の性情を無視する訳には行かぬ。小人閑居すれば善を為すやうに人間の性質を変へ得ぬ限り、失業する者は唯養へばよいとは行かぬ。
 毎日、芝居だ、ベースボールだ、音楽だ、ダンスだと遊んで、満足するか、善をなすか、恐らく一週間も遊んでたら飽きるだらう。一月とは続くまい。しまいひにはダンスも飽きて来る、音楽も却つて騒が敷なる。さうベースボールや芝居を毎日見ては面白くなくなる。何とかして働けんかなあといふ事になる。人間は奇妙な動物で、遊んでる方がよさゝうだが、さうではない。真ッ黒になつて働いてこそ、時々ベースボールを見、音楽を聞いて面白いと思ふのである。それを一年中毎日見たり聞いたら、とう/\人間廃業を願ひ出るやうになる。否有閑階級は、何れの国何れの時代でも結局堕落し乱するものである。この性情を考へないで、又はこの性情を考へないで、人間を働けない様に、余り者にする文明は終に亡びざるを得ない。今の機械化、科学化は、人間を余り者にする様に、働かれぬ様にしてゐる。それは、現代文明の一大欠陥である。
 それに又戦争といへば、毒瓦斯、バクテリヤ撒布といふやうな事まで考へ出して、何の事はない、出来る丈大量的に敵を殺す工夫を凝らしてゐる。終には電気か太陽熱で、スヰツチ一つで以て、一秒間に全軍を皆殺しにする様な事を考案するであらう。殺人光線の研究は既に行はれつゝある。今言つたやうな事は決して夢ではない。斯くして、現代文明の一定水準以上にある国は、お互に殺し合ひ又自殺に向つて走つてゐるのである。要するに現代欧米流の文明は、全速力を以て今や自殺自滅に向つて走つて居るのである。
 欧米では個人主義に徹底しつゝある。その大国がアメリカである。そのアメリカが又一番不景気である。資本主義の弊で最も悪いものは利潤観念に徹底することである。もし利潤観念で人間が皆動くなら今の農村は馬鹿々々しくなる。それで農村をやめたらどうなる。
 しかし、日本の農村には引き合はんでも、田を耕す人がある。日本には天道様を拝んで田畑を耕してゐる人がゐる。それは天道様に対する人間の義務と信じてゐるのだ。そこだ。これが日本の強みであり、真の力なのである。多くの農民の間に潜在意識にしろ、これがある。そんな事はアメリカなどには薬にしたくもない。そこに実は大きな悩みの原因があるのであると私は思ふ。
 極端なる物質化、この個人主義と利潤観念が、益々徹底して来るこの現代欧米文明が、果して何時まで続くであらうか。
 欧米では、実生活の問題としては、忠孝とは夢物語であつて、忠とは何か、孝とは何か、仕合はせの事には諸君にはまだそれは解る。然し欧米人には、恐らく孝とは親に親切にすることだといふ位が、理窟攻めに説き明して了解出来るくらゐであらう。忠といふことは即ち日本人の忠といふ観念は、到底ほんうには分るまい。欧米人はもうそこまで利己的であり、実利的であり、そして個人主義になり切つてるのである。 このまゝではどうしても現代文明は助からぬ。若し大和民族が、世界人類に何等かの貢献をなす事が出来ないならば、その存続を継続する価値がない。私は信する大和民族こそ、世界人類をその破滅から救ひ得るものであると。日本にも欧米流の個人主義が侵潤して来たが、併し欧米人と比べると、まだ/\大変な相違がある。吾々にはまだ忠孝の何ものであるかゞ分る。日本ではまだ小学生徒にすら説明をせぬでも分るが、この辺で深く反省せぬと、終には欧米人の様にわからぬことになりはせぬか。水に溺れる者を泳ぎさへ知らぬ者が飛び込んでも救ふことは出来ぬ。先づ吾々はこのまゝで進んだら自身達がどうなるかといふ事を考へねばらぬ。現に自殺に向つて進んでゐる欧米文化を真似て計りゐれば、結局彼等と同じ途を辿り、そして亡ぶるの外ない。欧米人と一緒に淵に沈むだけだ。この儘ではいけない。それではどうする。見たことも、聞いたことも、学んだこともない無から奇想天外的に名案が出るものではない。
 もう欧米の真似はいけない。それではどうする。外に途はない。吾々に残されてることは、二千六百年史の再検討を行ひ、その中から何ものかをあみ出すの外ありませぬ。欧米に在るものでは助からぬとなれば、二千六百年史を吾々の持つてるものゝ再検討を行ひ、その中から自らを救ひ、且つ全人類を救ふ何ものかを見付けるより外途ないではないか。それがないとなれば世界は破滅だ。しかし私は必ずあると信ずるのであります。
 私の諸君青年に特に望むところは、我が民族史を再検討し日本精神をとり返せといふ事である。そして今少し人間は人間らしく生活すべきである。利己的個人主義や利潤観念に徹底し、極端なる機械化、科学化、物質化が人間らしき生活を営む所以では決してない。 貴方々は祖父の代から殆んど無意識に西洋かぶれした。日本人にはすぐ外人の真似をする病気がある。今やこの日本人の病状は大分進んで来てゐる。マルクスの真似、レーニンの真似、ムッソリーニの真似、どこ迄真似をするのか。このまゝで行くならばどうなる。日本も亦破滅に向つて進まんとしておるのだ。目覚めないなら、自分自身をさへ救ふ事は出来い。況んや全人類を救ふなどとは思ひもよらぬ事である。どうぞ諸君は大和民族こそ全人類を救ふ民族だといふ理想を持つて欲しい。
 唯自存本能から言ふても、凡そ、国民又は民族は理想なくしては生きられない。キリストは「パンのみでは人間は生きる事は出来ない」と言はれた。理想を持たなくなつたら人類は遂に堕落して滅亡する。 それではどこに理想の目的を置けばよいか。吾々大和民族には、自殺に向つてゐる世界全人類を救はねばならぬ義務がある。之が天の大和民族に課した使命であるといふ大理想をシツカリと抱いて貰ひたい。私はこの大理想に我が民族が、今日以後生きて行かねばならないと主張するのであります。若しそして、お互の姿を伊勢大廟の神鏡に写して、その形と共に心を正さねばならぬ。これが何よりの急務である。自らの心と形とを正したる以上、行ふべき事は堂々とやる。併し正しくないと思ふ事は、世界を挙げてやれと云ふても断じてやらない。かうならなければいけない。
 大変長くなつて済みませんが―予定より十五分も過ぎた―最後に申述べる。どうか貴方々は、平たく申せば、精神的になれ、も少し具体的に申せば、個人主義を捨てなさい。そして忠と孝とをはつきりつかみなさい。忠孝は決して抽象観念ではない、実行的のものである。君に忠とは、君と我との関係である。孝と云ふ瞬間親と我とがあるのである。だから個人主義はその間に存在し得ない。忠孝の道に生きるものに個人主義はあり得ない。諸君は須らく犠牲奉公の精神を持て。
 私は再び云ふが、自らを如何にして正せばよいか。犠牲奉公の観念が徹底せよ、西洋の倫理や哲学をかじる必要はない。神ながらの道に立ち帰り、忠と考とを実行すれはよいのである。
 諸君が悪いのではない。諸君の先輩が悪いのである。西洋かぶれのしたのは諸君の先輩達だ。西洋かぶれを止めて大和魂にかへる。大和魂とは即ち日本精神だ。古い言葉を使ふとかびが生えてるやうに感ずるなら、それはその言葉にかびがはえてるのではない。さう思ふ人の心に魂にかびが生えてるのだ。西洋かぶれを止めて、日本はこれから世界の変局と闘ひ、全人類を救ふ聖業に精進するのだ。その(みち)しるべとなるものは二千六百年史だ。この大和民族史を一貫して流れるものは忠と孝だ。
 青年諸君、この大理想に生きよ。この聖業に励め。それには手近なる我が民族の伝統たる忠と孝を実行せよ。つまり大和民族の血に生き、本然に帰れと云ふのである。
 断片的でありましたが御静聴をわづらはしまして有難う御座いました。

        (昭和八年十一月十一日富山高等学校に於て)