満蒙は我国の生命線である
一
満蒙問題を論ずるに当つては先づ以て満蒙そのものに対する明確な観念の把握が必要である。
第一に、満蒙に我国が牢固として抜く可からざる勢力を扶植したのは、決して侵略によるものではない。支那が我国と重大なる関係にある朝鮮の独立を脅威した為め日清戦争の止むなきに至り、次いで大潮の決するが如く南下するロシヤによつて再び我国の存立を脅かされたるがため、日露戦争となり、其の結果戦局の有利なる結了によつて、賠償金の一部としてロシアの満蒙に於ける権利を引継いだのである。
能く世人は満蒙に於ける特殊権益と云ふが、その権益とは果して何を指してゐるのか、人によつて一致せず又漠然たる観念を持つてゐるが、私の観る所では、一つは我国の国防上の安固を計る上に於て之を支那に任すことが出来ないと云ふ理論ではない実際問題に、この権益は胚胎して居るのである。日露戦争は如実にこれを物語つて居り、更に其後の支那の事態とロシアの形勢がそれを明白に裏書して居る。
其後我国は満蒙問題に甚大なる力を致し、満鉄の投資と、満鉄外の投資とを併せて既に大約十七億円に達し、世界に於て、今日満蒙問題が喧しくなつたのは主としてこれを我国が開発し、世界的にその価値を認められたからに外ならない。
支那人としては申し分もあらうが、我国と満蒙との関係を冷静に考へれば、国権を不当に犯すものゝ如く妄想して我国を駆逐しやうなぞとは以ての外である。支那人でも少し物の判る人達には其の誤謬は直ちに首肯される筈である。実は今日支那が満蒙に注目したのは、我国の開発に刺戟せられたからに外ならないのである。
然し今日の満蒙の地位は我国にとつて単に国防上重大なるのみならず、国民の経済的存立に欠く可からざるものとなつて居る。換言すれば、現実問題として見る時、満蒙は我国の国防上のみならず、経済時に見ても我国の生命線と云ふべきものとなつて居るのである。何れの国に取つても其の存立の鍵を握る生命線はある。英国のジブラルタル、マルタに於けるが如く、米国のカリビヤン海に於ける如く、国家の存立上其れ以上退却出来ぬ重要点は必ず存在するのである。
今議会、私が満蒙政策を論じ特に生命線云々と云つたのはこの点であつて、国民はこの意味をはつきりと把握しなければならぬと思ふ。二十万の在留同胞とか又は満鉄の存在とかゞ我国より観た満蒙問題の総べてではない。夫れは固より重要事項ではあるが、夫は唯だ問題の重要性を増す事柄と云ふに過ぎない。今日の我国の国際関係に省みる時、又我国の経済生活に鑑みる時、例へ満蒙に一人の日本人なくとも、又一度の投資なくとも、更に吾々の熟知する歴史的関係なくとも、満蒙は我国にとつて重大なる関係にある地域である根本に変りはない。即ち私の云ふ我国の生命線なのである。況んや多数の在留同胞と巨額の投資に加ふるに血を以て彩られた歴史的関係あるを思ふ時、益々我国の生命線である点に於て、これをしつかり確保し死守するについて、何国何人にも憚る必要のないことは明かである。
二
支那人の中には我国の満蒙への進出に対し、不平を抱く者あるも、欧米諸国に於ては我国の正当なる進出に対し異議を唱ふるものなく、明かに支那を除く以外の国々はこれを是認してゐるのである。問題となつてゐる米国の態度に就いても、世間で誤解してゐる如く、満蒙問題に絡つて我国と戦ふなぞと考へて居る頓狂人は一人もないと云つても過言でない。
英語の諺に mind your own business と云ふことがある。これは我国で「お前の頭の蝿を逐へ」と云ふ事であつて、米人気質の一面を最もよく現してゐるものである。即ち満蒙に於て我国のなすことは米人の知つたことではない。余計なことを云ふな「それよりも米人は須く御自身のなすべき事をしつかりおやりなさい」と云ふ事は、これを米人に率直に云へば直ちに了解する国民である。
だからと云つて満蒙に於て勝手にやれ、と云ふのではない。私の云はんとする所は正当なる事をなす以上、日本は米国其他に何等憚る必要はない、又それは彼等にはよく了解されることであると云ふ意味である。もとより満蒙開発に当つて三千万の支那人を無視することの出来ないことは云ふ迄もない。飽くまで其の了解を求め、これと提携し共存する意味に於て進まなければならない。而して私は自ら満蒙の第一線にあつて長年働き、これを実現せんと最善の努カをなしつゝあるものであつて、私の意図する所は支那側が一番よく了解して居ることゝ信じて居る。
然るに現内閣の満蒙政策を見るに、満蒙は我国にとつて、以上の如き明白なる立場を有するに拘らず、満蒙の現場に於て、又満蒙問題に関し、宛も何人かに憚るものゝ如き態度を取りつゝあることは遺憾に堪へない。今日迄我国の取り来たつた態度は寧ろ控へ気味であつたと思ふ程であるに拘らず、現在我国の満蒙に於ける外交は更に気合負けと位負けをして居る。これを建直さなければ駄目だと云ふのが私の主張である。斯く云ふかたとて拳固で行けと云ふのではない。拳固を振廻す者は却つて卑怯者である。
勿論我国の満蒙に於ける施政に就いて神ならぬ以上時々失敗のあるのは已むを得ない。又満蒙現場に居る同胞中にも吾々の誇り得ぬ分子も存在し、我国の反省しなければならぬ点もある。併し近年に於ける日支両国間の行き詰りの最大原因は、即ちこの外交上に於ける位負けと気合負けである。従つてこの点を建直さぬ以上種々の技巧や小手先の細工を弄しても断じて打開することは出来ない。この点に関して私は今議会に於てのみならず、尊敬する先輩として、幣原男に再三卑見を披瀝した。一日も早く国家のために猛省せられんことを祈つて居る。これが現在に於て満蒙問題行詰り打開の唯一の鍵である。斯く云ふからとて、直ちに支那人を威嚇せよと云ふのではない。私は二十七年間支那人と往復交渉した関係より充分彼等を理解し、真に衷心より彼等の利益を増進せんとして居る点に於ては何人にも譲るものでない。例へば支那に於ける治外法権撤廃、関税増収等に就いても、日本人で最初にこれを唱へたものは私であつたと思ふ。こう云ふこと、又私の考へ、態度は支那の友人達のよく理解して呉れて居る併であると信じて居る。
三
次に我国民のはつきりした概念を持たねばならぬ他の重要なる点は、私が永年これを唱へ、満蒙問題研究の結論として居る東三省、即ち今日の東北四省(熱河省だけ増加)と東部内蒙古の地域の開発、安定を計ることである。これが窮極に於て支那問題の真の解決をなすものであると信ずる。我国の国防上、経済上の生存権を主張する上に於て、これが最少限度の要求であり、換言すれば、我国の真の安泰をもこれによつて決し得るものである。更らに朝鮮問題の将来を想ふ時、これ又東三省及東部内蒙古の問題解決によつて真の解決をなし得るものであるとの信念を抱いてゐる。斯く考へ来ると東三省及東部内蒙古の問題がやがて極東の大局を決定するものであり、今日世人の云ふ満蒙問題は真に極東全局の鍵であるとの信念を抱いて居る。
更に一歩を進めて理想を云へば、平面的の欧洲文明に対立して居る立体時の東洋文明こそ、人類永遠の幸福を表徴して居るものであり、而してこの東洋の立体的文明を復興し、拡大して世界人類をしてその恩典に浴さしめ、其の福祉を増進せしむる使命を負つて居る者は日支両国民であり、其の光輝を発揚せしむる地域は実に満蒙であると信ずる。
これは或はユートピアンの夢想の様に思はれるが、この点に関し、私は満蒙過去の歴史を検討し、我が大和民族と如実の関係等に就いて浅学乍ら相当の研究をなし、満蒙の緯度、気候、風土等に就いてもこれを孝へ、又世界人文史上の史実を尋ねたる結果、斯くの如き大胆なる結論を下し、それを私の満蒙に対する窮極の最高目標として居るのである。私は国民が満蒙問題を考へる時、これこそ極東の大局を決定する鍵であると云ふことを強く意識し、更に述べた如き理想むも併せ考へんことを希望する次第である。前者は実際政治の範囲であり、後者は理想に属するが、この二つをふりかざして満蒙に対する我国の態度を明かにし、かゝる信念に基く確固たる主張を貫くことに、全幅の力を注がねばならぬと私は思ふ。
外交は単に日に起る普通の国際事務を処理することを本質となすべきでない。そんな事は事務局を以てすれば足りる。何も大きな外務省は必要としない。真の外交は我国にとつて最も重大なる死活問題である満蒙問題の如きについて其の意義を明かにし、これに対する大方針を樹立し、我国民をして向ふ所を知らしめ、且つ世界の形勢を我が国是に順応せしむる様努力することでなければならぬ。
(昭和六年四月稿)