外交の更新と満蒙問題

 

         −麓ケ働の件統を破れ

  此の瀾の衆議院の故意食に放て、外交に紺する質岡を読むるに雷町、先決岡建として先づ筋席外務大臣
 に勤し、国民と順に外交をやらる1孝へであるか、井又依朗官僚乃至秘密外交をやらる1孝へであるかとい
 童を告たのである掛−毒な管切つた冨冬鳥試みなければ普憑七いふ事は卜誠に悪な革
 でもあわ馬鹿ネオtい事でもあるのであるが、残念乍ら我日本に於.ては斯礎な質閑を葡曾町於て除儀なくさ
 れるのである。野原外相町長に勤して、外交漑時に称捧心せなければならぬ革もあ訂のであるが−兎も角−
 計空簡原)漑由民と倶に外悉雷やる孝へであると答へられた0今のせの中でま書か噂民と條に外交をやらぬ・
 といふ容患す息外務溌臣軒あ息甘いが−私は此恩義を先づ取つそ兎から外交の甘費に曙する質問に入つて
・紳一時何年忙且つて硬々食事項に洗いて質河を敦したが、要するに筋原外相は殆んa何も彼も事の眞相をお
・ち萌けない0葺贋上の答辞は殆んど絶て避けられるのである。其後他の同僚から、日下日蕗の偶に重大な頻
 繁として、我拭民が何れ針革の鼻相、及び成行を知らんと熟窒してゐる坪の、所領北漁漁異同簸や鮮銀浦塵
 支店同患等に就いて質仰を試みたのに勤しても亦、此れ等は懸案中であるとか、又は将に交渉を陶冶せんと
 してゐ名のであるからとか云ふ理由の下に凡て具醍椅の答辞を避けられるのである。夫で更に其後になつて

 私は止むを得す昇町簡辟外務大臣に野して、発きに私の質閑に勤して輿へら打たる普費、重明撃鴎民と叔
 に外交をやると云はれも嵐灯瓢いて質したけれども高要餞を得なか言のであ告即ち笹原外相は、口で
 は同氏n供に外交をやると云ひ乍ら、賓際に穣んでは轟く団民の知らんと欲する析の、現に我同上他歯との
 乳に閑鞍となつて居る市岡単に就いて、一切蔓明を避けらる1のである0斯く此箸如箕に全図民に知らし
 めなければ何時迄経つても到底国民と倶に外交をやると云ふ革は出来ないのである。新祀があり燕尊信や
 号ヂオの飛んで替る今日の時代に於て、拭民に重大なる利害関係のある事柄に鹿軍取少つ1ある、政府の虫
 警嵐単にして置かうとしても、乗れは所謂・演醸して尻廃さすと云ふ事であ写或底不可餞である、のみな
 らす、殊更に秘密にする結果、動もすれば彗て非常な誤解が停はり、常に囲民を誤り果事件基物の解決と
 も困難に導く様な事があるQ私は斯う云ふ見地に基いて最後に筋原外相に勤して、今の時代の賓際に盤み貌
 く汚省し麓ケ粥の樽統を改められん立首切望して遣いたのである0其際にも指摘して置いたが、かのルシタ
 言碗・アラビア境野沈閑官に粥聯して、米頻政変の決裂間髪を入れないと云ふ危機に箇つて、釆研政府は
 濁敷攻府蒜して彗た電信灸文を、浄汲些肘豊交する時間を計つて夫と同時刻に、葦文を衰嘩全米政
 所固に食費し、又椅粗から接手せる解答文を遅滞なく公表すると云ふ様な慮筐を取つたのである¢叉カエ
 ル;土地法圃担に就いても最初から米国政府は、日米稲歯攻府の間に往復する公文審は其都度悉く公表し


                                                       H官




  ゃぅと鍵領したが、日本攻府は之に反勤したのであつた。此専一二の箕例に就いて見ても、日米南囲攻府尉
 の外交阿掛に尉して、其団民に勤して取少つ▲ある懸崖の懸隔甚しきを見る事が出来るのである0而して今
 日相箇文化の進んだ団に於ては、事が重大であればある捏、又国民の利宰繍係が鹿切であればある程、其事
 柄の眞栢なり交渉の内容なりを遅滞なく且充分に囲民に各所し、又或場合には交渉の開始されんとする前に
 於てゞも、或は新牌紙上々兎し、・或は議曾閲曾の際鶴曾々逢して或府の感度な少、賂に取らんとする措置.
 少くとも其大要丈でも之を公示するのである。頻るに我飼の外務省払、昭和大卒の今日に於てすら、今舟ほ
 ブリユーブックもカブイーペーパーも出して昏ない.僅かに時々浮つぺらな小冊子を出して屠る位の始末
 である。是程外交に於て囲民を無親した官僚外交むして屠る囲は、殆んど世界中無いのである。支那に於て
 すら、背から外交の往復文審等は其俸そつくり公表して屠る様な澤である・現に私の音記官として北京に昏
 た時分に於て、支那の外交同夜に就いて調べ櫻と思ふ砕に、少くとも之に蹄する各文書を賓料とする払に於
 て、支那政府の公表して屠る虚の文書は殆んど完全であつて、取詞上何等の不自由不便を感じなかつたので
 ぁる。朗るに日本攻府む取つた外交上の措置に就いて、囲民が之を調べ楼としても殆んど手掛少がないのみ
 ならす、外務省の内輪に於てすら、外交上の灸文審が灸衷と云ふ揆な形に於てよく整理してない結果、時に
 群酵な困耗む感すると云ふ有様である。私は外務省に替る時から此の革を清掃して一時も早く外交文啓だけ
                                                                                                                                                                                                                                                        ヽ

は、毎年嘗蒜に彗て公警べ昔のであると云ふ雷増へで来たのであるい之に勤して掛々面倒な
革倍量纂、兎渇各層がやつて慧程度に誓、是もやれないと萱革理は宅誓い讐あるゃL
        ニ我が国民は浦蒙に何故冷淡か
 彗将単に苧も、要するに今暑は箇噂者の二三者がこそくと、秘密に或警放つて是纂ふなど▲
 云ふ挙式なや旦万は到底欺悪夢げ得ないのである0攻府纂く先づ学藤蒙に附する賓際の手管革時払
 民によく知らしめるだけの手段を簿すべきであ抄民間に於1も大いに革む賓際を彗ノ以て究めなければなら
 ない¢即ち溝薫岡担に嬰しも何はさて指せ彗ノ官僚秘塔外交を排し、各閑的層民的に之を取扱はなければな
 らない、それには彗以て革箕を全図民が知らなければならない1叉囲民に之を知らしむる丈の手段方碧−
 帝じなければならないと思ふ0故に私は本論に入るに先ち官僚乃事藤密外交を胡すペきであると云ふ革に叔
 き・割合に辞しく適べたのであるい事軋も錬々究めすして帝蒙開醍を漢朗と談じた併で像ね役には立たない.
 瓢が国に取つて京大な関係のある此滞蛮閑題に就いて、琵際我が国民中、果して蕗人本音に農相を知つて掟
 るちのがあるか、私は此山盛に就いて研か康印鑑持つて居る・香や、疑撃ヌころ町詣ではない、本音に蒋安
 田匝の昇相む究めて居る人は、少くとも毅が回の攻治家ヤ貰東京若しくは知名の革者等の間には殆んどない





 と苫はなければならないことを、私は平素から非常に邁憾に感じて屠るものである。斯援な事では済薫に府す
 る経倫も外交も何もあつたものではないと思ふのである.現に蒜年秋に京都ぶ開かれた太平洋曾故に放て
 も、最初から瀦薫陶短が一番やかましい哉経にされると云ふ事が解り切つて屠つたにも拘らす、此の合繊に
 出席した日本の委旦達の中、果して誰が蒲蒙河野に就いて相昔の如意を持つて居つたと音へようか。私とし
 七総官時の向鰊に掛して云々するのであつて鮮に云ひ番い事ではあるが、、革箕は革質であつて、夫を我が国
 民に際した貯で何の役・にも立たないから有身の依云ふのであるが、此の合議に出席トた英米人の中には此の
 忠海や働かれる前に、々ヲワーク芸博士姶掛蒲菜の洩壊へ行ウて親しく調査を蓮げた人ぜ少くないのであ
 る。射るに我が飼では大挙の粗山教授が特に甘から萎頻jれた男に、わざく蒲薫に行つて研究Lて来た以
 外に鹿程我国に重大禎鵬係があり、而も、此の太平洋曾議で」番やかましい開経として槍玉に皐げられると
 云ふ事が判戯として膚をこの間箆に就いて、合議の掃かれる前打二葦帝水の地で有り乍キ蒲蒙の現場に行
                                                        \ノ
 づて見て衆た人が、− 或は私が寡脾にして知らないのであるかも知れないが、少くとも私の知つて屠る限
 bでは、一人もないのである。最近の清蒙に就いては、支那の稔淑希君は申すに及ばす、シヲツーウエル博
 士やヤング博士等だけの知敲すら持つて、此の合議に怜んだ我が委員は先づ租山教授を除くの外には一人も
 ■なかつたと云つても過言ではゐるまいと思ふ.私が此の事を此虜に指摘するのは、たまノ′1このととが一番

 よく我が絢人の蒋蒙に崩する勿泣の程度及び其の経めて不用意忙して且つ熟も頼もない懇度を澄明して屠る
 からである0何たる暢気さであるか、何たる冷淡さであるか0これで何虚に口々開けば抑も滞蒙は我が団の
・死活同位であるとか、やれ日本鴎民の経済存立1必褒條件であるとか音ふ資格があらうか。.誠に呆れ果てざ
 るを得ないではないか・大凡そ其路の死満開層忙して、且つ日本が滞靂に於て沸ふたやうなB大なる犠牲を
 跡ひ、耗犬なる努カを膚した地域に就いて、斯く日本国民の如く無知綴であり冷淡である拭民は、日本以外に
 推せ界中にないのである0我が固民が何故に斯く滞蒙に野し、無知諌であ少、且つ叉冷淡であるのであるか、
 私監して云はしむれば少くとも堅牢の罪は歴代楚攻者が窺はなければならないと思ふ。妄に樽統均秘密小
                                                                          ∧
 外交の随恩讐品却し得ざる外交あり、他方には芸者自らも満蒙岡野の芙牲影真に徹底し得す、川
 徒つて又国民に掛しても何等的催なる方針も示さす、事態忙賭する明樅なる報道や知辞も供給しなかつたの
                       や.
 ゼある0故に1我が韓民は清薫に野して唯、漢舶として1重大なる閑係があると云ふ事は感じて屠るが、瀦
 態に野する生きた動きを秘密忙して判らせない寧日蕗戦役針去ること速くなればなる樫、蒲蒙に賭する興
 殊ヱ漸次薄らぎ来少、やがては明治大帝の和邁志すら追懐せぬやうにな少、甚だしき品蒙に媚する其認
 辞すら根本に誤るやうになつて来たのである0蒲蒙に就いて先発者であると云ひ得る人でさへも、却つて蒋
 盛に浦やを抱いて居る欧米人程にも正確なる知識と認識とを潜って障らないのである。蒲蒙に摘する限りは.


                                                      dJl




  最も緊切なる閑係を有する日本閲民の意見を以て、世界の輿論を指導したければならぬに狩らす、斯く動も
  すれば飲米人の意見に償って日本人が引摺られる傾向があるのである.これは果して何人の罪であるか.

                                                                                                                         ■ .」 ′
           ≡ 国民外交と茸カの充賓

  以上遽べたやうに、今後の我が朗の外交は盛≠柑侯以来霞ケ補の秘密外交の健統を打破して鴎民外交の売
  を奉げなければならぬ。夫は如何にしたらよいか。私の信する虚では大乗時の其固の必舶性に基く駒民の要
  求に立脚した解放時のものでなければならぬのである。是には霞ケ紺時の秘密も小刀細工も要らないのであ
  る。即ち我が掛滞攻先に就いても同棲である.私は何時も繰返して云つて居るが蒲蒙岡垣なるものは、理想
  的半面を能れ、一首忙して云へば我組の国防上及び経椅上、生命線であると云ふ事に轟きるのである。郎ち
 図防上第一線で濁少、而して我が囲民の経済存立上必須條件である。此の経済上の方面に就いては、づつと
  以前から済蒙に浦して縛際上の交渉が起る場合は、外務省は外鴎攻府准尉して常に之を繰り返して居るので
  ある。而して滞京が駒防上の第一線であると云ふ事は日蕗戦役が之を澄明し、更に英後の支那の事態と蕗囲の
                                                                                         −’ヽ・
  形勢とが金々其頻る所以を明白に裳香して居るのであつて、恐らく、此の罫は今日欧米有読者問に於ても、
 −鮎輿態を挟む者はあるまいと信するのであるが、我が霞ケ園や近頃我が国人(外因に向つて口をきく程の

 人を指すのである)は此斡防上の欝】線である皇式ふ事を何故か世界に肉つて.螢富する事を避けたがる鼠が
 あるのでゐる。私は何潮故豊棲な澄欝此真木な南して敬白な瀾超に就いて取るのであるか、丁輝に苦し
 むのであ満席敵嵐粂ぬセするので計るか、少くともさうさせらる▲やうな燈度を取るのでかるか。賛は欧米
 人の方が却サT我が国に取・つての儲蒙の国防特恵義た就てはつき少して居るのである。我々が異常なる飛行
 掛の委達を見る時に、瀧して絶大なる持家統制カの下に、今や生カを挙げて故意教典と云ふよりも寧ろ勃興々
 企尉しつ⊥あるワシヤを隣邦として有して昏町、而かも此の隣邦が如何に航峯陵に全カを注ぎつ▲あるかを
.想ふ曙、.瀦蒙が我が組防上の第】線であると云ふ事が一唐重大、深刻、緊切なる意患を胚胎しっ1あると云ふ
..革を痛感せざるを得ないのである。此の鞋に就いで今少し亀に故萌すれば、世界将来の戦ひが殊に日蕗
 の如く掛理的常備の囲町憫虹」朝者藤を生すると云ふやうな時に常つては、航峯戦と云ふものに王カを注ぐ
 やテ針形成にな少つ▲あると云ふ革は、我々素人と云へ井敬へて観測に欺からぬのである・此場合我が日本
 が滞蒙即ち大隠の或る地私に於て其襲来を防ぎ得す⊥て、直ぐに月不の峯で戟はぎるを符ないa云ふ破日に
 隈ち入った時、我が是が潮何なるかと云ふ事を想像レて見れば−図防上私の清摘した意義は直ちに鮎演さ
 るL筈である。私は斯く云ふからと云つて必すしも日蕗が再び戦寧すると云ふ看ではない。未は紳撞でない
 駁む∵聯らない。而して人料である私としては、日蕗の持家の陶蕗である事を熟撃して止まない看であるが、
                                               ノ





                                                              ーFl


                                                      ●



 大凡そ均際鞘係と云ふものは、生かり間蓮つたら何時でも団交の斯籍と戦撃とを儲さない丈の費倍と、用意と
 賓カとなければ其町政瀦を和する事は兇東条いLいふ事箕を、私は誠に悲しむ居である表し悲しむと悲士ざ
 ると欲すると欲せぎるとを岡はす、造憾ながら今日の国際紺係は敢へて武カとは云はないが、磨い意味の貰カ
 を持たすして、他拘の尊敬をかち得て拷交α知藷を桝すると云ふ事は、未だユートビアに層する夢想である・
 是は殊に欧米人に比してミスチックであり夢想者である昔の汲々東洋人か・ら見れば具に悲しむべき現象であ
 ると云はなければならないが、戯し現在の用際媚係の資際は遺憾ながら斯くの如きものである・吾人が蒲蒙
 何粗と云ふものに就で孝ふる時にも邁憾ながら国防の雪線であjと云ふ事に就て、はつき少した搬念を持
 っべく除儀なくさせられるのである。此の鮎は此れ位忙して置いて、我が国民の経常存立にとつて瀦蒙同
 位払如称なる#礎にあるかと云ふ鮎に就いて】通り孝へ1見長い・.

         均 経済飼濱の外交的重要牲

  昔時偶の外交は其重むを国家の政治的書くは餞土地蜃展に置いて居たのであるが、今や書々は外交の重¢
 を拘民控拷に定かなければならない時偶に生息して居るのである。是も私が過般竜骨に於て、外相に掛外栂
 渾締攻発に就いて質印したのであるが、外相は商工省の喝尉であると云つて答へられなかつた0是は霞々舶

 粂陛が野外脛済開港に就いて冷淡であると云ふ事を瀬して居るので外相一人を責めるのは集理である.未忙
 も拘らす、霞ケ粥は蒲蒙の我が国民経済特恵義に就てょ上茶々するのである。頻らば此の独に裁て外務省香
 我が拘民は如何なる程度這明樅な観念を持つて昇るのであるか、私は疑惑なきを得ない。今試みに私の孝へ
 を云ふならば是々大別して二揆に分けて見なければならない.
 (一王業立由と云ふ見地から見て出来得るだけの由よ少全部とは衝かないが)我が払の工業の原料品む
 満蒙に求めなければならない0叉此の虐に滞蒙を閑覆しなければならぬ。此の鮎に就いては、漢点ながら日本
 人は捉靖時に蒲費だと云へば直ちに之を唱へもし、え想像もするのであるが、然らば如何なる原料が縛られる
 かと云ふ事になると、少く共、普海の人は像り明純な知徳も軌念も賛ノて居らないのである。此の鞋に就い
 て、更に論じ度いが、飴り長くなる虞ぜゐ古から是を他日に譲るとして此虚では略して置く。唯だ此虔に特
 に指鏑して置かなければならないものは、我国に取つて基大計閏匝の一つである踵面箆セある0是に就叶
 て清横井他竺R本人凋係の支配の下に在a虚煉山として、少く共、今日既に知られて居るもの丈で十億噸
 の鏡石竣成禁大部分は庸謂貧♯ではあるけれども)があると推定せられてあるのみならす、今日蓬に調査せ
              ・も
 られ吾人の知幹線た庸を基礎とし、更に義査の方面聖且つて想像推桝すれば、南滞湘だけで或は二十億頓
 の威鏡石埋蛮丑があると見ても、あながち出膀日の想像とは音へないと信するが、兎も角、十億嘲として







 も.是々aて我が鴎の漸次頓知しっ▲ある成の帝要を汲想しても、少〈共、向ふ豆十年周は我が商の全拉り・
                                ∫イルセール
 帝要に應じられるのである。此外、石衆及共感化の阿雫石油真の圃笹、林農牧畜の同匝と云ふ様なも
 のが多々あるのであるが、英一々に就いて詮明する事は省略して置く。
  〇】)商業立国と云ふ見地からすると、我が国にとつて、将来是非共催保⊥なければならない我が国の生産品
 の大きな市場としての瀦蒙がある.此の鞋に就いては従来多くの日本人が簸じて昇らぬのである。私は何れ
 かと云へば我が生産品の市韻として、是から大いに蒲蒙にカを注がなければなら心ものであると宿するので
 ぁる。.点るに政府の如きは今命漑一人の商務官すら滞京に時流して居らない。此の一事を以てしても、少く
 共、我が男攻者達が、此れに殆ど思ひを致して居らぬと云ふ有カな陛揮である。成る程藤枝は或程度迄は日
 本の生産品の市壊として溝蒙にカ有用ひて昇るのであるけれども、点し、夫は中央政府に於て確固たる方針
 を樹て1萌蛾を指揮してやらしで居るのではない。徒つて蒋蛾の虐す併の如きは、蒲蛾首脳者の更改する毎に
 始終動揺を来して庶る.のみならす此の鮎に閑する滞域の施設と蒲蒙各地に於ける日本の飯事館との間に殆
                            .■r
 ど何等の聯紡がないのである。現在既に三千蒔人の支那人が蒲蒙に居住して居る。是れだけでも一筆浄水の
 窮が拘に取つては栂音大きな市場を成して居るのである。況んや私共の見る併では、二十年後には恐らく是れ
 が五千搭人とな少、五十年後には恐らく七千蕗乃至八千再.或は一億の人口になると孝へて居る。而して

 鴇蒙と其の更虹環境瀾である西府対亜滑海州.の称来と云ふものに思ひを致して見ると、我が日本にとつては
 是串の地方はたゞに席料品打供給地であると云ふのみでなく、更に非常た大計な我が国の生産品の抑場であ
 る、即ち太市掛であると云ふ革を想はなければならぬ・而かも商品取引な甘と云ふものは一朝一夕に開係が
 つ・くものではない心是は私の訟明する盗もなく十年、二十年先を見て、掛気強く用意周到なる努カを日々拐
 ′づて行かなければれらぬ・のである。頗るに蒲蒙に於ける我助は今亮此の粘に閲しての努カは果して如何々る
 もので領るか。極海に之空茶へば此の鮎の用意なり努力は殆どないと云つても過言でないと思はれる位で滴
 るロ現に今日までもあS遺臣鮭の猥逸で造つた商品は、どし1r・・・と萌蒙殊に北瀞地方に運搬して来られ、日
 本品を麻逐して屠る有棲ではないか。此の現釈に野して我が霞ケ開共他の筋ば如何なる研究を簸げ、如何な
 る野党を誇じて居るか卦方では毛皮頼も着て居るけれども、点し矢張少支那人の一番着用して替るものは鹿
 瀬でぁる。仮に五十年後東鵜藩亜細亜(蒲薫及びシベタヤ滑海州を抱括時に指す)の人口が入千古にな少一
 億にもな少、二億にもな少南して其大部分着用する対物、少く共綿布擬丈でも日本の工場に放て造ると孝へ
 て見れば、是れだけでも各尚市場持戟に肉はんとする世界の劫由の厨箸なる持、吾人に取つて大きな定めと
、なる光明を投げて呉れるものではないか●













         玉 東菜立拘と経済単位の蝶大
                                               /
  世人は今日我が穎の直面して居る印拍の不況に就いて経済肖耗を講じ、色々と詮議を国漑して居るr、私と
 鼠つてすれば飴袖に目瀾の事に挿はれ過ぎて居ると云ふ感じがする.(應急発も固より必要ではあるが盲本
 の所謂経済封難のどん底に横はつて居るもの漑、偶々世界の不況とか「金称費とか、要件とか、浮華とか云
 ふ戌なそんな日南の事ではない0今や世界の傾向から是々推すとご方に於て・世界の経済我に於ては何れも
 大きな歴涛軍使を求めつトあるのである。現に此の傾向の尖埼を待つて居るのが米国であつて、是に刺乾され
 ヲト;バ大陸の諸国は、ブザアン氏の香南の下に欧洲大陸諸国の閑にせめて経済聯盟のやうなものでも伴
 わ度いと云ふ磯薙が動いて居る0又英貯は如何であるかと見ると・チエンバーレyが唱へて以来色√な人に
 放つて唱へられ、近くはビーヴア」ブルヅク卿に依つて高唱せられ、更に昨今弊働麓を況して新改薫々作る
 と五官してるモズレー】淡の云ふ所々見ても強く是れが唱へられて居る.釦ち天性英本図と英樽自治領との
 何に於ける牌我同盟を形成せんとする一事である。此の欧洲聯盟なり英拘儀土内の閲攻同盟億少が果しては
 功するか叉成功するとして何時するかと云ふやう億劫に就いては倍大いに書の像地があるが、頻し一方に
                       ′
 軒擬な動きのあると云ふ革は寧はれぬ∩更に蕗印に就いて見れば是れはわぎAll・・指摘する這もない革である.

・あの頗犬な領土の上に絶大な拘束統御カを以つて、五ケ年計査なるも◎を既に着々箕行して居るのである●
 点れは蕗幽の経済復興と云ふよ少も寧ろ大潮典む企尉して屠るものである。現に日露の間に交渉しつ1ある.
 北海漁業同位の如せト少くとも早かれ淫かれ我が漁菜樺を奪ふの結果とならざるを得ないやうに企図のあ
 者ととは、苛も併許極東五年計葺を検討した者には之を疑ふの飴地はない。夫にも拘らす我が団の外務大臣は
 帝図議曾の壇上に於て、「ツヴイエツー政府に於ても事箕上東邦人の漁業権行使を不可畝ならしめむとするが
 如き怠辟あるものとは認められませぬ」と澄し込んで屠られる。私は元来何団にも粗衣式な御偲尉む振撒くこ
 とが外務大臣の葡曾に於ける施政方針演詮の全部であるべきものではないと思ふ。今の我朗はそんな陶演教
 官缶かされてよい程に暢気ではあ少得ない曹である.「意廃あるものとは諮められませぬ」とか「認められま
 す」とか云ふ閑簸ではない、盲看ではない限り車に取つて所謂蕗西亜の五ケ年計書な少、又極東産業五ケ年
 計輩なわ牢一統して見れば直にはつき少するのである.これは少し横道、香細目に入り過ぎましたが、要す
 畠にワシrの摂津乃至産業計壬は犬経済本位の上に府々敢度したる企蹄である事は廃を容れない・そしてそ
 れを着々賃行して居るのである.
  斯く尽きな摂津軍使を求める事が、少く汚せ界捷培切に放けるニノの大きな世界の瀬向である事だけは
 鬱へない事箕である。是れに肉つて我日本は、此の小さな控済単位を以つて良せなければならぬと云ふ破日



                                 声−−11■■■■l【




 に陥りはしないかと云ふ同拉が、吾人の限前に現に堤供されて屠る革は、之を認めざるを得ないのである・
 私はこの粘漑汚し我が拘の浄水と想ふ時に戦慄さへ薬じ得ない。少く共「生物である書々は坐して滅亡に甘
 んじなければならない義務はないのである。然らば此の開駐に就いて如何なる菓がある心、若し隣邦支那共
 和国と経済境港が出来るなら、此の上はない事であるがハこれは書々多年の熱望であつたが)それは容易に茸
 現しさうもない0それでは如何したらよいかと孝へて見ると、如何しても瀬菜及シベタア滑海州に我々は不
 断の努カを働けなければならないのである。是れは私は譲合に於ても明らか忙して置いた棲に、決して餞土
 的に此払方面に向つて我が経済界を庚めなければならないと云ふのではない、唯だ書々の求めんとする所は
 経済抑に此・の方南に向つて我が経済学位の雄大である¢南して是れは必すしも相手方から了解を得て箕現し
 得ないものであるとは思はない。朗しながむ兎には今の日本のやうな不用意な、叉、何等之に就いて方針も
 意識もないやうな事では出来るものではない.我々・は是れを尚是の一つであるとするならば、之に向つては
 非常な決むを以て、あらゆる努カを傾注し鬼ければならぬものであると信するのである0我が団人に是れだ
 けの孝へが果してあるか如何か、又是れを貰現する鑓カがあるか如何か、今日は二三の要路者が斯様な方舟
 を内密に樹て1混まんとした併が、それは及びもつかない事である。麟を挙げて之を是なb′として易維濱慈
 しなければとても出水ぬ事であつた.矢には国民をして、はつき少と了解と自費とを持たせなければならぬ

 と告、厭ケ管嘗外交から解放され寄ればならね十・
        六 掛蒙問題解決町意義
  私は革に云ふのであるが地理的材藤・其他の事情上々して我々は滞蒙閏軽を冷する時に共闘境地である庸
 のシベタア滑海州計除外して考ふる革捻出来ないの是れをも引きくるめて孝へて見て、庸萌輩健Pなるも
・のが、我が国の顔防上・経済上の存立のために如何に京大なる、而して或意味に於て席数毒し世の■中に漁
 掛と云へるものがあるとすれば)佃煮義を有して替るかゞ帝水盛べた庸に依少略明白にされたと思ふ。更に )
                                                         は
 私は蒲薫河野の正しき解決に依つて、始めて所謂支那岡野なるもの1終局の解決を見る革が出来、此虚に支“
.耶り兵の安定と云ふものが賓現し符られるのではないかと思ふ。・又、断頭嘲辞岡駐なる悔みも是れは猥少日
 本のみの悩みではない、賓に擁東金盾の悩みであると思ふ」が此の悩みも亦貨は肇同箆の解決に依つて自
 然解決されるものであると信ずる・斯楼に孝へて見ると結局、蒲蒙閑鍵が極東重点む左右する、叉具に之と
 ■安定きする碇であると云壷寄に逮するのである0私が飴凝以前から婆開挺は極東冬鳥の安東を決する盛
 であると云つて唇るのは郎ち右の棲な考へ方々して屠るからである。未頒ら今妄混めて更に私の坪想を音
 はしむるならば、聾の地域は是れを世界人文史の紛々尋ねて見モ此慮に事肖の卒南的文切に卸して、立



                                        軒【官



  憶栂文周とも稀し得る東洋文駒を復興し、更に世界脚光輝を放たしめ、依つて以つて世界入牢を救ふやうな
 ノ痕農む見るので漑あるまいか、叉左凝な事を賓現し得るものではあるま小かと孝へて屠る・点し是れは現寛
  政治の範陶に属しない事で領るかち、私は月tサトだけを述べて詳論は之を避ける0が兎に角私も淫拳なが
 ら相苫鹿心年月に五つて鍾々の方面から攻究t満蒙の緯度、気骨風土、歴史其他を孝へて得た一つの結論
                                                        〆
 せあ告然し夢であるとも云へるが、;の理窄である0此の粘に就\いては私よ歩も深い研究を薙げて居る
  先発の士に是れを質して見たいのであ増さうして若し是れ掛日支雨民族に五つて大きな理想となり得る放
  らば、∵我々は滴蒙閑静と云ふものに就れて一段と大きな、さうして一層高い目標を得るのである・是れを要
  する・に我々・が蒲蒙岡慣に就いて孝へる噂灯、我が団が過去に於いて凝って屠る歴史的紺係も、是が褒に沸つ
 たB大な渇犠牲上野丸を忘れる辞には固よ少行かなとりれども、叉日本としては此の閏題に就いてイゴイズ
 ムを芳する事は出来ないn蒼れのイブイズムを蜃讐べく雷雲全定い1は貰の全人警取つ
                      {
  て飴りに重大なる閏担であるからである¢我々は小にしては擬革全長のため、犬にしては世界全人類の名に
 此の滞京問題の解決を求めなければならない0粛かる根本に就いて団民を挙げて徹底してとそ始めて蒲蒙閑
  喪に就いて我々収如何なる頃如何なる人にも恥する事なき兵の王張を男し−さうして此の岡野に向つて本
 音に濱進する男気と気鋭と兵のカが亜ずるのである二度、朝鮮菊鹿保護の名に常夏に入む・二度、而Lて−

 決先鞭町日蕗働撃と云ふ我が穎の存立と費やかした圃笹に醜いて婆に東亜を蝕偽なくされたのである一が、山
鹿れは今月になつて是れを思へば賓は人間の如何ともする事の出来ない一鍾の拭執である?此の固執に依づ
 て日本は蒲蒙に引き入れられたのである0戯し叉蒲禁固短の意義忙して真に私の述べ来サた如きものである
  、
 とするならば吾々は此虚に一大決心を残し一大勇猛心な起して、此の深遠宏犬なる意義々具に顛現せしむる
 やう萱しな灯ればならぬ。蒲蒙の地は支那人の襲断すべき地域では固よ少ない.此の地域は前来速ペねや
 うな意義及び放旨に則つて、同胞民族、も少し具僚栂堅式へば日本人、支那人、朝鮮人、蒙盲人が雑居安住
 し且やがては光輝燥爛たる立憶約束洋文化を布く地域たらしめ度いと云ふのが私の窃かに抱いてゐる希望で
 ある。是れを小さく孝へても大和民族の雀くる所以は此の満蒙閑題の解決である。蒲蒙岡野と云ふものは、
 域慈の競寧線が如何だの宗論目前重要なる問経であるが)と云ふやうなそんな小さな同車ではない.日本人
 の多くは寅は蒲蒙閑短に就いては徒凝其放本に就ての港裔を誤つて居る.此の草津は何を物語つて居るので
 あるか、難解主義官僚主義の罪でなかつたか.今日偽書々が支那と成定同位などで季はねばならぬと云ふ低
・調なる現箕を私は如何にも悲しみ且つ恥づかしく感する看である.
 窮く我が財民は挙げて免づ滞蒙の現場に於ける事情を究め、其の根本の認誠を明かにすると共に、日本の
 内情と世界の大勢とに立脚して真の国東を樹てる事が何よ少も急務である.ハ昭彗ハ年四月耕U