松田拓務大臣への質問  第五十九議会予算分科会に於て

 

                                                卜八j‥付〓パ‥り鶉a♪舟;
      ニ・月 † 三 月                               ÷
    ・衆磯腐.独尊由−や打合

 松何番旦私は拓誘大臣に御伺したいのであ妙計す0蒲蒙開演の尉す&醜少1又帝鍾のすべを事栖の中で・.
 最新犬なる事項の;葺合慧の完成であると斯機に私共豊へて掛豊す0捻出拓相豊臣になつて
 卿引儲ぎになつた時、やはわ蒲蒙岡野の紺する限少、又蒲域吸すべき事項の中で最も重大なる事項の二つと
 云ふ風.把御琴になつたかならないか、之を先づ郷尋ねし穎す。
 於由臥務大臣音曾域逼のととは松岡君等の罷める時分に脇は引絆を受けて居る・是は教程重大のこと▲思
 ふ。間島協約にも切示されて居るが、今日蓬是が成就して昏ない。攻軋もカキ入れて此鮎は交渉したいと思
 ひます。其成功するやうに切に手撥を執つ七昏タます.
 松岡委員菰相も私共と見解を一にせらる1てとは拘に欣率と致します0又私共が藤塚に屠ります時に、最
 後までどれだけの努カを此問題に向つて梯つたかと云ふことも・恐らく拓柏が一審脂く勧存じの嘗であり士
 ナ。先日漁昇給曾で其あら方を邁べ会したが、あめ洩りであ少ます0頻るにそれ程重要なることであ`登
 犬なる事項であると孝へておいでになづたに拘らす、滞域幹蕗が迭少女した約一年牛、此周に此周陰に付

て義側に勤して撃たる契繁静撃てあるに拘らす、美的の幕に付て何も雲捗になつた形跡がな
い・而して叢跡のないことは彗漁意曾で外禁臣も宴めになつてゐる・この毒牟の間に今竜が
彗られるやうな蒲雷賢哲て最塞大雪豊の一つではあると音ひながら、音毒牟彗て塞
 きになつた理由は何慮にある。
松田国禁臣彗て置いたことはあ呈せ宗、是は事外交に攣ることであ呈して、外誓と亀し
てやらなければならぬ同学あ呈す0外交悪の彗が警ずして、今呈で交渉が閑誉れで昏ないの
であ呈すが、蛮は像程外交の悪鼻くなつたと考へるから外著と亀最つて、成べく此主張を文M
                                                               ny
 徹したいと孝へて昏少ます.                         ‖
松岡董略々同警告慧管菱響に誓私の笥に野して簡緊要臣からあつたのであ呈す
が、外至の纂が好くなつたとか好くならぬとか云ふことは、人の是で異字誉のであり書うけれ
 ども・少くとも私彗十三四年の豊頻畏婆畏に禁をし、滞蕎響取扱つて官、又現に二同聾
 に誉奉じた此私から見手ると云ふと・纂は私が驚る時から一年牛α後の今最警そすれ、少しも
 好くなつた形慧ない・之左翼臣菅拓相な暴悪して抽告に今撃葦彗て誓ながら、今少
 し好卜なつてから始めやうと云ふやうな革で・満薫に雪是人に仰いて御慧さい、蒲萱でそん彗妄
 仰しやると笑はれてしまふ・それは撃貴会豊島巻いて屠る嘉讐宝ものは1彗星に勤し

                                                       づ




                                                                                                                      「




  て態度が悪くなつて、唯曹遺志くなつたどとろではない、轟々侮蔑して来て屠る.此日本人を侮蔑するやう
 な峯泉であるに拘らキ外務大臣が音はれるやうに日本人に勤して客気が好くなづたと、斯う云ふ和解樺な
  らそれは根本に於て見方が喝ふと斯う云ふことになる。私共は日本人が侮蔑され、日本人が馬鹿にされるや
  ぅな客気は、それは悪くなつた多気と辟辞して居る.今度交渉を始めるやうになつたやうでありますが−私か
  ら見ると少しも客気は好くなつて居らね。悪くなつて居るのに、議曾が飽けたり新聞の論調が軒化したりす
  ると、俄にあ1云ふことを和始めになつた。併し是は拓相と私が蕗ら押問答しても」旦外務大臣が抽象的に
  卒嵐が好くなつたと音はれる以上、之を率直に御取滑にはなるまい。失言の程度に達したら御取滑になるか
  も知れ壷せねが、是は沌も失言と認めて御取滑し虻はな少女すまいが、革質は私が今宮つた泡少である0私
  は斯う云ふ岡野に付て攻賞政派の争を択中に置いて屠らぬので為ります.でそれならばもう;此故に付て
                                                                                     ノ
  郷尋したいが、今岡の交渉に寄合横道の完成の岡野を持出してゐカますか.私は内容まで知つて昏少ます・ど
  うか本音のことを音つて下さい。
  松田困務大臣 只今松岡君から白からの御意見もあ¢ましたが、和恵見は拝聴して忍きます.書々の孝では
  外務大臣が松岡君に先達て換算線曾で答へられた通少、客気は好くなつたと思ふ0演串良の感度も好くなつ
  たやうに思ひます。是は意見の相違であ少ますけれども、蒲蒙同位に造詩の深い松岡君の璧風見として窪ん

蒜腎て層ます・書慧筈と号何の焚捗町はい音昏aせぬ・引響交響る癒すで官ま
す」
松掌息外莞臣になると呼号も北海豊で少し突込むと空中芸る、是交渉鳥かんとして驚
こと計ら、内容は首へないと苧を張られ享が、松畏相は正直に木村蒲楼讐が開始した交渉の中に
は音姦悪はい写雪ぬと馨になつたことは、私其淡白であカ、正撃ある驚けは驚蔓じ併し
盈からやるのだと仰しやる、其彗ある0私は偶に有雷譲りまして、現内閣が慧て纂が好くなつたヰ
云ふことを眞な呈玄島定数しまして、監に付てもう一撃け蝕商したい0さうであ畠上・は何毒ん印
                                                           9
で最鼻査つ芸なる毘の;である此書彗の、而是零したやうに撃として工芸亀約は‥
存七居`唯履雷管だけ冨る、書横芙成旨て交響始める等は簸い0既に交渉は済んで、
契約笠誓詞紺してある0唯僅か妊驚誓ものは巣約の履行を泊れば琴私から見れぽ私共が引串
笈轡引継いで此契約の履行を毒牢の間彗逼らなければ・ならない曹な完サそれ考毒牢彗て窪
笠今度交渉農めやうと云ふ、蓑汐等に注い軍曹ない0是隼緩いじやないか。書々蜂聴契約
の賃亀る・人に金島して虚し量れ▼ない0期限宗て催管霞絶息畏芸中驚喜.是漑.辛
孟lは致し士盲小繋先農相1壌べ盈泡盛抱・・革ほ此書頗誉蜃ものはこ高年前亀島・

                          づ




 軋層に野聯し倹約が成宰レねバ其首時私蛙三雲盈官藍して昏り町中セ、由ら倹約変数一1れた人桐富
 絹をを宇田ヰも攣届憎毒見て官ぬ?澄もう盲附加音申もて筐要すハ書笠の大
・働年分将官まテ虜横道を賓現すを平にナらト是捻私が自分の雷簡上げ写甚野中†虚い¢やあ少ます
 ふ、掛白雀止ぜをぺ紫舟の賓乳掌ら私は・四年掛軍曹まサ。)其禅僧感性驚鳩芸や是層
・なサイ替り思す.々れ睦全野の・冊母やはなか■つ存ので夢ますけれ▲どもトー私が儀苛早川さん転死別して
.嘗食町し吼りて碧て足ら・た理由町此太針象閤虐め、碍であ官・他年舟すら由冬掛考支野人相手の交渉
 ょ云ふ・針は骨速≠、−轟m掛があ・音九舟儲音符づ▼て、後空身雀年濱重安ととが能くあ
 る→でゐるかを私はお・豊が昏りても出来申ぢゃないれと云ふ」普民政革の方が青はれるやう把鼻異にな
 軍やつて晶来虹叶のを−外頼箸薫になをやづて欝ひ賢づ鹿等あ宅警聖篭・と云ふもの
 何も虐さらなかづた。日本に取つては非昏々重大なろ攣あ妙まナのに」何を苛んで自ら森めて客気が好ぐ
 患った等と首はれも¢今日忙於て一番先に持出して貰らはなければならない此青倉威慈の完成を、今度の交渉
、の中に入れてないのであるか、さうして世間に汰ボンヤyと交渉を始めたと音づて、国民をして此間担が始
 ・りたかの如く思はすなんと云ふことは、それは飴少に子供崩しみたいなことである。蒲践で交渉を始めたと
 琴へば、音曾慧町交渉を始めたと.拘民は思ふ0点るに今拓相から微音明があつたやうに▲はいつて昏ない.−

 さう云ふ革で他姓も我国にとつて重大である寄合横道監沌成専は夢にも私漑思ひ得ない.之を甚だ悲しむの
 であります。現内約の態度む−1是は私は希窒して此鮎に紺する質問は打切づて置きます。で仙琴一に拓相に
 御臥したいことはい賓は舟掛合などで鉢岡するには像少大きい同経であ少ますけれども、改革曾があの洩少、
 時潤も犬費峯具し、さうして時胴が限られて盾少ましたから・到萌横合がなかつたので、分科曾の此横倉を利
 用して私は簡畢に徹圃して置きたい。それは、一醍我国の蒲変改兼、之をもう少し具鰹的に音ふと、其中に
 は飯事も昏少ますし、賄東磨もあ♪ますし、滞疎もありますが、主として私は滞蛾に限つて質閑を致します
 と、どう之をお孝になつて居るか、拓相として −外交のや少方に付ては固よ少外務大臣と御協議をなさら
 なければなるまい。而して或場合には外務大臣濁時の見地に立つて柘相の証文も固かずして外交に任するこ
 ともありませうけれども、資質の閃匪に付ては今日滞務省がある以上、拓務大臣が全責任を以て都決定にな
 妙、又都自身でやらなければならぬものと私は信じて屠ります。此帝成と云ふものはどう云ふ方針でどう云
 ふ考で之を動かして屠るのか、斯う云ふ質圃であ少ます。是で私が質縛を打切ると飴りに漢として屠つて質
 問の要旨のある所々御綿みになることがむづかしいかも知れませぬから、もう少し此鮎を私は詮明して宜く.
 それは私共の承知します肝では最初南清洲蛾道株式曾敵と云ふものを創設する時に、主として故陸軍大将鬼
 軍船太郎伯の考で創殴された.其鬼玉大将の御者は、一方清洲の経済翔蜃は何よ針であ歩ますけれども、及



                        づ



医短附‰紆aトa繋繁′パ


 他方に於て常時は蕗西亜の夜襲戦と云ふものを軍事上改想して置かなければならぬ。私は今日以後に於き士
 しても此鮎はやはり費るまいと思ふ。必ずしも彼等我と云ふものが質戦働形を取つて来るか、又は経済域の
 形を取つて来るか、牌叉外交戦の形を取つて来るかは、改め漁見がむづかしう御座居士せうけれども軍人から
 之を見、帝囲の団防む見地から軍事上之を見れば、やはり鹿西並の捲土重水と云ふものは、どうしても政見
・の中に入れて置かなければならぬものである0今も命も斯様に信じて屠¢ます0況や日定職率直後に於ては卜
 鬼玉大将が此露西並の復管戦と云ふものを孝へてJ之にどうして備へるか」どうして帝麟の存立の再生を糊
 するかと云ふことに就・て深く忠孝致されたのであ少女すq是は私が詮明するまでもなく、今日の蒲域と云ふ
 ものは少く上も其愉廟の鵬する限少、故鬼玉大将の演心ら割出されたものである。其時の鬼玉犬称の御者は
 極〈簡常に之を詮明致しますと云ふと、斯う云ふ孝であつたと私共は承知して居る。飼より蒲域と云ふ一つ
 の商事倉敷を創立致しました以上、出来るだけ経済拇に経費しなければならねと云ふことは、是は申すまで
 もないことでありますけれども、今の蕗西亜の夜響戦な少、捲土重来なりを一方に重大なる同簸であると竣
 見して、此見地に俵つて之を見ますと云ふと、満俄をどう働かさうかと云ふ劫に付き士して、故鬼玉犬浄は
 考へられた、それは偶に滞域が引合はすして一年一年五千汚職の足しを拘束から出しても宜しい.是はどう
 云ふ風に考へられた結果さう云ふ結論を得られたのであるかと申しますと、倶に十年後に蕗西垂が復啓戦む

 掛め針即ち打鹿筆が膚び誓と仮定襲しますと・福竜学巧紳か雀宮蒜去妾盲芸身せすが、
 色芸湧を舟豪雪十息の軌責が掛雀をしまして、今欝戦は或は毒管空軍なければ疑
 らぬおaq±官僚観取盈が浄写、帝も膵りか香ろか戦雲ある以上は参ら簸い。犬費な響P本措d
 苧ノ三盾る0そこで此癖噂の経彗且しきを魯モト経済特に白木のカを深く荷袋性構付け睾こ是儀写、革
・しも此欝この日露戦雷も1う十年侭に先に妊ぼし得たとするならば、どう云ふ結論軽なるか、是は改明する
 革もなく、孟H億掛るとして1十年簸びる−倶竺介の知子でも是は二竺一箇の刺子であります。之t
 を五分の利子と致しましても是が十億甲田牽制の負債を蛮行したと致しましても是は入富毎年沸はな.
.掛ればなら取P八億惚言致し致し↑も蕾十年排へば入十箇、・・朗らば妄に満欝至丁薗の補助を辟
 欝して斗芳が大衆に至溝暫と、警壱結論に慧られため言呈す.そこで勧盈のや
 影十尭洲蟄株著敵慧に瞥蒜に勅雷戟レて、御子六分蒜給与も保管た軍曹手.
 告甘号音ましたが表承知の普十五馬子掛給の乳が欝さ繁這刺蒜給蒜令姦し故
 ▼見妻人称の根本掛各に基いて臥驚息で鳶と慧0・欝私雀雷表面晋を噂独邁ペナ蔑であや
 ますから経済盃裏地に付でも議論は普ますけ普ヤ急性曾H瀬略レて好尚致しませ取。軍事芸、払
 防のみから見ましても今申上げたやうな辞で芸Q虚計段々年月が経ち重しで欝妓−を驚決して・





 雷祐相客−現内時のみ竪荒めると云怠味で冨するのでな・宗ら∴Fj悪筆だけはどうか申去つ
右下さ卜」義息琴忙彗て贋の内管此恩讐怠れ・てし葛て・萱幹驚軋代が蒙つて来
 士して、殆どaう云ふことは忘打て、唯、帝成の帳尻を合すことのれ汲々として屠る.慧簡裁は」橋けな
 げればならや帳尻を合せなゼればならぬと云ふやうなこと秒みに戯観として来て居るのであり垂す。同上
 妙瀦蠍としては自分の倉敷が引合紘ぬと云ふやうなことばか少もやつては居られまいけれども、少くとも藤
 野の幹部の演だけは、.此楓本救念と云ふも町に付てハブヰサさせて置かな廿れぼならぬ。蒲威の首府は放つ
 て欝ば易の塞の梯かるやづに−愛息うに・斗笥の方にの感き響のものであるからしてト命
 ほの革、隠の内閥は私が今汲べました鬼玉大将の御者∠を緑木かち非掛れと音はれ1ば、それは話が別にな
 りますが、之は恐らく拓相も御謬になるだらうと思ふ。.今の根本精銅の阿経であ少ます。此根本の構紳と云
 ふものむしつかり握つて、雀うして帝位幹部と云ふものを指坪なnら億ければならぬものである。・点るに近
 年年を迫ふに徒つて・轟々蒲餓の幹部と云ふものは此根本を忘れて、さうして、やあ三千南風今年は減収に
 なつたとかやれ何とか云ふことばか里すふて、蒲扱が一つの純然たる螢利合鍵であるかの如き妖轡になつて
 しまづた0之は私は帝国の瀦蒙に於ける地位、それから日露戦役後、葡図が滞蒙に於て足を踏出した共出費
 払に於ける大方針から之を見ましても淘に懇しむべきことであると斯様に信じて居タます●で私蛙之を捲噂

 忙中しますれば、最初打鬼玉大将の御者に立庚つて、今日劇復籍餓に五千筋陶なカー億陶なりを国家が持出
 しても、滞蒙に於ける経費に廿てウンと椅張らなけれ灯ならぬものであります。支那との銃撃など土石ふこ
 とはそんな大したことではない。政府は五千荷風でも一億軌でも潤してやつてドンく銃撃をさせてやるが
 宜い.さうすれば支那側は打漁れてしまふ。今日やかましくなつて居る閏箆は、攻府は歴代内閣殆ど満域を
 高見の見物をして居られるが、現内閥に至つて特にさう云ふ傾向が烈しい。さうして其根本を忘れて、唯蒲
 践が梯かるとか、儲からぬとかさう云ふことばか少今日蒲蛾の幹部が音ふやうになつて居る。此払に付て私
 は拓相の御高見を承りたい0
 松田駒務大臣 今の答辞の前に青倉蛾濃のことに付てどありますがト之は交渉の大綱に入つて昏ります0大
 網の中に入つて最少ますから此粘だけは申上げて置きます。それからの瀦愛国笹の大きな圃経であカます
    ◆ヽ一
 ■カ::..
 松岡委点 簡畢ですが、支耶榊に出した大桐の中に入つて屏少ますか、こちらの方の大綱の中に入つて居少
 女すか0
 松野朗務大臣 それは一寸申上げ柾hと考へます。是は外交上のことであ歩ますから」松岡君も外交官で
 したから御者じであ少ませうが、大網の中に入つて居少女して、今其程度に應じてやつて居ります。決して








 之を放棄して居る辞でも何でもあ少士せぬ.壬項祀して居る辞であ少ますから、必らす交渉が始まるだらう
 と思ふ。今の糖蒙印綬の大きな開経であ♪ますが、是は責任のある者として帝度が軍事上声防上重大である
 と云ふことは申し悪い.今松肝君の音はれたことは、私が海域を監督する上に参考には致しませうが、蒲域は
 飽士で平和拇経済拇であると、斯う私は孝へて昏歩まして、滞域の経費は平和倒経済時であ少さうして満蒙は
                           「
 非常に日本には五大な析でゐると云ふことだけしか勧答が出水ませぬので卦少士して、軍事上肯防上どうと
 云ふことは避けた方潮、日本帝国の名に良くないかと孝へて居少ます。
 松岡萱研か拓栂も外相と同Lやうな感度になられまして甚だ遺憾であ少士すが、此上押同等しても要領
 を得な一いと思ひますから、最後に一首だけ質閃して置きます。それは帝械と云ふものが若し蒲靂で引合はな
 い、算盤漑合性ない時は是は棟する孝であ少ますか。青菜を換えで音へば、之れをもう少し虜めて行つたな
 らば、我国にとつての滞京閑経といふものは、著し月本金憶として蒲洲で活動することが算盤で引合はなけ
 れば引いて算盤に合ふ肝は止つて居る、如何様に僻辞すれば宜しいのであ妙ますか.
 松村財務大臣 其軋も除程重大な岡野であ少まして、蒲威は利金がないと云ふことで引下ると云ふことは私
 は沌掛に出来ないと思ひます.、
 松岡委員 共和一首で私は措足するのであ少士す0私は此質閑々打切るに際しまして」音だけ証文をして蜜

 きたい0・々れ渦動もすれぼ駄卜町魯利に重きを恋いて今白瀦誉畢針、又は頸旧盆を見ると云ふととが準
・るや息憾があり増すから、どうか政府箇月に放て、蒲蒙閏臣は縦令引合私事も威豪が室丁甫固やそこら
 を毎年持出しても、大に開拓をしなければならぬ。私は引かなけれ灯ならぬ皇式ふやうな貸間をして屠るの
 ではない。私は少くも二十年位は生きて昏々ませうから、自分の」盤の事を漁思して音ふのでありますが、
.盈は弊滋に合はぬでも断じて引くことの出来ない地域である、即ち私は木曾議で申しましたやうに、蒲蒙と云
 ふむのは我組に取つて生命線であると云ふことをどうか御忘れにならぬやうに威ひたい。而して之を蒲蒙に
 ある我が蒲蛾初め譜横圃に向つて、私は徹底させて簸きたいと云ふ御証文を以て私の拓相に野する質開を打
 切歩ます勺其外細心い質閑は庸分あ少ます。私は滞威其もの1や少方に付て今日竜有感じ一て居る曲は多々
 あ町ます廿れ.ども之絶入カますれば話が細か.になりますから、是は叉何時か他の磯曾灯譲タまして、分科
 食の質牌は盈で働切れます.L■