太平洋会議に於ける講演及論駁

   藤一滴蒙旬過去及現在
 瀞凝は度々飯米諸固に於て、東雑の取掛跡ち「亜細亜のバルカ・y」ょ璃せられオ多くの記者は好んでこ¢
∵ぬ域を「凌の世界戦争」の舞碁として措くのであやせ†。肝し乍ら最近数年私儀崇に向つて東郷移民が集胡
∵約打沈れ込んだととが瑞なくも世界の】大開壌とな少、徒つて清黛の経済的牽展キ茶ふ事に多大の注意を喚
、救すキ町虜完ので告士すが1此の軽率局革j竿は虎に重罪なる掛響あつて・この局面に就いて著
 し了指摘するとと鹿野され士する怒らば、日本はあらゆる鹿骨故♯の庇月中にあつて健饗に而して黙々とし
 で、過ぐ椅四牛世紀に宜妙その目的とする虚に邁進し、々の努力を傾飼し奉づたのであります。日本は此の
由その国防上の虜各確保に紺しても.樹上り之を糊和するとと漑出木なかづたのであ歩ますが、それは蕗西
 亜が響て東郷と租謀して満薫香朝鮮までをJ、危く略取し了らんとしたのであつて・此の事は今歯ほ吾人の
 配憶に新たである.鹿央は繰返†、而して日本は常盤此の鮎に就き深憂を抱くものであります0併し斯かる
 洋牽む抱きつ▲之が封朱と堆も主として清栄の経済的招致呼之を求め、銃音努力し禁ノ瀧のセあります0せ

 

 界は今や浦蒙に於ける三十年町立る閑教の紀錐を以て、世界史上殆んど共の比を見ぎる併であると云ふ事変
 を認織せん上して居るのであるが、事忙してこの開教は偽ほ将来轍摸され得るのみならす、来るペき数十年
 後更に個航を点するに至るであ少ませう。
.満鼓の過去及び現在の糞績を充分に許債せんとせば、勢ひ種々なる此校研究を必穿とするのである。先づ
 節山に外国貿易海として牛荘むち「替口」の開放せられたる以歯の滞京に遡つて比較せねばならぬ。それは
 住人七十年前αことであ少ますが、常時の満蒙は資に人煙稀洋忙して紀代文明世界とは何等の凍解なき、】
.間の荒涼たる泉閲の地域たるに過ぎなかつた。只偉か.にその西伯利亜国境方面に於て若干獣皮等の取引が行
 はれたに過aなかつたのであります。資は北京の済朝政府は蒲洲の閑敢を葵励しなかつたのみならす、却つ
 ててれむ風止するが為に凡ゆる万乗を廻らしたのであ少士す.例へば帯鼻の長城以北の地に漢人の移住を禁
 止するの働朱を強行tたのであ少士すが、これに紺する洗令が漸く一九〇五年に戯止せられたのであります
 北京に於ける清洲執廷は満洲む臼して「クラサy、ランド」(帝金御領地)と為し、清洲以外の支邦萌土とは
・之を瞞放し金鉱別天地となし漢人には封焚の地と致したのでぁ寸士ナ。
 沸洲と一般世界との交渉の鹿央は、一入六〇年牛荘閑鈷の召上む始まつたのであるが、その開港以木の頸
 捷は甚だ遥々灯るものであつて、四十年飴を経て倫その外拷貿易は年琴】千耗梅紺術を趨えなかつたのであ

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 歩士す.而して丼の混入た少し併よは、常時満抑に放て叔るべき唯一の交政義仰が河川であつたと云ふ事‡
 托原因するのである.牛荘卸ち替日の位故たるや河口に凄つて貿易上有利の地位を占めて居少士したが、−
 虎鋳潰が清洲に於ける交洩撥翔として虜一位的地位と占むるに及んで、−年中の最真率なる教ケ月間河川の
 氷結すると云ふやケな甘‡も事件りて、牛荘即ち替口は大規模の貿易黎掛に封して甚方局限されたる役割と
 なつたのであり士す0
  過去三十年間に於て驚現せられたる大規模の浦崇開蟄は、殆んど重く鋳造蓬幹の開始に依るものであつて、
 之に先鞭をつけ紆ものは彼の蕗亜西人の三大なる丁字形の東軋幼遭捷紋でせったのであ少ます。蕗西蛮人は
 主として戦略的考慮を以てその線濃を薮辞したにも拘らす、その萱抒線路の分布は明かに商糞的閑蚤に相
應よもの.であつた。跡ち諒浦壁斯徳を呑吐港と⊥て軋酉町甘言貿易線路、他の諒大連を経鮎として南
 北に竜る線路を敷設したのである。私が特にとれを指摘する所以のnのは、特殊に砕けるこの上の清栄閑蟄も
 歩この原計宴の示した原則を糟現する事に俵つて鹿府せ計る1こと殆ど衆を容れないからで卦る、郎ち大使
 東西と南北とに毛る蓬稔路を治るべきであつて、この原則は過去に於ても現に成果を粛したのであります。
 紀代的方針の下に満蒙閑蟄の先駐をなした名容は之を蕗西真に捧げなければならぬと同時に、蕗西亜人の
 清談に於ける事菜は殆んど−般世界に封しては何等の利益を輿へなかつたことも明白な事蜜であり士す。郎

 も鹿西蛋人は滞蒙の繊温をば全く自己狗特曾H的の革にのみ使用し・他の拷艮渦依憩として牛普通じて浦
・.蒙貿易を営むの外逢せ恕かケたのであれます。点るに日本が末文鋳潰南部線の大学を併有するに至つて形弊
∵ふこ嘗た諒甘潰費暴悪開局の為に開放し壷を自由警為し基金掛警告て箸蒜誉
 瀾の閑儀を促進し、放つて以て満蒙を世界洩商上虜什二大畢賓たらし心べき庶動力を塊供したのであ歩ます・
  日序数役直後の常時に於ては、滞京の官は瑞箕と云ふよりも寧ろ未開教で饗現可能であると云ふ托過ぎな
                                ヽ
 かつたのであるが、今日目撃するが如き満蒙の紫柴は.資に過睾手放ケ年に互つて速行せられたる閑蟄事
 粂の賜である。海して斯かる閑頚の主たる卒素は商務洲鍵潰及び井の他の我が各種椿益の存在であつて、む
 ちこれあるが為に日本政府をして常に滞京の治安維持に精進せしめたのであ少女す。蕗蒙貿易の為に開かれ
 たる二十入歯斯α掲港壕乃至閑満場の軒ご十四歯併は驚に日本の蟄意に俵つて掲かれたものでありますが、
 とれすら思し計軒が満蒙の囲際泡商蟄展の衰に快くべからぎ渇二つの藁」由ち苧和と畢生にして虚妄なる
 道敵機緒とを供輿しなかつたならば、殆んど何等教条を封き−なかサたであ少辛ぜぅ。
 是の慧針生以前に彗て昔時の浦警姦本部宗管長校致しま†嘗ば・豊豊知悉の
 ノ地域であつて、世界各国との貿易は極めて欲々たるものであつて浦蒙は唯馬価の操行に委せられた不毛の稚
 として、東郷本部でさへ之に掬し殆んど何等α知識を有せザ叉何等鞄心する研がなかつたので.あ少まTO立

                                 /













                                                                                              E .打


 警部に警は常纂に繊造・港潜・雷、その他幾多の琵文明の態様に警琵的費慧誓示して居■
 た易らす、清洲は何豊革上扁の薫の地であつた0警に過至十年聞に警清洲は晋嘉蛮に
 温ひ付いたばか阜なく、発多の鮎に誓更にこれを漆毒するに至つたのであ豊す0又嘉本部に於ては
 内豊ハの他の擾乱の筏に殆ど牟く産蓋還、特に琴愉機能を停止され、叉或る場A町には既存の産美的横能の
 破誓へも瀬へて見たの夏るが・之に反して満蒙は不断の建誓開準宗進見たのであり享0吟爾
 賓は三十年釣竿軒立凝し妄郷家屋があつたに響なかつ漂であるが・今や苦学稀の居住民を有
する嘗となつた.のであ豊す。叉昔時名も知れぎる宏の芸に過ぎなかつた大連は既に裏に欝る第‥
ニ位の欝ちて居豊す。埠去二十年瀾に警満蒙の人口は二倍に慧し、其の外国質易は年攣千蓋′
                                                        −
 翔誓是健二千六膚藷南に増進↓ました0北京の清洲朝廷が伐つて学漢人の務冶に費し露悪洲
 桃人なる雷供給した以外には、支欝とつて何等の重靂を為せ苦して顧みられなかつた薫地であ
 宗満洲筈や発多の雷撃・庇豊郷に草葉菜なる地方是し諒豊郷の外貿易纂の三分の
 】を措常して居りますけ                ハ・
 此の満蒙の閑欝対して、井の之姦菅たる名審の完著者本音豊求し得る資普有すると栽
 は慧敢へて申す等あ毒すが・必らすし鼻棟の抑叱豊栄良すまいと思ひます0常に於る是の

 彗の活野不孝にしてその最警り輿分慧の警以て硯られたのであ豊す0たとへば・完○臣十
・ニ濯サdアレキサングトホー汐イの書きました蒜里讃むと嘲か興味があります。qて、
  〓入九四−九五年の日滑駁撃に依り市浦洲が日本の侵略占領するところとなつた為に、清洲油層の
 肺贋関して成る方面では甚だ悲鶴的な意見が種完膚たのであるが、此の種の草見は何れも共の後の
.札雑事に伐つてその雲なjとが毒せられた0是は今や浦洲特産物の妾市場と化し、而して是
 は芸の大に買ひつ▲ある清洲に向つて自己の製驚の販針慧全力姦飼し、之に和音成功しっゝあ
  る。日滑敬磯以来満洲の貿易は革饗三倍に摘感心た。」
 感覚儀瀞嘉事々して是の執つた芸なる行動は南清洲望慧纂の翌と蛮H裏芸の際.
∵殆ど破壊去完萱線路の芸誉でa手e本は芙建嘗今日の如き詫的港警化せしめた.
 をれか息天J豊東に誉斯学琴線鼻骨、叉露倒儲繊造に封して金彗の便宜を個サ且つ多
 」の場合に警罫↓義人に代つて共の彗の琵に窒毒而して凝の笠は監なる地域に昔
 井の緒敬針促進したのでむ少せすO日本の成し途げた贋験と研究とは大将浦安め農産及び畜産を改書し、魔
 ひて払種々怒る満蒙の原料晶を世界市場に押し出した.のであ畑ます。
 是の満蒙に於ける粗芸る活動の主たる動嘩は以上k日本自身の利払有料らふとする考慮に基くので
                                                      ナ



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 ぁりますけれども、同時に叉満蒙に在る持外国人並に東郷人が之に依つて跡ち浦蒙に日本の樺益が存轟する
 と云ふ革質に依つて、甚大なる利益を受けて居るととも一鮎の耗を容れないまで明白な事であります0現に
 清栄灯象る居留外人は共の輸出入商品を稔逢するに首つて、主として日本の摂遺著くは日本の鐙琴した拭戎
 並に日本の経費せる鞄増設備に寄頼して居るのであります。叉時局切迫の場合に於て居卦外人はその生命財
 儀の安鼻確保に放て日本の駐屯軍に期待を帯ぐのであつて、共の敷こを妙ないが・従来猶少日本人が之に伐
 りて保秩せられ居るのみ†はない。居留外んと多政の支郵人も亦我が軍隊灯叔つて居るのであります0例へ
 ば彼罫麓事件の常時卜多数の義人が芸の附凛に柑集し管−墓天に誉発慧も葦の芸
 a翔するには日本め軍隊に依頼するの外ないと云ふ苦卒直に認めて居たのであ豊す0
  叉清栄碓周る諾外村人は主として日本の朗読に係る術生施設、都市計雫病擬紋傭、丼の趣の近代的文化
 施紋秒恩慈に潜して居る.若しそれ管て満崇に猛威を埠ひた名ベスJ共の他の流行靖に対して有功なる防衛
  施旺をなし得たる如きは重く日支協力の脇のであ歩ます。
  持外国が底接闘凄に清まの関数に対して和音の寄輿をなしたることも亦伺よ少音韻すべきではない.秒ち
 英軋はその主嬰瓢分が沸洲に樽はつて居る併の京革線を密設し、叉南清洲鋳潰株式合敢が井の偉大な孟二
 女的事菜を遽行する琉に委した最初の批依は英国賓本の塊供に侯つたのである.特に初期に於ける南清洲錬

 延株式倉掛の設備計は大部分米糊から旅人したやうな次第であつて、琴灯この粥潔からして今日でさへ南浦
 洲櫻延性換範的な米国式革濃だとやはるゝ誓あ豊す。それから蕗宝は瀾身鋳造新鹿訳し、而して梯櫛
 オはこれが大部分の建設箸供給せる事に依つて満豪に貰戯して居豊す0世界は今や滞て忙して満家に於
                                                                                               ′
  て成し遼げられたる進歩の驚蹟と偉大なる清爽の黎展可能性とに就て目覚めつ1あるのでありますが、向後
.拷外国の資本が弗の投↑の誓滋衰に求め彗1、更に浦家の開票歩を速越するであらうこキは品等疑ふ
 .故地がないのであります。
                      /
   満定の瀾蟄に依つて緒外団がその利益の分配に輿少つゝあ渇ことは貿易統計が最も良く之を示して居る.
  私は只今精細なる統計数字を鉦列して緒君を煩さむと欲するものではありません、唯簡単にそのニ、∴ニを申
 し速べそjセ止めます.⊥入九入年には英国般舶の滴洲に入籍せるもの合計官六十入隻、十六彗千嘲で
  あつたものが、一九二八年には五官五十一ハ隻、ニ官七十稀噸に達した。女に米国糖舶は】入九入年に於て浦
  洲に来れるもの僅か払帆飴四隻、合計二千四古噸に温甘なかつたヰのが、】九二八年臥ち過睾二十ケ年の拗
 葛二十七草五十帯頓に増加して管ます0南満洲の三開港場を導して行灯れて居る英図の野満貿易竺
  九二八年に放て合計二千帯港紺術、同年に於ける米図の封満貿易は二千六首五十萬港紺南に達して居ります
  愉ほ一首附け加へて乾きますが、支郷郵経常局の蟄真によると、昨年度に放て米国の支郷本部に対する輸出







 領は¶人骨カニ事仙官印物身重込んだことになつて居るが−それが浦洲に封しては二人常り八十他の割合に
 なつて居るのであります0
 満蒙の開蚤に俵つて支郊人が如何なる利益を蒙少つ1あるか、これは儲詮するまでもなく飴妙にも明瞭な
 事驚でぁります。然る此不孝にして、清洲は外層人の「略奪」する朗となつて居る、と云ふ不平を断えす支邦
 人働か絹脚か.・首れるので盾るノ。日蕗南開軋轢の脚下檻揉蹄せ・aれて昇る河野なる凌郷人を措いた紛重などよ
 く見る・ので.盾少ますが、事資は如何であむかと申しますれば・耳は満凝関数の壌灯要した創意l資本並に企
 敷の殆せと雀潮が外鳳人に依つて捉供せられふ芸であ音、此の事が躾て渚蒙の盛牢非常な宰相な事であつ)
                                                        沖
 たと準は信丸る・似であ少ます。郎ち欝甲亜・日本l英囲は成年咋至るまで粛欝上野洲に於ける凡ての鋳造をr
建讐ると共に、共の霊長給した等あ豊すが十之に反して、浦憩蒜歩と其の統濱及筐民の賓
奥の基誓成した大鋳造網に封して嘉の是れtをや沸つた現金出支畑地校的少額なのであります0これ等
 の餞造な〈、殊に姦豊斯穂の港濁凝備に依る浦洲特産物の換慣肘掛息づ一たならば如何であらうか・今
              一
 日の浦求も牛丼を唯忘梅おとして居つた昔日の満蒙と相距る「歩町止渇べきは妖を容れない虚であると息
 ひます。寄ら窪敵機紺の教達と治安の推持とに依少、清洲が現に支郷に於て最沌紫柴し最も能く秩序の保た
 れて居る地域であ少、叉将来の蟄展に封して最大限の可能性を有すると云ふ事質は換乎として明かなことで

  あります一
 更に支部の友人緒労は滞蒙の成る地方に放ける外科樺益の倭池的地位に裁て口では不平を沿らさる1けれ
 ども・籍新砂耳際の行動に就て之を蹴れば、此等外囲樺益の存在上砂して生する思為に封しては飼る敏感な
 る静警持つて腐らる1やうである0たとへば北嘉−特に山東よ身の大規模なる嘉移住民の殺瓢は恐ら
 」その最も有力なる芸芸豊せづ0叉満洲に雪中華氏国人が是の管轄権の及んで居孟域姦に浄・
 んで其虚に住居することは更に意義深いととであザます。現に満蒙に於ける中国人の人口が過重享年閲に
 二倍とな少ましたが・南港洲鋳掛附属地内のそれは一九〇七年の九千人から一九二七年には二十些事人に
 檜如した0換首すれば・満凝全般の支邦人人口が二倍となつた問に、・臥本の行政下にある地帝は二十倍以上
・に増加したのであ丸ます」礪栄の面積は三十入幕四千方哩.その中尉人・三H約二千七古市人なるに拘らす、
 僅かに三丁四官方哩の日本地帝は質に〓品人以上の支郷人を牧容して居るのである。支那人が何故かやう
 にこの地帝を好むのであ渇か・その理由は極めて明白である。即ち日本掛行革下に放ては、紀徒的文化の持
 醍倍、低率にして確虜的なる租珠、脊良なる瞥察等の諸制度があるからであります。
 南描洲餞道株式合敵が創立せられました常初」支郊側に封しても株式臆募の横合を輿へたのであるが、彼等
.はこれを利用することを欲しなかつた0而かも倫ほ満蒙にある軒国人は満掛合虹の啓発に依つて刺する併甚


                                              巨




  潔大なるものがあるのであります。現に蒲鉾は日本人よりもより多数の支部人を虐用し.一九二八年三月を
  経れとすそ合計年度中に株主への配常が二千二宮茶園なるに対して一、壷沸貸銀の線胡が二千六官四十五
 雷となつて居淫すが卜々の七割寡は義人に支彿つたので驚0それに慧是人の貸銀質と雌も
  大部分が滴憩の軋産品購入の為灯支沸灯れ、・徒つて結局は支潮人の潔ケツ寸に這入各のであります」次に日
・軒は渚蒙緑屡吻掛七他の温時々許差違最大なる外瀾市場でぁ卜ます古本は草食家の薫物を
 議挙るのみな音トそ・の儀容であをすご朝若し是が渚洲に骨身已の望遠と晶誓・満
 教の産物を賃レ恩Lと濡ったら、浦攣は忽ち収して恐僕忙悪することになやませう.
  前述め流す掛崇の閑蟄に封す−福本の主たる零敗はや潮の健凝と適郷安全なる溜療横閲伊根供にあ豊す
  が−東郷の・漁大資産、跡ち低廉にして有瀧勤勉なる傍拗音が存在し掛かつたならば、何事も為し得なかつ
 たサあaノLとも赤外論告とで甘せす。平和の崖首.仙骨購犬偲福康墾の決定吸引せられ、霊教官
  萌の中開人虹支部の北方諸省−特に山東より漸蒙に猟人しっトある、・と.の移住民の流れは、満蒙の可排地の
                        、
  約年分が未だ鋤鍬を入れすして放壇せられて居ると云ふ事資と相倹つて、清水に於ける満蒙開発の立たる婆
  寮を成すものであります。この特異なる状態、郎ち低廉忙して能率高き労働者の無限なる供給と、未だ閑瀦
 .せられざる庚大なる豊穣の土地との併存を利用するに際しては、満蒙をして今日あらしめた椅と何様なる「

 っの要素、却ち平和と式稔とに鹿瀬せねば・奇ませぬ0・現巷清洲の有する密造の延長約三千四官五十哩・其
 の中約七古哩は帝滴洲鋳造であつて、東支蛾邁が」予言哩、その外竺千六官五十哩の鋳潰が中華民国の
 統制汗に壇かれてぁ畑ます。支郷例の鋳潰の或るものは8本が東郷の.揺に資金を供給して、その建設エ事を
・引写、軒レて裏の管苧にあるのであ豊すが、霊なる数個の路は裏側が自己の雲患て自分で
 建誓霞宗告今や漸くに⊥て裏側は彼苦らの鋳造、露・電掌誉建筐脅し・定義め・
 紀代朋都市々計宴茸現する等の脅連を示して居るが、この頚達は、この数十年間建紋よ少も寧ろ不率なる破
 壊を膚として居る満蒙以外の支部と好個の封照である。瀾蒙のこの状態は・中国人が日本側の閑費的努力に
 倣ふたと云ふ事質に或る程度まで由凍サる沌のであ少、叉大いに日本の指導に負ふ研があつたことも固よカ
 であ豊すがト併し嘉の他の多くの何魔窟ても亦J多少同様の葺現象は之蓋して居るのであ豊し
 て、若しや和と秩序忙し七保持せられて居たならば、瀦薮以外の支郷の各地に於ても亦同球の蚤達を速げ待
・たに瀬壌驚りせせぬ。若しも擾乱なくして苧和鍵やそ秒挙動を許さる」なちば・中国人礪特の忍耐と精力と
・が如何収苧、打き共演を挙げ得るかと云ふこと音別かに資例を以て._瀦蒙は凌潮の他の地方に対して示すも
 のであ少凌す。
 何れα地方の掲教寮費も苧和と秩序がその絶対使件であること、申して秩序は鋳造の沸還に伴ふものであ


                                        匡l■




,ると云ふ事は、浦安にあつても軌道の斉通する地方とその存在せざる地方とを此蚊すれば明瞭に左る0現に
 日本の鋳造附亀地内に於ては特に秩序が堆挿されて居少、その綺頻として支郷人すらも曹菜−居住の為に附
 屈地を程ぶのであります。それは恰も支郷人自らが満蒙以外の地方に於て好んで外因租界に避難すると→股
                                                                                            ●
 であ少まして、支却の鋳造地轡に放てさへ鋳潰を有せぎる地方よりは治安がよりよく保持されて居るのであ
 ゎまサ」むち鉄道なき地方は勿論のこと、鋳造線路よ少淫短からぬ地域忙放てすら鳥戌の横行甚しく・為に
 確衛なくして旅行すること鹿危険であると云ふ始末であ少ます。
 過患に於ける満まの閑賛が現存諸宅祖の敷設\に負ふが如く・丹木左上の掲蚤の為にも更に多くの繊邁が
 檜試されなげればなりませぬ。何と.なれば鋳造遥糠の便ある地方に放ける移民が飽和の域に津すを時期は最
 早や日に見えて居るからであ少ます。青々は日東聞の輯埼競率と云ふ嘗を度心耳にするのであるが、之を常
 緑に許へて見て賢際さやうな史学など1云ふ褒は価少得ないのであ鳥抑も日本が満蒙の脅捷に興味を抱く
 所以のものは、満蒙に原料を求め、これむ製造エ著mと為し.更≠これを速攻に増加しっ⊥ある浦蒙の人口
 日常てに雪凋かんとする鮎に存するのであ少ます。8本針浦禁に対して何等の政治的野心なきことを裁度か
 黎明した、而して是れは詮撼を灯すまでもないことであるが、現に日本が多年の間満蒙に封する支郷移民を
.奨励促進したことが何よ♪の詮援であ少ます。浦蒙に於ける居住拭の中に中囲人たる移住竺人を加ふる毎

 此満読笹それだけ戌郵化する、が故に若し日本忙して政治的野心を抱絨して居るのならば、計本は昔点移民
 の流入に反封せねばなら申管であ豊すご然るに櫨蒙に来任すを又郊移民は悉く嘩料α生蜃者言ると何時
 に∵エ慧の有史官軍者である0この意味に於て移民を奨学ることは影の重箸る圃心事言るの・
  であります〇.                  \
 .移民の定位し得べき地域を開拓するには、どうしても新しき鋳造を建設しなければならない.挿して此等
 新設の餞通が層に既存の鋳造に封して妨昏を為し、とれと競率するこJを日的とせすして、寧ろ新生面を開
 拓すること針目榛と†る限斗それが何人の手に伐つて建設されやうとも、之を間ふの要はないと思ふ、唯
 共の建紋宜しきを得且つ正常有数に経営され1ばそれでよいのでありま古瀬蒙に放ける生産の増加は極め
 て迅速であつ「、設計宜しきを得・潅掛造であれば貨物の不足に苦しむなぞと云ふ事は想像し得ないのであつ
 て、饗際問題として、は購求の諸野道は凝季の膚に苦しむ危険があると云ふ上りも、却つて粕呼度して五忙
 助け合はなければならなくな・をだらaと掛はれるのであかます。
                                                        ●
・個ほ凡て鋳潰は々の鱗造としての機能む充分に蚤輝させ名ためには通常なる海路と連絡を取らなければな
 ら¢と云ふ革む看過してはな怠のであ少まして、満憩に於ける新鋳造の建紋も必すや紀代的海港を有す
 るや香や若しくは地理的に有利なる地鮎に港汚絃備を点すの可能性あ少や香やに放つて決定せらるべきもの



                                           ■■F■El





 であります。現在は満蒙抄生産物の大部は大連、浦塵斯徳望一大鈷を経由して撤去せらる1のである。安東
 替口の如せ小池は、仮令その改良を加ふる忙しても.現在約二千七百蒔の滴求人ロが清水七千五官帯に増加
 した場合T而かも容易に瀾蒙はこの人口を支へ得るのであるが−共の場合に座て莫大なる浦蒙の生産物
 の愉遽を如何にす・るかrの同額を解決するに放で、多くを期待し符なれのであります。未だ利用せられて居ら
 ない地方が「度道稔糠紬の亜備につれて開拓せられた焼には、上れに鴎伸し七鋳造と港増設備の増加を婆す
 ることは明白であります。而して必然的に招来さるべき五大なる産物の増加に一度想ひを致すならば、満蒙
 は恰も丸で通常しない不完全な瀾口から晩出せんとする大量の流動慣を盈つて居る正大な壌の如き租を点す
  るでありませう0、
  叉新たに修築すべ.せ港濁としては、最短距駄の陸上稔途に由少奥地の産物を輝出し得る海岸地鈷を捧ばね
 げならぬと云ふ事は町自であつて、而かもその運輸横閲は産物の最終稔迭先に最も乾い地鮎に設けらるべき
 であります。此れ郎ち、日本が朝鮮滑岸に一港憩を紋けんとする併以であつて、それは現在の長春、教化尚
 の鋳造線路の北方及び西方に常つて或は既に閑教せられ、粛は泣き清爽に於て開拓せらるべき庚大肥沃の地
 域に封する輸打払の役月を果させやうと云ふのである。前述の地域の生産物は斯やうな梅粘を符さへすれば
・地衣上りも逝かにその拒撫を短縮して、乗れ犬れの終端市場 − 拓本はその最重要なる市場の】である1・

 に到憩することに怒ります0大豆・小変革の曹肘憤格は世界満場の決定すみ餅であ妙針して、取入者はその
虚男を為す廿常つて1Lの市場相場に伐つて支配さるゝものであるが故に、輸迭費は直ちに生産者の萌上に懸
 n問題である∵跡ち生産品を原産地より版更地に仕向けるに要しまする費用の多ければ多い軽、義民がその
 生産物に俵つで刺する朗がそれだけ少くなるのであります。更に満蒙産の原料品を加工崩生車の為に帝婁す
 息緒囲に封し、Lこの掛料を埠々庶偵に供給するに礎つて、原料品の購買が増加を致し.満蒙の農民がその産
 物を費捌く朗の市場が横張さる⊥のであります。
  資は瀦蒙に於て日本も支部も叉一般世界も共に全然同一の事態、郎ちその急速なる閑蚤隻桑を要望して居
 るのである。」而してこれが津戌の鳥の手段方法虹就いては、南米秋の詮明を試みた朗の如くでありますが、
 過去数十年の間灯見たところの寄掛を資現せしめたる要田、郎ち平和と溝切なる速稔横幽との二者は、粁来
、の閑教に紺しても亦立たる委棄であるに租速あ少ませぬ。叉現時の如き環境の下に於て、必要とする一事は
 協力であると云ふことも寧へない事であらうと存じます.ての協力に俵つて、来るべき次の数十年寸亦過去
 三十年の成功を物語る基礎の上に建設せらるべき.であり、そして単に浦蒙むして東郷に於ける叔高度の東条
 地帯たら七む.るに止めす、粂ねて叉甜飴中組む横租たらしむペきであり皇サ.




                                 【什−■l−−■r




    仙攣雇教授の駁論に答ふ
                                                                                                         ご.ト.上・′くヽ ノ一.11
                                        d∴つ接・打.軒町町群臣‥
  構長、淑女掛土語驚私の昨夜の講頼に封し徐教授の加へられ紆批評虹裁て.裁から谷村をする此の横合
 む輿へられたことむ感謝致します.名は昨夜約束を致しました通り、徐淑希卦の奉げられた各項に対して朋
                                                                                                        \
 次谷村を拭み庇い上思ひますが、昨夜の由教盤の癖曹は飴少に早Hでれづ各町十分に先取れ・す、徒つて能・
 イ解し得なか一づね鮎もあり針すので・央の鮎に戯ては改め御断少を致して碇軋ます0徐教授の私に対する第
  】町批難は・・・−若しも私の記憶が問建つて虐ないならば−松岡は満洲の治安は清瀬鋳慈滑線に在る日本の
 喪陽に依つてのみ鮮拝されて居ると主張するが」有れは窪クモあつて清洲の平和は大部分その特珠な地勢に
 依つて保箆されて居るのであるといふ意味のことであつ発と思ひます.
  事饗としては、私は慮棟な主張を致した紀憶を有たないのであ少ます.のみならす私は日本の守備兵のみ
 に俵つて滅洲の苧和が保たれで居るなど1いふやうな左棟私儀鹿げたことを信じて居る日本人は・唯竺人
  もあるまいと思ひます。渚鋳掛線に駐在する我が軍隊の兵教は偉か七千人飴−私の記憶では、日本は偉約

 上郎純利としては、たしか】革二千か五千の兵員を碇き縛ることになつて居ると息ひますが−に過ぎ士せ
 ね.而もそ≠が七月哩に亘る鋳造滑線に撒布されて居るのでありますJ斯かる少数の兵力を以て彼の廣大な
.る地域の治安む絆祷し掛るとは、徐教授の首を倹つまでもなく、何人も想像し得ないことであります。私の
 甘はんとtたところは、守備陳の兵力は僅々七千に過ぎないものではあるが、日本は満洲に於て重大なる利
 鉱と保有し、従つて此の地域に於る平和と秩序とに封して甚大の細心を有するが故に、此の僅少なる兵力の
 背後に日本政府−その強大なる陸海軍の力−があつて、常に浦洲の治安に封して壇横間凍の保障を輿へ
 て居るといふ意味を申したのであります●
 徐敷革は北J少しても亦南よりしても−清洲は攻むるに難いと言はれたやうに解し卓テが−南と言はれ
 たのは或は彗事ではあるまいかと思ふが−L何れ忙しても斯様な特殊地勢であるから苧和が保たれたので
 あつて」決して日本の御浜でも何でもないと主張せられたが・此れは些か人を決選に導く官汝であります●
 淋潮二千年型歴史を捻射し七見ますと・饗のところ、幾多の程族や民族が術炎寄添を演じて発たのでありま
 †勺併し乍ら左棟なことはす息都の此の答府の目的に考へて、暫く給ザるとと々止めと致しまして、仮少
 把最鑑十年の事に就て見ましても−私の知つて居りますところだけセも.清洲の内に於て、亦、清洲と支弥
 ¢他の部分との鋼係に於て五指に放る混乱乃至戦争を惹超し又は惹超すa庫が現にあつたのであり士して、


                                            .■■■ll
【■■



 モの何でも長城を扱えて支郵本周との汝陶が二三虎も行はれたのでぁります.若しl日本の威力といふもの
 がなかつたならば」香時に現資なる挺カを加ふる事さへ酢せないと云ふととがなかつたならば。士だそ・溌
 庇も内乱又は敢陶が起り、従つて恐らく満軋も亦・.とつt.に他の地方の轍を摘んで出札、そうし七恐らく荒
 虎む見たであらうととは卜曾に明瞭芸ると息ひ士テ0
 蜃証人晶加の問題で領袖ます。徐数溌は、清洲の人品加は決kて紘何の首ふが如`日本が満潮と
 関数し、々め治安を鮮♯せるが故に非すして・久しき以騎よ少支郊全般告且つで也り来れる人・口増加の蒜
 魚頂に誓ないと患されました。併し乍らlくも蓋な滴洲の人品加の現蟄毒に簡単に片づけ
 るこ・とが出奉るであ豊せづか。勿論此れは;には清洲が新開地であ少、且つ多くり未儀地と壊して居j
 トいふ経済的革質に基づくものなるLと皇仙れてはな町ませ・ぬ勺それゼ他の新開地の例に考へても香まれな
 いことでせ少ます、が同時にま瀬、支部本瓢、主とtl北部地方の湊民族が潮の如く浦洲忙殺偽し来る此の
 特典なる現象は・清洲に於ける治安と満鋳掛供輿するあらゆる便利jを挨む灯しては、到底充分に詮明が出
 粛ないのであ歩ます0彼の碇磯に包まれた山東の土民達が卜態三日分達の家に火む放ち・兵乱と掠奪を呪岨
 しっト、墳墓の地に最後の哀別の浜を注ぎつ1・老若男女一家一村を奉げて苧和なる滅蒙に延命開拓の租t
・悪て豊つといふやうな欝悲惨な警私達農々耳掌るのサあ豊す卜

 攣雇清洲に於る外団貿易初の開庵であ少ますが」徐歓凝鹿清洲に於る外拷貿易締の増加は、日本の清栄.
 閑教秒錫とし七清洲の甘に瀧ちれた現象ではなくして仝夏琴の†般的現象の→溺たるに過ぎないのであると・
 為し、特に瀾表革も持出して駁論されたのであaす0表粗衣といふも筐決して教学そのよを曲げる・
 とJなく七てト郎ち事資については嘘を吐かすして、而も丸で間速つた印象む人に輿へるやうに作成し得る
 ものであります。・此れは背くも統計や樹表を取扱つた経験のある御方には申し上げるまでもないことやあり
 ます。と申しましても1私は決して徐軟投が拳意そのものであると云ふ事を妖ふ繹ではあ少ませぬ。それ
 は日本でも1また恐らくは。本以外の彗もそうであらうと思ひますが−ぜ蒜な人誓骨かせる為に時“
・時用ひられる慣用手段であります。                            ′
 井虚で私は徐教授の反故に軌ゆる最も簡単な方法として、数字に壌つて、支部本部と漁洲との貿易統計を
 対照して見ること1致します。私は今】九〇七年を基本として捧びますが、それは印ち此の年は大連海閑閑
 既の年だからであタます。日本は臼蕗戟季の飴典ロシアから大ヰを緯たが、その後東郷と協定心て此の地に
.東郷の税翔を設けたのであ少ます一線て一九〇七年の貿易舶を一〇〇としますれば.十∧年後爪二九二五年
 托於ては−文郷本部はニニ六なるに封して、満洲は書面であタます。.別首すれば、東郷本部の貿易禎が此
 の桝に倍加されたるに封して、清洲灯それは‡に五倍秒増加を見たのであり増す。而して此の驚く可き成鏑






  に割しては、日本は正常に何程かの功頼む認めらる可きも¢であると林七倍するものであります・
  筋四には沸洲に於る東郷例の活動企割に対する日本側の筋得同席であ歩ます0若しも私に鵡達Pがないな
 らば徐教授は換同量す把持真の地所をカ祝したが・此れは勿独尊等の大小粧欺迎するととろであるd▲然る
 把白木は協調どとろか、】吉支郵の合洪的な蹄動、特に申本以外の外頼め湊本によ盈罫の敷設其の他の計由
 の進行に射し▼て極力反対して木たではな宗と申されたのであ少ますけ.・此の同氏の壷に封して驚特に強
 敵なる皇宮唱ふるも等あ少ます0此れは寒把孟ふかも甚だしきものであつて一軒等葦上の棋複な
 き息であ豊ナ.畑へば徐霊の特畏霜棉せられた法持費榊鹿町紺して常数をすれば、此む
 鮎に緒ナる私の見黎長鳥汝賢れると思ひ手・驚喜纂省の毒響として恰長の者憲政
・づた−人であ呈して・事件に放ては芸忙藷夕得え義格を有しで居ると唇じます一
  抑も故小村侯は苧ザ;偉約欝の直後・白から北京纂砂塵んで・嘉と清水事後笥きれた等
 ぁタましたが、丼の際蝕革に押する協音符はれたの言りますdまさか如何なる人でも・北京に驚此の
     いW
 協雷学、此れは是が塞から義して彗たも¢虔富れきト・嘉は纂自由悪からして菜
 笠つて浦蛾の▼思量するが如き並行線は薮誓ないといふ曹約差したのであ豊す0誓に此の約束
 杷著名し賢y真裏革かぎる内咋−清洲朝慧吉敷る−争の国民政府の下に替るとは警申し阜

・ぬ寸篭定の葦者建は、音量固雀本象を彗て、蒲鉾の若放を蔑儲慧借款契約姦鈷
 もためであります。・
議席宗が竺者と斯かる豊罫契約姦ぶに豊つて、それが驚て満鎖の並行線なを香やに警
 耗誓る場合には▼何は措いても先づ是と相談す可きで告たに拘らす、而してそれが叢の並行線では
 ないかと云ふ妖間は苧も常致ある者の必荒くべき欝であつたにも拘らす・嘉は左慧嘉霞まn
 るのみか、前掲還定の霊を秘して−私は敢て故意満と官はんとするもの言エーす宅単純なる心の持
 主を英翼本家姦心・是との蓋に慧うとしたの言豊す0彗此れが昔時の嘉の政治窪α
 慧品であつたの言雀す0それ故に壌は此の由忙寧ろ曹を讐まして注誉促し士した萱、事
 にも英国倒は是の壷鼻な呈認めてト著さ打たのでぁ豊した0薔ではあるが・毒の貰誓
 いふものはよで斯磯なことをする癖があ歩ます勺
 此の†例で息澤にな増せうが、決しで是は外瞬の資本に普蔑の計彗星し又は之暴政す
ると博抹~い畑芸豊ナ表して薫かとてでれ喜すれば壷に私は璧繰返して居呈
・すが卜や溜あつては眈蒜餅に封して罫線誓いふ開誉な音澄の芸豊す。申す革もなく此・
 れは竺個の貰であaし・て・私の並行染には他の何人豊住・が食いのであり草0此れ町彗少しく





 州空白させて頂きますれば、共の土地の欺溌ば時の推移と共に欒超するものであつて.二十年前並行線であり
 たからとて、共の後非常なる開教に伐つて襲化し来れる清洲の今日の状態に於て、依然之を並行線な少と耕
 すべき謂れは必サしもないのであります。但し蒲鉾の線路の直ぐ南側満接紀して新ちしい線路を整訳しやう
 とするやうな無法恕kとを考へる怒らば別開題であり軋ナ・けれども私は訂燈払拳を企りる程の馬鹿者は上
 もや居るまいと思ひます?
 第雷私の記憶†る析では、満洲に対して日本が何等かの犠牲紆沸湖何等かの寄輿を嶽したと云ふ事だけ
 は、徐軟裁と雑も認められたやうで計るが、併し之に絢し同教授は直ち灯日本は瀦洲に於て既に十分以上托
 その補償を称て居るではないかといふことを穎はれました。諸粛果して然るか。吾人をして此虚に果して瓜
・るや杏やを吟味せしめよ。元木満洲問題なるものを正直虜撃に審祷せんと欲するならば、殆ど毎日のやうに・
 怒る点にもつ′かね事件を据ぎ出して互に泥試合を為した少とて、それ月次して結論に到捷する所以ではあ少
 ませぬ。窮く吾人針して清洲間啓の基本的要件に立ち・掛らしめよ0然らざれば到底如何なる結論をも得ないの
 であります。今五又の前に捉供されたる同額は−之を将び繰返すことを許さるゝならば−果して日本は
 肺洲に於て十分以上を待たりや香やといふ事であ少ます。此の間街に封して正常なる結論に到達せんが為に
 は、普々は何よりも先づ基本的要件に就き公正忙して明確なる概念を有たなければならないのでれれます.

 而して此の基本的弄霞らかにするに警は、彗の貰に誓言を柑ないのであ豊す0併し乍n
                                                                                                                     ●
 澄此の制誉れたる時間内忙於て、箕島苧る管有たな宗故に、ほんの姜慧みに就て彗て
                    中
 豊いと思ひ与・慧晶警の移管督げたる祷和佐約に伐つて、慧牛島誓言の南港洲の大学を
 是に覆することになつたの言豊す0塞が曾て産出し柊たる最も牧驚る外交家・政治家た少し李
 沌宰は・奪患て下ノ閲に警は此の俵約に調印しつ1同時に左の審畏ばして欧洲列強姦ひ、右
 手是つて輿へたるところ吉本よ基翌んと企てたのであ豊す0此れが抄くとも満洲霊の下に驚
 支部の政治家又は外交ま箆の慣用手段であつたのであります0
  英飼は普く菅たの首豊すが、巧攣併は此の慧の手に発つて、是政府に封し竺響の捷
 響以て干渉姦みた等あ豊す0此時驚の1私の配憶が確澄あるならば1代芸位であつたと
 思ふが、等量骨なこと書是農常局に雪て敢へ・て申したのであ豊す。是は此の時に首つて屈
 すること患て賢明普急性し、終に條約に依阜得たるところのも雷捨てたのであ豊す。而して丼
 後の十年閑は是固民に取つて慧臥響楷の十年であ豊した0而鼻洋芸の為に慧牛島吉本が取
 写はなら警官づた笥は如何であ呈したか0今彗たる出輩は・緒叢憶せょ完九五年であつた
 の言る0而して蜜にその翌年の六条年五月・桝聖丁沌睾ニノ晶史・勧ち革支秘密豊簡約なるl





 のが輸綺され、そして最西兎は南下を企て清洲簡捷の途に上つたのであ妙ます。之が朋ち日斉戦争と要し
  たのであります0
  ワシントン合鵠の際立郊代表は此の甥約の原文を投出することを要求され愛した¢頻訂に東郷は合議抄際
 畢に々の摘草を萱錬するに留め、全文は浪つてこれを耗供す可きことを約しましたが、私の艶憶では支郊は
 何故か未だ丼の驚行を為さないや居るやうに恩ひますQ併し共の全文はアタLヤレー氏の編装になる支那関係
 供給集の中にも祀載され、叉ソビエツー政府に俵つても公表されて居打ます。日本は日蕗戟筆の際此の密約・
 に款ては何等伏知するところなく、従つて中立組たる東郷の領土に於て餅囲と戦ふことを展に束の審に思つ )
 たのでありまして、若し嘉の額志外に放て蕗図と職ふことが可能ならば、さうしたいとさへ念じたので佃
 ありますが、誠に耗止むを得ぎるとと⊥して、日本は終に満洲の野に於て蕗囲と相見えたのであわます。此
 の尼に泉の竃であるとの感は捗始日本のもつて居た心縛であ少まして∵現に小村侯が北粛に於て渚洲善後鋭
 利に箇られた際にも、一面此の心理を以て支部に非常なる同情的態度を取られたのであります。若しも出来
 る事であるなら、取替中瀬洲の住民に輿へた避くべからぎ少し困苦に対して、支郵に慣ふことが出来るな▲ら
 偲ひたいと云ふ束持すら持つて居られたと想ひます.
  諸労駄みに息へ、若し日本が戦争中又は戦争終末に際して此の霹支秘密催約を知つて屈つたならば如何な

                                                                         .′
る結輿にな・つ準で暫y革せうか0常時の貰の形勢空東国菊を泣懐する時に響、整ほ恐ら、く8本は満洲
粂部塞げて割取し・而して何周も此れ▲に封して言の異警唱へなかつたであらうと信じます9そうでは
あ豊すまいかァ衰し必畑Jテれば妄人は音此の倉に警、静書き瀦洲閑琴なるもの纂ち合せて
 居なかつたので卦町会せう。
 秘鱗同盟條約のことは暫く措くとして、兎も角日本国民は、革空耳武忙して吾人の敬愛し革つて措かない明
治天皇等に、十年臥管膿の月日を彗たのであ少ました0而して我が国革在の埠本に脅誓受くるに及ん
 で初めて、質に止むを濁すして、囲誓轡し辛を奉げて撃敵軍国と彗たのであ豊す。然かも此の掌に
ノ誓書々は如何なる機雷沸ひましたか0驚に+由の死傷書出し二十億囲の学費を費したのであります.
 「 人間の生命は到底ヱれを金銀に換夢す広義には行かぬから暫くこれを差招きまして、日本些民は此
  め二十憶凰∫常時の日本に取タては正大なる負債であ歩ました−元利を未だ完済せす、現に今倫ほ
  麦沸ひつ1計ります0私の概算よ少して推すに、此の元利の灸部を沸ひ了少たる時には、恐らく六十位
  呵に逢するであらaと思ひます0徹して之は称のためであ歩ますか、重く李鴻蜃が蕗図檻切貸少した満
 ∴蒙を甘奪回セIL而かもこれ豊郷に遣附したがためであ呈す。之が驚に斯くも芙なる負♯
 ・の下に日本国民灯現忙噂ぎつ1あるのであ少ます0凡そ吾人の此世の中にまたと斯かる寄怪子耗なる−






  朽潮あ畑得ると、諸君は思はれますか。支郷は一鏡だ滝之がた偶に負槍したこと払ないのであります.
  憩は中華民図藷京町伺ひ庇いのであ少計す、此の六十億個を支郷から月本にせ沸ひ下さるだけの用意が
  あり針すかァ香その一部でも−
 ニ、次に血郎絹生命の犠牲に裁て伸したい。飴に述べました通り犠牲やされて柴はれた人間の生命は金
  勘宅計身すそとは出来ないけれども、併し私は故にせ郵の諸友に告っ御訊ねした小。それは此の
  犠牲に倒して諸君の感謝俺何等か農慣的方法を以て表示し且此聖且大計る犠牲卜我固民の嘗めた屈辱
   苦悩及悲哀などは考量の外に置くとしても−1之に対して満洲着くは東郷の他の部分に放て相雷な報酬
  dを塊供せら渇J心用意があるかと云ふことであります。
 鎗軟投は.打本はその瀾ひたる犠牲に対して既に満洲忙u雷†分以上の鳥秒針嵐音符たサー主張されたので
 ありますが、欝牲滞空ハ他は緒翠御承知の流す・嘉から得たもの甘な†して、杢卜軍国から譲受けたもの
 であやます。必かも満櫻井他の事発と雑む、それせ決して濁りで横能いて居るもけではあり生せぬ。これ忙
 は道樽資金が要るのでありましで日掛は品戦役後今日に到るまで卦大な資苦役じて居るのであります・
 鵡して満繊株主その他が受けつ1ある利潤を投資此対して卒を取つて見るならば、恐らく六歩位なものであ
 ると思ひ凛す。倍て日本は浦洲から何を得つJあるのであ少ますか。支部は浦蒙糊費のために投下された此

                                                         \
 の定額な資本に耗て如何捏の持分を負薄されたの、であるか1。【鎮もないわであわます。耳扶持泰が弟分にて
 も樽つ▲あるとこちのものノは、別ち此.の軍大漁る投誉白木の努力との脇であ歩まして、盈く東郷から何も
  のも線て屠ろ・のではありませぬ勺
  総て以上述べた・るところで基本的要件奉るものは牽き女であ少車せうか。香、まだ轟きては居ないのであ
 歩ます。此れせで私は過去を語つて本務のでありますが、共に唄を十挿して購求に如何なるものが残されて
 ゐるか橡撃レ乗せう。井藤抵蛛歯ほ、我が由民.に取々て軍牲最立食大の華抱商する基本的事件を成すと・
  ころ¢所謂満蒙間餅の叫南外展開されるノのセあります。是れ他なし、郎ち我が国防と云ふ大問題であります.
 而してこれは過去め度数の光将腐らして自ら二つに分れるのであり丸す・
  「 蔚にも頼璃したるが如く季拍車漑音の助力を菅・て日本を雑書んとし舞のであ数ますが11・私拝
   拳に事柄それ自壊の青森を掛香るわではなく唯だその事欝を指靖す■冬季でゞあ歩ます1−どう云ふもの
   か慶史柱好んで繰返すもの.であ少車す。中華民拘の方オ曇こわ李強奪を決心電桝書取といふ俊樽
    む輿へら竜1事が宮本抵女中⊥幸せうか。
  ニト 次虹私の産史観を以てすれば.世界庭史は多く国民及は人種の新調盲目的衝動の錯掠と民度とに俵
   りて侍らろ⊥もむであづて、華るカ拉存外に青輿する車こるが多くないと思ふのであわます。此の

                            〔







  姪史観か・り致しますれば、スラグ民族は専従され再梼成されて現在の躾祝【の中より窮を撞げ来つた時払
   は、骨て帝敦治下に見た蕗幽よ少も更によ少書い、併しより強大なる蕗固の現出を執るべく、而して其
   の時こそ以南転比して一屠強烈なるカを以て痩東に押し寄せ、再び海に向つて薄謝を蝕仲井するに梅逢な
  い0この事のあるべaは、今私が現に缶きて諸君の前に、糞に立つて居る真正ふ事苧畠じやうに椎か.
   な事で膚ると信じます。由来私はス≠ヴ民族の将来に勤し信仰を持つ浬屠るも・のであ妙ます。儀この李
  鴻章が現はれやうが現はれ士いが、今申した背負が飴少速からぎる狩猟に起つて来るJのであると云ふ
  革を推信教します。此の不凍港を求めて海に向つて出る漣茶ふ事は、スラグ民族の一の′ラインド.フ
  オースであります。此の盲目的感動はスラグ民族を斗つて他の方面に打つて出でしむる心も知らないが、
  兎も涌こつ伊方向は極東を指して屠少ま†.愈々趣東に捲土重来する時、それが果して如何なる形を採
  るであらうか0それは今判りませぬがト併しえらい典例なる捲土重来たること丈は間遼ひないと思ひま
  す0紗ちこのスラヴの霹来、この猛襲に野して・支群性能く其の掛違を守少、麟kて再び日本の存在を危
  殆に陥れ、若しくは日本の辟束的安全を脅心すが如きことなしとの、相首肯肯出来る丈の保障を諸君は
   奥へて下さるととが出来ます心。
  歴史は繰返す、而して吾人日本人は此▼の虫忙賭して異に溌牽を抱いてゐ軋も・のであ歩ます.支瀦が此の積
 木の均防上の重大隅将に勤し七何等か満足なる保障を奥へ得ぎる限りは、私は健る、日本は到席今日蓬の竣

濱容易に十首塞く」改掛縛ない浩である事を古本人は栗姦ふとき卜共の静止の安危瀧
腎て欝に漂なる探牽十息が彗て居るにもせ点ぎるにもせょト妾して居る雀針手0此
∴の革質混和町政に骨打致心はす。此の事は能く単記して想いて頂きたい。而して中華民鴇諸戌に特に此の甲
.払就て慎重瀬る考景を求むることが蓋し至常であると存じます。一
 此れ忠屡するに、針去に於て珠はれたる血と財の犠牲に対して、中華民国琴友は如何なる義的且革足萱
.・報償里見計本人に輿ふるの用意をして居らる⊥か0叉今述べたるこ鮎、郎ち直に我国防上の重大間超に牌
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 致します。
  科は仙贋長時間に雲ノて御滑誓煩はし士したことを改渦て感謝致しをT.
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  淑女並に紳士諸君、最後に私は日立帝国艮の穏健なる常識に対して梅封の信頼と有してゐるものрl
 とと、而して満蒙開橿なるものも、畢党、此の南国民に重して密かる1ならば、必らすや飯少撞からぎる持
欝嘗、霊驚電解決鼻骨に粕慧しと看きと鳥に官明して誓書. ∴碓濁照付