満蒙に於ける日支経済提携の根本義

 

         −清洲開発の国際主義的意義

  今日の文明人の有する図表観念が、昔の如く唯単に月囲一団の食めと云ふことでなく世界人類の共同組絆
 の蒜叶を濱す自主的政治囲慣を意味するやうになつたのは、恰も人間としての個人が月布目的を有する敢合
 的の存意を意味するのと同様である。換言すれば、生物の進化、生存競争の畢理で、一切を押して行かうと
 する外−サケ芸ム的の偏つ潅逢妻を捨て1、生物の相互扶助、協同生存を以て自然界と人類紅倉に於ける
 曹心き事質とする正鵠な国家敬、∴紅合故に立脚するやうになつて発た。欧洲大戦以来列強の政治家が苦心し
 てゐるのは如何にして永久平和の資規を為し得るかの鮎にあつて、期する虚は各民族の生存樺を磯護し、文
 由秒凛樺に浴す渇ことであるが、、何れ忙しても囲際問の協調共助が唯二の途と云ふことにされてゐる0
 賂し団際主義はコスモポツタユズムでない。道徳に終身済家治固半天下の憺序があるやうに・一団民が世
 界共同の薦めに轟すに裁ても、兜サ図家図民の安全と札上とを前墟とし、次で隣接民族の利益率縮を固タ・
                                                                                          ヽ
 斯くて犬れが終局に放て世界仝餞の精細的並に物質的文明申費展に買験すると云ふ掛序を叔援として成立す
  るものである0
  囲僚主義塊唱の結果として、各国の殖民政発から軍団主義の下に領土的野心を夢みるが如き傾向の崩る成

 坤されたることは事茸である。尤も民族自決の精沖や人種的差別撤廃の主張が、国際生活の上に徹底的資現
 を見ることはまだ簸速の感がないではないが、国家の自主樺を尊重し、濁立平等の地位を認容する国際法舶
 の教建を促し、之に反する行動を罪恵鋭するに至つたのは炊ぶべき傾向であむねばならぬ。
 汁点し乍ら之と同一精紳の下に、富裕な天点資瀕を併有する国家が之を弼占して、図民生活上必要な他の飼
 家に対して之れが儀給利用を拒むが如きは等しく叉国際的の罪意と云ふべきである。既に飼人の生存椿が址
 合的に如何なる意味に於ても認識せらる1以上、国家の生存棲も亦囲際生活の上に確認せらるべき■は常然で
 あ古からには、世界の各図が国際共同生活の立場よ少互に天成資瀕を開放七、有無相補ひ相互扶助の資行を耕
 するの必要なるも亦明らかなことではあるまいか。一九一七年米国大統領ウイルソン氏がその有名な戟頻軟
 膏に於て「土地及原料の千等といふこ上は不可能でその他の苧等も人民自身の普池のや和的、且つ適法的の
 黎展に俵るに非ぎれば獲得し得ない虚であるが、樺利の平等といふことは何人も妥求し且つ新得し得べき朗
 である」・と述べてゐるやうに人類相互扶助の原卿に立ち、経済的、政治的に自歯の存在を維持する為めの要
 求は誠に公正なる主張たるを失はぬ0粂が故に「滴蒙に於ける日東経済提携の根本義」む説かんとするのは、
.此問題に封し最も適切にして合理的な国際協調主義の答某を作らんが鳥めである。粂は此論旨に適せんが食
 めに(】)日蕗哉撃と揃洲。′(ニ)瀦洲の過去及現在、三)日本と滴洲、ハ哲8え経済碇携簾.の凶段に



                                          ‖…匡lFFE




  分つて此問鮎を考薮しやうと思ふ●

           〓 日露戦寧と清洲

  ツアール時代の霹囲は東へ而して南へと瞑々乎としてその勢力を延ばし、満蒙を全くの滞指の下に想いた・
 そして勢威を負ふて我が朝野を脅威し、我囲の存在は頗る危険に淋したのであつた。若しも常時満蒙に猶立
 自彊の資力があ♪.えた支部が満蒙に対する罫固の侵略を防欒する資力を傭へてゐたならば、極東の天地は
 蔑めに苧和を撹乱せられる危険がなかつたのであるが、不幸にして支部に其の資力なく満蒙は徒らに虎狼の
 餅允らんとする危機に格つたの■である、香茸は李沌睾と云ふやうな人が居て、支部自ら進んで蕗薫を斉拷乾
 壊供し、依つて以て終に礪畑日本のみならす橿東金局の危機を醸成したのである0
  日露敷革常時我靖は浦洲に於て何等の投資事兼をなしてゐた鐸でなく、居住する日本人も殆んどなく・特
 殊の利牢規資の樵利はあまカ無か・つたのであるが、蕗西亜に取られても仕方がないといふ風の支郊の態度
 に危険を感じ、我団家の存亡興廃に紺する緊切の利事を包含する問題として、日蕗戟挙の草生を見たのであ
 る。この我国が自力によつて霹囲の脅威を防いだ結果は日本の沸洲進出となつた。即ち日本が浦蒙に進出し
 たのは、囲道を賭し二十億の図解と十帯の犠牲を支沸ひ、以て不常の侵略者を宰温した結果であつて、何噂

 月凍自ら侵略.の臥的があつた食めではな.い。国家生存構の最小限慶の主張は、如何なる固家に倒しても国際
 的に−また人造的払是認計れなければならないことである。そして支郊の露西亜に委棄⊥たも同様な滴蒙を
 して、帯び昔年の不安を繰返へさゞるべく常に満蒙全域の静譜と安全とを保障し、以て共の経済的、文化的
 黎展を助成する鳥めに滴蒙の援助を為して発たのである。此の鮎は賢明なる中国々民も亦約得するに蓬ひな
 いと思ふ0更にワシントン合議に於てPシヤが浦蒙を席捲した直凍の導引乃至基礎をなしたものは、李鴻各
 Xバノフ密約であつて、これに依れぽ支郷はPシヤと事茸上同盟し、あらゆる便宜をワシヤに提供して共の
 帝言促し、¶蒜を共同の敵として粕碇携したのであると云ふことが明かになつたのであるが、此の鮎から
 して滴洲に封する日本の進出並に之に封する立野の立場を考察サれば、支那倒に於て何等苦情を申立つ可き
 鎗地の無い事が、一.敏明かになるので此の鮎は中閑人士に放ても虚心に冷評に、公千なる考察を下さなけれ
・ばならぬ義務があると信する0現に中固人の著書に於ても此の事を認掛てゐるもの沌ある。

          l三 浦洲の過去及現在
 衆に満潮犬れ自身の状態に就て見るに・清朝以前呼支滞本普全く違つた特別の地域を為し.浦洲内部諸
 政の消長によつて併合分散常ならざる有接であつて・支部がその領土として本営に主張するkとが出水た地


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 方ではなかつたむ満洲から輿つた清朝ほ叉満洲を滴洲衆人の任地となし、その生計を絆拝する食め保留する、
 所謂対数の地として特別の官制を設け特別に支配した。跡ち支郷の領土に非すして所謂クラウンランドに
 過ぎなかつたのである。清朝の末期に及んで、支部本部から流民が入少込み清洲の牛島部は支郵の色彩が浪
 厚になカ、次で長春平野を中心として漸次開拓も行はれて行つたが、清洲は相愛らす清延の特別地域でいま
 だ贋大な地域は未窄の健に封ぜられ、豊富な天然資源による産菜も起らす、全く未開の状態にあつた。それ
 が日露戦季以来日本が電洋平和の鳥め清洲に進出するに及んで浦洲の領土は保全せられ、鋳造が通じて交通
 は朗け−資本は注入され」産菜は朗々に超カ、人口は激増して瀦洲の状態は」劃紀を釆すことになつた。
  日本が満蒙に手を染めて以来、二十年前の満蒙と今日のそれとを比較すれば、誰れが見てもその進歩閑蕾
 の跡の膝然たるもの計るを首骨するであらづ。
 猟蒙の天地は農業王国である。・此の顔は線遽のやうに永く内外囲に向つて閑されてゐたが、東支持道の閑
 洩によ、つて先づその潜戸が開かれ、衆に満鋳の経営はその大門を開放したのであつた。釦ち満蒙に不足して
 居つた扮は、資本よりも労力よカも何よ少も交通であつたが、日本によつて鋳造が経済本位的に経営される
 やうになつてからごれ迄奥轡で折角研やしても共の牧獲物の虚分に飼る薦め放棄されてゐた土地が、永から
∴次へと黎明の光を見ることになつた。更らに日本は眞に満蒙閑教を朝する為めには、蒲鉾の有する僅か七百

  哩の鋳造ではカの足らない虚か斗東郷の鋳造敷設に対して常に之を簸激し之を援助し・次に玉叔む賓金を投
  じ或は侯昇なる技術に依つ七叉豊富なる材料に俵つて之を智助し、四挑、替叩、曹長、嘗敦、金指等の諸鉄
  道を完成させた。のみならす、紀年支郷偶の按邁熱も賢は日本倒殊に満蛾の勧奨立体の賜物と謂はねばなら
 払のである0試に満洲繊妾達の琶筈ば左の如くである・        去払
  事−未 満湘銀潰教導表
 紙打汁柑甘胤朝鮮珊乱丁珊詣地
     丁九一五年 右の外青長鵡裕緑等 ニ」入二   三ニ′ ニ、一二四 九、○入四  三・四四
     丁九二三年 右の外四挑天賦緑等 l「五四〇  】〇九 三、六町九 九、一七一 四」ニ
    一九二八年 更に桃昂、奉海呼海金両替 三、一二三 一四八 三、三六一 七、七六九  五、二三

  其の結糸満蒙の開拓は急進されることになつた。ブランド氏も共の著「日本、衰却及朝鮮」に於て−満
  洲開拓の著しきを認め、年々四哩の暗を以て北に向つて拓けつ1あるこ上を述べてゐるやうに、開拓吼顕著
  なるは驚くべき事資であるが、私の推定に擦れば左の如くである。



                                                                                             .El
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     手二表 靖洲耕地軒穂増加衷
  り町作付仙奉 天 省一計 林 省 黒海江省 合      致
                                                     一〇〇
                                                    一一入
                                                     一三四
                                                     一五〇
                                                      〓ハ四

  第二に満洲に不足してゐた弊九に裁ては満繊は山東、直隷からの移民に封し、毎年特別輸潅を行つて便宜
  を計つたので、近年は甘萬以上の鼻糞労働者が水の低きに着くやうに流れ込むやうにな少−従つて満洲の人
          一
  口も左の様に二十年間に約一千軋人を増したのである0

  革≡表 清洲人口増加表
  年 度 審 天・招 き 林 省音別江省  計  指 数
 完○入年」弓七六九、000丁重三、三〇〇二、入〇六、九〇〇す五六、ニ00  」00

  完三年二毒至ハ001五卜三〇凹、六〇〇ニ・ニ七四、六〇〇完、I喜、灯○α  …
   完一入年一ニ、五二六、六〇〇 六、一七九、五〇〇ニ、八六ニ、四〇〇≡、五六八、五〇〇.  ≡六
   完二三年一三、四九四、七〇〇 七J九入、五〇〇 三、六〇一、四〇〇ニ四、ニ九四、六〇〇   盲二
   完二八年表・三二二、八〇〇 入、三四、六〇〇 四・三二七、入00ニ六、七八四、六〇〇    ;六
   完二九年表、九八八、雲ハ〇 九、〇七五、六三〇 五、三三、七三〇ニ九、完七、丸二〇    三二
  伶ほ此の満洲札於ける著しい移住の増加が間接に支那本部に於ける統合の調和作用を為したことも見逃し
 難い事質である0殊に打続く山東、官隷地方の天災兵攣等に於ては・満洲が其の地方から移民の安住地とな
 り−統合の安全凝1たるの拗きを為し、事寧音H本が蔑億の貴方を投じて、北支彗苛の安寧を保澄した結果
  ともなつたのどある0
 ・琴こには資本である0瀞洲の閑故に怠り渡来したのや零丁なる紬民であつたから、最も資本の決乏を昔
 嘗ゐ潅が、是が濁慧悶蚤に任じてから、左の如く約十七億誓いふ姦の資金農↑して財力塞箕
   させた0
    革四鶉 苛渕−−於ケル伊*ノ投資現野
                             −九三〇年ハ昭和五年じ三旦二十一日現在









   溌賓者   投  薬  項  日             金 痢 ハ飼)
           枚   挙・=・:・…・・…n・・・・・・・=・:=…:・・・…=・…・…=…・・・:;・・ニ六「入入二」ニ七八
        藻  琴・蔓・…圭」」・・・卜=……==董:・=・=…・ 六、五〇三、九八九
 南ノ 正約慧埠岬〓‥〓〓〓〓H‥‥…‥〓∴詣H‥……四
 1…、免附」セー帥‥パ‥‥〓‥‥〓‖〓‥ニ…‥ポl…
1・榊・…l範朴料山新料l
    合      小 計・・・・;・・・:卜・・・・:…・書・:・・…・・・・…・・・・・=∵・・ぎ章:・・ 七〓ハ、ニO「竺七
  政 敵債及琴琴:・・…・・卜…・・三=ト」」・享」」=・・蔓…・・九望二六、入三七
       東郷銑遭及産秦葵浄こ卦スル梵肝・・・書・・=…・・享・・」至享・=・・=・妻・ 六九J〓ハ五、七つ入

      表芸酒豪琴契彗誉ル黎蓋、俳蟄乗宴筆方誉・・・蔓・… l芸、入九九、六〇
        小  甘…ミ・・・・圭…・・・・・…・・董・い至王・…董・・・…・・・・・・三三、三九ニ、盲一
 芸政府−憲政彗ノ琴.・..ミ・董・・・・・・・・:・・・・・;董・・・・・・・三・ミ・・・・」⊥ 九入≦〇・入二三
  是富 憲政粁及個人へノ欝…至…り・・・・・…・・・・=・=…・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ト・・・ I弓二竺、〇八
  景富 富良品誉レ£き〜学会董・…・・・T・・・・・…・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・=・竺九、0〇三、竺
  是個人 何人良品誉レ£き芸苧・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・=・・ 九日、九九「芙
        小  針・至・三・・・・・呈・董・蔓・・・・・・壬・・・・・・=・・・・・・・・・・ミ・・・: 五五由コ宅七、〇五
      払 計・:・・・・・・・・−・・・・・・・・・至・・・・・・:・・・・・・・卜・・・・・・・・・…蔓・・…二、六入七、六〇三ニ≡
  之を打本がその騎士たる甚潜(約三億空丁五芸何)、朝坪(約∧億凶毒些に投じた資金に此革すれば
 準かに多いことになつでゐるが卜叉学日本が如何に清洲の経済攣捷に力めセかか義ふに足らう・
 .界四は女易及南桑であるq清洲の貿易は、基数季節山欝−昔日が竺の海海として二ケ年偉か五千∧
 首耗縮に過ぎなかづたが、敢後我国が蒲蒙朗故に任するや・日瀦貿易は勿静、封外賓易は決河の券で進展し
 昭和二年には饗に六億七千帯締に上少、東郷租貿易鶴の三朝五分と占むるの便勢と示した。此の間に率喪均


                                 llr−.■■−■■【■■l



 街、特産買占.不常課税等の通商貿易を阻音する対内的の惑材料が少くなれつたに拘らす−遽年健‡な足中
 年で進み管而も清洲貿易朝α入割申上、常に大連を睾とする常務三港に俵つて占められて打る管琴は、我
  国の貫赦を浮るものでなくて何であらう●
  第五表 清洲払幹易均せ竣表
  年 次 地方別 添・移入 持移出  1け計′  絹艶.媚
                                                        八二
            七、三五ニバUニ三 七、三五ニ、0ニ三一七、入五「入四エ    ー八




                                                     大七
                 三由、0宝、○円凡 七大」芸二丈四九     二八
            一、二大六、五九五  七〓ハ、丸首ニ】  「九入三、五四七      五



                                                     入五

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