自   序

 動く満蒙。夫は直に我経済上国防上の生命線として、歴史的に地理的に展開された地域である。我や既に業に多大の犠牲と巨資とを投じて、而かも我の要求する所は、民族的最小限度の生存権であるにも拘らず、未だに其要望は充たされず、今にして既得の権益をさへ侵されつゝ我特殊地位は著しく動揺を感じて居る。
 特殊地域の満蒙。我に於て接境の境土であれば、彼に於ても関外の辺境である。古き大唐時代僅に支那人の勢力が此地域にも延びた事はあるが、古来支那の主権が完全に及んだ事は嘗つて識らない。古くは蒙古人、近くは満洲人が、支那本土に君臨した元清各時代に於ても、支那民族に対しては封禁の地域であつた。我皇国の興廃を一挙に、露国の極東侵略を撃滅して後ち、清廷漸く移民殖辺の政策を宣し、爾来風雨二十六年、偏に我文化的施設と経済的援助と政治的庇護とによつて、支那人は今日の勢力を此地に扶殖し得た実際であると云ふも、敢て過言で無い。今に於て支那人より圧迫されつゝある満洲人と蒙古人との故土である満蒙は、実に我内鮮民族の殖民地でもあれば.支那民族としても亦殖民地に外ならぬのである。
 広漠たる満蒙。夫は直に動かすべからざる史実によつて、彼我民族の為めに解放された境土である。而して夫は我国力を賭したればこそ、露西亜帝国主義の侵略からして解放することを得た地域である。漫に支那の国権恢復を云つて、既定条約の無視は勿論、当時亨有し享有せねばならね[ママ]我権益をば藐視し侵害することは理不尽千万である。如何に支那の理不尽と横車とによつて、満蒙の現勢現状に狂ひと動きとがあつても、我特殊地位は厳に之を把握して微動だもさせてはならぬ。然るに我満蒙政策の多くは枝葉末節に囚はれて論議され措置されて、彼に横車の押すべき間隙を与へ、特に近時我外交の破綻は、彼理不尽にも旅大回収をさへ放言するに至らしめた。是れ蓋し我に於て確固不抜の国策を遂行せぬからである。明治の日本を一貫したる国策は何処に置き忘れたか、「何ぞ富国に止まらん、何ぞ強兵に止まらん、大義を四海に布かんのみ」かゝる抱負は今日の日本で何処に発見することが出来るか、此抱負の第一歩は東亜全局の保持と東邦民族の繁栄とに存し、而して其の鍵は満蒙問題であると云ふことを悟らねばならぬ。現に満鉄包囲線問題や、課税問題や、鮮農圧迫問題や、曰く何と、区々たる論議が関心とは払はれつゝあるも、其の根本に触れた大計大策は講じられて居らぬ。然り満蒙問題解決の根本的把握を画さねばならぬ我国に於て、満蒙其のものゝ本質的認識をすら誤つて居るものが尠なく無い。我や速に満蒙を正視して其の認識を新たにし、確立したる国策の大本に依拠して夙に公正厳粛なる措置を講じ、我国家及び民族の生命線を保維すべく、挙国一致の奮起と躍進とが必要である。
 不肖我は多年公私各方面に於て満蒙と特殊の関渉を有するもの、此際国論の喚起、銃一、乃至は当局の鞭撻、驥尾に附して犬馬の労を敢てするものである。
 本書『動く満蒙』の刊行、満蒙問題解決のトップを切るべく、菲才自ら任じて是を世に問ふが為めのものでは無い。本書に蒐録されたものは、随時随所に私が試みた区々の管見、今ま改めて之を一事として公刊することは衷心忸怩たるものがあるが、ただ切なる勧奨によつて、其蒐録刊行をば友人に一任した迄のものである。何れは平素の研究と抱負とを纏めて、新たに稿を起さうと思つて居るが、時務喫緊の際、之は之として幸に識者の屹正を得て、満蒙問題研究者参考の一資料たらば望外の光栄である。特に記して自序とする。

               昭和癸未初夏代々木初台の仮寓にて
                                  松  岡  洋  右