第十三章 社会主義とアナーキズム



社会主義の各種
 マルクス主義は、一つの社会主義であつて、それ以外にも社会主義の種類がないで
はない。またマルクス主義を信じてゐるといふものの中にも、なはいくつかの種類別
が出来てゐた。ドイツのカアル。カクッキイ (生れはオーストブイ) は、エヒゲルス
と関係が深く、マルクスの遺稿を整理した→、多くの論著量目いたり、有力なマルク
ス継承看であるけれども、レニンの無産者猶裁には反対で、ロシアのマルクス主義者遠
からはマルクス主義への裏切者であるやうに悪口をいはれてゐる。傍し少し意見が達
ふと、日和見主義者ビLか裏切者だとか罵倒するのがマルクス主義者のいつ「eの悪癖
であるから、ごの場合もカクッキイが有力なマルクス主義者であることに攣りはない。
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ら誰れでも知つてゐる。ロシアのやうに極端に自由の拘束せられた囲で運動を始めた
だけに、彼の閲歴は追放だとか亡命だとかを以て終始してゐたが、最後七は革命を果
たし、これに勢力を滑耗しつくして、命を終つた。レニンは自らマルクス主義の正統
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第十三章 融曾主義とアナーキズム
社会主義の各種
た。ドイツのカアル。カクッキイ (生れはオーストブイ)
く、マルクスの遺稿を整理したり、多くの論著を書いたり、
あるけれども、レニンの無産者猶裁には反封で、ロシアの
クス主義への裏切者である。やうに悪口をいはれてゐる。
見主義者だとか裏切者だとか罵倒するのがマルクス主義
たマルクス主義を信じてゐるといふものの中にも、なはいくつかの種類別
主義は、一つの社会主義でゐつて、それ以外にも社会主義の種類がないで
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 こコライ。レニン(−彗○⊥誌A)は、ロシア革命を果した世界歴史上の人物でゐるか
ら誰れでも知つてゐる。ロシアのやうに極端に自由の拘束せられた囲で運動を始めた
だけに、彼の閲歴は追放だとか亡命だとかを以て終始してゐたが、最後には革命を果
たし、これに勢力を滑耗しつくして、命を絡つた。レニンは自らマルクス壬義の正統
汲的継承者を以て自任してゐるが、その主張はボルシェヴイズムともいはれてゐる。
こ汁は「かい多翠といふロシア譜から衆望某で、或る壌忙レニンの景況が多数
沫を占め、ボルシェヴィキ即ち」多数況レ.と呼ばれたところより来てゐる。レニンのl
考へは、ロシア革命のやうな場合には、過渡期としての無産者猶裁が起るとするとこ
ろにあり、一時は 「譲合主義か濁裁壬義か」 はやかましく論議せられる問題になつで
ゐた。レニンもなかなか精細なマルクス研究者であるだけに、この理想をマルクスの
}論文の中から得たのである。今日一般の社会主義は、猟裁主義に賛成せず、譲合主
義を取つてゐる。レニンの取つたマルクス主義即ち第三インターナショナルに属する
ものだけは猶裁主義を取つてゐるが、近来はイクゲイやドイツの所謂ファシストがそ
の濁裁壬義を取つてゐるのは、一奇観である。
節†三薄 紅骨主賓とアナーキズム
一入七

第十三章 組合主轟とアナーキズム
一入入
〆いサ妙夕吼
祓儀表怯概ね社会肘掛統制を力説する壬張である。ロシアの社会主義が濁裁を
行つてまで、その政策を寒行して行くのはその最も著しい例であつて、ここでは五箇
年計室町ど呼ばれる政策を殆ど強制的に敢行して衆たが、それ程までに固家統制的で
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はなくとも、とにかく一つの.替想灯下に大衆の盤掛酢統制′uて行くところが、それのL
資本王義にはさうした社会的統制がなく、個人は自由読替を以て、それ
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那つて不都合であるから、そ釧舶朗朗思川均
研儲涌け
囲家が十分の統制針取るこトを玉野劇即刻榊瀞
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感慨瀞召

導い
−意
るより外はない。
アナーキズムの立場
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斯楼に社会壬義は、何れも生産分配の上に社会的統制を加
個人の自由活動に或
る制限を加へて、我々の社会生活を理想的のものにしようと考へてゐるが、社会を理
瀾心化するにはなほもう一つ別の道が考へられる筈である。そ藤「
意味で自偶のものにし、その立泥に自由にせられた人間が相寄つてつくる鹿骨を、下
からだんだんと上へ組み立てて行く遣り方でゐる。社会主義では、先つ上から統制を
い上するが、今いつた遣→方は丁度それの逆になり、各個人が先つ立況に自由になつ
て、然る後に全線の社会がお互に空摘を「    lアらうとするのでゐるト
ンれは審を慧箔のもの滝めて行く上に就き、必らず考へられる二つの達つた。
道でゐる。今言つた造り方は、アナーキズムと呼ばれるふご】ろのものでゐる。抑ち融
合を理想化する方法としては、先つ社会王義とアナー。キズムと二つの対立すべき道が
考へられるのである.                         I
 アナーキズムの考へは、甚だ古くからゐる。殊に東洋の老子や荘子の思想は、全憶
として立渡にアナーキズムの特色を持つものでゐる。孔子は道徳王義、今の言葉でい
行ひ、その社会に属する
員はすべて社会全健の幸痛を考へて活動しなければならな
碍†三睾 祀曾主義とアナーキズム
}入九
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第十三草 組合主義とアナーキズム
一九〇
。へば理想王儀を振りかざして社会の改造を主張したが、老子は特別の法律などを考へ
ず、各人が銘々自由に生活して他人の生活の上に侵害々加へず、隣村同志鶴犬の馨は
                                                                          ′
聞えるが特別の交際をするでもない、といつた風な、個人生活の自由を高調した社会
改造論を主張してゐる。尤も各人が自由になるといつても、他人に迷惑を及ぼす自由
ではなく卜身に傷づけ合ふaろのない自由なのだ。西洋でも古くからアナーキズム
的な主張はあつたが、近代になり立派な社会運動となつて現はれるについては、、バク
ーニンとクロボ寸キンとが大いなる貢献をなしてゐる。ミカエル。バクーニン (−∞−A
⊥彗戌はロシアに生れ、死刑を宣告せられたり流刑に廃せられたり、その生涯の歴史
は果敢なる国学を以て絡頗し、マルクスとも交はつてインターナショナルの運動を一
緒にやつてゐたが、元衆主張が連ふのであるかヰ結局は分離した。ペテル。クロボ
トキン(−澄k−岩−)はロシアの公爵であり、睾帝の近侍になつて特別の教育を受け、
自然科学や地理学の学者として盛名を馳せてゐたが、一旦彼の地位を反省し、自分だ。
けは斯様に思ひの儀に学問をしてゐるけれども、大衆には果してそのことが許されて
ゐるでみらうかと疑問を持つやうになつてからは、その学問にも携はつてゐることが
出来ず、つひに社会運動の中に身を投じ、或は投獄せられ、或は亡命しで、つぶさに
難難を嘗めた。彼の性格は全L純眞な良小的なものでゐり、その自叙侍は彼の学説を
信奉⊥ないものにも、良心的な反省をうながし感奮せしめる鮎が少なくない。

      アナーキズムとマルクス主義
苅り−キズムと。マルクス壬義とは、重要な点では一致し濫土張をなしてゐるが、た
 −
だアナーキズムは、強制を極度に排斥するので、方法の鮎で互ひに手を別つやうにな
る。÷ノナーキズムは強制を全然排斥し、各人の一自由な理性行動に信頼し、生産、、滑費
aの外すべての我々の要求について自由に組合をつくり、その組合をだんだん上へ積
み重ねて行くことにより社会を立沢につくり上げようと考へてゐるが、労働などにつ
いてもクロボトキンは流石に科学者であるだけに、科学単品度に應用し、工場などは
賓験室のやうに立派のものになり、農場は今日の温室栽培のやうな具合のものになつ
て、労働の不快なところが省かれ生産せられる品物が豊かになることを考へてゐる.
社会主義どアナーキズムとにはそれぞれ一得一矢がある。社会主義は統制を垂硯す
節†三牽 紅曾主義とアナーキズム
一九一

第十三章 組合主義とアナーキズム
一九二
」引梢棚当周崩曙昭哨礪伽」感八q由由商機械昭咄拘笥尤も本
常の理想状態をい
ば、。社会主義もそれを希つてはゐないのであるが、社会を理想化
                          ぎ官費著音首、篭鋭J嘗孝志1。魯軍一喜ミ蔓。さ−‡盲。言さぎ。。−J
して行く経過に於いては、これをやむを得ないとする.併し各人は、自分勝手の振舞
彗1社会全鰹の幸福を考
てそれに奉仕するやうに行動しなければな
らないと力説するところは、
ない社会生活の原則でゐる。

甚げ加皿泥であり、い
岬悸複ワ
アナーキズムは、鹿骨の理想態を考
たものとしては、
強制が不必要なものになつたとすれば、
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き薯貴重曹豊菩音蔓ぎ。ノ毒l皇嘗竃。育篭l己鴇
れ凝結梼なことはあるまい。
併しそれは、クロボトキンの人物のあまりにも純眞であ
つたことを反映せしめたものであるといつてもよい。害際の社会では、なかなかさう
                                 †
も行かず、やはり樵力も強制も全く取り去ることは出来ないであらう。社会理想を考
ヘムところでは、アナーキズムはよい鮎を持つでゐるが、社会改造の経過を考へなと
ころでは、やはり社会主義の方が賓際的であらIbL
 併しよく考へて見れば、人間の型に元来社会主義を好むものとアナーキズムを好む
ものとの区別が出来てゐるやうである。職業に封照しても、工場労働者は社会主義を

信じやすいし、農民はアナーキズムへ向ふ傾向を持つでゐる。傍しLにかくアナーキ
ストは強制に反封するのであるから、ロシアのやうに猶裁を寒行することには賛成で
がある。或る場合には、髪万が一緒
ある筈もなく、ロシア革命常時は、頻りにこれに反封し、
アナーキストとは封立したものになつてゐるO Jい
     サ。/ヂカリズムとギルド社会主義

                   ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
一ァナーキズムに類似したものにサンヂカリズムがある∩
いまなほマルクス壬義者と
         ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
になつて了つて、アナルコ。サンヂカブズムになつてゐることがある。「サンヂク
いふのは、フランス語の 「労働組合」 の意味であつて、サンヂカブズムは尊らフラン
スの労働綿同盟を基礎にして車達した。労働者の組合を大きく組み立てて行き、社会
歓改造しようとする壬張であeが、。その特色は、議骨董罫に反労し、ストライキとか
サボタージュとかの経済的方法だけでその改造を果たさうとするところにある。政治
的行動を排斥し経済的行動だけによることを、「直接行動」と呼んだが、我が国で直接
行動とい
ば、襲撃とか暗殺とかを意味七てゐるのは、全く言葉の誤用である。
サン
第†三睾 統合主義とアナーキズム
一九三

第十三章 組合主義とアナーキズム
一九四


ヂカリズムは、今世界的に運動勢力を持つてゐるといふ澤ではないが、フランス、
クリイなどの南欧には元来この傾向が根強く張つて居り、例のムッソソニのフアシズ
                                                                                                       ー
ムの運動む九はこのサンヂカリズムの中から生れたもので、今でもムッソワニはその
サンヂカリズム的政策より離れてゐないから、その理論の研究は依然として不必要に
なつてゐない。
 サンヂカブズムと固家社会主義を対立して見をと、面白い対照が出来る。そこでこ
れら二つの傾向は共に排斥することの出来ないものとして、撃方を一緒に結びつけ下
から組合をつくり上げて行く叶なは上には国家の統制が凋らいてゐるといつた風な
                                            ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
仕組の国家をつくつてはどうかと考へたものがゐる。これはイギリスのギルド社会壬
                                                                                                                      ■

義であつて、欧洲大戦直後頃には、イギリスでもそれの可香が頻りに論議せられてゐ
フJ¢
ギルドといふのは、′中世期頃に存在した商人や手職人の共同組合でゐる‥.生産者
の組合と滑費者の組合とをつくり、攣方は別々の譲合を持つてゐて、更に撃方は教育
その他の公共的な機関と共に固家の最高統制下に立つやうな仕組になつてゐる。同家
と組合とが、互ひに統制力を特別に強く張らぬやう牽制し合つてゐるところが、この
仕組の思ひ付きであり、イギリス人の賓際的折衷的な最新嘗ご−にも尊拝した絹ので
ゐつた。                 瀦
、傍し折衷はやはり折衷でゐつて、本営の統一ではない。ギルド社会壬義にもなは考
                                     ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ  ヽ ヽ ヽ
慮の鎗地は残されてゐるやうであるつ以上見て来た如く、結局は社会的統制と個人の
 ヽ ヽ
自由とが対立し、。これがいかに統一せられるかが現代思想問題の中小課題になつてゐ
                                                                    ●
るのであるが、人間の性情をよく考へて行けば、両者は統「せられないものでなく、
                                        ヽ ヽ
同一の事柄を両面より考へたことになつてゐると思ふ。人間の自由とは何であるか。
銘々が勝手気儀のことをするのは、放縦であつて」自由ではない。自由といは作るか
らには、人格の本営のところを生かし、意儀の乏しい放縦なところをおさへつけるこ
とでなければならない。そこで人格の本営のところを生かすとはどんなことかといへ
ば、銘々がその能力のありつたけを個性的に蚤拝し、社会生活の上に貢献することで
                                              ヽ ヽ
なければセるまい。社会人として、鹿骨仝憶の幸福の見地よりなされる統制に我れと
自ら服すa−とは、人間が自分の本常の人格を生かしたことである。この社会的統制
と個人的自由とが一致しない筈はない。眞の自由人になることは、眞の社会人になる
節十三睾
祀曾主義とアナーキズム
】九五

第十三睾 組合主義とアナーキメム
一九六
ことであるし、異に自分を統制した人間になることは異に自分を自由に生かした人間
になることである。人間が理想壬義的に自己を完成して行く造むまた、結局其庭以外
にはないのである。然らばアナーキズム\と社会主義とが結合せられない筈はないし、
またこの結合が理想主義の中へ吸収せられない筈もない。
我々には、根本が肝要である。理想主義的態度さへ根本に立づて居れば、社会主義
とアナーギズムの饗方を公平に眺め渡すことも出来るのである」今どういふ方法で融
合を改造して行くかは、戦術に開した問題で、正しい正しくないの見方の外に、その
方が具合よく行く行かないの技術の見方が、その中に造入つて来るから、現責の悪日
状態をこまかに鮮剖した後でなければ方策を立ててはならないことであるが、その攻
                                          .」
造方法の上に理想壬義的な見方が最後まで撤廃せられてならないことは、言ふまでも
ない。                     ′
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 ヽ







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