第二章 心的改造と物的改造
論語を開 い て
老年の紳士が 「論語」 を開いて語る。
「子頁日く、我れ人のこれを我れに加ふるを欲せざるや、
吾れ亦これを人に加ネるな
し なんじ
からんを欲す。子日く、賜や爾が及ぶところにあらざるなり。」T賜は子真の名だ.
子貢がいふことには、自分が他人からして欲しくないことは」自分もそれを他人に加
−
へないやうにする。これは孔子の所謂忠恕の教へである。子責は、さうした修養法を
講じてゐるといつたのだ。ところが孔子が子真に教へていふことには、「子責、それは
空別め容易に達し得ない寒行だよ。一生懸命でつとめなさい。」そこでこの忠恕だが、
今の社会にはその修養をするものが少なくなつた。自分の身を修めることを、世間の
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第二孝 心的改造と物的改造 こ】
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心的改造と物的改造
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人達は好まない。資本家は、何故自分の使つてゐる労働者に思ひやりがないのだ。
働者に嫌ひなことを押しつけない。その忠恕の心が第一Jに肝要だ。また労働者も、
労
資
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本家に封し思ひやりがないと小け頂い。出来もしない要求などを持ち出すものだから、
世間が騒々しくなる。資本家も雰働者も、もつと身の修養をしないといけない。身の
修養をすれば、社会問題も何も起りやうがないのだ。i
心的改造と物的改造
ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ
かつて我々は心的改造是か物的改造是かといふ問題で、
考へさせられたことがゐ
る。この老紳士のいふことは、要するに心的改造論である。心的改造とは、個々人の
心の持ち方を改造レ、虚養をして立派な人格を持つた人間になることをいふ。物的改
造とは、社会の組織や制度に改造を加へる−」とをいふ。そこで心的改造が先きか物的
改造が先きかといふ、′壁方の優劣問題が起きて来るのである。
心的改造論者は考へる。個々の人間さ。へ修養して立派な人格者になれば、社会に悪
はなくなつて了ふ。悪が尊生しようにも、悪をする人間が品切れになつてゐるからだ。
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軋
M周ぜ召つて劇鞠呵ればなんな叶せ.はないか。− ♯
ところが反対の物的改造論者はいふのである。成る程今の社会には澤山の悪者がゐ
よぅ。けれどもその悪者の大字は、社会がよくなつてゐないところから出来たもの
−
州 ビ。例へば誰竹も泥棒を好んでするものはなからう。夜牛に起きてゐて、こそこそと
仙 人の家へ忍び込む。こんな苦しい骨折はなからう。そして得をところは、いつも千金
一
仙 てゐないが、なほその物的改造が効果的であるためにさへ、
→
】
そこで心的改造
社会制度を理想
を.しよ,フと
うといつた
だらう。共
ことを許さ
いか。
生活J
しよ,
なる‥
朝川W】
早い話が
に骨を折らな
的のものにし
共産主義だ。
いふ時になつ
ら、共産主義
産王義社会が
なければなる
いで、何の鹿
たところで、
曾改造がゐるか。どんなに物的改造をやり」
人間に悪者がゐてはどうにもならぬではな
共産主義の社会になヶ、銘々が謂ふ如く不自由をしない
一て、
社会
維持
まい
我儀な慾張者が現はれ、自分だけ澤山の品物を滑費
も
さ
。
何
も破れて了ひ、また元の私有財産制度の社会に
れる平めには、人間が先づ理想的の人格になつで
すでに物嘗1劇掛吼
社会に悪は根絶えになつ
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心的改造は先ウニれに濠
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界二孝 心的改造と物的改絵
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第二孝 心的改造と物的改造
二川
とは極まつてゐない。いやせいぜいのところ五六囲の泥棒だ。それだけの収入を得る
のには、泥棒は鎗りにも危険率の多い、また鎗りにも成功率の少ない、莫迦莫迦しい
骨折ではないか。泥棒になるのも、全く今の社会では行き詰まつて了つたからである.
誰れが好ん。でこんなところへ落ち込むものか。そこで社会を理想的のものにして見る
がよい。泥棒をしないでも普通の生活の資は得られるから、誰れも志願して泥棒稼業
をしようといふものはなくなる。見よ、軌醐曹W
叫首
に思ふのは、1の、元金な触 に んでゐて すほら い考へ を標準として、
愚。理想鹿骨になれば、人間は不善を考へ
る必要がないから、勢ひ社会に不菩はなくなる。また性格の病的映陥から不善を考へ
るやう頂ものが間々出て来たとしても、それは要するに精紳の不具者であり、精紳病
院へ入院させればよいことだ。なはまたそんな心的映陥者が鹿骨で不善をなaフとし
ても、社会金牌の人間はその不善を歓迎してゐないから、自然にこの心的故障者を掻
斥するやうになる。撹斥せられてはこの人も、利害の上で損になるため、
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蓉をしないやぅ。になる。心的改造やために特に骨を折らないでも、物的改造は臥づか
ら心的改造をうながす。物的改造こそは心的改造に先き立ち、最も根本的なものでな
ければならない。1 1
斯様にして髪方の論者は、互ひに入り乱れ、甲論乙駁す礼のである。さきの紳士は
結局その心的改造の主張者になつでゐたのだ。観念論はここに於いてまセ一の靖形を
匂したといふことが出来る¢
軋も、
社会の成り立ち
ヽ
我々はこれら二つの立場に封し、いかなる批判を下し、また我々自身いかなる態度\
を取るべきでゐらうか。
考察の筋道をはつきりさせる窺め先つ批判の結論をいふならげ、心的改造論者呼
人間を個人的に見てゐて、これを悪日的に見ることに足らないもの妨あると思ふ。物
的改造論者は、人間を鹿骨的に見た鮎では誤まつてゐないが、人間の性質をあまりに
も楽観的に観察する鮎で、また誤謬に陥つてゐると思ふ。その点を、もう少し詳しく
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第二拳 心的改造と物的改造 二五
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第二孝 心的改造と物的改造
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述べて行かう。先づ心的改造論から批判して行くことにする。.
二六
人間は、自分
人だけでは生活してゐない。必ず自分以外の人間と関係を結んでゐ
ヽ ヽ ヽ
る。甲と乙とは、何かのことに関して相互に関係を結んでゐる。商費について関係が
鴻るとか、教へ教へられることについて関係があるとか、必ず何かのことに開して関
係を結ぶのだ。尤もその関係に仲介となる 「何かのこと」 といふのは、ごく一面的の
ものである場合もあれば、もつと一般的全面的である場合もある。商費のことで関係
があるといふのはごく
面的のものだが、一面的だからといつて関係は全く稀薄なも
のだともいへない。さてその商人同志が商費をきつかけにして次第に関係をひろく
し、
緒に飲みに行く析謂飲み友達になつたとすれば、今度は関係は前よりも多面的
になつて来る。また
● 寸
家族の結びつきを考へで見ると、これは最初より複雑全面的の
結びつ漣をなしてゐるのである。大饅に於いて人間相互の関係には、一面的なものと
全面的のものとがゐると見てよい∵このことは、後へ行つて出て来る。)
さで人間が学ら個人的に彗ハ
彗関係ん晶州仰‥笥男消するといぶ●「H)に
竣慧は乙り上℃何等かの影響〕品ハ靂U′枯彗甲
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代書ザ川川
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叫 富増7甲だけが乙に関係するが、乙は甲に関係しな
アいハといふことはあり得ない。呵畑a嶺U、譲剖叫脚倒割引○このことを称卦
Z 瀞掛と呼ぶのである。人間は、生活する限卜は、他の人問と相互関係毒して生活す
一
¶るのである。一」人以上の人間が相互関係をなすやうになつたものを、掛針と呼んで畑
■ るJ随つて社会には大きいのもあれば小さいのもあることは言ふまでもない。
/我々の鹿骨、我々が今かうして生きてゐる社会は、お互ひが遊戯をなして、一時的
ヽ ヽ ヽ ヽ
に層七集まつてゐるものではない。必ず何か生存し得る蔑めの仕事をなしつつ、その
仕事を以て相互関係を営んで.ゐるむのでゐる。今子供が野原で遊戯をしてゐた。●後等
はだだ遊ぶだけのことだ。何か仕事をして、その仕事により食べて行かなければなら
ぬといふ心配はない。食べることは、お父さんが考へてくれてゐる。だからお互ひは
ただ伸よく遊び暮らしてゐるのだ。多少腕白な子供が威張り、力の弱い子供が家来に
■されるといふことはあるが、家来はいつも家来と極まつてゐるものでもない。こ町子
一
W 供達が暗嘩をした。大草をあげて泣いてゐる子供もあれば、顛を土だちけにして拳を
一
肘 振り上げてゐる子供もある〇一人の子供のお母さんが見かねて飛び出した。T
節二孝 心的改造と物的改」琴 二七
夢二孝 心的改造と物的改造
二八
「坊やだち、みんなよい子だよ。おとなしくして遊ぶんだよ。喧嘩なんかするんぢや
ないよ。そうれ、お隣りの球ちやんを見て御璧な。あんなに行儀よくなつたぢやあり
ませんか。そうれ、お次ぎの球ちやんも見習つて行儀よくなりましたよ。し
これは間違ひなく心的改造である。一人二人と欠き次ぎに心的改造をやつて行け
ば、その子供の社会全捜が行儀よくなつて来る。かうした時は、心的改造が大事のも
のになるのである。さきに 「論語J で社会の改造をんようと企ててゐた老紳士は、ま
さに我々の鹿骨をこの子供の社会と同性質のものに見たのであらう。
融 合 の 制 度
ところが我々の社会は、仕事をして食つて行くことを前提にした社会である。何か
の労役をし、々れによつてお金を得、物を買つて生活を立てる社会でゐる。併しこの
ヽ ヽ
仕事をすること、なかなか容易のものではない。仕事には造兵も必要だ。今畝やうな
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ヽ ヽ
社会では、機械を使つて仕事をする。機械と全く無開
係に生活して
】人もない。ところが人間が機械を俊つて仕事をすることにより、
ゐるものなどは
お互ひの間に相
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互…
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関係をつく?て生活する苧フになれば、人間の社会は、
つの極まつた組織をつくつ
たものになつて来る。例をあげれば直きに分かる。或る郊外へ電車が敷かれた。
さ,「ノ
なれば、その郊外に建つて行く家は、この電車線路を目安においたものになるであら
。
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飛替機から下を見るに、電車線路と人家とは、離れられない関係を持ち、地上に
美しい地図を措いてゐるのが分かるであらう。また次の例をいつても分かる。今岩鼻…
一
仰が卒業生の事典を取つてくれてゐる。卒業生が完に並んゼでは事典の中へ造入り仙
一
切ぺないので、学校の中から椅子や卓子を澤山持ち出し、うしろへ段生命くなる階段…
一
様のものをつくつたのである。この上へ卒業生がのつて事典をうつして貰つた。壷眞仙
を与?いふ品が、この階段をつくつたのである。その階段完いところに位置仙
した卒業生もあれば、さうでない低いところにしやがんでゐた卒業生もある。さて寧仙
一
眞をうつす仕事が済んで、卒業生が解散したとすれば、あとには椅子と卓子とによる仙
階段がのこるでゐケフ。 仙
▲
人間が導且ハを使つて仕事をすることにより、お互ひに関係を生じ社会をつくつたと仙
すれぼ、その凛日は子供達が野原で遊んでれたといふやうなものと達ひ、事典牢フつ…
簡二寒心朋改潰h物舶改造
ニ九
作一塩劇ソ孔
第二】革
心的改造と物的改造
三〇
す時に取つた形式のやうなものを辞へ上げて了ふのでゐる。どんな時代にも、道具を
使つて仕事をする限り、その社会に特有の形式を持たないといふ澤にいかない。為眞
をうつす時は、東眞をうつすに都合のよい階段状の社会形式をつくつた。ただの道具を
償つて仕事をする時代、銘々が自分の家の中で道具を使つた時代と、今のやうに工場
の中に機械を据ゑつけて仕事をする時代とでは人間相互の結びつきの形式がすつかりq
ヽ ヽ .ヽ ヽ
達つて了ふのである。蔽曾の持つ斯うした特有の形のことを社会制度といふのである。
子供が野原で遊戯をしてゐる時には、その鹿骨には社会制度がない。社会制度は、
働いて食ふことから自づから生じたものである。偶定の社会、遊戯の社会でない限り、
社会の人間は働いて食つてゐるのであるから、現賓の社会には必ず社会制度がある。
そして我々はつね斗鹿骨制度の中に生きてゐるのである。銚紺朝町意勺引〕叫増
隠忍。悪晶度などは考へず、それをすつ
かり取り放して了つて、人間相互の関係を考へたところで、仕方がない。社会制度は
貨幣制度に似よつたところがある。日本へ瀦て物を買はうと思へば、必ず日本の貨幣
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を持つてゐなければならない。外樹へ行けば、またそれぞれの囲で物を買ふに必要な
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たがよからうとか、手形もいけ
した費買をするがよいとか、
考へ得るにしても、
といふことは、
社会制度は、
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とは由日づか
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の囲へ行き貨幣
の好むものを持
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何も適用させてゐない野蟹人の融
て行かないでは、何物をも買ふこ
の貨幣を離れて、一般に物を買ふことなどを考へて
貨幣を通用させてゐるか、などとたづねて見ても、
るに不便だとか、その貨幣の代りに手形を適用させ
い、一切の貨幣をやめて了つてエネルギイを標準に
いろその貨幣を適用させる様式を改造することは、
的に日本では、樹貨幣を持たないでは物が買へない
別の問題である。
ヽ ヽ
時代により欒化する。使ふ道具が異な
鷹合制度そのものも達つて
三段と横に長い卓子の積み
るとすれば、卓子は横に長
が銘々自分の家に織機の道
来るのは致し方がない。薦
をうつす目的の下には、二段
方をしたであらう。
今学生
が演習をして、展望童を辞へ
く積まれず、上へ高く一筒
b積まれるであらう。昔人間
具を持つて織物を生産して
た時代は、所謂家内工業の時
第二喪 心的改造と物的改造
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第二孝 心的改造と物的改造
三二
代で、それに特有の社会制度が成り立つてゐた。工場の中で蒸気カを使ひその織機を
動かすやうになつては、家内工業の人達はその工場の生産に競零することが出来ない.
一′
そこで人間は銘々の家の織機から離れ、一介の替働者になり、その工場へ雇はれて行
くやうになつた。この時前せは別の種類の鹿骨制度が成立したのである。
学に心的改造をいふものは、人間の社会が社会制度を持つことを忘却してゐるので
ゐる。銘々の人間を心的に改造していつても、肝腎の社会制度が元の儀ではどうにも
ならない。例へば資本家を説き伏せ、身を一介の労働者に下らせたにしても、それは
孝県をうつす時曹典師の都合で、上の椅子にのつてゐた一人に下へおりて貰つたとい
ふのと同じ関係であり、椅子の段積みそのものは元の佳になつてゐるのだ。子供達の
遊戯する社会でならば一心的改造でもやくに立たうが、現賓のこの鹿骨では、心的改造
は結局人間鹿骨を改造する資力を持たない。鹿骨制度そのものはみな理想的に立派の
ものでゐつてくれればよいが、必ずしもすべて理想的のものではないから、現賓の鹿
社会制度と物的改造
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合では社会制度そのものが罪悪を侵すやうになる。尤もいかなる社会制度もそれのつ
くり上げられた最初には、その社会に都合のよいものであつたらうが、その都合のよ
い漑長績きしない。社会が尊達して行けば、鹿骨制度にもいろいろの点で不都合の鮎
が出来て来る。社会悪が、その社会制寛の不都合の点から起つて来るのである。尤も
個々の人間の性質が理想的でない点からも社会悪は婆生しようが、悪晶度に不都合
の鮎がゐれば、人間の慧詣でない性質は、L一層激揚せられ、.鹿曾悪の大いさが増大
せし周られるやうになるのである。例へば人間に泥棒根性が容易になトならない時
に、失業者が必ず出て来なければならない鹿骨制度になつて居れば。泥棒は一庵盛ん
になるといふやうなものだ。
社会を改造するには、心的改造だけでは無力である。それと同時に鹿骨制度そのも
のをも改造して一層慧lのものにするやうに、我々は努力しなければならない。誰
れが人間の道徳的な、慧芸義的な行動を束縛する樺利を持つか。鹿骨制度そのもの
が悪を含むならば、我々は進んでこれを改造しなければならないではないか。それ針
なしてこそ、人間は本営の人間になり得る。鹿骨制度そのものを改造することは、
第二孝 心的改造と物的改造
三三
第二章 心的改造と物的改造
三田
的改造でゐる。そこで我々は社会を改造するに、心的改造だけでは甚だ不満足で、必
ず物的改造に着手しなければならぬといふことになるのである。孝県師は、孝県をう
つすに人数の並び方が悪ければ、上の人に顔を曲げ下の人に横へひ′ろがつて貰ふ代り
に、椅子の積み方を先つ襲へ、うつすに都合のよい椅子の排列をつくるであら,つC
心的改造不必罫か 一
然らば、物的改造がゐれば小的改造はもはや全」不必要かといへば、決してさうは
いへないであらう。心的改造だけでは社会は改造せられないが、物的改造だけで社会
悪がすつかりなくなるか上いへば、また決してさうはいへない。いま物的改造をサつ
かり果して、社会制度が理想的に立況のものになつたとしよう。こんな悪日制度でも、
使ふ道具が欒つ七来れば、その社会制度もまた建つ七ものに移つて行くともいへるで
ゐらうが、今はしばらくさうした見方を省き、1−u当湖
耗伯耶α
笥。「」畝.剋▲曾の中
或るも
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義じ
線引泊
爪芭
ない。
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レ桝l倒榊f戟B潮風針
各○層
増、月制覇甘い。人間自身は、結局は豊の力で自分晶警ノるだけのこと
である。ここに於いてか心的改造は、大きな意味を持つ。て来る○ふ的改造は、人称改
造の奥の手だ。物的改造は、寓眞をうつす晶子の排列を欒へる仕方でゐつたが、心
肝改造はなは。それでも具合のわるい人に、顔を横へ向けて眼鏡是らせないやうにし
たり、ちよつと頭品げてうしろに隠れた人の顔を出して貰ふやうにしたりする遣り
方でゐる。その場合審県師は、ちよいちよいと注意の馨をかけるだけのことだ。
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つて人を苦しめて見たい本能を尊挿するかむ
ない
度はま藷
つて絹川.かこハHu
れ長けのものではなくて、謝野
か,つし届1観剣洲制
人間は社会制度により左右さ
舶針卵勒創払掬勤酎恥khめ
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節二番 心的改造と物的改造
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