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   皇國人の忠誠心

 日本人が忠義の心に厚いといふことは、実に尊いことなのである。これはただ忠義の心が厚ければ、従つて國につくす、即ち國のためになるからいいといふやうな、たださういふ都合がいいといふやうな、そんな忠義の心ではない。外国人などの考へる忠義は大体そんな程度の、せいぜい犠牲的精神といふ程度の考へを以て、日本人の忠義の心の厚いのをば羨ましくも思ひ、また敵国としては、日本人が國のためにつくす心の深いのを、困つたことたと考へたり、或は恐ろしいものに考へたりしてゐるやうである。
 もちろん、このやうに世界に類の無い忠義の心があるために、世界無比に絶対に強く、且つ國運も隆々として栄えるのであるが、我々日本人の忠義は、ただお役に立つとか、犠牲的精神とかいふ以上のものがあつて、外国の人の知ることの出来ない、絶対持ち合せてゐない立派な美しい神髄があるのだ。その美しい立派な心持から、真実に國家に役立ち、最高の犠牲的精神も燃え出で、世界無比の忠義の心が出てゐるのである。
 さういふわが國民の忠義の心は、勿論徳川時代の武士道などにもはげしく表れてゐるが、しかしそれには儒教の思想や禅宗などの仏教の思想も強く交つて出来てゐて、外国思想向きになつてゐる所もあるので、ここでは古代の純粋な精神にさかのぼつてお話してみたいと思ふ。
 前に述べたやうに、外国人などは日本人の忠義の心の厚いのを、どうかすると恐ろしいものと思つたり、甚だしいのになると、日本人を野蕃人的な向ふ見ずと考へたりまでしてゐるが、果して私ども日本人の忠義の心はそのやうに恐ろしい、野蕃なものであらうか。大東亜戦争になつてからの一二の例をとつてみても、昭和十七年の一月二十八日、ミンガラドンの英軍飛行場を襲つた戦闘機隊の山本金吉中尉は、傷ついた飛行機の浮力もつかなくなつたのを以て、敵飛行場上空を低く匐ひ廻り、実に旋廻すること七度。その間にブレンハイム機三機を銃撃炎上せしめて後、力尽き果てて飛行場に突入、しかも中尉は負傷に屈せず、あつといふ間に敵飛行機に乗移つて、悠々敵を尻目に滑走に移つたが、勝手知らぬ飛行機は浮き上らず場外に飛出して顛覆した。しかし中尉ば未だ死なず、濛々たる土煙の中からポッツリ現はれた中尉は、遥か日本の方をおもむろに拝し、挙手の敬礼をした。その時今まであつけにとられてゐた敵は一斉に機関銃の射撃を浴せた。中尉は崩折れるやうに膝をつき、そして地に伏した。しかし未だ事切れてゐない中尉を英軍は直ちに陸軍病院に担ぎ込んだが、間もなく息を引きとつた。この山本中尉の壮烈極りなき鬼神のやうな最期は勿論敵をして心胆を寒からしめたが、やがて深い感銘を英軍に与へ、翌日遂に前例のない荘厳な軍隊葬を以て葬り、場外の丘陵の陸軍墓地の緑樹の蔭に手厚く埋葬した、と当時の報道の伝へたところである。
 またシドニー港を強襲した第二次特別攻撃隊の勇士を敵軍に於て軍隊葬を以て葬つたことも御承知の通りである。これらの事実は敵がわが忠勇なる戦さ人の勇猛に恐れをなした、といふ以上に、その「恐れ」を超えて、敵をして敬ひ拝せしめた、神のやうな「尊さ」があるからだといはねばならない。あくまで勇猛ではあるが、それは無智蒙昧な野蕃人の命知らずとは全く違ふ、神の尊さを敵にも感ぜしめたものであつて、私はここにわが國民の忠誠の神髄が暗示されてゐると思ふのである。なほシドニー港強襲の勇士がさういふ敵の尊敬の中に葬られた日と同じであつたと記憶するが、かの東京空襲の米軍が、いとけない学童を銃撃して何らの反省も恥もないといふ実に呆れ果てた動物的な根性に対し、厳たる軍罰が与へられた日であつた。同じ暦の上でこの余りに極端に異なる二つの事実は、私どもにはつきり知らしめるものがあると思ふ。
 同じく敵地深く身を挺して戦つたといふ表面の事実は何れ劣らぬ忠義に見えるが、米軍飛行士の方は、国のためにといふ犠牲心でさへない、十万ドルの報酬と、あはよくば忽ち英雄に祭り上げられようといふ人気とを目当てにした卑しい根性で、それ自身人間として最下等の汚い心からのゆがんだ冒険心にすぎないものである。しかるにが勇士達はどうであらうか。自分は國のために犠牲になるんだぞといふやうな思ひ上つた心などもなく、唯々大君の一念「海行かば水漬く屍、山行かば草むす屍」といふ奮戦である。山本中尉が今は最期とばかり、顛覆した飛行機から匐ひ出て砂煙の中で、東の方を拝しつつ従容として敵弾に倒れたといふその姿は、もはや敵弾など眼中になく、ただ 天皇陛下の一念のみがあつて、天皇陛下万歳を唱へ、天皇陛下を拝して死に就かれたのである。言換へれば山本中尉の全身全霊が 天皇陛下を拝するといふ姿に凝リきつた、尊い、限りなく美しい姿であつたのである。その姿こそ、敵の目に神の如くに映つたのであつて、彼等敵軍は、日本軍人の忠義を野蕃と批評し得る所か、事実反対に神として仰ぎ、野蕃的な恐ろしさどころか、彼等自らの中には見ることの出来ない尊いもの、美しいものを仰いだのである。
 即ちわが日本人の忠誠はそれが高まれば高まるほど、勇猛果敢に敵をうち、敵を顫へ上らせるのであるが、それは如何なる敵にも、この世ながら神の姿を教へ、美しい最高の道徳を教へるものなのである。そこまでゆくと、外国人が考へる程度の国家観念や国家のための犠牲的な行為といふやうなものを遙かに超えて、まるきり違つた、全く日本人だけのもつ忠義の姿なのである。
 以上近い一二例を以て述べたやうに、私ども日本人の忠義といふのは、ただ國家のために命知らすに戦ふといふ以上に、非常に美しいものであるが、私はその根元について今少し申し述べたいと思ふ。
 私ども日本人の忠誠の心は、全く 天皇陛下といふ一事に発してゐる特別の心である。外国人の考へとまがひ易い、國家のため、といふ言ひ方とも、気をつけて区別したいくらゐにただただ 天皇陛下に結ばれた心持であつて、軍人勅諭にも拝せられるやうに、「忠節を尽すを本分とする」といふこの忠節を尽す、の一事に尽きるのであつて、勇猛に戦ふその勇敢なはたらきも、ただ御稜威により、否御稜威そのものとしか思はれぬ境地なのである。さてその 天皇陛下の御稜威と申し、肇國の大御心と申すのは、御承知のやうに「六合を兼ねて都を開き、八紘を掩ひて宇と為さむ」とある 神武天皇のみことのりに拝する通りである。ここには「六合を兼ねて都を開く」との御言葉を特にお話し申したい。これはどういふわけかと謹んで拝察致するに、一言にしていへば、世界中を「みやこ」にするといふ大御心である。これは実に非常な御言葉であつて私ども後世の臣民や、外国人など到底直ちには伺ひ奉ることの山来ないほどの大きな、そして豊かな美しい御言葉である。
 「みやこ」と申すのは、「宮處」といふことで、天皇のまします処である。これは今日いふ都会とか都市とかいふものとは心の違つたものである。昭和十八年七月一日から東京市が東京都になったが、市といふのとは違ひ、天皇陛下の御膝もとといふ心である。敢て何かと名をつけて申さなくとも、唯「みやこ」と申しただけでも絶対他にまぎれのない、わが大君のいます処なのである。ところが神武天皇は世界中を都とすると仰せ給うてあるのであつて、実に非常な仰せごとなのである。が、かの北畠親房卿は、神皇正統記の中で、はつきりと「大日本嶋根は本より皇都也」と言つてをられ、ちやんと 神武天皇の大御心を伝へてをられるから、天皇のしろしめすところ、これ「みやこ」といふのが私ども祖先からの思ひである。その證拠は他にもあるのであつて、萬葉集などを読むと、「遠の御門」といふ言葉が使はれてゐる。どういふことかといふと、普通いふ「みやこ」を遠くはなれて、地方に出て行つてゐる「みこともち」即ち地方官達が、その國に於て、そこを「遠の御門」と申し、それは壱岐対馬のやうなところから、当時朝鮮などについても、さう言つてゐる。「御門」とは御門(ごもん)のことで、天皇のことを「みかど」と申し奉る通り、天皇の皇居を申すのである。そして大伴旅人の歌にもあるやうに「やすみしし吾が大君のをす國は大和もここも同じとぞ思ふ」といふ、大君のしろしめすところは、どこもみなすべて同じ「みやこ」でありみかどであるといつてゐるのである。それでは、「みやこ」にするといふ、さういふ「みやこ」とはどんな姿かといへば、今日普通いふ都会、即ち商工業都市といふやうなのと違ひ、また単に行政的首府といふのとも異なり、皇~(すめがみ)の都であり、そこはすべて所謂「みやび」たる、人の心も、人の住居も、すべて生活が最も花の匂ふやうなうるはしく壮んな心高い所を申すのである。天皇はさういふ「みやび」の本原であらせられる。そして神武天皇が六合を兼ねて都を開くと仰せ給うたのは、実に世界をこのやうなうるはしいところとするとの大御心である。外国人の世界に対する心持などは、唯自己のために他を犠牲とし、征服して植民地化して搾取し、そのためには被征服者を奴隷化し、世界をわが商略の市場とする考へであることは既に事実が示してゐる。彼等の野心に侵された土地の民族はひたすら未開野蕃に落されて、なるべく目ざめないやうにさせられるのである。それ故、一つの戦争の目的使命も日本と外國とでは全く方角違ひで、私どもは遠い祖先以来、以上のやうな 神武天皇以来の、此類ない美しい、大きな大御心を仰ぎまつり、一つにはその 天皇のみことのりを奉じて世界を「みやこ」とするため行き進みつつその行くところすべて「みやこ」と信じ、その大使命に生命をつくすことを最も「生けるしるしあり」と喜び、即ち言ひ換へるならば、そのいづこをも大君の御下(もと)、即ち「大君の邊(へ)」と固く思ひ、その「大君の邊にこそ死なめ」と心に誓ひまつり、天皇陛下萬歳と唱へて莞爾と死につくのである。これ私ども日本人の忠義が、比類ない、高い志であると共に、この大使命に立つが故に、あくまで強く勇ましく、且つ敵をしてさへ神として拝せしめる所以である。またかういふ「みやび」の心をもつ戦である故に、昔から代々の 天皇を初め奉り、将軍も、兵士も、戦場に門出する時も、戦場に於ても、またその最期にも和歌を詠ずるといふ風流を失はず、またそれを武人のたしなみともしたのも、その祖先以来の心の一つのあらはれであつて、ただ世間の文学趣味と違ふ、歴史的な深い意味のあることなのである。
 以上の意味に於ても、外地に生活される人々の立たれるその土地は、昔ながらの「遠の御門」であり、その使命もまた。一に 神武天皇以来の最も美しく尊い日本人の使命の上にあることを、而してこの精神に於て、忠義も全うし得るものであることを、いささかなりとも御諒解を得たならば私の望外の幸とするところである。
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