転向没落問題・自由主義・戦争論            土田杏村


      一

 最近の雑誌新聞の論壇は、佐野鍋山両氏転向問題の批判
を以て一通り賑つてゐたやうである。併しその批判は、大
体に於て一致してゐる。今日最左翼の運動をしてゐる人達
は、その考へをあからさまに雄誌新聞上に書くことが出来
ない。随つて両氏の転向を真正面から香定した議論は、公
然とは多く見ることが出来なかつたけれども、それ故最左
巽主義者はこの転向論に同意したのだとは、見ることが出
来ない。寧ろその多くは、この転向を黙殺したのであらう。
獄中にある人達の中には、これに同意して転向したものも
少なからぬと伝へられるが、それらの人達は元来特殊の環
境の中に置かれてゐるのであるから、この同意をすぺて理
知的に行つたとも考へられないことである。
 自由に公然と意見を公表することの出来たものは、専ら
最左巽より離れてゐる中間派と無産右翼の人達であるが、

 その人達は運動の中途に於いて最左翼運動の不可能を認識
 し、右へ転向した人達であるから、両氏のこの告白を見て、
 「それ見たことか」と言はんばかりの語勢の批評を加へた
 のは、当然のことであらう、中間派より見れば両氏の転向
 は極右化であつて、寧ろ行き過ぎた観がある。随つて中間
 派は、両氏のこの反動化を冷笑した。すぺては自然の順序
 であつて、加へらるぺき批評が、書かるぺき人により、そ
 れぐ・・書かれたといふに過ぎない。
  ここにまたさうした社会思想家乃至運動家とは達つたグ
 ルウプの人達の言つてゐる言葉が、いささか我々の注意を
 ひいた。それほ教諭師などが両氏転向の経過を語つてゐる
 言葉であつて、この人達によれば、思想犯罪者と不徳義犯
 罪者との間には何の区別もないものらしい。窃盗殺人など
 の罪を犯した犯人が教諭師の説教により道義的に改悟する
 のも、或る思想をすぐれた正しい思想だと信じて行為して
 来た所謂思想犯人が、自己批判の結果転向をするのも、何

等相違のないらしい口吻が、彼等教諭師の言葉の端々に見
 える。併しこれはあへて教諭師だけを答めるぺきものでな
 く、世間にはまだノトその見方の人が少なくないのであつ
 て、かうしたことにも思想問題についての正しい知識が世
 間に一向普及してゐないことが現はれてゐるのだ。
 中にも佐野氏が転向したには、その姉である人の真宗信
 仰があづかつて力あつたのだとか、同氏が「大乗起信論」
 などを読んだ結果、東洋にもかうした偉大な思想があるこ
 とを知り、転向に志ざしたのだとかいふ話が新開には掲げ
 られてゐたが、何処まで真実であるか分らないにせょ、こ
 れは余程奇怪な講である。獄中生活者のやうな不自然な生
 活を送つてゐるものには、或はさうしたことも一つの契機
 になつたかも知れない。併しそれだから東洋思想はえらい
 とか仏教はマルキシズムよりも有力だとかいふものがあり、
 「佐野の転向にあづかつて力のあつた起信論といふ本はど
 んなものか」などいつて、改めてそれを読み出すものがあ
 るといふのを開いてペ全く呆れて物がいへない。仏教思
 想が、佐野氏の社会思想的な転向に何の関係があるか。
 「起信論」は仏教の或る一部の形而上学を論じたものであ
 り、その形而上学と認識論との結合を先験意識的に論じて
 居り、東洋にも、今西洋のフツサールなどが試みてゐるや
 うな先験意識的の研究は大分古くからあつた、といふこと
を示す点で興味深いものであるが、その形而上学乃至認識
論は、今日の社会思想、特にマル享ソズムとは何の関係も
ない0随つて今後「起信論」を基礎にした社会思想が生れ
るなどといふことは、絶対にあるぺきでない。「東洋にも
 こんな偉大な思想がある」といつて感心するならば間違ひ
 ではないが、「だから東洋思想を基礎とすぺきで、西洋思
想は排斥すぺきである」といつたとすれば、大間達ひであ
 る。私は「起信論」もえらいとは思つてゐるが、(それに
 ついて幾つか論文をかいたこともある)西洋の哲学や社会
思想もまた偉大なものだと思つてゐる。「起信論」や真宗
 の諾著を機縁にして転向したとあつては、転向も全く値打
 の乏しいものになるのである。

       二
 佐野鍋山両氏の声明書を読んで見ると、流石に論理のガ
 ツシリしたものだ。私はこの声明書の値打を相当に高く買
 はうと思ふ。
 併しその声明書から離れ、これを現在の我が社会生活の
 中へ投じて見ると、それには何か知ら、獄中の臭ひがする
 し、一種盲味な、、、スチシズムの感じもするのである。或は
 そこらが起信論的なのかも知れない。この声明書が、最左
 翼運動は日本では生長し得ないことを言ひ、コ、、、ンターン
瀾瀾   ∃  頂M箋佃          [伯汀凋湖凋川      ZZ一男
の指令計りの絶縁をいふところは、なほ純粋に社会思想的
 で結構であるが、日本民族の特殊優秀性を主張したり、×
 ×〔天皇〕制擁護の論を書いたり、戦争弁護論や大アジア
主義的な口吻の論を主張したりするのを見ると、何として
も獄中の産物だといふ感じがして来る。尤も私は、佐野氏
等のこの論を間違ひだといつてゐるのではなく、私自身ほ
ぼそれに似た考へを持つてゐるのであるが、今の転向論に
於いて、果してそれらの点までを論ずぺきものであつたか
どうかを疑問にするのだ。転向をいふならば、日本の特殊
性の上に立つてコ、、、ンターンの指令への絶縁をいへば、十
分な筈だ。ところが日本民族優秀のことも、××〔天皇〕
制のことも、戦争のこと皇一口はなければ転向とは見傲され
ぬといつたやうなところに、獄中での転向の特殊性が見ら
れると思ふ。
 この声明書は、我々が社会にあつて社会思想を論ずると
は、よほど達つた風貌のものになつてゐる。言ひ換へれば、
我々が今テエマにしてゐないやうな特殊な問題に、専らカ
瘡を入れてゐる。例へば××〔天皇〕制の擁護論であるが、
我々が現実社会の改造論をなす場合には、勿論最初よりそ
れを問題にさへしてゐない。かうした問題を公然と論ずる
ことは許されてゐないからそれをしないといふよりも、現
実社会の改造は××〔天皇〕制に何の影響をも及ぼさず、
 ××〔天皇〕制はこの改造の外に全く超然たる存在をなす
 が故である。随つて我々は、いかに熱心に現実社会の改造
 を主張し実行するにしても、××〔天皇〕制については改
 めて特に考へたことさへない。無産諸党がまた現にさうで
 あるに相違ない。然るに獄中で転向をいふものは、時務に
 ぅといかうした問題に、最も力癒を入れた「改心」論をし
 なければならないやうである。
 日本民族優歴嗣なども、社会思想の見方の変化に対し一
 体何の関係があるか。日本民族は果して優秀であるか0そ
 の日本民族とは、一体どんな血液の混成部族であるか。考
 へて行けばそれだけでも大きな問題であるが、。私は一体一
 っの民族の優秀論には大して傾聴しょうとは思はない。何
故なれば、大抵の民族が甚だ優秀な個性を持つてゐるから
 である。日本民族は、優秀な個性を多く持つてゐるであら
ぅが、また優秀でない欠点をも多く持つてゐる。併し我々
は民族個性のさうした分析より全く離れて、日本の社会思
想を論じてゐるのである。両氏は「日本民族の強尚な統一
性が日本に於ける社会主義を優秀づける最大条件の一つで
 ある」とまで力説してゐるが、これを逆にいへば、日本民
族にそれだけの優秀性がなければ、日本では社会主義を実
行すぺきではない、といふことにもなるではないか。私は、
民族の個性などと離れ、とにかく現実日本の社会情勢を観

 察すれば、改造は必然的の要求であると主張するのである。
 不可避なる戦争には勝たざるぺからず、と両氏が主張す
 る点にも、私は賛成しないものではない。今若し日本が何
 れかの国家と国運を賭しての戦争をなすやうになつたとす
 れば、我々はその時決然として立つてこの戦争に勝利を占
 めるやうあらゆる努力を払はなければならない。私は今そ
 の理由を詳しくここに述べない。併し今の場合、何故特に
 この声明書の中でその戦争論をなしたのであるか。ここに
 もまた我々は特殊の獄中風景を見なければなるまい。
  大アジア主義的な議論は、世間にもよく行はれてゐるが、
 これには大いなる警戒が必要であると思ふ。私は今よりず
 つと以前に、大アジア主義には容易に賛成してならないと
 いふ論を書いたことがある。その後世界の経済は、ブロッ
 ク的な発達をなして来たので、日本がアジアに一の自足自
 給的ブロックを形成しなければ、その国家的存立を危ふう
 する情勢は確かに進められたが、それだからといつて直ち
 に大アジア国主義をふりまわすのは甚だ危険である。何
 故なれば大アジア的結成といつたにしても、軍事的経済的
 に動力者となり得るのは日本だけであるから、その一日本
 の実力を以てアジアを防衛することは、大いなる危険事な
 るが故である。満洲国問題でさへ日本は国際聯盟に於いて
 全く孤立した。支那の各地、その他アジア諸地方に欧米詔

国の勢力が既に複雑に加はつてゐる以上は、日本がアジア
の盟主として立つ場合、それらの諸国がこれを傍観してゐ
る管もない。然らば大アジア主粛をいふことは、結局は日
本の軍事的経済的の実力を以て欧米列強の全部を敵として
戦ふことを意味する。この戦争に於いて断じて日本は敗北
するものでないといふものがあるにしても、我々は先づ国
                わざわざ
運を賭したさうした大危険事を態々招来するにも及ぶまい
と思ふ。大アジア主義は、弱少アジア諸民族に対し道義的
には美しい理想であるにしても、それにはドン・キホーテ
式の英雄主義が混入し易い。真面目に国策を考へる壊合に
は、我々は先づその無用の英雄主義を清算心て置くことが
必要た。さてアジアの防衛といふやうなやや空想的な見方
から離れて了へば、戦争についての我々の見方も大いに変
つて来るであらう。何れにせょ、両氏の転向声明書に、こ
切戦争弁明論はどうしても必要なものだとはいはれなかつ
たのだ。

       三

 以上社会にある我々から見ては、今特に問題としないで
もよいやうなことが却つて主眼的に論ぜられてゐるのは、
我々には奇異の感じを与へるものであるが、×× 〔共産)
主義を蛇蝦視する人達に取つては、それらの点こそは最も
値打ちのある部分であつたに相違ない。そしてこの点を両
氏の如くに論じなければ、これを転向と見なかつたに相違
ない。言はばこれは踏絵をなす場合、昔の取調ぺ役人が一
一箇条書にして読み上げ、「それをいかに考へるか」と訊
問した諸条件に匹敵するものだ。私が両氏の声明書に多分
 の獄中的特殊性が見えるといつたのはそこである。
 最左翼運動がだん〈抽象的のものになつて無産大衆よ
 り離れたとした点、コミンターンの指令が日本の実情に適
しないものであることを指摘した点などは、我々もその偉
同意するところである。併しそれに気付くには、余りにも
 おそ過ぎた。私などはこれまで一貫してそのことを主張し、
労農党解消の際などは、「何故日本のマルキシストはコ、、、
 ンターンに抗議を発し、その指令が日本の実情に甚だくら
 いものであることを指摘しないか」と極論したが、今やつ
 と佐野氏等はそれと同一の批判をなすことが出来たのであ
 る。我が国の極左主義運動は、一種の「強がり」をなす虚
 栄からも生れてゐる。そして多少でもこれに非難を発した
 我々は、これまであらゆる馬言をあぴせかけられたものだ。
 今日でもマルキシストらしい口吻をなすものの中には、自
 己の地位を何処に置くかを明言せず、殊更に最左翼らしい
 言葉だけを雑誌の上に書いてゐるものがある。即ちマルキ
 シズムはマルキシズムとして、これをどの程度に日本の現
 実へ具体化せしめて考へてゐるかの最も肝腎な点について
 は、公表しないものが甚だ多い。依然として思想的虚栄は、
 彼等の脳裏より去らぬのである。
  極左運動を廃棄するとして、さて日本の社会主義連動は
 今後いかなる道を選ぶのであるか。中間派無産党は、「我
 我の今進んでゐる道がその正しい道である」といふであら
 うが、中間派の無産党も、今では国民的の信瓶を強く受け
               。\1′●。
 てはゐない。いや、すぺての無産党は今甚だ無力の状態に
 あり、この無産党によつて現実社会が大いに改造せられる
 ことなどは、近い将来に於いては全く期し難い絹のになつ
 てゐるのである。然らば無産大衆より抽象した道を歩いた
 ものは、ひとり日本×× 〔共産〕党だけではなく、無産党
 の全部であつたといふぺきものではないかと私は考へる。
 ここに無産諸党は佐野氏等の清算を冷眼祝するだけで満足
 すぺきではなく、自分自身をも多くの点で清算しなければ
 ならぬであらう。
  ここまで書いて来た時に、私は河上博士没落といふ新開
 記事を読んで、また一種の感慨を与へられた。このことは
 河上氏拘引の最初より予感してゐたことだし、佐野氏等の
 転向が起つた時には、「次回は必ず河上氏だ」と予想した
 ので、特に駕かきれもしなかつたが、ただ氏の人間として
 の歩みに或る感慨を与へられたのである。「獄中独語」に

 は何の理論もないから特に批評すぺきでもないが、実践を
 離れてなほ且つ「私の学問上の信念が動揺したことを意味
 するのではない」といつてゐる言葉は、私には理解せられ
 ない。マルキシズムは、理論と実践との弁証論的統一の上
 に立つてゐる。然るに河上氏は今や理論と実践とを二元論
 的に考へるのだ。それがなほマルキシズムであるといへょ
 うか。実践的に河上氏の取られたやうな極左運動が不可能
 のものとすれば、その実践がまた直ちに弁証論的に理論の
 上に影響を加へる筈だと私は信ずる。河上氏等に於いては、
 マルキシズムのその二元論的理解がつねにあらゆる弛椚謬を
 生んだのである。私はこれまで峻烈に河上氏の理論を批判
 して来たが、今この告白を読みながら、人間としての同氏
 に改めて言ひ知れぬ懐しさをおぼえた。

        四

 自由主義についても碓誌の上には論議が相当に見られた
 が、さてこの論議に平行して、現実社会の中にはどれだけ
 の実際運動が起つてゐたかと顧みると、自由主義も心細い
 存在になつて来るのである。私は自由主義を批判し、今の
 時代に起るには余りにも古い主張であるし、それの存在す
 る地盤もないと論じたが、その批判の中で私自身が自由主
 義者になつた積もりはない。然るに向坂逸郎氏の「現代自

由主義論」の中では、私の論文「自由主義の再検討」など
を指摘した後、「ここで問題なのは、いはゆる自由主義の
主張者達の論文である」といつて÷例へば、清沢氏は」
と清沢氏の論をあげ、次に「土田氏は」といつて私の論を
 も引用してゐられるが、これは抑々観察の最初より誤謬で
 ある。私は自由主義の批判者としては立つたが、それの主
張者としては立つてゐない。併し論壇ではいつもこれ位の
 認識錯誤は平気で行はれてゐる。
 自由主義は、既にいつた如←今頃主張せられるには、
余りにも古いしろ物だ。日本の社会思想もかつては自由主
義の段階にあつたが、今ではそれを経過した、それょりも
進歩した段階にある筈だ。少なくもマルキシズムを吸収し
 た以後の段階にあることは、誰れにも分つてゐる。然るに
 今更再び自由主義をいはなければならぬでは、余りにもみ
 じめなものであると思ふ。アナキストが自由主義者となつ
 て現はれることには理由があり、許せないものではない。
 何故なれば、自由主義はアナキズムの中心的な要求なるが
 故である。多少ながらもマルキシズム的な思想を取つてゐ
 たものが、今更自由主義に秋波を送るやうでは、我々はそ
 れを許す訳にいかない。
 何故今頃自由主義などの声が起つたかといへば、その理
 由は甚だ簡単である。日本に起つた或る勢力が新らしい社
会思想社会運動の上に××〔弾圧〕を加へ、日本の社会生
活の上に於いて従来類例の乏しい後退が現はれた為めに、
新思想新運動は××××××〔活動する自由〕を全く奪は
れ、主張としても自由主義あたりへまで後退するより外に
致し方がなくなつたのである。時代が後退的でなく、思想
と運動の上にこれ程までの××〔弾圧〕が加へられなかつ
たとすれば、思想はマルキシズムを超えて一層進歩したも
のになつた筈だ。自由主義は、手も足も出なくなつたもの
の、最後にやつと挙げた悲鳴であるに過ぎない。
 自由主義くらゐの要求をしか発することが出来なくなつ
た現状に、我々は決して満足してゐてならない。後退に後
退を重ねるよりは、我々は勇敢に現状を打開して進まなけ
ればならない。一体社会生活をこれ程のところへまで後退
せしめたに就いては、思想家や運動者にも罪がないとはい
へない。××〔弾圧〕が加へられ始めた時、我々はそれを
ファッショの現はれだなどといつて単に冷笑しっつ観望す
ることをせず、勇敢にそれに抗争する為めの大衆運動を起
さなければならなかつたのだ。併しこの大衆運動は、今起
しても決して遅過ぎるとはいへない。インテリ群の狭い範
囲の中で、ナチスの焚書などを目標にした「自由聯盟」を
組織したにしても、そのカは余りにも微弱である。運動は、
大衆の中に於いてでなければならない。今では流石に××
       ヨ一一一「」届、イd j項りJl穎「 。a弓1j勇一一
〔論壇〕の中には、この××〔弾圧〕に対する××××〔反
対意思〕が、口でこそ一々言はないが相当に根強く養はれ
 てゐる。

       五

 この間理想社から出た「戦争論」を読みながらいろノ\
考へたことであるが、とにかく戦争についての考察が近来
幾つも現はれて来たのは、やはり時勢の反映である。
 その論集の雪匝瑳少将が、「実に軍備は決して平和論
者の称ふるが如き嫌忌すぺき戦争誘因となるものでなくて、
却て戦争を防止し、戦乱を局限し、反戦争観念を最も強く
するものである」と主張して居られるのは、これまでも軍
部から幾度か聞かされた論であるが、恐らく現在のところ
真理であらう。即ち強力な軍備の対抗があるため各強国間
には容易に戦争を起せなくなつてゐるといふのが、世界現
在のいつはらない観察であらう。戦争の機械が整備して来
れば、今後国家が戦争をなすことは全くその国家の全運命
を賭することになるのであるから、櫨つて容易には戦争は
開始出来ないやうになる。この意味から見て、武器の発達
は世界の戦争防止のために希はしいものであらう。併しま
た反対に、軍備を大いに制限すれば、その場合にも戦争は
容易に出来なくなるのであるから、匝瑳少将の主張が、必

 らずしも唯一の見方だともいはれない。殊に軍備拡張の競
 争のために世界経済の危機は一、層増進せしめられてゐると
 すれば、軍備の問題を考へるには、一概に戦争だけの着眼
 からする訳にもいかない。
 匝瑳少将によれば、軍備は反戦争観念を最も強く発揮す
 るものであるといふことであるが、その大目的より見れば、
 国民の間に国防思想を大いに普及しなければならないとす
 ることの意味はどうなるであらうか。中柴少将は同論集の
 中に「戦争の哲学的意義」といふ一論を書いてゐられるが、
ニれは「まごころ」とか「まこと」とかを中心にした形而
 上学的な、といふょりも信仰的な告白であつて、一向哲学
 的なものではない。第一それは哲学といふには、余りにも
 非方法的な、独断的なモノロオグであるに過ぎない。私が
 今特に中柴少将の論をあげて斯様の批評を加へたのは、軍
 部には由来これに似た考察の仕方が多いからであり、中柴
 少将の論を見ても、我々は何の悍るところもなく、やはり
 哲学や思想の問題になれば、軍人はそれに一個の素人であ
 るに過ぎないと断言しなければならないのである。併し軍
 人は戦争について専門的な研究をなすものであり、その点
 では何人も軍人の研究に容唆すぺきではないのであるから、
 自分の専門でない哲学や思想の問題で、軍人が素人の理解
 をしか持たないとしても、それは少しも軍部の恥辱ではな
 いのである。     −
  近来は国防研究会などといふものが諸処に設立せられ、
 仏教家の集合によつてさへその研究会が設立せられなけれ
 ばならぬなどと軍部により勧奨せられてゐるが、もしも国
 防を研究するといふのであれば、私は匝瑳少将がいはれた
 やうな大眼目が忘れられてはなるまいと考へる。これによ
 り国民が徒らに焦嘆的となり、甚だしきは好戦的になつた
 とすれば、それは国防研究会の大眼目に反する。またこの
 見方よりすれば、僧侶までが国防研究に熱中しなければな
 らぬなどは、いささか通り過ぎではないかと思ふ。なほま
 た私は今の間に警戒して置きたいと思ふが、国防研究会は
 純粋に国防の研究会であつて、思想問題などの研究会であ
 つてはならないといふことである。中柴少将の論でも例示
 せられたやうに、軍人はやはり思想問題については決して
 第一流の理解を持つてゐるのではないから、その素人理論
 む以て国民に対することは、神官が医者の仕事をすると同
 様に、甚だ危険である。尤も病人は今非常時の危険状態に
 あり、誰れでも医者のやうな助言をしたくなる時ではある
 が、さうした危険な容態にあればこそ、我々の注意もまた
 特に周到でなければならないのだ。軍人は軍事に、思想家
 は思想問題に、実業家は実業に、それぞれ専門的な領域を
 守り、国民として共同の努力をなすことこそは、明治大帝
 の下し賜はれた教育勅語の御趣旨にもかなふものである。
 時勢はいかに非常時であつても、我々はその大本を忘失し
 てはならない。