昭和20年度

427( 1945.1.3)

 今まで戦力の源泉は主として鉱物資源に在りと考へられてゐた。
 鉄、非鉄金属、石油いづれも地中より出る鉱物である。
 ところが最近になつて、植物資源が戦力に重要な役割を占めるに至つた。
 木造船、合板船が造られ、木製飛行械が出來るやうになつた。
 甘藷、馬鈴薯からアルコールが採れ、松の根からガソリンが出来る。
 タンク、容器類も金属製から紙製に移りつゝある。
 我が国における植物資源は頗る豊富であり、またわれわれの努力によつて限りなくこれを増産し得る。
 鉱物資源は堅く、脆いが、植物資源は弾力性があり、粘り強い。両者を織りなして生産を増強するとき、強大なる戦力を培ひ得ること必定である。
 植物資源を増産せよ。しかしてこれを戦力化せよ!
 これ本年における戦力増産目標の一つである。

428( 1945.1.10)

 敵機の来襲に際し、夜の寒空に壕に入つてゐると、これが戦争だといふことがしみじみわかる。今まで「前線将兵のことを思へ」といふ言葉が盛んに唱へられたが、これは贅沢をしてゐる者や怠けてゐる者に対する警告を主としたものであった。ところが壕に入るやうになると、この言葉は別の意味でピンと來る。前線将兵が敵と対峙し、壕の中で敵攻撃の機を狙つて待機してゐる姿が実感を以て迫つて来るのである。
 敵空襲に際し、壕に入つてゐる我々もまた敵と対峙し、敵攻撃の機を狙つてゐるのである。軍人に非ぎる我々は、敵機を直接攻撃することは出來ぬ。しかし落下する爆弾、焼夷弾はこれ即ち敵である。我々はこれと戦ひこれを攻撃し、以てその效果を少からしめ、或ひは無にせねばならぬ。これ我々の敵に対する攻撃である。
 壕の中に在つて前線将兵のことを思へ。しからばおよそ働き得る者は悉く防空の尖兵となり、妙機を捉へて敵を攻撃し、敵の爆撃をして屑鉄運搬作業たらしむるを得るであらう。

429( 1945.1.17)

 民族の精神を身體に譬へるならば、今次大戦に於て皮膚が弱いため敵の爆撃に叩かれるや忽ち破れて出血し、出血多量で參つてしまつたのがラテン民族である。つまり、米英に降參したイタリア人と、ドイツに占領され次いで米英に蹂躙されたフランス人である。ドイツ人は米英からひどい爆撃を長い間受けたが、皮膚は破れぬどころか、打たれる毎に固くなり、たこが出来、爆撃されればされるほど、かへつて丈夫になるといふ始末である。
 われわれ日本人は敵の爆撃を受けるのは初めてだが、今のところ皮膚が破れ出血するやうなことは斷じてない。だんだんと皮膚が厚くなり固くなりつゝある。
 或る民族の精神力がどのくらゐ強いかは爆撃を受けて初めてわかる。爆撃は民族のもつ精神力の試金石である。今やわれわれ日本人の精神力の強靭さが試される時が来た。爆撃を受ければ受けるほどますます強くなり、その強さを以て敵を打ち破るといふすばらしい精神力をわれく日本人がもつてゐることを世界に示すのは今からである。

430( 1945.1.24)

 世界諸國民のうちで家に何物を最も多く持つてゐるのは我々日本人であらう。太平の御代が永くつゞき、生活が豊かで、落着いて住んでゐることが出来たため、家具、什器、寢具等、夥しいものを戸棚、押入に藏つてある。
 動乱の絶えぬ歐洲に住んでゐる人々は、生活の簡易化を考へ、いつでも動き易いやうに工夫してあるし、内乱の連續といふ歴史をもつ中國の人々は、それつといふとすぐに移動できるやうに至つて簡便な生活をしてゐる。そこへゆくと我々の生活様式は、荷物が多くて相常重苦しい。
 これを輕快なものにすることが必勝態勢を整へる上に肝要なことである。
 不変な荷物を處理し、腐らぬものは穴に埋め、大きな容物に入つてゐるものは小さな包に區分し、いざといふ時は何時でも持ち出せるし、また抛り出せるやうにしておくがよい。
 身のまはりの荷物を整理し、重荷を輕くすれば、心の持ち方もおのづと軽快になり、活動的になるや必定である。

431( 1945.1.31)

 子供たちは生活して来た歳月が短いから、過去のことを振返つたりせず、現在に即して物を考へ且つ行動する。だから戦時下いろいろな苦難があつても、これに負けず無意識にこれを克服して、至つて愉快に暮してゆける。大人となると過去が生活にこびりついてゐるため、今と昔とを比べて愚痴が出る。過去が永ければ永いほどこの傾きは強い。
 この戦争を勝ち抜くには苦難に堪へて努力邁進することである。我々の生活は現在に即し未来の夢を追ふべきである。しかして現在への努力と未来への追求大なるが故に、過去への愛着を自ら断たれるといふ境地に達せねばならぬ。この境地に達し、これを実践してゐるのは子供たちである。
 戦時生活の大悟また「童心に帰れ」の一語に尽きる。

432-3合併號( 1945.2.14)

  敵米國はときどきその損事を小出しに發表してゐるが、その發表面に現はれた數字の變化は我等に大いなる示唆を與へる。
 一昨年七月の發表は九万一千、九月が九万八千、十月に入つて十一万五千となり、十二月の終りが十三万三千となつた。つまり昭和十八年度、即ち一九四三年度の損害は十万臺であり、一ケ月の損害平均は一万であつた。この傾向は昭和十九年、如ち一九四四年の五月まで續いてゐるが、七月になつて情勢は一變し、一躍二十九万九千となり、十月に入り四十五万二千、十一月が五十二万八千、十二月が五十六万二千となつた。即ち敵の損害は百万に向つて驀進し、一ケ月の損害平均は十万となり、前期の十倍に跳ね上つた。そして本年一月未には、遂に七十万を突破するに至つた。
  比島戦線の激化、歐洲戦線の急迫化により、敵米國の人的損害は急速に搗蛯キるは必至である。敵は既に出血しつゝあり、その量は次第に揩オつゝある。
  我等こゝに一人十殺を決行するならば、一千万の日本人の力をもつて一億人の敢をやつつけ得るではないか。

434( 1945.2.21)

  汽車、電車の入口は混雑してゐるのに中程はすいてゐる。乘降場には乘れない人が一杯立つてゐる。中程の人たちは詰めようとしない。既に乘來つてゐる一人が聲をあげる。「きあ、みんなもつと中へ入らう。さうすればもつと乘れるぞ! みんな同じ切符をもつてゐるんだ。詰めよう、詰めよう!」そして彼は進んで中へ入つて行く。「さうだ!さうだ!」といふ聲が入口の混雑してゐるところから起る。そして先達に導かれるかの如く人々は中へ詰め合ふ。そこで乘降場に立つてはみ出されてゐた人々はみな乘ることができ、乘物は動き出す。
  この風景は戦時生活の深刻化と共に隨處に見られ、日本人の心持の美しさを示してくれる。この心持は同時に日本人の強きを表はしてゐる。みんなで助け合ひ励まし合ひ、力を協せてゆくところに、ほんたうの強さが生れるのである。
  しかも乘れぬ者が我等を乘せよと要求するのではない。既に乘つてゐる者が乘れぬ人々の爲に叫び、自ら範を示して、皆をして正しきこと、よきことを行はしめるところによさがあるのである。

435-6合併號( 1945.3.7)

 我々が一つの事業を遂行する場合において、大きな困難に突き當ると心に迷ひが出る。あれやこれやと疑うたり、惱んだりする。気の弱い者はそこで躓く。大悟一番、この迷ひを拂ひ去つて、透徹した心境をもつて目的に向つて邁進する者は、諸々の困難を克服して遂にその事業を完成する。
 大東亞戦爭遂行の途上において、我々は今大いなる困難に直面しつつある。勿論、我々日本人はこの位の困難にひるむものではない。敢然これを突破して勝利への大道を驀進する決意は牢固たるものである。しかし、人によつては心に迷ひを萌すことなきを保し難い。かゝる人は大悟一番すべきである。
 葉隱論語に日く
  武士道とは死ぬことと見つけたり
 これ真個の日本人の悟りである。而して、死中にこそ活はあるのである。

 

(1945.3.10)
号外 四年目の神機
ルソン島に 腥風漲り
硫黄島に 血煙り昏く
敵の空襲いよいよ熾烈
本土決戦 將に迫らんとする秋
往時を偲び 現在を想ひ
無量の感慨と 無限の憤激に
我等の闘魂は 火と燃え上る
由來 長期戦においては 多く
第四年目がその運命の岐るゝ重大神機に當る
いま四年目の神機を真に神機たらしめんため、
我等一億闘ひ拔き、
勝ち拔く決意を鞏うせんことを誓ふ

   目  次

一、宿命的なる日米決戦
二、次ぎに來るもの
三、戦局の因つて來る所以
四、媾話利なき戦ひ
五、盛衰隆替の岐路
六、四年目の神機
七、ラバウルに学ぶ
八、決戦の變貌
九、神武必勝
十、莞爾邁進

437-8合併號( 1945.3.21)

  「邪魔な物が一つもなくなつてさばさばした。これでこそはんとに戦へるぞ。さあ振出しに戻り、働いて働き拔いて、かたきを討つんだ。」
  これは或る戦災者の言葉である。家を燒かれ、財を失ひ、甚だしきは妻子までなくしで裸一貫になつた人々は、帝都を始め大都市には澤山ある。この人々は意氣銷沈して世をはかなむかと思ひの外、ほんたうの強さが裸一貫の境地から盛り上つで來て、燒け殘つた人々は逆に壓され氣味である。
  家は燒けても江戸つ子の意氣は燒けない。火で鍛へられた江戸つ子の意氣は強くなるばかり。而して江戸つ子は日本人の象徴である。

439-40合併號( 1945.4.4)

 今度の疎開は我々に色々とヘふるものがあつたが、その中でも荷物運搬に現はれた帝都の小運送力は大きな示唆を與へる。
 強制疎開に件ふ荷物の小運送は全く都民の自力で行はれたが、トラックあり、リヤカーあり、荷馬車あり、牛車あり、大八車あり、更に手押車、乳母車まで現はれて、至る処車と荷物とを以て充たされ、昼夜絡繹として絶えるところがないくらゐであつた。
 敵が本土に上陸し来る時、これを破滅するのに最も大切なことの一つは補給であり、運輸である。敵の爆撃により交通網が壊されても、本土七千萬國民の力を結集し、たちどころに萬全の補給が出来れば、皇軍が敵をみなごろしにし得ることは明らかでゐる。
 疎開に現はれた驚くべき小運送の力は、どちらかといへば自己保存の爲のものであつたが、若しこれを戦闘行爲に振向けた時、その成果は素晴らしいものであることがわかる。敵が上陸し來る時國民悉く兵となつて皇軍に協力し、その全力を發揮するならば、その偉力たるや期して待つべきものがある。
 本土決戦の期は近づきつつある。自己保存に向けしあのひたむきの努力以上のものを祖國の爲に捧げよ。然らば最後の勝利は我がものである。

441-2合併號( 1945.4.18)

 盟邦ナチス獨逸とファシスト伊太利は今や敵の壓迫下に悲境に立つに至つた。二十年にわたるナチスとファシストとの建設はかくて敵の破壊するところとなつた。しかし、彼等のものは眼に見ゆるもの、形あるものである。人の魂に宿る精神を彼等は破壊しようと思つても破壊することは出來ぬ。
 而してこの魂は苦難の中にあつて成長し、時到らば再び偉大なる力となつて出現し、歐洲を震憾するであらう。
 今年二月十七日インドのガンヂー翁は豫言して曰く「若し現にインドにおいて米英がなしつつある如く事態が推移し、米英の勝利がもたらされたとするも、それは假りのものにすぎない。何故ならば、彼等はインド及び他の民族をして足下に血を流さしむるに至るからである。かかる假りの勝利は、近き將來において今よりも一層血なまぐさき戦爭を惹き起すに至るであらう。而して、ファシズムとナチズムの灰の中より新らしき怪物が出現し、その眼に觸るるものを喰ひつくすであらう。」

443( 1945.4.25)

決 戦 訓
仇敵撃滅の神機に臨み、特に皇軍将兵に訓ふる所左の如し。

一、皇軍将兵は神勅を奉戴し、愈々聖諭の遵守に邁進すべし
    聖諭の遵守は皇国軍人の生命なり。
    神洲不滅の信念に徹し、日夜聖諭を奉誦して之が服行に精魂を尽くすべし。
    必勝の根基茲に存す。

二、皇軍将兵は皇土を死守すべし
    皇土は 天皇在しまし、神霊鎮まり給ふの地なり。
    誓つて外夷の侵襲を撃攘し、斃るゝも尚魂魄を留めて之を守護すべし。

三、皇軍将兵は待つ有るを恃むべし
    備有る者は必ず勝つ。
    必死の訓練を積み、不抜の城塁を築き、闘魂勃々以て滅敵必勝の備を完うすべし。

四、皇軍将兵は体当り精神に徹すべし
    悠久の大義に生くるは皇国武人の伝統なり。
    挙軍体当り精神に徹し、必死敢闘、皇土を侵犯する者悉く之を殺戮し、
     一人の生還なからしむべし。

五、皇軍将兵は一億戦友の先駆たるべし
    一億同胞は総て是皇国護持の戦友なり。
    至厳なる軍紀の下、戦友の情誼に生き、皇軍の真姿を顕現して
     率先護国の大任を完うすべし。

右の五訓、皇軍将兵は須く之を烙守し、速かに仇敵を撃滅して宸襟を安んじ奉るべし。
  皇土決戦への五訓

 神機を目前に、いま全軍、全国民が総蹶起総進軍を開始してゐる秋、阿南陸軍大臣は去る四月二十日、全皇軍将兵に対して上掲の如き五ヶ條の決戦訓を布告した。
 こんど布告された決戦訓が、その直接の対象を皇軍将兵に置いてゐることは勿論であるが、戦訓五ヶ條を見れば、何れの項も、ひとり銃とる皇軍のみかは、今こそ本土来寇の醜敵を打破らんと、持場職場に敢闘する一億國民の戦訓たらざるはない。
 即ち、神勅を奉戴、聖諭の遵守に邁進し、皇土を死守することは、生を皇土に享けた赤子として今更言ふ必要もなく、また待つ有るを恃む態勢は、防空にも食糧の自給確保にも絶対に要請されるものである。そして、挙軍体当り精神に徹すは、取りも直さず、全国民体当り精神に徹すに書換へらるべく、特に第五項の戦友精神の昂揚は、敵の暴爆いよいよ激しく戦災者続出してゐる刻下、正に強く強く要望されるのである。
 とまれ、皇土決戦に直面した今日、全軍に布告されたこの決戦訓は、そのまゝ一億国民に対する決戦訓とも解すべく、われわれは、その各項をよく味はひ守り、挙国総力を集中して、仇敵を徹底的に撃滅し、一刻も早く宸襟を安んじ奉らねばならんのである。

444・445 
(戦災のため配本できなかったようである)

446( 1945.6.6)

 「こちらが苦しい時は敵も苦しい。」「敵は甘いことをいつて、こちらの戦意を挫(くじ)き、若しこちらがこれに乗つて手を挙げたらのしかゝつて来る。」「勝敗の差は紙一重できまる。」緒戦以来かういふことが、講演や訓示で幾度も繰返されたが、戦場が遠く距(へだた)つてゐる頃は、戦争の理論として成る程と聞き流す程度であつた。然るに咋今の戦局に於ては、かういふ言葉がひしひしと質感をもつて迫つてくる。弱気の者や、頭だけよくて肚の据はらぬ者は取り越し苦労をしたり、悲観したり、その他さまざまな妄念に取りつかれ易い。強気の者、肚の据はつた者でも、傍の者が弱気を吐くのを聞くと、ふとさうかなと思ふことがある。この時冒頭の言葉をもう一度味はつてその意味をかみしめるならば、戦争に関する理論が実践に移ることとなる。
 戦争はこれからだ。これからがほんとの戦争だ。死ぬ気になつてやれば、出来ぬことはない。個人が捨身になるだけでなくて、日本人全体が捨身の覚悟を以て敵に当るならば、紙一重の差で勝ちはこちらに帰するのである。民族的捨身の戦法こそ勝利への鍵である。


447-8合併號( 1945.6.20)

 焼跡にトタン板で壕舎を建てる。それからまはりの土地を整理して土を耕し、農園をつくる。衣食住すべて焼け残つた僅かの物で間に合はせる。今までの文化生活は一挙にして消滅し、原始生活に戻る。これが戦災都市における市民の生活である。
 一見して相当惨めなこの生活も、住む人の心の持ち方で豊かにも美しくもなり強靭な戦闘力はこゝから生れてくる。そして物質文化は焼かれても魂の文化を焼かれぬ都会人は、此処にあつて事実豊かに美しく、而して強く生きてゐる。こゝに住む人々は先づ裸である。素裸な心持をもつてゐるが故に執着がない。従つてとことんまで戦ひ抜く意志は烈々としてゐる。この住居には塀や囲ひがない。お互に戦火をくゞつた人たちが彼方此方に小屋をつくり、温い心で互に助けつ励ましつ暮し、物資を分け合ひ面倒を見合つて、へだてのない兄弟となつてゐる。ここにもまた一段の強みがある。最も強いことは、最悪の事態になり下つたことである。これ以上悪くなりつこはない身分だから、こんなに強いものはない。肚を決めて敵をやつつけるあるのみだ。
 かつて都会の知識層は農村人に比べると戦意は低いなどと言はれたが、かうなると焼けた都会の人々は恐ろしいほど強い戦意と戦闘カとをもつてゐる。今や農村人は自らを省みて都会人に学ぶべきの秋である。

449( 1945.6.27)

内閣告諭
 皇軍陸海空一體の真に感激すべき善戦健闘と官民不屈の協力敢闘とに拘らず沖縄本島の守備遂に成らず。恐懼何物か之に加へん。
 然れども沖縄本島に於ける作戦に依り敵に與へたる損害は甚大にして啻に敵の作戦遂行に齟齬を來さしめたるのみならず、其の精神上に與へたる打撃を思へば我が今後の戦爭遂行を有利に導きたるもの誠に大なるものありと謂ふを得べし。
 惟ふに敵の空襲は爾今愈々苛烈なるべく新なる本土侵寇亦豫期せざるを得ず。正に元寇以來の國難にして帝國の存亡を決するの秋なり。
 神州は 御稜威の下我等の祖先之を保衛し我等相倶に之を護持し永く之を子孫に繼承せしむべきの地にして未だ嘗て外夷の侵寇を許さず。焉ぞ之を敵の蹂躙に委するを符んや。即ち吾等は 聖訓に恪遵して義勇公に奉じ朝野相依り隣保相扶け道義を尚び節制を重んじ各々の職務に勵奄ト彌々士氣を昂揚し國家の總力を挙げて敵を千里の外に攘ふべきのみ。作戦の方途は既に定まり、戦力充實の施策亦日を逐うて進む。而して國民義勇隊結成せられて國民の隊伍新に成るあり。政府は從來屡々聲明したる所信に從ひ果斷邁進すべし。
 本大臣は帝國存亡の關頭に立ち茲に全國民に對し更めて宣戦の大詔に示し給へる 聖旨を奉體し死生一如の日本魂に徹して自奮自勵相互信頼愈々加はるべき苦難に堪へ、進んで一切の行動を戦勝の一途に集中し誓つて國難を打開せんことを要望す。
 昭和二十年六月二十六日
   内閣總理大臣 男爵 鈴木貫太郎

450-1合併號( 1945.7.11)

 近くは我が同胞の滿洲開拓の歴史を見、遠く肇國時代の祖先の偉業を仰ぐ時、我等の父祖兄弟が如何に困難と闘ひ、荒蕪 (くわうぶ )地を拓き、此處に生活の基礎を置き、文化を建設したかゞわかる。自然と人爲とのあらゆる障碍にぶち當り、之と闘爭し、之を打ち負かして、新生活を創造して行くところに開拓者の精神がある。
 今や我等の都市は敵の暴爆により次ぎ次ぎに破壊されつゝある。しかし、破壞は建設の第一歩である。敵の爆撃の跡に立つて我々は大八洲を拓きし父祖の偉業を思ひ、滿洲開拓に挺身せし先輩の心を偲び、灰の中より偉大なる文化を建設するため、我等の血のうちにある開拓者の精神を振ひ起さう。
 戦災よりの復興は開拓である。

 

 

452( 1945.8.29)

 朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク
 朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ
 抑々帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵カス如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス然ルニ交戰巳ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海将兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵薗スカ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
 朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内為ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排儕互ニ時局ヲ亂リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宣シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

御名御璽
 昭和二十年八月十四日

内閣總理大臣 男爵 鈴木貫太郎
海軍大臣      米内光政
司法大臣      松坂廣政
陸軍大臣      阿南惟幾
軍需大臣      豊田貞次郎
厚生大臣      岡田忠彦
國務大臣      櫻井兵五郎
國務大臣      左近司政三
國務大臣      下村宏
大藏大臣      廣瀬豐作
文部大臣      太田耕造
農商大臣      石K忠篤
内務大臣      安倍源基
外務大臣兼大東亞大臣 東郷茂徳
國務大臣      安井藤治
運輸大臣      小日山直登