昭和19年度

376(1944.1.5)

 「航空機の増産は航空機工場の仕事であり、自分には関係がない。工場では大いにやつてくれるだらうから安心だ」と考へることは大変な間違ひである。航空機の増産は全国民の仕事であり、責務である。
 ヒマを空地に植ゑることは、航空機に必要な潤滑油を作ることである。麻を作ることは翼を作ることである。木材を伐ることは機体の材料を作ることである。 石炭を掘ることは工場の動力を生み出すことである。電気を起すことは軽金属を作ることである。船や車を作り、或ひは交通運輸に従事することはあらゆる材料を運搬することである。米麦を作ることは労務者の生活を維持することであり、 また外米輪入に用ひる船をボーキサイト運搬に転用させる所以である。
 平和産業に従事することさへも、航空機増産に寄与する。何故ならば、平和産業といへども、企業整備により残つた者は、国民の最低生活を維持させるものであり、精神力と労働力の源泉となるからである。しかして我々が、父祖伝来の業を転じ、或ひは日々最低の生活に堪へることさへも、航空機の増産に寄与してゐるのである。それは父祖伝来の業を皇國に捧げ、また我々の消費物を生産に廻すことによつて戦力を増強するからである。しかして子供を育てることは、荒鷲を育くむことであり、或ひは労務者を作ることであり、最も崇高なる事業である。
 かく観ずるとき、国民の全生活は航空機増産に関係しないものはない。要は 我々が航空機を増強して敵を打ち破ることを目標として各々の持場、職域で頑張ることである。大東亜戦争は、他人がやるのではない。自分がやるのである。

377 1944.1.12

 決戦新春四日、戦時官吏服務令は公布せられ、征戦完遂のため官吏の実践躬行すべき道は昭示された。
 官吏は全生活を国家に捧ぐるを以て本分とする。朝九時から夕五時までの出勤時間が服務であり、帰宅すれば私の生活であるといふ観念は、官吏道には初めから存在しないのである。
 働く時は勿論のこと、休む間も、眠る間も、飲食する間も、官吏にとつては勤務の時間である。何時如何なる場合にも、官吏は君国のため身を挺して働かねばならない。
 従つて官吏の私生活は即ち公生活である。換言すれば、官吏は一日二十四時間勤務時間である。
 実に己れの全生活を君国に捧げ尽すてふ信念こそは、管理の生活態度、官吏服務令の基調である。そして、この信念と、その現れである生活態度こそは、一億国民に範として示すべきものである。

378 

 豊作が続くと、地力が減退するため、次ぎの年は農産物の出来の悪いのが今までの例である。一昨年と昨年の豊作の後を承けた本年は、地力の減退が予想される。
 しかしながら、食糧増産が刻下の急務である限り、我々は我々の努力によつて自然の働きに加工し、本年における地力を昨年よりも、一昨年よりも増大させる必要がある。
 地力を増大する途は一つである。あらゆる有機物を耕地に還元することである。農山漁村には、至るところに有機物が放置されてある。これを集め、運び、埋めることは、地力を増大する所以である。
 いまや農村には農閑期はない。大人はもとより、子供も年寄も春の来ぬ中に、出来得る限り多くの有機物を耕地に還元する努力をせねばならない。この努力こそ、食糧増産の基であり、適米英を撃滅する闘ひである。

379

 航空機の生産が昨年度の二倍になつたことが、東條総理の議会における演説によつて明らかにされた。この事実は二つの重要なことを我々に示唆する。第一は航空機増産といふ目標を定め、これに向つて全国民が突進した結果、その成果が実現したといふことであり、第二は全国民の各職域における努力が結集して、この喜ばしい成果を挙げたといふことである。
 しかしながら、我々は昨年度の二倍といふ数字に心を安んじてはならぬ。敵アメリカの航空機生産力は、我に比し数倍の量に上り、しかも逐月上昇しつゝある。我の生産力増強の速度を敵の生産力増強の速度よりも大ならしむることが、この戦争に勝つ要因である。
 「今後の生産は更に現在の数倍に達する躍進が期待せられる」と、総理は附け加へた。わが国の国力を以てすれば、敵を撃滅する航空勢力を急速に造り上げることは、決して難しいことではない。これをやり遂げるか否かは、全国民の各職域における努力如何にかゝつてゐる。
 現在においては、軍需産業も、農業も、その他の産業も、全部が航空機増産に関係する。我々は「職域奉公」といふ言葉に今までよりも、より強い、そして深い意味を見出し、これが献身的実践により総理の報告に応へよう。

380 1944.2.2

 或る村の産業組合倉庫の前に、薪の束がうづ高く積れたまゝ放置されてある。新たに着任した村の国民学校の校長が、そのわけを組合の役員に尋ねたところ、答へて曰く
「五里離れた某市は燃料不足で困つてをり、市当局から当村に薪を送つてくれと頼んで来たので、村民にわけを話したところ、挙(こぞ)つて手持の薪を供出し、こんなに集つたが、市の当局は、いま輸送力がないといふので取りに来ない。昨年の十月から四ケ月も積んだまゝになつてをり、動かすことも出来ない。折角供出した村民にも申訳ないし、誠に困つたものだ。」
 校長は、直ちに自分の村につゞく甲、乙、丙村と某市の校長に相談した。この三つの村を通つて道は某市に達してゐる。某市の校長は市当局に話した。三日目に話は決った。
 四日目の日曜日の朝、その村の国民学校五年生以上の男女約二百人は、一人で一把の薪を背負力つた。身体の大きな生徒は奮発して二把を背につけた。校長は訓導と共に自らも三把背負つて甲村との境まで運んだ。甲村からは、そこの校長を隊長として訓導、生徒の一隊が繰り出して村境に待機してをり、これを受取つて乙村まで運んだ。同様にして乙村隊は丙村に、丙村隊は某市に、某市の一隊は市当局にこれを届けた。かくて市当局は、直ちにこれを必要なところに配給することが出来た。
 件の校長の報告によると、自村から某市まで、三つの村を越えて薪三百把を運ぶのに六時間で足りた。そして子供達は、二、三貫匁のものを背にして、軍歌を歌ひつゝ嬉々として一里の道を歩いた。
 一方において小運送の不足が唱へられ、勤労奉仕が盲目的で組織がないため往々にして掛声に終り、徒らに心身を苦しめ体力を減耗するだけの錬成が間々見受けられる今日この頃、この村のこの校長の行き方は、我々に次ぎのことを数へる。
 心身の錬成は勤労奉仕により、小運送は組織化された大勤労奉仕により、しかして配給の円滑化は小運送の充実によつて達成される。

381 1944.2.9

 貯金をし公債を買ふのは、戦争に勝つためだといふことは誰でも知つてゐる。ところが戦争に勝つたなら、我々の貯金や公債はどうなるかといふことを、はつきりと見極めてゐない人が相当ある。
 昔は貨幣や公債は、黄金の象徴であつたが、今は国力の象徴であり、国威の顕現である。戦争に勝つた暁における我が国威が、どんなに大きく盛んなものであるかは、言はずして明らかである。そしてその国力と国威との現はれである貨幣や公債の値打が、どんなに大きく素晴らしいものであるかは想像に余りある。その時は、丁度鉄粉が磁石に吸ひつけられるやうに、物資は我々の貯めた貨幣や公債に吸ひついて来るであらう。
 貯金をし公債を買ふのは、国家の為めであり、戦争に勝つためである。しかも同時に、自分のためである。何故ならば、戦勝の後において我々は貯金と公債とを通じて勝利の光栄に与るからである。そして勿体ないほど過分に報いられるからである。

382  1944.2.16

 支那事変の始つた頃から、職域奉公といふ言葉が行はれた。国家に尽すには、各自がその職域において一生懸命働けといふのが、この標語の意味である。
 極端な例をとれば、大工が邸宅を建てることを励み、酒屋が酒を造ることに精を出すことも職域奉公であつた。
 然るに大東亜戦争勃発するや、職域奉公といふ言葉は通用しなくなつた。不要不急の職業や、戦力増強に関係なき職域において奮励努力することは、ときに無意味なこととなり、ときに戦力増強の妨害とさへなることがあるからである。こゝにおいて、産業の重点化が唱へられ、実行された。その結果、重点産業に従事する者のみが、戦力増強に寄与するとの考へが現はれて来た。
 然るに企業整備が行はれ、一方にみいて軍需工場を強化すると共に、他方、国民の最低生活確保のために、いはゆる平和産業も必要なる限度において存続することとなつた。企業整備の片づいた部面においては、各自が職域において精を出すことは、重点産業従事者の努力と同様に戦力増強に寄与すのである。
 前述の例をとつてみても、大工が産業戦士の寄宿舎を建てることを励み、酒屋がよい酒を造つて働く人々に元気をつけることは、戦力増強に役立つのである。
 今や職域奉公といふ言葉は、新らしい高められた意味をもつて我々の前に現はれて来た。国家のため必要な仕事である以上、如何なる職業に従事する者も、これを励み、いそしむことによつて、直接または間接に戦力増強をもたらしてゐるのである。迫り来る敵米英を撃滅するの途如何!
 新らしき意味における職域奉公である。

383  1944.2.23

 最近、週報の通風塔に次ぎのやうな一文が送られて来た。
 過ぎし節分のことである。豆まきの豆にお困りではないかと、或る人から大豆三百粒ばかりをおくられた。それに一文が添へられ、
 「これを百人ばかりの方にお届けしましたが、お年越しをお祝ひになつて、残りの幾粒かをお庭の隅にでも捲いて下さい。さうすれば、この秋には一粒が二十粒、三十粒となつて、増産のお手伝ひが出来るばかりでなく来年の節分の豆もお間に合ひになりませう」
と。戦時下まことにゆかしい心根である。
 この決戦時に節分の豆を心配してくれる心づかひもうれしいが、それにもまして我々の心を打つのは、この一粒の豆にも、増産の芽を伸ばすことを教へてゐるゆきとゞいた心組である。配給された種芋まで食つてしまふ人もあると聞く時、かういふ人の心組がどんなにか我々の気持にうるほひをつけ、芽生えの明るさを与へてくれることであらう。
 これは小さなことのやうで決してさうではない。いま必要なことは、敵をやつつけるために役立つことは、どんなに小さなことでも迷はず実行することである。まづ黙々として自分がやる、そしてよいと思ふことは、遠慮なく人にも奨めることである。
 一億国民が、ゆきとゞいた心根をもつて、かうした積極的な気構へをもつことこそ、戦力増強の鍵である。

384 1944.3.1

 日本人の心持は御神輿を担ぐことに象徴されてゐる。御神輿は大勢で担ぐ。いでたちは鉢巻、法被(はっぴ)の勇ましい服装である。みんなが総力をつくして押して行く。中には夢中になつて、方向を間違へて押したり、横に押したりする者があるが、これが為めに却つて正しい方向へ押して行く力は強くなり、担ぐ者一つの体となつて、逆ふものは何物をも粉碎せずんばやまない勢ひで、力強い掛声と共に進んで行く。これを煽(あふ)ぐものあり、水をかけるものあり、しかも御神輿を担ふ者は、猛然と進み行き、遂に神社の鳥居をくゞり境内に到る。
 大東亜戦争を遂行しつゝある我々は、今や重大時局に当面し、一億悉く武装し、御神輿を担いで前進するの意気をもつて、行手を阻む敵米英を薙(な)ぎ倒し、以て征戦目的を完遂すべきである。

385 1944.3.8

 今やいづれの方面においても人を求めてゐる。生産増強の最大の要件は人にある。或ひは官庁・会社において、或ひは鉱山・工場・農村において、よき人を得れば成績があがり、よき人を得なければ成績は低下する。ところが人物はなかなか得がたいとの声がある。結局人材がないから旨くゆかぬといふ者がある。そもそも人材とは何ぞや。高き才能をもつ者なるか。豊富なる学問または経験をもつ者なるか。はた又徳行すぐれたる者なるか。もし人材をこの種の者に限るならば、なる程人物は得がたいとの歎声は無理もないことであらう。
 しかしながら、人材たるの要件は別にある。人材とは私心なき者である。己れのことをは思はず、すべてを国家に捧げ、戦力増強の一点に精神を集中し、孜々営々として働いてゐる者こそ人材である。政府諸官衙の官吏をはじめとし、会社員・事務員・工場労務者・農業要員に至るまで、その分担する仕事は異つて
も、私心なき者は悉く人材である。
 世に人なきを歎く者は、人材発見の標準を変へよ。私心なき人物は、あらゆる職域に亘つてその数は多い。不足するかに見えるのは、これが発見され、用ひられてゐないからである。速かにこれを発見し、よくこれた用ひることこそ戦力増強の要諦である。

386 1944.3.15

 決戦非常措置により大劇場、高級料理店をはじめとし、各種の施設にして停廃止されたものは多数に上つた。新聞紙の夕刊は廃止され、週報も十六頁の戦時版を出すに至つた。
 この処理を、我々は消極方面のみより見てはならない。消極的に見れば停廃止、減少であることも、これを積極的に観察するならば、創造、進歩である。古き形骸を捨て去つて、新らしきものに生きることである。減ぜられたるものを最高度に活用し、却つてその価値を昂めることである。
 この度の断乎たる処置は、不急なるものを廃して、その余力を戦力に向けることに役立つのみならず、我々日本人の生活の仕方において、はたまた文化の分野はおいて、あらゆる夾雑物を取り去り、純粋無雑なるものを初めて我々に与へてくれるのである。我々の創造力はかゝる条件の下に偉力をふるひ、戦時下における新らしき生活と文化とを創造しなければならぬ。

387 1944.3.22

 どんな困難な境遇にあつても、常に感謝し、未来に夢をもち、明るく朗らかな人がある。かういふ人が集団の中に一人ゐると、そのまはりに光がさし、みんなが楽しく愉快になる。
 戦局が緊迫するにつれ、生活も窮屈になつて来るが、生活が窮屈になればなる程、我々はかういふ明朗闊達な気分で暮し、まはりの者にも笑ひと楽しさとを与へ、これを力づけて行きたいものである。まはりの者が深刻な顔をしてゐる時、我々はこれを励まし楽しませるため、愉快に歌をうたふくらゐの余裕をもちたい。歌と笑ひとを以て、もつと世の中を明るくしてやらうではないか。
 たゞ我々の銘記すべきは、かういふ明朗闊達な生活態度は、つけ焼刃であつてはならないことである。真の楽天家は、未来に大きな夢をもち、その実現を確信する人である。敵米英に勝ち抜き、東亜の建設を完成するといふ大いなる計画の実現を確信する者は、如何なる困難の下にあつても、明るく朗らかならざるを得ない。

388 「旅客制限」 1994.3.29

 数人集ると話題になるものが二つある。一つは食物の話であり、一つは食物を作る話である。
 この二つの話題は似てゐるけれども大変なちがひがある。前者は消極的であり、聞いてもいやしく、ともすれば人の心を暗くしたり、不平不満の気持を起させたりする。後者は積極的であり、明るく楽しい。
「軒下の空地に菜を播いた。」
「裏庭を堀り返して馬鈴薯を植ゑた。」
「あの土手の傾斜面に藷を作る計画だ。」
「住宅建築の敷地を一時借受け菜園をつくることに決めた。」
「近所に荒蕪地を見つけて開墾を始めた。」
「道端に豆をまくつもりだ。」
「屋根といはず塀といはず立木といはず、いたるところ南瓜を這ひまはらせるんだ。」
といふやうな春の増産計画は、今や逞しき生活力をもつ都会人の話題となつてゐる。そして種の融通をし合つたり、堆肥の作り方を話し合つたり、昨年の経験を語り、成敗の跡を尋ねて農法の秘訣を教へ合つたりする風景は、戦時下の生活をこの上なく楽しいものにする。
 作る意欲あれば日光の当る空地は至る所にあり、種は必ず手に入る。これを耕しこれにこやしし、これに播きこれを愛すれば自然は豊かな収穫を恵んでくれる。この時、人は食物の話をしなくてもすむに至るや必定である。

389 「戦力の泉」 1944.4.5

 日本人は週去、現在、未来を通じ、一つの体であり生命である。而して二千六百年の光輝ある歴史に根を張り、幹はますます太く、丈はますます高く、葉はますます茂つて行くのである。
 寒さに負けず、暴風に屈せず、成長を妨ぐるものあらば、これを打ち砕き、押し倒し、さんさんたる陽光を浴びて、伸び且つ拡つて行くのである。
 春が訪れて草木悉く堅き土を打砕き、根を張り、芽を発するを見るとき、我々は一つの体であり生命である日本人の成長し行く衝動力を感ずる。
 敵米英の圧迫が加はるに従つて、一億生命のこの衝動力は鬱勃として漲り、その奔出する所、凡ゆる障碍を突破せざれば止まない。
 而して一億生命のもつこの大いなる力は、我々一人々々の衷(うち)に躍動してゐるのである。

390 「海運強化」 1944.4.12

 「窓を開けようではないか」、すし詰めの電車の中央から声あり、みんなはっとしたやうに一斉に窓を開けた。さわやかな春風がさつと吹き入つて、人いきれでにごり切つた空気を追ひ出してくれた。
 何故早く窓を開けなかったのだらうか車中のみんながそんな
顔をしてゐた。
 窓際に坐つてゐた人は、開けたら自分がうすら寒さを覚えるのがいやで開けないのであらう。また真中の人は、肩越しに窓を開けるのがおつくうなのに違ひない。
「どうせ誰かがやるだらう」
「自分一人が先に立つてやることもないではないか」
かういふ気持が恐らぐ春風をせき止めてゐたのであらう。
 今日必要なのは、「さあやらう」と率先して窓を開けるこの人である。どこの職場にも、どこの隣組にも、かういふ人がどしどし現はれて来たら、戦力の増強も易々たるもの、必勝への道も自ら前進する。

391 「国民生活と航空機増産」 1944.4.19

 徳性が養はれ、知性が磨かれ、道徳がよく行はれ、学問が進歩し、生活程度が上ることが文化の向上発展であるといふのが、戦争前の考へ方であつた。
 ところが、戦時下においては、文化の向上発展に例外が一つ出て来た。それは生活程度が上らず、却つて下ることである。
 しかし、よく考へてみると、以前は徳性の涵養、知識の開発と生活の向上とは、一つのものであるかのやうに受取られて来たが、戦争といふ試煉を経ると、生活程度の向上といふものは、正しい意味の「文化」の要素ではないことがわかつて来た。
 粗末な衣服をつけ、まづい物を食べてゐても、道義を重んじ、国と人とを愛し、絶えず勉強して知識技術を磨く人は、最もすぐれた文化人である。
 徳性はますます高く、智はますます磨かれ、そして生活程度は出来るだけ低くあることが、戦時下において日本人の生成発展し行く道である。

392 「戦時農園の手引」 1944.4.26

 庭を開墾して野菜を作つたが、肥料がないので出来が悪い。これは家庭農園を始めた人々がこぼす述懐である。確かに都市における空地利用家庭農園の隘路は肥料である。
 肥料が足りないため折角作つた馬鈴薯も葉と茎だけで薯はつかない。大根も育ちが態くて虫の害に負けてしまふ。その他収穫の量が努力丹誠を償ひ得ないのは、大抵肥料不足の結果である。
 この隘路を打開する方策如何。曰く下肥を汲取つて作物に施せ。都市にあつては、どこの家でも糞尿をもてあましてゐる。しかるに糞尿は、この上なき肥料であり、農村の人々にとつては増産の根元であり、こぼれたなら手ですくつてまで使ひたいほど貴重なものである。しかるに都会人には糞尿を汚穢として、見るだに嘔吐を催すといつた心持がまだまだはびこつてゐる。この心持を払拭し、汚穢を貴重な資源として活用するところに増産の秘訣がある。
 そもそも作物の成育するは天地の恵みによる。天地の恵みにて出来たものを人間が食つて糞尿とする。この糞尿を土に還して作物に与へることは、人間が天地の創造化育に参画することであり、この上なく尊い仕事である。
 肥びしやくと桶とをとつて、自家の糞尿を汲取り、これを作物に与へよ。これは家庭農園の増産を促進するのみならず、都会生活の一大刷新であり、戦時生活への踏切りをつける所以である。何となれば、自ら下肥を汲取ることの出来る人は、あらゆる部面において戦時生活に徹底し得るからである。

393 「印度人の印度へ」 1944.5.3

 工業は天候の影響をうけないのに、農業はその支配をうけるといふのが、今まで行はれた経済原則の一である。
 ところが、工業においても渇水期には電力が不足して操業に影響をうけることがあり、雨が降ると水力が増し、従つて電力が増して能率があがるといふ現象がある。これは工業が天候の影響をうける一つの例である。尤も石炭を準備しておいて渇水期には火力で電気をおこし、動力の不足を補ふことによつて天
侯の影響から免れることが出来る。
 工業が天候の影響を受けることの少いのは、人間がこの方に余計頭を使つたし、また使つてゐるためである。工業の世界では人間は今日まで智能を絞つて自然を利用し、また自然の悪影響から免れる途を講じて来た。ところが農業の世界においては工業におけるほど智能が働かされてゐない。もちろん農業は自
然に頼つてゐるのであるが、人間の智慧をもつと注げば自然の恵みをますます増大し、天候の悪影響を免れることが出来るわけである。
 この四月は気候が遅れてゐる。それは多かれ少かれ農産物に影響するに違ひない。しかしわれわれが過去の経験を土台とし、智慧を出し、工夫をこらすことにより、気候の遅れを取戻し、或ひはその影響を免れることが出来る。
 いまや春耕期を迎へた農家はこの秋の収穫を多からしめるため、例年よりも一層智慧を出し、工夫をこらし、以て戦時の要請に応ずることが肝要である。

394 「活かせ土地改良の成果」 1944.5.10

 ある人から封書一通到着、いつもとちがつて封筒の表に、宛名を一杯に書かずに、中程にまとめて小ぢんまりと、しかしはつきりと書いてある。曰く
 「封筒の足りないときですから、ご覧になりましたら、燃やしてしまはずに、宛名の上に紙片を貼つて、も一度お使ひ下さい」
 心に物を添へて頂戴した感じである。封筒が手に入らないとこぼしながら、手紙の宛名は大きく書く、そして一度きりで封筒の效用をなくしてしまふのが、まだ私どもの古い習慣から抜けきらないところである。
 この封筒が紙片を何枚も貼られ、人から人の手に送られてゆくやうになれば、各々の好意が一枚の紙にのつて、何人もの人に伝はり、お互の心も通じ合ふ気がして、人と人との親しみは自ら加はるに違ひない.まして、パルプの不足してゐる今日、一枚の封筒を十人が使へば、封筒用バルプは十分の一ですむ。
 一枚の封筒を大切にする心は、バルプ袈品すべてを大切にする心である。私どもが互に力を協せ、すべての紙について十枚使ふところを一枚ですますやうにすれば、パルプの使用量は十分の一ですみ、戦力増強に貢献するところは莫大なものがあらう。封書の宛名の書き方一つにも、戦時下の真心を表し、工夫
をこらす道岨はあるのである。

395 「決戦必勝」 1944.5.17

 われわれは今や大いなる試煉を受けつゝある。この戦ひに勝つために、物においても心においても、すべてを捧げて闘ひつゝある。全日本人は、未だかつて経験しない深刻な体験を積みつゝあり、その魂はより高くより偉大なるものに発展しつゝある。
 われわれが現実を超克して理想に到達せんとひたむきの努力をするとき、そこに苦しみがある。而して苦しみとは、この努力をわれわれが内に感ずることであり、われわれ自身の努力の内面的感覚である。現実と理想との距離が大きければ大きい程、理想が現実に比して高ければ高い程、われわれのなす努力は大きく、われわれの積む体験は深い。
 しかしながら、この体験を通じて、われわれは一層偉大なる国民となり、戦勝の暁において、世界に臨み、全人類の運命をわれわれの肩に担ふのである。楽に勝ちし民族は滅亡した。而して楽に勝つ民族は滅亡する。
 深刻な体験を通し、最後に勝利に到達する民族こそは、その体験により、偉大なるものとなり、魂を練られ、未来永遠に崇高な生命を維持し、天与の使命を遂行し得るのである。


396 「増産へ適期の作業 麦刈、田植、甘藷の植付

 嘉永六年、ペルリは黒船を率ゐて浦賀に来り、幕府を威嚇し開港を求めた。幕府は狼狽して返答ができず、もみにもんだ挙句、結局開港することになつたが、これはペルリに対するほんとの返答ではなかつた。ペルリに対する真実の回答は、その時から八十九年後、十二月八日の朝なされたのである。真珠湾の攻撃こそは浦賀来航に対する断固として明確な回答であつた。
 八十九年間に太平洋の距離はせばめられた。しかして八十九年間に我が国力は増大し、我を蔑すみ、我をなめてゐたアメリカに対し、われわれは一大痛打を与へたのである。
 太平洋をはさんで、日本人とアングロサクソンが対(むか)ひ合つてをり、交通機関の発達により距離のせばめられた今日、彼が我を滅ぼすか、我が彼を滅ぼすかいづれかである。アングロサクソンは、日本人を絶滅しない限り枕を高くして眠れないと言つてゐる。われわれは、アングロサクソンを滅ぼさない限り祖国の存立を全うし、日本人として生きることは出来ない。われわれはどうしても太平洋の彼方にある仇敵を滅ぼさねばやまないのである。

397 「戦力の血と肉 石油、軽金属

 家庭園芸を奨励すると「肥料がないから駄目だ」といひ、短袖をすゝめると「縫糸がないから困る」と反対し、古封筒の上に紙を貼つて、も一度使はうと提言すると「糊がないとか、よくつかずにはがれるからいかん」と抗議する。その他、時代の要求に応じ提唱があつた場合、枝葉末節の欠点に拘泥し棚下しをしたがる癖をもつた人物がある。
 かういはずに「肥料はなくとも下肥と灰で」「縫糸は長袖から抜いて」「糊はめし粒三、四粒をよく練つて」「はがれるといけないから、古い字を消して余白に宛名を書いたらどうか」といへば、どんなに世の中のためになるかわからない。
 ある提案があつた場合、単なる否定により批判をなすことをせずその提案の精神を生かし、よりよき代案を出すことによつて批判する態度こそ、この時代に望ましいことである。
 代案なき批判は世を益しない。肯定を伴はざる否定は虚無である。これを標語で表して曰く「文句をいはずに智慧を出せ」。

398 「動く大陸新戦局

 大切なところは窓口である。
 窓口の中にゐる人は、外に立つ人の気分に動かされやすい。乱暴な言葉遣ひをされたり、無理を言はれたり、嘘を申立てられたりすると、窓口を守る人の心も暗くなり、善良な人にも辛く当るやうにになる。これに反して、外に立つ人が感謝と真心とをもつて接して来ると、内に在牢る人の心も自然にとけて、笑顔と親切とを以て人を遇せざるを得ない。
 一方、外に立つ人の側からいふと、窓口に在る人の態度一つで大へんな影響を受ける。「駄目ですよ ピシャリと閉められでもすると、取付く島もなく、世をはかなみ、人を恨む心持になる。こちらは純真なのに悪人扱ひにでもされると、無性に腹立たしくて、窓にゐる人のみならず、その機関全体が憎柑らしくなる。これに反しで笑顔で受け容れられ、やさしく導かれると、心も自づとなごやかになり、戦ひ抜いて、この大みいくさを勝抜かうといふ心持はいよいよ昂(たか)まる。
 世の中を明るくするのは窓口に在る者の責任である。窓口に在る人は、その責任の重いことを考へて、出来るだけ人にやさしく親切にしてやることが望ましいし、窓口の外に立つ人も、内なる人の労苦を察して、愛とへりくだりとを以て対する心掛けが大切である。
 もつとも肝腎なことは、窓口を通して国民に接触する役所や団体の首脳者は常に窓口のことを考へ、これがために心をくだくことであり、また窓口には相当な人物を配置することである。窓口には最も身分能力低き者をおき、中に入る程えらい人が坐つてゐるといふ事務運営の考へ方は、この際批判さるべきものである。
 人の心持のわかる人を窓口に据ゑよ。これ世の中を明るくする所以である。

399 「戦時衛生の心得

 早寝早起は昔から奨励されてゐるが、今やこれを以て国民運動の主要目標とすべき時である。先づその功徳をあげれば、
 第一に、防空対策の見地からみて、朝まだ暗いうちに起き出で、その日の生活の準備をとゝのへてしまへば、敵機に寝込みを襲はれることはない。
 第二に、この時代に朝早く起きて生業にいそしむことは「三文の得」であるばかりでなく、戦力増強に貢献するところ大いなるものあり、夜早く寝ることは電気・燃料等の節約になり、都市においては夜おそくまで電車を動かさなくてもよいこととなり、交通機関を浮かして戦時輸送に向け得る。
 第三に、朝夙に起き、爽かなる気にふれ、日光に浴することは、最上の保健法である。
 従来、都会人の中には夜ふかし朝寝の習慣をもつ者があつて、甚だしきはこれを文化生活なりとなす考へもあり、この習慣はいつの間にか人を神経衰弱にしてゐたが、今や朝寝坊たちは断然悪しき習はしを捨てて生活を切りかふべきの時である。
 昼夜勤務等に従事する場合等の例外を除き、すべての人々は一斉に朝早く起き出で業を励み、夜早く寝て明日の力を蓄ふべく、これは個人のためであると共に国家のためであり、戦時生活実践の要諦である。

400 「激動す 東西両戦線

 戦争遂行のため重要な仕事をしてをりながら、世間に知られぬ人たちが各方面の職場にゐる。
 船の奥底で火を焚いてゐる機関夫、人の眠つてゐるとき通信機の鍵(キー)をたたいてゐる通信士、航行の安全を図る孤島の燈台守、狭い室内に閉ぢこもり輻輳する話を連絡してゐる電話交換手、決戦輸送の機関車を動かす機関手、火夫など、数へあげれば際限がない。
 この人々は黙々として与へられた仕事を天職とし、或ひは生命を危険にさらし、或ひは疲労に屈せず困憊に負けず、心身をむちうちつゝ、ひたすら自己の職責を全うするために闘つてゐる。
 自己の仕事を天職として、一心不乱にこれをやり通す境地こそは、日本人としての至高至純の生活態度であり、これこそは日本精神の発露である。我々は常にかゝる人々の困苦と努力とを思ひ、己が身をこれに引きくらべ、我は果してその職に励精して、御信倚(しんい)に応(こた)へまつり居るや否やを省みることが肝要である。

401・402 「防空必勝の訓

 ふだん持ち上らないやうな重い物も火事の時には夢中で外へ持ち出し、あとで気がついて、よくまあこんな力が出たものだと思ふことがある。異常の時には異常の力が出る。それが人間のもつ生命力の神秘である。これは個人のみならず、国民全体にもあてはまる。
 我等の祖国が興亡の岐路に立ち、我等一億が浮沈の瀬戸際に在る時、ふだんの心持でふだんの力を出してゐたのでは間に合はない。
 敵のサイパン上陸は、本土に燃え移らんとする火である。火勢は強い。ふだん出来ないことも、今はやつてのけるのだ。敵を撃滅し戦ひに勝つた後、振返つてみて 『よくまあ、あの時はあんな力が出せたものだ』 と驚くほどの力を出さうではないか。

403・404 「死して 皇土を護る

 敵は本土に迫り来つた。敵を前にしてお互があれは誰の責任だ、これは誰の責任だと言つてゐては何もならぬ。
 皆が責任をもつことだ。皆で力を合せて、迫り来る敵をやつつけるあるのみだ。
 日本人は一つの家族である。一億悉く血縁につながれてゐる。困難な事態になると、家族的つながりは大きな力を発揮する。楽な時には心の離れてゐた者も、苦しい時には心を協せ力を出し合つて難局を乗り切る。これは血縁の偉力である。
 今や 『我々一億は悉く血を分けた兄弟である』 との自覚を喚び起し、困難が加はれば加はるほど一層親しみ睦び、助け合ひ、鉄石の団結をなして仇敵にぶつつかり、これを打ち砕くの覚悟を固めねばならぬ。

405 「戦時農園査察問答

 「何がなんでも南瓜を作れ」といふわけで、皆が一心になつてやつた結果、都市では街路樹に屋根に、農村では垣根に崖に、至るところに蔓が這ひ、ぶら下つた実は日一日と重くなりつゝある。人集まれば南瓜の出来栄えを語り合ひ、俺のところはいくつなつたと鼻をうごめかす者あり、俺のところでは蔓だけよく出来て実のらぬとこぼす者がある。
 南瓜作りは、初めての人々にとつては一つの経験であつた。失敗した者は失敗の原因を究め、失敗を繰返さぬためどうしたらよいか、また如何にしたら成功するかを悟るべきであり、成功した者はさらに大いなる成功を得るために一段の工夫をなすべきである。
 我々にとつて大切なことは、経験のうちより原理原則を掴むことである。小さな経験より大いなる原理原則を早く掴むことが一層肝要である。「年の功」といふ言葉があるが、たゞ永い間経験を積んだといふことが功ではない。経験より原理原則を速かに掴むならば、功は大である。
 時局は切迫した。我々は成功、失敗の経験より、常に原理的なる者を発見し、これによつてより大いなる成功を収めるゆ努力せねばならぬ。南瓜作りはさゝやかなる一例である。食糧増産にしろ、軍需生産にしろ、これに従事する者は自己の経験の中より成敗の原因を究め、成功を収むべき原理原則をしつかりと掴み、これを適用して、大いなる成果を挙ぐることこそ緊要である。

406 太平洋戦局の実相

 物事の見方に二色る。一つは万事理屈づめで論を立ててゆくやり方である。もう一つは理屈ぬきの感じと信念でゆく態度である。
 大東亜戦争の将来に対する各人の見方にも、この二つがある。敵の物量や生産力を計算し、こちらのと比較し、あれやこれやと心配するのは前者である。神国日本久遠の生命を身を以て体得し、理論を超越して、最後の勝利を確信する者は後者である。
 前者に偏して後者を忘れると恐米病になるし、後者に偏して前者をおろそかにすると、気ばかり強くて物力で後れをとる。常に二つの態度を兼ね備へることにより、旺盛なる戦意を以て敵をやつつけ得るのである。
 敵アメリカの物量に恐れを感じた時は、「大日本は神国なり」との信念を喚起せよ。「大日本は神国なり」との信念に徹した時は、「かうしては居られぬ」と生産に力を出せ。
 これ國體への信仰を実践するの途である。

407 人骨を弄ぶ敵の本性

 刀は元来殺人の具である。これが日本人の手にかゝるや、道にまで高められた。これを作る者は心身を潔め、己が魂を打込み、これに銘を刻む。これを用ふる者は全人格を託し、義のため邪(よこしま)なる者を斬る。
 今や夜に日をついで兵器は造られつゝある。曰く飛行機、艦船、戦車、銃砲、電波兵器等々。しかしてこれを造る我等は、古人が刀を鍛へし態度を以て、全身全霊を打込み、完全にして強力なるものを前線に送らねばならぬ。
 兵器を造る者はこれに己が銘を刻むの心組を持て。
 しからば敵の兵器は機会たるに過ぎぬが、我が兵器は機械たると共に道たり魂たること必定である。

408 戦ふ独逸 1944.8.16

 深遠なる信仰と哲学とをもち、真理を求めて絶えず思索し、高い理想に基づいて正しき道を践み行ひ、科学の探究にいそしんで輝かしき業績を挙げ、美を追求して優雅典麗なる芸術を創造する。これは偉大なる民族である。
 しかして現代の世界において、かゝる偉大なる民族は二つある。日本人とドイツ人である。東亜において、西欧において、この二つの民族は人類全体の上に大いなる使命をもつてゐる。今次戦争はこの使命の遂行に対する妨害の排除であり、今や両民族は東西においてその優秀なる素質を発揮し、その叡智と精力とを戦争に傾けつくして戦ひつゝある。
 歴史は我々に戦争が世界諸民族に対する天の審判であることを教へる。二つのすぐれたる民族が天与の使命を成就し得るに至るまで、この戦争は片付かぬ。
 宗教の深みに徹せず、哲学をもたず゙、高尚なる芸術を創造せず、またこれを解せず、俗悪なる思想と現実的生活技術と抹消的感能の満足以外に何物をももたず、また知らざるアングロサクソンに世界人類の運命を委ねることは、人類を動物の領域に追ひ込むことであり、全人類の退化を意味する。天は決してこれを許さぬであらう。
 天の審判は正しき者に与する。戦局の区々たる変化は大いなる歴史の流れを左右するものではない。二つの偉大なる民族が相共にその使命を自覚し、この試煉に打ち勝ち共同の敵を撃滅することは、実に天意を世界に実現することである。而してこれによつてのみ世界の再建設は行はれ、人類の将来は栄光に輝くのである。

409 武装台湾

 薔薇やダリアの花が吹き乱れてゐる傍に、南瓜のなり花が勢ひよく開き、トマトトの大きな実が紅く熟れてゐる。人は南瓜の花を薔薇よりも美しく感じ、トマトの実をダリアよりも賞でる菊持になる。生産にはかくの如き美しさがあつたのかと今更ながら驚くのである。
 凝つた意匠の高価な陶器や漆器が今なほ百貨店に並べてある。工場には磨きのかゝつた工作機械が整然と配置され、絶えず動き、製品を生み出してゐる。
 人は骨董的商品よりも工作機械の光沢と整列とその躍動とに心を惹かれる。機械美は生産美である。
 今や農村において工場において、人々は全生活を生産に捧げてゐる。生産は喜びの生活である。人の心に潤ひと喜びを与へる美的生活は、生産の外になくして生産の内にある。而して生産を楽しむことにより、よき物は多く出て来るのである。

410 戦時農園の手引 秋の巻

 何百人に一人か何千人に一人かのよくない者があるために、見張りを置くといふ制度がある。そのためによい人も悪い者と一緒にされて、監視の眠を向けられる。もしこの僅かばかりのよくない者がよい人になつたら、見張りは要らぬ。またよい人が互に見張りの役をつとめれば、いくらかよくない人があつても、特に監視係を置く必要はない。
 国民の道徳が高ければ、それだけ人手を省く。電事に乗つた人が降りるとき、必ず料金を備付の箱に入れてゆくならば、車掌は要らぬわけである。たまにずるい人があつても、乗客同士で注意すれば足りる。
 このことは交通機関のみならず、人の入場に監視者を置くあらゆる施設において考へねばならぬ問題である。施設の経営者側で人を信用して、その良心に任せて行動してもらふとすれば、どれだけ人手が浮くかわからない。大衆の方でも信用に値ひする高き徳義心をもち、互に責任を負ふならば、人手を浮かせてこれを戦力増強の部面に向けるといふ大きな働きをすることとなる。
 公徳行はれて人手を省く。これは間接に戦力増強に寄与する。しかも世の中のあらゆる方面においてこれが行はれたなら、その力は集つて大いなるものとなるのである。

411 「勤労動員の強化」 1944.9.6

 今や、神機を捉へて敵に一大打撃を喰はす時は、近づきつゝある。
 敵はいやでも応でも、こちらに迫つて来るのだから、機会は必ず到来する。
 問題はこちらの戦力である。これが小さくては好機到来しても何もならぬ。大きな力で敵の足腰の立たぬくらゐ、ひどくやつつけねばならぬ。人力、物力を大至急に結集し、夜に日をついで生産増強に励んでゐるのはこれがためである。しかして今や、準備は着々と進みつゝあるがいまだまだ我々の努力は十分ではない。こゝが一番大切な時だ。
 戦争は他人事ではなく自分らのことだ。大きな戦力をつくり出すために、我々一人々々が必ず全力を出すならば、一億の力は集つて東亜の大資源を速かに戦力化すことは難事ではない。敵は太平洋、インド洋の広大な地域を越えて、人と機械とを持つて来なければならぬ。しかるに我には、逸を以て労を待つの地の利がある。うんと造りうんと蓄めておいて、来らばぐわんと喰はせるのだ。
 敵は迫りつゝある。これを打ちのめす好機は近づきつゝある。頑張るのは今だ。

412 「勝を決するの機 方に今日に在り」 1944.9.13

 今を去る満十三年前の九月十五日、国際聯盟の反対を押し切つて満洲国を承認した前後の気分は緊張したものであつた。米英仏三国が束になつて我にかゝつて来るかもしれぬ、その時はこれを一手に引受けてやつつけてやらうといふわけだ。
 乗物にのつても、店へ入つても、銭湯へいつても、床屋をのぞいても、町の人たちの心構へは大したものであつた。「米英仏の野郎共何をぬかすか。来たら一泡吹かせてやるぞ。満洲はおいらの父(とつ)つあん兄ちやんが血を流したところだ。米英仏の奴等に勝手にさせてたまるか」といふ声は至るところに充ちた。
 米英を相手にして決戦するといふことは、この時から決つてゐた。そして我々はこの時すでにこれを覚悟してゐたのである。
 今とは比べものにならぬ貧弱な軍備をもつて、しかも他に敵のなかつた米英を相手にして、一戦を辞せずといふ気分は、国内に溢れたのである。
 十三年経つた今日、いよいよ米英と本格的な一大決戦をなすの時は来たのである。我に地の利がある。戦備は着々として整へられてゐる。十三年前のあの気分で、否、これよりももつと自信にみちた力強い覚悟をもつて、大和一致、敵を撃たうではないか。

413 「決戦へ 飛行機を」 1944.9.20

 小さなものが大きな力を出す時が来た。
 敵米国の反攻はこれを煎じつめれば、一年に九千万トン近くも出る鉄で、弾丸(たま)とこれを運ぶものとを作り、これを東亜に持つて来て破壊行為をやるといふことに尽きる。これを打破るには鉄の偉力を叩きつぶせばよい。あの巨(おほ)きくて重歪い不器用な鉄の力を、小さくて軽い精密なもので破壊し去るならば、戦争は勝ちである。丁度、一寸法帥が大男をやつつけて打出(うちで)の小槌(こづち)を分捕るに似てゐる。
 こんど白金やダイヤモンドがお召を蒙るのは、日本的科学技術により敵を打破るのに用ひられるためである。敵の巨大なる鉄量を海の中に叩き込むために、いと小さきものが偉大なる力を現はす時が来た。白金、ダイヤモンドが多く出れば出るほど敵をやつつける我の力は増大する。
 美しき貴金属と宝石よ、篋底より出で、戦場に向ひその真価を発揮せよ!

414 「鳴動する太平洋」 1944.9.27

 満洲国では我が国を親邦と呼んでゐる。これは親(した)しい国といふ意ではなく、親(おや)の国といふことである。
 建国十周年に当り、皇帝陛下の賜はつた詔書に「親邦ノ天業ヲ奉翼シ」とあるのが、親邦といふ言葉の初めである。
 人と人との間に親子の関係ある如く、国と国との間にも親子の関係がある。凡そ人間の愛情のうちで、親子の愛ほど純真なものはない。夫婦の間には嫉妬があり、兄弟の間には欺きがあり、朋友の間には裏切りがある。されど親の子に対する愛は純粋にして永遠である。
 戦局危急の今日、日満両国が親と子の愛情によつて結ばれてゐることを改めて想起するとき、我々はそこに深遠なる東洋的道義の存することを知る。満洲国の大東亜戦争に対する協力は、実にこの道義の現はれである。これに応ふる我々の態度も亦この道義より出づるものでなければならぬ。

415 「大東亜十億の 決戦態勢成る」 1944.10.4

 敵米英はときどき会議を開いては、戦後における国際機構とか、通貨政策とかを盛んに論じてゐる。その、内容を煎じつめれば、結局前大戦の後に出来た国際聯盟思想の蒸返しであり、またドルとポンドの勢力を以て今まで以上に世界の富を搾取しようといふ腹黒いたくらみに過ぎない。
 今次戦争は世界の革新であり、建直しである。全人類が進歩発展するためには、恰度生物が皮を脱いで成長するように、古き殻を打破らねばならぬ。米英の作つた旧殻を破るところに、今次大戦の特質がある。そしてそこに人類の歴史を動かす大きな衝動力が働いてゐるのである。
 人類は進歩発展するに当り、足踏みをすることはあるが、決して後退することはない。革命があり、革新があり、内乱があり、戦争がある。しかし決して後戻りをしないのである。而してこれ東西古今の歴史の証明するところである。
 大東亜戦争は大東亜の革新である。米英はこれを旧に回(かへ)さんとたくらんでゐるが、それは歴史の流れに逆らふものである。これに反し、我々は歴史の流れを推進するために歴史の流れに乗つて戦つてゐる。我々は人類の歴史の推進者であると共に、人類の歴史の大いなる力は我々を流れに乗せて推し進めてくれるのである。
 如何なる事態に立到らうとも、歴史は決して後戻りをしない。歴史を創造する者は我々である。

416 「欧州戦局の教訓」 1944.10.11

 この頃はみんなが忙しいことと、防空工事などのために、家のまはりや街路が汚くなつた。環境が美しくないと人の心はすさむ。
 戦局が緊迫し、生活上の困難は加はつても、明るくすがすがしい心持で暮したいものである。心が明るくすがすがしければ、戦ふ力はますます強くなる。
 一挙手一投足の労である。自分の家まはりはできるだけ整頓し、前の道路は毎日掃除をし、心のゆかしさを示したいものである。
 さうすれば住む人も、訪れる人も、道行く人も明るくすがすがしい気分になり、戦意は一層昂まるであらう。

417 「大陸戦線の現況

 一の矢は放たれた。満を持してゐた皇軍は沖縄、台湾を襲つた敵機動部隊に対して一大痛撃を加へた。
 敵は大がゝりな計画のもとに、執拗にやつて来るに違ひない。二の矢、三の矢を相次いで放ち、敵の兜を貫き、胸板を射抜かねばならぬ。矢の用意をする者は誰か。銃後一億である。
 矢頃は近い。射手は精鋭である。さあ、みなで強い矢をうんと作つて、射手に手渡さう。敵は息をつかせぬうちに二の矢、三の失を放たば、敵の巨体は虚空をつかんでどうと倒れるは必定である。
 待ちに待つた決戦は近づいた。鉢巻を締め直さう。

418 「太平洋決戦の火蓋切る

 放送でこのたびの大戦果の報道を聞きながら、放送員がもつと繰返してくれればよいと思ひ、新聞紙の大本営発表を読み終つてから、再び紙を開いて轟撃沈と撃破の数を飽かず眺める。新聞社の建物の上方に現はれる電光ニュースを見るためにわざわざ電車から降りる。これがみんなの心持であつた。
 みんなが戦つてゐる戦争であることが、今度くらゐはつきり分つたことはない。よくやつて下さつたと勇士たちに感謝しつゝ、自分もよくやつたと心の満たされる思ひである。
 敵は比島に攻め寄せてきた。大へんな事態になつた。みんなで頑張らう。みんなの持つてゐる力を前線に凝集させ、再び敵を壊滅してやらう。その時こそ、もつともつと大きな感謝と喜びに、みんなの胸は満たされるに違ひない。

419 「艨艟出撃


 自分のことばかり考へてこせこせしてゐる人は、生活の中で喘いで伸びがとまつてしまふ。これに反して国のため、天下のため闊達な気宇を以で活動する人は自分の一身はひとりでに立つてゆき、ますます伸びてゆくのである。
 囲碁の勝負に於ても隅の方で小さく生きることばかり考へてゐると、かへつてまはりを取囲まれて苦労するが、雄大なる構想を以て中央に進出することにより、石はひとりでに生きて敵を圧するのである。
 大東亜戦争遂行の気宇はしかく雄大なるを要する。
 十一月六日、我々は大東亜共同宣言一周年の記念日を迎へる。大東亜盟邦の代表帝都に集ひ、雄渾なる大東亜建設の理想を全世界に宣布してより茲に一年、大東亜の天地にこの大理想は着々具現せられつゝある。これを妨害せんとして反攻し来る敵は、台湾沖、比島沖に於て惨敗を喫した。しかしながら敵は戦備を整へ
再び反攻し来るや必定である。我々は再びこれを邀へ撃つて敵撃滅を期せねばならぬ。
 戦ひつゝ建設する。これ大東亜共同宣言を具体化するの道である。而して大東亜建設てふ雄大なる目的を実現することこそ、帝国の自存自衛を全うする所以である。
 遠大なる埋想と闊達なる気宇とを以て持場々々に於て真摯に敢闘せよ。さらばこの大戦争に終局の勝を得るや必定である。

420 「噫、忠烈  万世に燦たり

 欧米の国際情勢は描の目のやうにかはる。前大戦より今日までこ十五年の間、各国の離合集散の状況を見るがよい。お互に欺したりすかしたり、御機嫌をとつたり脅したり、仲直りをしたり裏切つたり、あらゆる手練手管を用ひ、その時の御都合で互に味方につけたり敵にまはしたりする。前大戦の末期、その後の平和時代、今次大戦の初期及び最近の半年間の変化をグラフにして統計をとつて見たら、それこそ復雑怪奇なる線と色とが出るであらう。
 今や情勢が緊迫化するにつれ、敵側の間に存する複雑なる関係は次第に表面に現はれて彼等の間では問題がこんがらかりつゝある。まはりが変化する時は肚に信念をもつて、泰然自若たる態度を持してゐる者が終局に於て優位に立つことは、しばしば例証されてゐるところである。
 宣戦の大詔を奉戴実践し、敵が近づいて来たら幾度でもこれを薙(な)ぎ倒し、確乎不動、初心を貫徹せずんばやまざる気概をもつて戦争目的貫徹に邁進するならば、三年とは続かぬ国際情勢の方がぐらついてきて、動かざること山の如く、腹の据つたこちらが勝つことはきまつてゐるではないか。


421 「日米決戦の天王山」 1944.11.15

 ラバウルでは地下道三百キロが完成し、食糧は自給で、兵器工場まである。正に太平洋中の金城湯池が出来上り、将兵の士気軒昂たるものがある。敵中に孤立し、補給もつかぬところにあつて、短い期間にこの驚くべき世界を創造した将兵の工夫と努力とに、我々は学ぶところがなければならぬ。
 過去を振返つてみれば、我々の日常生活はともすれば時勢より何歩も遅れ、後手々々となつて、ぶつぶつ言ひながら時勢についてゆくといふ例が多い。
 ラバウルの将兵を見ならつて、時勢に対し先手を打ちたいものである。空襲を恐れてをらずに、地下で生活することに馴れるのが肝腎であり、作る畠のないことをこぼしてゐるよりも、掘つた穴の土を屋上にあげて野菜を作ることを実行した方が賢いといふものだ。
 武器はますます近代化し、生活形式はますます原始化する。これが戦争の様相である。我々の生活形式の原始化は、常に時勢よりも一歩先きに出ることを要する。而して生活形式の原始化は我々の創意と努力とによるもので、生活内容はどこまでも創造的であらねばならぬ。形式は原始化、内容は進歩的、これを別の言菜で表はして曰く、
 坑の中に文化の華を咲かせよ。

422 「柳州潰え 桂林陥つ」 1944.11.22

 近頃、大都会の住宅地には、路傍の処々に甘藷の俵が山と積まれてゐる。これに一つ一つ荷札がつけてあり、何県何郡何村の何のたれがしと記されてゐる。中には婦人の名もある。心ある人は甘藷俵の堆積の前に立つて、この名札を一つ一つ見る。そしてこの貴い食糧を都会の人々のために供出してくれた同胞の労苦と好意とを、感謝を以て偲ぶのである。
 五穀にせよ、藷類、野菜にせよ、神のめぐみ、天地のめぐみであることは勿論であるが人手不足のこの時代に、一生懸命で作つた農産物が公定価格で都会人に配給されることは、農家の労苦によるものである。
 主婦たちが籠に入れ、手押車に積み、ン々として配給された甘藷を運ぷ時、農家の心づくしは彼女等とその家族の心に通ふのである。
 この時代にあつて配給される物は、単なる物ではない。国民全部が兄弟である我が国に於ては、愛情が物に載つて運ばれるのである。
 作り且つ供出する者は兄弟の愛情を作物に載せて、出し、配給を受ける者はこの愛情を受けて感謝し、しかして己の務めに励むことによつて兄弟の好意に酬いる。
 生産、供出、配給は経済行為である。しかし、我々はこの経済流通の奥に、一億兄弟としての深き愛と徳とが流れてゐることを知らねばならぬ。

423 「戦へ、空襲と皇土の護持に」 1944.11.29

 今日まで、直接戦力増強のために働く人々は都会から工場へと移つていつた。これからは都会から工場へ、しかして山へと入りこまねばならぬ。
 何故かといふに、戦争が本土に近づくにつれ、船で遠くから原料を運ぶことは困雑が加はるから、どうしても手近かなところで資源を得て、これをもつて戦力を増強せねばならぬからである。つまり、できるだけ本土の資源を開発して、これを近くの工場に運んで製品化することが肝要である。だがら今までのやうに、舶で運ばれた原料だけをあてにして楽々と生産をしようといふのは呑気すぎる。山の中に入りこんで原料を掘り出し、これを工場に運びこむ段取りをつけねばならぬ。
 今日までは、山へ入る人の数は比較的少く、工場へ入る人の数の方が多かつた。また、工場に入ることになると、皆進んでやつて来たが、山へ入ることになると躊躇する傾きがないでもなかつた。
 しかし戦局は進んだ。生産力を維持増強して戦争を勝ち抜くためには、これからは山へ多くの人々が入ることが大切である。我こそは山へ入つて原料資源を増産せんとの意気に然えて、天下の人物が続々として入山することこそ必勝の道である。
 山の方もよくこの理を弁へ、多くのよき人を入れる態勢を整へ、原料資源の増産に一段の努力工夫をなすべきである。
 都会より工場へ、しかして山へ!
 昔は悟(さとり)を開くために山へ入つたが、今は悟を開いて山に入らねばならね。

424・425 「開戦三年 大東亜の相貌  大東亜戦争三周年特輯」 1944.12.8

 緒戦による赫々たる戦果が挙つた当時、大東亜建設は盛んに論ぜられ、人集れば即ちこれに関する抱負経綸を述べるのが常であつた。しかるに敵が大東亜再侵略の野望を達せんとして迫り来るや、大東亜建設論の流行はやゝ下火になり、低調となつた。これはこれ緒戦時代の建設論なるものが、大戦果の陶酔に影響せられ、あまりに甘美なる夢想を混へ過ぎてゐたためである。
 しかしながら大東亜の安定確保とその建設とは、我々に与へられた確乎不動の目標である。戦局困難なりとも大東亜の建設はどしどしと推進せしめねばならぬ。否、戦局困難なるが故に一層これに力を入れねばならぬのである。
 直面する現実に即しての建設は、敵が大東亜を侵さんとするも歯の立たざる如き態勢を速かに整備することにある。これがため皆が智慧と力とを出し努力するならば、広く大なる大東亜の地域とその豊富なる資源とは必ず物を言うて、強固なる大東亜要塞の完成することは必定である。
 緒戦時代の闊達なる気風と遠大なる理想を以て、我々は大いに大東亜の建設について考へ論じ努めたいものである。但しその態度は浪漫主義を超克せる現実主義であらねばならぬ。

426 「動乱の欧州」 1944.12.20

 本年八月ドイツ軍がフランスから撤退するや、敵国及び欧州中立国の軍事評論家たちは、ドイツの敗北間近しと見、気の早いのは、その時を九月末だといひ、或ひは十月までもつと主張し、或ひは本年一杯しかもたぬと述べた。
 しかるにドイツは敵の猛爆下に着々防衛態勢を強化し、地下における生産設備を整備し、国民突撃隊をつくりあげ、国境において敵の大軍を支へ、これを悩ましつゝある。
 一方、米英の占領した南イタリア、フランス、ベルギー、ギリシャ等においては人々は深刻なる食糧難、生活難難等のうちにあり、或ひは政変が起り、或ひは暴動や罷業が勃発し、社会的、政治的不安は刻々に増大しつゝあり、またポーランド及びバルカン諸国に関する国際情勢は複雑微妙を極め、敵米英はその国内情勢と相俟つて今や深刻なる苦悩のうちにある。
 遂に英国首相チャーチルは、去る十月三十一日の議会において
 「ドイツ軍は頑強に抵抗してをり、ドイツの内部崩壊も期待し得ない。従つて夏までに対独戦争を終結せしむることは困難である。」
と演説し、さらに十一月二十九日、議会において国王の演説に引続き
 「対独戦争は夏を過ぎて継続される。」
と予言するに至つた。
 優れたる民族が国難に処し、一致結束して起ち上り、敵に向ふならば、如何なる障碍困難をも突破して敵を倒すに至ることは史実の証するところ、盟邦ドイツはこの史実の上に、さらに一つの事例を積み重ねんとしてゐる。
 レーテ作戦の最高頂に達せんとする今日この時、我々は深く省みるところあらねばならぬ。