昭和18年度

325  1943.1.6

国民合唱「必勝の歌」 深尾須磨子 作詞  福井文彦 作曲

326  1943.1.13

「海行かば」 混声四部合唱曲  信時潔 作曲

海ゆかば みづくかばね 山行かば 草むすかばね 
大君の へにこそしなめ かへりみはせじ   (万葉集大伴氏言立)

327  1943.1.20

国民合唱「アリューシャンの勇士」   西條八十 作詞  大中寅二 作曲

328   1943.1.27

増税や消費規正の強
化も前線で敢闘して
ゐる将兵のこと思
へば、 何でもない!

329  1943.2.3

国民合唱「木炭の歌」  深尾須磨子・作詞  弘田龍太郎・作曲

330  1943.2.10

「この決意」 大政翼賛会撰定   大政翼賛会宣伝部・作詞 片山穎太郎・作曲

一、今だ! 忘れてなるものか

          あの日の朝の感激を

二、さうだ! 誓はう英霊に 

          頑張り抜いて勝ち抜くと

三、これだ! 唸るぞこの腕が 

           戦ふ力作るのだ

四、敵だ! 倒すぞ米英を 

            一億の手で団結で

331  1943.2.17

国民合唱「試練の時」  勝承夫・作詞  岡本敏明・作曲 

332  1943.2.24

我々は、戦場に、職場に、家庭に、
今日の決戦、明日の決戦を戦ふと
共に、多少時日はかかつても必ず
米国の心臓部に匕首を突きつけね
ばならない
  かうして戦ひ抜いてこそ始めて、
  犠牲となられた英霊に、
  本当に静かに眠つて戴くことができるのである

333   1943.3.3

国民合唱「富士山の賦」  八波則吉(〜1953)・作詞  長谷川良夫・作曲

334   1943.3.10

撃ちてし止まむ

335  1943.3.17

国民合唱「帆綱は歌ふよ」  前田鉄之助(〜1977)・作詞  久保田公平・作曲

336 1943.3.24

国民合唱「潜水艦の歌」  堀内敬三(1897/12/6〜1983/10/12)・作詞作曲

337 1943.3.31

すべては戦争に勝つてからだ

物見も遊山も

今こそ戦争生活に徹底しよう

338  1943.4.7

国民合唱「忠霊塔の歌」 (混声四部)   百田宗治 作詞    片山穎太郎 作曲

339  1943.4.14

国民合唱「靖国神社の歌」 陸・海軍省選定

日の本の 光に映えて
尽忠の 雄魂祀る
宮柱(みやばしら) 太く燦たり
 あゝ大君の 御拝(ぎよはい)し給ふ
 栄光の宮 靖国神社

日の御旗 断乎と守り
その命 国に捧げし
ますらをの 御魂(みたま)鎮まる
 あゝ国民(くにたみ)の 拝(をろが)み称(たゝ)ふ
 いさをしの宮 靖国神社

報国の 血潮に燃えて
散りませし 大和(やまと)をみなの
清らけき 御魂安らふ
 あゝ同胞(はらから)の 感謝は薫る
 桜さく宮 靖国神社

幸御魂(さきみたま) 幸(さき)はへまして
千木(ちぎ)高く 輝くところ
皇國は 永遠(とは)に厳(げん)たり
 あゝ一億の 畏み祈る
 国護る宮 靖国神社

340  1943.4.21

靖国の英霊に応へ
 血戦の勇士に報い
   我等一億、こゝに
軍人援護の完璧を誓はう

341 1943.4.28

国民合唱 「こひのぼり」  与田準一 作詞   片山穎太郎 作曲

342  1943.5.5

国民合唱 「密林行」  佐伯孝夫 作詞   大中寅二 作曲 

343  1943.5.12

内地では食ふ物がなく、国民学校の子供が腹を減らして校庭でバタ/\倒れてゐる
といふやうなデマが伝はつてくる。
さうすると、「内地の人は気の毒です」と自分は一日三勺か四勺しか飯の
食べられない兵隊が心配してゐる。
「大丈夫だ。そんなことはない」といふと、
「さうですか。国民が飢ゑもせず、爆撃も受けずに安泰ならば
我々は死んでもよいです」といつてゐる。
ガダルカナル島の作戦に参加した将兵は
誰一人として、慰問袋を貰つたり、慰問団の来訪を受けるどころか、
白衣の勇士になつて帰ることさへ夢にも考へてゐなかつた。
全部が全部死ぬ。 あとは後方の人に立派にやつて貰
はうと思つて一身を大君に捧げて戦はれたのだ。

344  1943.5.19

国民合唱 「海軍航空の歌」  海軍航空本部 撰歌  海軍々楽隊 作曲

万里の雲や 大洋の
空を圧して敵を呑む
堂々の意気この胸に
百練の技この胸に
衝けば必殺あますなし

翼に託す明鏡の
何ぞ心に曇りある
聖勅重し 身は軽し
使命に薫るさくら花
玉と砕けん願ひのみ

南の極み北の果
水漬く屍や その勲
歴史を飾る撃滅の
烈々の血を享けつぎて
永遠に誉を挙げんかな

百万の敵あらばあれ
一機断じて挑み撃つ
不撓の決意 必勝の
敢闘まさに時到る
今や世界は新たなり

345 1943.5.26

 「十八年度は、日、独いづれを正面の敵とするか」
世論調査機関ギャラップの問ひに対して、米国民の五三%(昨年は二五%)は、
  「日本を主敵とすべし」
と率直に返答し、対日総反攻の気勢を揚げてゐる。
 われ/\は今こそ、戦局に対して絶対に、一喜一憂することなく、
米英撃滅の決意新たに、
 一発でも多くの弾丸を
 一機でも多くの飛行機を
 一人でも多くの人を
送り、兵隊さんに思ふ存分戦つて貰はうではないか。

346 1943.6.2

国民合唱 「みたみわれ」   古歌  大政翼賛会制定

御民吾 生ける験あり 天地の 栄ゆる時に 遇へらく念へば

(海犬養岡麻呂?歌)

347 1943.6.9

嗚呼、アッツの将兵玉砕す
皇軍の真髄を発揮して余すところなし
その無念を晴らし、雄魂を安んずるの
途は、たゞ一つ
勇士の屍を越えて、我等一億
敵米英撃滅の決戦に驀進あるのみ

348 1943.6.16

国民合唱 「落下傘部隊進撃の歌」  堀内敬三 作詞  山田耕筰 作曲

349 1943.6.23

臨時議会を通じて、雄渾なる大東亜建設の経綸は中外に
宣言され、挙国決戦体制は一段と強化された
 我々の直面する戦闘には波がある
東に西に、南に北に、大きくうねつた日本の波に、小さ
な打ち返しがあるおは当り前だ
 我々はそんなことにはびくともしない
戦力の増強に、食糧の増産に、そして戦争生活の徹底に、
この試練を乗切つて、今我々は一路邁進しつゝあるのだ

 戦争完遂へ、逞しき実践あるのみである。

350 1943.6.30

 今度の企業整備は、日増しに苛烈となつて来てゐる
戦局に備へて、日本産業の総力を結集し、飛躍的な戦
力の増強をはかるための国家の至上命令なのだ。
 転廃業者は、晴れの応召者にも等しく、また、これ
らの人の血を通はせた機械も器具も、あらゆる設備
が、同様に赤襷をかけねばならないのだ。
 踏切りが肝腎だ。勝つために、日本が大きく飛躍す
るために、今こそ我々はすべてを投げ出して、大きく
国家と共に生きようではないか。

351 勤労新体制の確立 1943.7.7

 決戦下、学徒の教室もまた戦場であり、それは直ちに前線に通じてゐる
 今や青年学徒の烈々たる殉忠報国の赤誠は報いられこゝに学徒戦時動員体制は確立され、勤労体制は一段と強化された。
 戦局の現段階は、青年学徒は勿論、一億国民の勤労への総蹶起を促して止まない。
 男も女も、老いも若きも、たゞ一筋に戦力増強の生産陣に挺身し、勤労を挙げて国家に捧ぐべきである。

 

352 具現する大東亜の共栄 1943.7.14

 インド解放の巨星チャンドラ・ボース氏は南へ飛び、昭南で自由インド臨時政府樹立の爆弾宣言を全世界にたゝきつけ、精強インド国民軍も起ち上つた。
 また、盟邦タイ国は、はるばる東条内閣総理大臣を迎へ、その多年の希望かなつて、いま新たなる領土を加へた。
 この儼然たる事実を敵米英は何んと見るのであらうか。
 かつて、重慶は「もし日本が南方の建設に成功したら、その時こそ日本は、地球上、最大最強の国にならう」と、自らの戦慄をもつて敵米英の即時反攻を促したことがある。
 今や、巨大な大東亜建設の諸事実は、敵陣営に多大の衝動を与へてゐるが、それだけにまた、われわれは敵の熾烈な反攻をも覚悟し、雄大なる気宇をもつて敵戦力の破摧に、大東亜建設戦に、更に逞しき前進を続けねばならないのである。

 

353 昭和18年改訂 「時局防空必携」 解説  1943.7.21

防空必勝の誓

一、私達は「御國を守る戦士」です。命を投げ出して持場を守ります。
一、私達は必勝の信念を持つて、最後まで戦ひ抜きます。
一、私達は準備を完全にし、自信のつくまで訓練を積みます。
一、私達は命令に服従し、勝手な行動を慎みます
一、私達は互に扶け合ひ、力を協せて防空に当ります。

 

354 一億第一線へ 1943.7.28

 衣服は身体を保護し、容(かたち)を整へるためのものである。これが虚飾に堕した時、軽佻華美なる流行となつて、人心を蝕んだ。
 かつて都市の人々----殊に婦人達の購つたものは、繊維にあらずして、柄と模様であり、「流行」そのものであつた。
 大東亜戦争下における決戦衣生活は、かくの如き衣服の虚飾を去つて、衣服本来の姿に帰ることを強く要求してゐる。かくて衣服は、純粋なるものに立ち帰りつゝある。
 今や、衣服のみならず、我々の全生活より、虚偽と虚飾とを取り去るべき秋である。しかして先づ第一に我々は、我々の心中にある夾雑物を除かねばならぬ。不純なるものを去つて、純粋なる日本人の魂に帰らねばならぬ。
 純粋無雑なる日本人の魂に立ち帰る時、我々は全生活を純化し、すべてを皇國のために捧げ、敵を撃滅し得るのである。

 

355 誕生したビルマ國 1943.8.4

勝ちぬく誓

みたみわれ 大君にすべてを捧げまつらん

みたみわれ すめらみくにを護りぬかん

みたみわれ 力のかぎり働きぬかん

みたみわれ 正しく明るく生きぬかん

みたみわれ この大みいくさに勝ちぬかん

(七月一六日第四回中央協力会議で決定されたもので、我々はつねに朗誦して、決戦下の決意を固めませう。)

 

356 戦力増強と重要鉱物 1943.8.11

 ドイツのロンドン猛爆に悩み抜いたイギリスは、最近では電波を応用して敵機の来襲をいち早く探知する電波標定機とか、飛行機から地上までの高度を測定する電波高度計等を活用して損害を少なくしようと躍起となつてゐる。
 一方、敵アメリカも、日本の飛行機の性能に恐れをなして、ガソリンタンクを合成樹脂の防弾タンクに取換へて「燃えない飛行機」の完成を急いでゐるといふ。
 戦ひの深刻化するところ、科学戦、技術戦もまた止まるところを知らない。
 我々は、この戦ひの分野においても、敵に打勝ち、敵を屈伏させねばならない。学者も、技術者も、産業戦士も、否、全国民が、今こそ全智全能をあげて、「勝つための科学と技術」のために挺身せねばならない。
 要は、脳髄の総動員である。

 

357 伊の動向と敵の謀略戦 1943.8.18

 戦争が深刻化するにつれ、人々の心がとげとげしくなるのはいづこの国、いづれの時代にも共通するならはしである。心がとげとげしくなると、思ひやりとか、やさしさが少くなり、人に対して不親切になる。その不親切が次ぎから次ぎに影響して人の心を荒げる。これが国民の結束を紊すことになるのである。だからどんな困難に際会しても、互になごやかな心と親切な態度を持ちつゞける国民こそは、最後の勝利を獲得するのである。
 敵の謀略は有形的なもののみならず、かういふやうな心のもち方に這入り込んで来るかも知れぬ。人に対して荒々しく、不親切にすることは、国民の結束を紊さうとする敵の謀略に隙を与へることである。これに反し、互にやさしく励まし合ひ、親切を尽し合ふことは、物の不足を心で補ふことになるのみならず、敵の謀略を封ずる所以である。
 己れの心に萌す不親切心は、敵の謀略として之を斥けよ。他人の心より出づる不親切心は、己れの親切心を以て之を和げよ。

 

358 食糧持久力の飛躍的強化 1943.8.25

 「おぢいさんは畳の上で死んだけれど、僕は少年航空兵になつて重爆の中で死ぬんだ」と、十三歳の孫がお葬式のときに敢然といひ放つたといふ。童心には迷ひもない。殉国の至誠が徹底した死生観へと導くとき、ひしひしと迫る戦局の実相がこの少年にかゝる決意を固めさせたのであらう。
 しかし、この子の言葉を親たちは、どんな気持でこれを受け入れるであらうか。「国民学校を終つたら上の学校へやつて、息子を出世させて・・・」などといふやうな夢をいだいてゐる者があつたらどうであらうか。
 現実は、夢を超えて遊み、時局は今大きく転換しつゝある。
 教室は戦場に通ず----この若人の大いなる踏切りを、育み導いて行く心構へこそ、世の親たちが、そして世の先達たちが是非とも持たねばならないのである。

359 キスカ撤収と国民の気構 1943.9.1

 農村は、今や食糧増産の熱意に燃えてゐる。この戦争に勝つためには、食糧の自給自足を図らねばならぬ。種をまき、草をとり、虫を除くのも、皆米英との闘ひであるといふ気魄が、働く人々の眉宇に溢れてゐる。ほんの僅かばかりの人が、この純眞な、そしてひたむきな心持に一抹の陰影を投げかける。
 それは、自分一家の損得に心を支配されてゐる人々である。例へば米を作り、藷をつくるよりも、西瓜やまくわを作つて、高く売つた方が得だと考へるやうなものである。
 しかし、この人々の心を分析してみると、案外単純である。「戦争の時流に乗つて、小金を蓄めて、末は安楽に暮したい」「貧乏してゐると人に馬鹿にされるから、小金を蓄めて、人に頭を下げさせたい」これが、この人々の心理を動かしてゐる小さな願ひであり、この願望が増産へのひたむきな精進を妨げ、また他人の精進の妨げとなつてゐるのである。
 大東亜戦争は、国家の存亡を賭しての戦争である。小金を蓄めなくとも、米英を屈服させれば、我等日本人の将来は洋々たるものである。小金を蓄めなくとも、この戦争に勝てば、米英人は我等に頭を下げて来る。
 近所の人に頭を下げさせるよりも、大きく、米英人に頭を下げさせようではないか。そしてこの際、けちな願ひを捨てて、日本人としての大きな目標に向つて進まうではないか。

360 決戦下の教育と学徒 1943.9.8

 

 純忠永へに薫るアッツの雄魂の発表は、山崎部隊長以下に対する恩賞陞進の御沙汰と共に、我等一億国民に新たなる感激を覚えさせずにはおかなかつた。「・・武器損耗し糧食欠乏するや岩石を投し残雪を噛み・・熱鉄の一団は深く敵中に突入して之を潰乱せしめたる後尽く北海の地に散華せり・・」武勲のあとをまざまざと感状に拝して、我々は感奮興起措く能はざるものがあるが、わけても銃後の我々の胸を打つた、一事は、アッツの勇士たちが、玉砕の直前まで、あの困苦欠乏の中にあつて、身を野戦郵便局に運んで貯蓄報国の赤誠に燃えてゐたことである。その総額四十万円を突破してゐたといふが、明日知らぬ戦闘に身を棒げつゝなほも銃後の生産増強を夢寐(むび)にも忘れなかつたその心情・・
 我々はこの聖なる姿に今さら何もいふべき言葉を知らない。「アッツにつゞけ」といふことは言葉だけであつてはならない。この前線の心を銑後の心に受けとめて、赤誠の結晶を前線に送り届け、護國の鬼と化した幾多将兵の英魂に報いることを更めで誓はう。

 

361 特輯 決戦下の航空諸問題 1943.9.15

 

 「機はあれども飛機なきを如何せん」
 敵アメリカ軍を殲滅する機会は幾度となくあつたのだが、我にこの殲滅に要する飛行機がなくしてどうすることも出来なかつたと、第一線参謀が述懐したと報道された。
 勿論、飛行機も鉄量も敵と同等の数が欲しいといふのではない。たゞ敵機をおさへるだけの、また敵の鉄量をして我儘をさせないだけの、弾薬を与へてくれゝばよいといふのである。
 我が純忠果断の精鋭は、敵の物質量をおさへるだけの弾薬を手にしたとき、闘ひはすでに勝てるのである。
 前線にかゝる心配をさせ、苦労をかけるのは我々銃後の責任である。申訳がない。一機でも多く、一弾でも多く、今すぐ血で戦ふ第一線へ送らう。そして若人は一人ても多く空へ征かう。

 

362 1943.9.22

 

 鳥取地方の震災地に、夜を徹して乗り込んだ安藤内務大臣は、

「この災害を単なる天災と考へず、憎むべき敵の空襲を受けたのだといふ気持に切り替へて奮起してもらひたい。皆さんがこの災害の中から如何に雄々しく起ち上り、復旧復興を速かにやり遂げられるかは、皆さんが如何に立派に敵に打ち勝ち、日本の戦力を増強するかといふことである」。

と力強い激励の言葉をおくられた。
 災害を受けてもこれに屈せず、廃墟の中から起ち上つて敵米英を撃たんとの気概こそは、空襲時において我々の体得実践すべきものであると共に、国一部に起つた災害は、一家の中に起つた災難だと思つて、全国民が互に同情し合ひ、扶け合つて、その損害を分担し合ふ心持こそは、日本的な精神の実践であり、戦力の根源である。

 

363 国内態勢強化方策 1943.9.29

 日本人全体は一つの体をなしてゐる。体の一部が苦しみ、病み、傷つくとき、何人も之に対して手当をせずにはゐられない。現在の戦争は日本人が一つのからだとして戦つてゐるのである。前線に戦ふもの、銃後に戦ふものも、共に大きな体の一部としてその役割を果してゐるのである。
 前線に出てゐる軍人ははげしく戦ひ、ときに病み傷つき、或ひは名誉の戦死を遂げられる。そして残された家族は、いろいろの苦しみを克服しつゝ銃後を守つてゐるのである。日本人全体が一つのからだであることがわかつた時、軍人遺族家族の苦労や、前線将兵の傷痍は、日本人といふからだの一部におけるいたづきであり、苦しみであることを悟る。
 我々はこれを自分のいたづき、自分の苦しみとして感じ、これに手当をせずにはゐられない。
 軍人援護は、この心持から滲み出たものでありたい。




364(1943.10.6)

 女性の美しさは、かつては箱入娘に見出され、有閑婦人のうちに求められた。
 時代の進むに従つて、この種の婦人のもつ美しさは、病的なものであるとされ、健康にして明朗な女性のうちに、まことの美しさがあることが分つて来た。
 時局は更に進んだ。より高き女性は、健康にして明朗な婦人が勤労する姿のうちに存することが明らかとなつた。
 病的なるものより健康なるものに、静的なる美より動的なる美へと女性美は転換しつゝある。
 決戦下、きりゝとしたみなりで、勤労に挺身する女性のうちにこそ、最高至純の美しさは発現するのである。

365(1943.10.13)

 国内態勢強化方策により停年制は廃止されることになつた。若々しい精神と旺盛な気力を持つ高齢者たちにとつて、待望の秋は到来したのである。
 元来、停年制は姨捨思想の近代化である。動物は年齢によつて活動力が決まるが、人間は霊性と智能とを備へてゐるが故に、年齢に拘はらず永遠に青年たり得る。即ち、年とるに従つて智能は進み、人物は円熟するのである。
 故に人は、年齢に拘はらずその能力を尽して国家社会に貢献することを要し、国家社会もまた高齢者をして、かくせしめねばならぬのである。
 殊に戦時にあつては、高齢者の活動分野は甚だ広く、国家の高齢者に期待するところ、実に大なるものがある。
 大東亜戦争は、年寄を若返らせる。高齢者たちは、永遠の青年たるの意気に燃えて、今こそ職場に立ち、奉公の誠を致すべきである。

366(1943.10.20)

 本年度米国の予想収穫高が、六千三百三十万三千石と発表された。金肥も乏しく、資材、労力も不足といふ悪条件を見事克服して、この優秀な成績をもたらしたことは、農民の汗の結晶であると共に、瑞穂の国の強靱な底力を示して余りあるものといへよう。
 こゝで大きな問題になるのは、肥料のことである。かつて我が国の土地が金肥に支配された時代があつた。今にして想へば、果して金肥は万能であるか疑問なきを得ない。洋薬は、即效がある代りに副作用がある。化学肥料も度が過ぎると洋薬のやうな副作用を土地に与へぬとは言へぬ。
 化学肥料なくして得られた昨年の豊作も、今年の出来秋も、堆肥のお蔭である。堆肥こそ土地を富ませ、豊饒なる収穫をあげしめる原動力である。
 外米依存から脱却して、自給自足の決戦食糧態勢を確立しなければならない今日、早くも来年の豊作をめざして、堆肥の増産に取りかゝらうではないか。草を刈つて積む、生活の残滓はすべて堆肥へ・・・有機物を土地へ還元し、来るべき年に備へよう。

367(1943.10.27)

 従来、生活といへば、とかく個人的なもの、消費的なものゝやうに考へられて来た。自分で稼いだお金はどう使はうと勝手だ、無駄使ひをしたり、なくて済むものまで買ひ揃へることが、生活の潤ひであり、より高き生活であるとさへ思はれて来た。
 しかし、決戦下の今日、我々の生活をかくあらしめてはならない。生活は決戦へ、百八十度の転回をせねばならない。生活は個人のためのものから国家のためのものに、消費から生産へと切替へられねばならない。
 一億国民が衣料切符の一割に当る絹を節約すれば、落下傘八十九万台が出来る。紙二割を節約すれば木材二百六十万石が浮き、百トンの木造船が二千六百隻も造れることになるのである。
 生活は戦力の源泉である。我々の生活の中から、戦争に勝つための、物や、お金や、人手をもつともつと浮き出させて、戦力の増強、国力の充実をはかることが、決戦下にあるべき生活の姿である。
 生活は消費にあらずして、生産である。

368(1943.11.3)

 選ばれた学徒は、近く学業半ばにして決然銃を担つて出陣するが、決戦下の今日にあつては、征く学徒、残る学徒悉く国家の動員令下にあり、一人残らず戦闘配置につくことが要請されてゐる。
 入営を延期された者は、形においては今まで通り学生服を着て、今まで通り学校に通学するのであるが、精神においては、召されて第一線に立つてゐる者と全然同じであつて、心に軍服を着けて「学窓にある兵士」として、国家の要求するところの研究を推進すべき使命が課せられてゐるのである。
 戦局いよいよ苛烈を極め、科学戦、技術戦へ期待するところ絶大なる今日、残れる学徒こそ、今まで三年かゝつたものを一年で修練する意気込を以て、修学を通じて、今直ちに戦力の増強に寄与し、君国に報ずる覚悟がなくてはならない。
 今や、学徒は悉く兵士である。教場は敵米英を討つ戦場である。

369(1943.11.10)

 人が徳義と情愛とによつて結ばれるならば、権利、義務の主張は姿を消し、互に愛し合ひ、譲り合ひ、恵み合ひ、励まし合ふところの友情が支配するのみである。
 我々は、このうるはしい関係を父子、兄弟、夫婦の間に見、また、しばしば友人の間に見る。国と国との間も、このやうなうるはしい関係に結ばれることが理想である。
 大東亜の諸国家は、元来血を分けた兄弟であり、相依り、相助けて暮すべきものであつたが、米英の侵略の犠牲となり、手を握り合ふことが出来なかつた。
 皇軍将兵の勇戦による大戦果が、米英を駆逐した結果、こゝに大東亜各国は、初めて本来の姿に立ち帰り、互に愛し合ひ、譲り合ひ、慈み合ひ、励まし合つて、永遠の繁栄を図ることとなつた。
 大東亜各国を結ぶものは、徳義と情愛である。それは権利、義務の上にあり、区々たる権益、思想を超越するものである。

370(1943.11.17)

 十一月八日に挙げられたブーゲンビル島附近の大戦果は、我々を熱狂せしめた。これこそは十一月二日以降の同島附近の戦果と合して、真珠湾の大戦果以来の一大捷報であり、国民は歓呼の声を発することにより、心の底に沈澱してゐた心配を一度に発散すると共に、「それ増産だ!」とばかり職域において奮ひ立つたのである。
 我々は、二年前ハワイに、或ひはマレー沖に凱歌の挙つたとき、如何に欣喜抃舞(べんぶ)したかを回想する。また開戦以来半歳に亘り、打続いた捷報に如何に歓声を張りあげたかを想起する。而して如何に我々が緒戦の大戦果に酔ひ、心奢りしか、また昨年ガダルカナル撤収以来の戦局に心を痛めしかを思出すのである。
 我の大戦果に、徒らに狂奔し浮かれ、或ひは心奢るときは、我の形勢不利なるとき、悲観し心沈み、意気沈滞する虞あることを我々は知らねばならぬ。
 我々は大戦果の報道に接したとき、これを心に強く噛みしめて味はひ、将兵の労苦に感謝すると共に、戦局の将来に深き思ひを致し、浮かれず、奢らず、全身全我を傾けて戦力増強に傾倒するの覚悟を固めることを要する。
 戦局の将来は、依然として重大である。「勝つて兜の緒を緊めよ」は、大東亜戦争下我々の守るべき戦陣訓である。我々は心に着たる兜の緒を一段と緊め、反攻し来る敵を睨みつゝ戦力増強に一掃の努力を誓はんとするものである。

371(1943.11.24)

 戦ひは誰かがやつてくれるに違ひない、勝つてくれるに違ひないと思つてゐたら、勝利はない。同様に、食糧は誰かが増産してくれるだらうと思つてゐては、今月の食糧問題の解決はできないのである。
 戦争は己が血を流してこそ勝利があり、今日の食糧戦を勝ち扱く食糧の増産は、国民全部が、土にまみれてこそ達成されるのである。
 すでにわれわれは、一粒の米も流すまい、一片の野菜も粗末にすまいとつとめてゐるが、これはたゞ、乏しい中に、より強く感得される「勿体ない」といふ気持の消極的な現はれに過ぎない。大事なことはその積極面である。けふ十の収獲をあげ得る皇土が、五のはたらきしかしてゐないとあつたら、まことに「勿体ない」限りである。
 食糧増産は、地力を最高度に利用することが要諦である。科学技術力を発揮し、かつ勤労の威力を示すにある。信州の或る村では、「真冬といへども六十歳以上の老人以外はこたつに入ることを禁ず」との申合せを行つて、土地改良に挺身してゐるといふ。
 農閑期といふ言葉は、決戦下の農村には最早存在しない。

372(1943.12.1)

 赤紙と白紙と、色異れど醜の御楯となる身は一ついま銃後に徴用の総進軍命令下る。
 ブーベンビルからギルバートへ----あの熾烈な敵の反攻、あの前線の必殺の敢闘に想ひを馳せるとき赤心は一つ、前線も銃後も、たゞ撃敵の闘魂に燃ゆるのみ。
 も早や前線、銃後の区別はない。否、むしろ銃後の工場が戦場であり、前線とさへなつた。
 応徴士----諸君こそ、この銑後の前線に配置された兵隊である。今こそ諸君の力が、そして腕が、直接お国のために、そして戦力増強のために捧げられる日が来たのだ。
 新らしいこの勤労の喜び、こゝに応徴士の輝かしい前途がある。前線将兵の信倚、我等が双腕に、大東亜十億の衆望また、我等が双肩にあり。
 征け、新らしき戦場へ、而して銃後の生産に前線の必勝魂を発揮せよ。

373(1943・12・8)

無し

374(1943・12・15)

 明治の終りから大正の初めに用ひられた尋常四年の小学読本は、電報の書き方を教へてゐる。親類から火事見舞の電報が来たのに対し、父は子に返電の起草を命ずる。子の作つた原案には無駄が多いので、父は何度も訂正させた結果、父子合作の返電に曰く「ヤケナイシンルヰミナブジ」。
 この頃の電報には、「ゴシダウカタヨロシクオネガヒマウシアグ」といふやうな敬語附儀礼用や、「コンヤツクフロタテテオケ」といふやうな不用不急のものまで現れてゐる。
 電話に至つては、「モシ、モシ、アノデスネ、コチラハデスネ」で、まぜ物ばかり多くて、ほんとの用向はなかなか出て来ないのがある。かと思ふと、電話口に向つて長々御無沙汰のお詫びやら、時候見舞やら述べてゐるのがある。
 新聞、雑誌、出版物に現れる文章においても、文字徒らに多くして、效果これに伴はざるものを見受ける。或る座談会記事の一節「そんならばさういふことで、立派なものが出来てたとしても、それは先生の作品に比べたら、どうにも仕様がないといふわけて、何ともならないのです」。
 対ひ合つて話すときは差支へないとしても、我々の言葉が活字になつたり、電波にのつたりするときは、言葉の使ひ方にもつと気をつけ、無駄のないやうにせねばならない。
 無駄が多ければ、それだけ電力や資材や労力を浪費することになるばかりでなく、用事が早く片づかず、戦力の損失となる。
 文章は経国の大業、不朽の盛事。文と話とがしっかりせぬと、心はしっかりせぬ。電文の作り方、電話のかけ方、文章の書き方も、戦時的にするため一段の努力工夫を要するや切である。

375(1943・12・22)

 満洲国では、今年は大変な豊作で、農家の糧穀(大豆・高粱・玉蜀黍・米麦)供出はどしどし進捗し、既に政府の定めた供出予定量に達せんとし、年が明ければ予定寮を突破する勢ひである。
 農業国満洲の供出予定量は尨大な数字を示しでゐるが、この数字を超える供出をみるに至つたことは、大東亜における一大朗報といふべきである。
 この度の豊作は、気候に恵まれたことにも因るが、広い満洲においては、気候は必ずしも一様ではないから、豊作の原因は決して気候の順調のみではない。豊作は実に人為的努力の賜物である。
 大東亜戦争に勝ち抜くため食糧基地としての満洲国は、農産物の一大増産をなし、以て親の国たる日本に協力しなければならぬとの決意を以て、満洲国国民が奮闘努力した結果が、この度の好成績となつて現はれたのである。殊に供出の成績のよいのは、大東亜戦争を完遂せんとする国民の旺盛なる熱意を示すものであり、われわれは満洲国国民に対し深き感謝の意を表さねばならぬ。
 今日の好成績は満洲国国民の協力一致を如実に証明するものである。中央、地方の官吏は、日系たると満系たるとを問はず、農産物増産に全力をあげ、国民を導き励まし、協和会その他の機関またこれと表裏をなして活動し、官民呼吸が合ひ、力を協せ、勢ひの赴くところ、この素晴しい成果を得たのであり、従つてこの豊作は、単に食糧増産政策の成功たるのみならず、満洲国の政治が如何によく行はれてゐるかを実証するものである。
 百姓治つて天下治まる。われわれはこの度の豊作と糧穀蒐荷の成功に、満洲建国精神の発露を見ることを忘れてはならぬ。