(大正15年)
北輝次郎の維新革命論
宇宙の原則、進化の原則、歴史的必然よりして日本は維新を離れて活きるの道はない。革命以外に飛躍の道はない。
無限の歓喜に感激し、真に死の易きに比せらるべき生の痛惨悲とを嘗めつゝ維新革命の大道に直進あるのみ。
改造とは国家組織に就きて之を云ひ、革命とは組織以上精神的根本的のものを云ふ、国民精神の神的革命を云ふ。
『革命の意義を旧世紀的先入的頭脳により批判する者を歓ぶ能はず』
聡明と革命的情熱とを増進して心読体験を望む。
維新革命とは民族一体的復活の為に其の命を革めんとする躍動なり。
註一、思想の堕落其の極に達して政治的社会的組織の腐敗を来たし、同時に併行して因となり、果となり、一切の財政的経済的の崩壊に至る亡国是れなり。
註二、革命とは此亡国的腐敗の間より新精神の興奮して新組織を構成せんとするもの、亡国の形骸を残存して内容は興国の精碑に充実せるものなり。
註三、革命とは腐敗堕落を極めたる亡国の形骸より産れんとする新興の声なり。
註四、人生は一切をあげて戦闘なり、革命亦不義邪悪に充つる国家社会の中に在りて之れに染泥せざらんとする吾魂の抗争戦なると同時に、進んで此の邪悪不義を排撃殲滅して国家社会に正義を布かんとする戦闘なりとすべし。斯る健闘死戦の躍動裡にのみ国家社会の幸福、安栄、人類の神性的躍進は存す。
註五、革命とは亡滅の悲運に直面せる国家の更生的飛躍なり。
維新革命の心的体現者大西郷を群がり殺して以来則ち明治十年以後の日本は聊かも革命の建設ではなく復辟の背進的逆転である。現代日本の何処に維新革命の魂と制度とを見ることが出来るか。朽葉に腐木を接いだ東西混淆の中世的国家が現代日本である。
革命とは順逆不二之法門であり其の理論は不立文字である。湊川の楠公は二百年間逆賊であつた。其の墓碑さへも外国人の一亡命客に指示されて建つた。
註、今日吏閥、財閥、軍閥は革命者を迫害し讒誣するに当りて常に必ず社会の秩序を紊乱すと云ひ、国家の安寧幸福を傷害すと云ひ、国軍の統制を紊すと云ふ、然し斯る誣妄は已に現今の社会に秩序あり、今日の国家に安寧と幸福とあり、国軍間の和平を確実として云へるものなり。
今日の社会に紊乱すべきだけの秩序果してありや、今日の国家に傷害すべからざる程の安寧と幸福とありや、今日の国軍に統制するだけの価値ありや。
国家の秩序紊乱其の極に達せるに而も国軍のみ国家より不覇独立して統制ありと云ひ得るや。
戒め置く、国軍を皇軍と改称せるの一事を以て国軍を国民の不可侵的存在と考ふるは龍袖に陰れて国軍の不義を維持せんとする尊大なり、国家国軍を革命的維新すること自体が国家国軍の再建統制の唯一道なり。
経文に大地震裂して地湧の菩薩の出現することを云ふ、大地震裂とは地下層に埋るゝ救主の群と云ふこと則ち草沢の英雄、下層階級の義傑偉人の義である。
註一、「自分を掘れ」とは所化菩薩たる勿れ地涌の菩薩たれと云ふことなり。
註二、嘗て太陽が西より出でざる如く古今革命が上層階級より起れることなし。
維新は国土[士カ]の事業、雙手国運を飜すべき意気、一人万夫に当るの精神、凡て犠牲の自動的なるものを要す。溌剌磅礴たる興国の気は革命的青年の心胸にあり。幾百年の制度と信念を一変すべき革命者は一貫動かざる剛毅烈誠の愛国者なり。革命を為すべき意気精神なくして革命を為したりと云ふが如きは已に言語上の矛盾なりとす。革命者は卑怯なる暗殺者に非ずして大殺戮の義人たるを要す。敬天愛人の道念に灼熱し公義正道に殉ずるの聖戦を戦はんとするものは五十年や百年の性命を欲しない、国家と共に永遠に活きんことを欲す。茲に於てか死生復た何ぞ論ずるに足るあらんや。
古今凡ての革命運動が実に思想の戦争にして兵火の勝敗に非ざるを知るものなり。
註、日本改造法案大網を一貫せる雄渾なる気魄、原理、道念、思想は近代革命の根柢たる法案なるが故に、法典として国家を組み立つべきものである。近代革命に於て法典の体現者以外は似而非なる鍍金者流たり、革命とは極少数者と極少数者との闘ひである。
註、或は曰はん、少数なる黄吻の青年輩何をか為んと。是れ恐るべき勢力を有して而も一の根拠なき非難なり、古来何れの国と雖も革命的大変革が白髪衰顔によつて成されたる一事例だにありしか。
革命は青年の事業然も正を踏み義に死するの年少志士が纔かに其が頸血を濺ぎ生命を賭してのみ嘖ひ得べし、数十名の薩長革命党と京都に苦窮せる失職武士の数百人の団集とによりて維新革命の中堅が作られたるを見よ。
註、近代革命は軍部志士と民間浪人志士の団集とに依りて維新の中堅は作らる。革命の風雲起らば奮躍蹶起せんと云ふが如き待機的気分は根本的に掃蕩すべし。要は気運を促成進展し風雲を捲く為に全身全霊を竭してあらゆる方法を以て随時随処に戦闘を敢行するにあり。
革命とは此の如き戦闘時代を主体とせるもの、革命者の言動を一貫するものは透徹せる理解と無限なる義憤なるべし。
註、即ち瀕亡〔ママ〕の国家に於て亡国の悲運を痛囂悲憤せる侠魂、義魂の炎々天に冲する熱血を以てのみ希求し得べき国家再建の唯一道なり、国をあげて道に殉ずるの決意を以て始めて此の険道を突破し得べし。
革命は暗殺に始まり暗殺に終る。
註一、桜田門外の雪を染めたる少数なる水戸の脱走浪士によりて倒幕の大勢が滔天の波を挙げたるを見よ。
註二、維新の革命は戊辰戦争に決せずして天下の大勢が頻々たる暗殺の為に決せられたり。
古今凡ての革命が軍隊運動に依るは歴史的通則たり。
註一、国家の革命は軍隊の革命を以て最大とし最終とす。
註二、維新革命に於て薩長の革命党が其の藩内の幾政争に身命を賭して戦ひしは蝸牛角上の争に非ず、其の藩侯の軍隊を把握せずんば倒幕の革命に着手する能はざりしを以てなり、革命は只不可能の暗中に飛躍する冒険のみ。
註、革命とは政治的方面に於て然る如く、財政的、経済的一切の社会的組織に対して只一の暗中飛躍あるのみ、中世的暗黒の中一点徴かなる近代的曙光を望んで飛躍する…之を維新革命と云ふ。
天行の健なる推移に対して予め計画を立てる能はざるは論なく、昨是今非の行動天の指導に依りて偶々其の宜しきに合せるものに過きず、滔天飜海の端倪すべからざる革命渦中に於て一小策一小方針の画けるべきものに非ざるは論議に照して何人と雖も推想し得べき筈なり、古今凡ての革命とは説明を除きたる結論のみを天に与へられたる国民的運動なり、故に多く理論の冷頭に借らずして情熱の激浪を捲く、実に維新革命は理解なき天の結論を人の情熱にて遂行せるものなりき。
註、古今の革命が統計表とか具体案とか具体的計画の立案を云々すべきものに非ずして、一に新興の革命的情熱の戦闘時代を主体とせるものなり。
維新革命に於て公武合体論は亡国階級の人々即ち諸侯と上級武士との間に於て唯一の妥協案たりき、是れ公武合体論の如く妥協案の如くして其の実は古今亡国階級が興国的運動に提出したる降伏条他の完備せる者に非ずや。
註、維新革命に於て徳川政府が薩長の青年に降伏したる条件なり、腐敗旗本と痴呆大名とが為せし如き浅薄屈辱なる妥協案に依頼して一に主家及自家の無事を僥倖せんとする腐腸軟骨なる忠臣義士は奸に非ず又雄に非ず。
事大主義とは維新前の日本に於て、又欧洲各国の衰亡期に於て示されたる如く、亡国階級の通有性なり、知己を百世に待つの論議、千万人と雖も吾行かんの操守は独り新興の国民に於てのみ現るべく、自活外交たゞ強者の勢力に阿附随従するに至りて国は則ち亡ぶ。
革命とは旧法律の全部に対する否認なり。
註、改良とは現存せる根本組織の健全を是認する者なるが、其の法律慣習に従ひて枝葉を矯正整理せんとするもの、革命は旧国家旧社会の組織其の者より否定さるべきものとして遵拠すべき一切の旧秩序を許容する能はず。
維新革命は三百貴族の統治権を否定すると共に、其の財政的基礎たる土地領有の権を否定して藩籍奉還の名の下に、数百年来の財産権を無視したるに非ずや、当時の亡国階級たる武士は其の職業とせる帯刀の営業権を剥奪せられ子々孫々世襲すべき食禄の財産権を侵害されたるに非ずや、維新革命に於ける財産権蹂躙は権利本来の原理に照らして日本に是認せられたり。
今日の日本人にして日本は維新革命を要せず、徳川の改良にて足れりとするものなし、経済的実力と政治的権力とは一個不可分のものなり、不可分なる一個「旧勢力」に向つて粉砕の斧を揮ふ時革命なり。
凡て革命とは旧き統一即ち威力の失へる専制力が弛緩して新なる統一を求むる意味に於て強大なる権力を有する専制政治を待望する者なり。
註一、革命は自由政治を求めずして専制的統一を渇仰するほ東西に符節を合するが如し.
註二、近代革命は国民の総代表、国家の根柱におはします、天皇と国魂体現者の団集とに依る(君民体を一にせる)権力発動たるべし。
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薩摩、長州の大名等が徳川氏に代りて封建制を維持せしならば単なる倒幕と云ひ得べきも尊王の本義即ち中世的階級を一掃して一天子を国民的大首領としたる民主的大統一を見る能はざりしは論なし、長州侯は仮令倒幕にカありしにせよ尊王の本義と相納れざる中世的貴族なり。
註、尊王の本義とは国民信念の信仰心の再燃のみに非ずして近代革命に於ては国民が事実上政治的には新官僚党閥の奴隷であり、経済的には事実上経済貴族王の奴隷なる状態、即ち君民間の亡国的禍根を一掃して一天子の下、国民平等なる人権を近代日本国民たる人権の本質に於ては国民が日本中世的国家に於て昇殿をも許されざる王朝時代の犬馬の如く純乎たる被治者として或る治者階級の命令の下に其の生死を委すべき理なし。
農奴は御手討又は切拾を許されたる物格なりき、万世一系の皇室が頼朝の中世的貴族政治より以来、七百年政権外に駆除せられ単に国民の信仰的中心として国民の間に存せしが、明治大皇帝が国民の身命と財産との所有権者に非ずして貴族政治打破の国民運動に号令を鼓舞し計画し其の渇仰の中心たりしなり、民主的革命家が同時に専制統一の君主にして亦同時に復興せる信仰の羅馬法王たりし三位一体的中心の下に行はれたる破壊建設の整然たる運動たりしなり。
註、維新の民主的革命は一天子の下に赤子の統一にありき。
中世史にての人類は高価なる家畜にして人に非ず、土地に附属せる牛馬、奴隷として売買贈与せらる。日本の藩籍とは是れにして家畜の生命が所有者の自由なる如く、殿様の前に立てる武士及び武士の前に立てる劣弱者を侮蔑するの心は即ち優強者に拝脆する奴隷の心なり、米人に凌辱されて一挙を加へざる卑屈は支那の覚醒を侮慢し成敗によりて国士を笑罵する尊大なり。日本は速に此の封建的奴隷心を脱却せざるべからず。
註、近代武士が単に階級の上なる者と云ふ事のみに対して拝脆する奴隷の心は階級の下なる者に向つて増上尊大となる。近代武士は速に封建思想より脱却すべし。希くは一切の対支那軽侮観より脱却せよ。此の支那に対する軽蔑は「愚呆」と「驕慢」の間に産れたる私生児にして数百年日本の対支外交が諸公の勇敢なる正義に支配されず、一に此の私生児の姿にする故なりき、為に終に日本其者が自ら軽侮さるべき白人の執達更に堕せるのみ。「日本なり」亜細亜の自覚史に東天の曙光たるべき天啓的使命を忘れで英国の走狗たりしのみならず、更に露西亜の従卒たらんとしたる日本なり、あゝ国運頽勢に向ふ時上下徒らに威に驕り権に依り国交に一点正義の輝なりもの古今挙げて斯の如きか。
註、日本の世界に向つてする天道宣布の道は日本が率先日本自らの精神(日本改造法案の根本精神)に築かれたる国家改造を終ると共に日本帝国の権利として英国に支配さる印度民族の独立と実質上英国の経済的属国たる支那領土保全とを完ふるにあり。
仏と魔との相違は小我私心に立脚すると宇宙大に満つる慈悲心より逆変するとの差なり、救済の仏心と折伏の利剣とを以て内、乱離を統一し外、英露の侵迫を撃攘し以て天を畏れ民を安んずるの心を失はざる者あらば是れ天の命じ四億万民の推戴する窩闊台汗に非らずして何ぞ。
註、救主救世の道念に立つ革命者は国民の心を心となし民性たる衣食住の安定と男女の調和とを計るの念慮を離れて名誉、権力、我見、邪慢に堕せる個人主義的革命者たる能はず、不肖茲に論ずる露支戦争とは日本が日露戦争の正義に復活して支那自らの支那保全に同情し後援し且日本自身が朝鮮と日本海の防備の為に「パイカル」以東黒龍沿海の諸州を領有すべき運命に覚得せる基礎に立ちて言ふものなり。
今の時に於て日本亦天意を奉じて北露南英に奪はずんば敗露の侮を再びにするも詮なし、国家興亡実に間一髪、況んや「カイゼル」四面楚歌に疲れて或は楚項の運命を追はんとするの時、若し彼を失はゞ欧洲の「バランス」破壊は奔流の如く英露黙契の日支分割に至らずんばやまず。
噫諸公、日支相食して終に二千五百年の国家を英露に委せんとするか、四億万民を救済すると共に南北に大日本を築きて黄人の羅馬帝国を後の史家に観賞せしめんとするか、茫々歴史ありて以来諾公の如き重大なる使命を受けし者を見ず。
天佑は唯天の使命を理解せるものに於てのみ天佑なり、革命の根本義が伝襲的文明(孔教の儒教思想、西洋思想)の一変心的改造に存す。
諸公、革命とは実に数百年の自己を放棄せんとする努力なり、無言の死を以て国に殉ずるのに、一諾の誓に勇して火中に放する戦を信念として。〔以下原文欠カ〕